桂竜也の夕焼けワイド
桂竜也の夕焼けワイド(けいたつやのゆうやけワイド)は、文化放送で1972年10月9日から1982年10月1日まで10年間放送されたラジオ番組。
概要 編集
前番組『ダイナミックレーダー〜歌謡曲でいこう!〜』の第2部のみが別番組となる形で開始した。
1981年当時は「今日のあなたの暮らしのエピソード」を電話で受け付け、番組で採用された中から「夕焼け大賞」1万円が週に2名、「夕焼け賞」として5000円相当の品物が毎日1 - 2名、「小焼け賞」として3000円相当の品物が毎日3 - 4名にそれぞれ贈られていた[1]。
放送時間 編集
パーソナリティ 編集
アシスタント・外中継リポーター 編集
以下は文化放送アナウンサー(当時)
タイムテーブル 編集
- 1981年4月時点
番組コーナー 編集
- 夕焼け広場に集まれ
- 人気歌手ベスト10(1975年3月まで)
- 夕焼け民話(1975年3月まで)
- 夕焼けに歌おう
- 夕焼けジョッキー・故郷(ふるさと)はいま
- トヨタ歌謡リクエスト(1975年4月から)
- 夕焼けチャレンジャー(1975年10月から)
- アイドルを探せ → うちのアイドル(1975年10月から)
- 電話で今日は(1976年4月から)
- 夕焼け伝言板(1976年10月から)
- あなたの町の夕焼けスタジオ(1976年10月から)
- 夕焼けファンタジア(1976年10月から)
- 歌謡リクエスト・この歌にひとこと(1977年4月から)
- 日本火災の救急速報[3]
NRNシングルネット局のラジオ大阪、東海ラジオ、STVラジオ、九州朝日放送とNRN・JRNクロスネット局の東北放送は上記コーナーの一部を単独番組として放送したり、自社制作の生ワイド番組に内包した[4]。
内包番組 編集
復活版 編集
2004年に桂が定年を迎えた記念として、2004年9月20日の16:00 - 17:30に『桂竜也の夕焼けグラフィティ』として、22年振りに復活した。
この時は当時のテーマソングやジングルを使用。レギュラー放送時に外中継リポーター(夕焼けトピッカー)を務めた吉田照美[5] が出演した。アシスタントは藤木千穂(文化放送アナウンサー(当時)。現在は編成局編成部)[6] が務めた。
脚注 編集
- ^ 『ラジオライフ』1981年9月号、三才ブックス、25頁。
- ^ 1980年10月4日(土曜日)までは平日 22時台前半に単独番組として放送していた。『吉田照美のてるてるワイド』開始による放送枠の移動に伴い、当番組に内包。以降は単独番組として編成された時期を挟みながら、同時間帯に放送している。内包前は文化放送ニュース、天気予報を17:00 - 17:05に放送していた。
- ^ 東京消防庁から提供された救急出動情報を基に、当日の放送時間帯までに東京都内で発生した救急出動の事例を1件紹介。日本火災のインフォマーシャルを兼ねた 40秒の速報で、文化放送は1962年12月26日から 1990年代 前半まで、生ワイド番組と単独番組の1コーナーとして内包していた。
- ^ ラジオ大阪、東北放送は「故郷はいま」「夕焼けに歌おう」「夕焼け伝言板」。東海ラジオは「夕焼けに歌おう」「歌謡リクエスト」。九州朝日放送は「夕焼けに歌おう」を放送した。STVラジオは1980年4月改編の時点で、平日の17:00 - 17:30に『桂竜也アワー』を独自に編成。「故郷はいま」「夕焼けに歌おう」「歌謡リクエスト」を放送した。
- ^ 当時は同時間枠の直前で自身の冠番組である『吉田照美のやる気MANMAN!』のパーソナリティを務めていた。
- ^ 当時、同時間帯で放送していた『辻よしなり ラジオグラフィティ』のアシスタントを務めていた。
文化放送 平日 16:30 - 18:00 ↓ 平日 16:00 - 18:00 |
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前番組 | 番組名 | 次番組 |
桂竜也の夕焼けワイド
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