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業良親王(なりよししんのう、生年不詳 - 貞観10年正月11日868年2月8日))は、平安時代初期の皇族。嵯峨天皇の第二皇子[1][2]

目次

経歴編集

母・高津内親王は、大同4年(809年嵯峨天皇即位とともにに立てられるが、間を置かずして廃される。高津内親王が妃を廃されてまもなくと考えられる弘仁6年(815年)には、業良親王に備前国津高郡の荒廃田19町が下賜されている。親王も生涯を通して叙品されることなく、無品のまま貞観10年(868年)1月11日に死去した。飲食も普段通りで、とりたてて病気にもかかっていなかったが、急に没したという[1]。死去に際して清和天皇は3日間の廃朝を行った。

人物編集

精神的に不安定で、物事を識別判断する能力を備えていなかった[1]

系譜編集

脚注編集

  1. ^ a b c 日本三代実録』貞観10年正月11日条
  2. ^ 仁明天皇を長男とするための作為も考えられ、実際の所は不詳。
  3. ^ 日本三代実録』元慶4年4月16日条