業良親王
嵯峨天皇の皇子
経歴編集
母の高津内親王は、大同4年(809年)嵯峨天皇の即位とともに妃に立てられるが、間を置かずして廃される。高津内親王が妃を廃されてまもなくと考えられる弘仁6年(815年)には、業良親王に備前国津高郡の荒廃田19町が下賜されている。
親王も生涯を通して叙品されることなく、無品のまま貞観10年(868年)1月11日に薨去した。飲食も普段通りで、とりたてて病気にもかかっていなかったが、急に没したという[2]。薨去に際して清和天皇は3日間の廃朝を行った。
母の高津内親王は、大同4年(809年)嵯峨天皇の即位とともに妃に立てられるが、間を置かずして廃される。高津内親王が妃を廃されてまもなくと考えられる弘仁6年(815年)には、業良親王に備前国津高郡の荒廃田19町が下賜されている。
親王も生涯を通して叙品されることなく、無品のまま貞観10年(868年)1月11日に薨去した。飲食も普段通りで、とりたてて病気にもかかっていなかったが、急に没したという[2]。薨去に際して清和天皇は3日間の廃朝を行った。
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