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日本 > 神奈川県 > 鎌倉市 > 植木 (鎌倉市)

植木は、神奈川県鎌倉市北西部(玉縄地域)に存在する大字。旧鎌倉郡植木村住居表示未実施区域[5]郵便番号247-0073[3]

植木
植木の位置(神奈川県内)
植木
植木
植木の位置
北緯35度20分57.51秒 東経139度30分48.13秒 / 北緯35.3493083度 東経139.5133694度 / 35.3493083; 139.5133694
日本の旗 日本
都道府県 Flag of Kanagawa Prefecture.svg 神奈川県
市町村 Flag of Kamakura, Kanagawa.svg 鎌倉市
地域 玉縄地域
面積
 • 合計 0.69km2
人口
2018年(平成30年)1月1日現在)[2]
 • 合計 5,416人
 • 密度 7,800/km2
等時帯 UTC+9 (日本標準時)
郵便番号
247-0073[3]
市外局番 0467 (藤沢MA)[4]
ナンバープレート 横浜

目次

地理編集

北部を城廻、南部を岡本、東部を玉縄と接し、西部は藤沢市渡内及び村岡東に接している。

地価編集

住宅地の地価は、2015年平成27年)1月1日公示地価によれば、植木字植谷戸156番3の地点で14万4000円/m2となっている。

歴史編集

古くは玉縄村の一部だったようだが、元禄年間に村として独立した。

植木という地名の由来は、後北条氏によって玉縄城が築城された際に城を防衛するために多数の樹木を植林した事に由来すると伝わる。植木という地名が現存する史書によって初めて確認できるのは天正17年(1589年)に後北条氏が発給した朱印状[6]である。

後北条氏が支配していた時期の植木は、玉縄城の城下に位置する事、藤沢鎌倉間を結ぶ往還が植木内を走っていた事、龍宝寺など後北条氏ゆかりの寺院などがある事、天正年間には大筒を鋳造可能な鍛冶屋が存在した事[7]などから、既に町が形成されていたものと推定されている。

後北条氏滅亡後は一時徳川氏の直轄領をへて、玉縄藩領となる。玉縄藩廃藩後は再び天領となるが、正徳元年(1711年)には新井白石に与えられる。同年来日した朝鮮通信使が鎌倉近辺を訪問した際、村内の龍宝寺が宿舎として使われた。

明治15年(1882年)に玉縄小学校が龍宝寺境内に移転[8]する。

明治22年(1889年)に玉縄村と再び合併し植木は大字になった。

世帯数と人口編集

2018年(平成30年)1月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[2]

大字 世帯数 人口
植木 2,191世帯 5,416人

小・中学校の学区編集

市立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[9][10]

番地 小学校 中学校
231、233~245
258-2、259-2
259-7〜8、260
261-2〜3、291
鎌倉市立玉縄小学校 鎌倉市立玉縄中学校
48、422-2~7
422-10〜11、422-16・‐31~33
425-4~6・-15〜16・-22
425-44~46・-53・-60・-62・-65
426〜427、433、436〜437
441、459~466
469~471、475~477
478、478-1・-4~6、-18~23
495~498、502
鎌倉市立関谷小学校
1~47、49~230
232、246~257
258-1、259-1
261-1・-4、262~290
292~421、422
422-1・-8〜9・-12~15
423〜424、425-1~3
425-7~14・-17~21・-25~27
425-39~43、428~432
434〜435、 438~440
442~458、467、468
472~474、478-2〜3
478-11~16、479~494
499~501、503~867
鎌倉市立植木小学校

史跡編集

施設編集

交通編集

補足説明編集

  1. ^ 平成28年(2016年)版鎌倉の統計”. 鎌倉市. 2018年2月22日閲覧。
  2. ^ a b 鎌倉の人口と世帯数(地域・町丁・字別)”. 鎌倉市 (2018年1月26日). 2018年2月22日閲覧。
  3. ^ a b 郵便番号”. 日本郵便. 2018年2月22日閲覧。
  4. ^ 市外局番の一覧”. 総務省. 2018年2月22日閲覧。
  5. ^ 鎌倉市の町名称及び住居表示の実施状況”. 鎌倉市 (2017年2月7日). 2018年2月22日閲覧。
  6. ^ 『北条家朱印状写』(天正17年12月晦日発給、「神奈川県史3」所収)参照
  7. ^ 上記朱印状参照
  8. ^ 明治10年(1877年)には龍宝寺境内へ移転していたとする説もある(鎌倉市史)なお1937年に玉縄小学校は玉縄へ移転。跡地は大日本帝国海軍捕虜収容所となった。(大船捕虜収容所)
  9. ^ 鎌倉市の市立小学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。
  10. ^ 鎌倉市の市立中学校通学区域”. 鎌倉市. 2017年7月6日閲覧。

関連項目編集

参考文献編集

  • 「鎌倉の地名由来辞典」(三浦勝男編 東京道出版 2005年)
  • 「かまくらの寺小事典」(かまくら春秋社 2002年)
  • 「神奈川県皇国地誌相模国鎌倉郡村誌」(神奈川県図書館協会 1991年)