檜町警備隊(ひのきちょうけいびたい、JGSDF Hinokicho Area Security Force)とは、防衛庁本庁等が置かれていた檜町駐屯地にあった防衛庁長官直轄の駐屯地警備部隊。

檜町警備隊
創設 1968年(昭和43年)11月21日
廃止 2000年(平成12年)5月9日
所属政体 日本の旗 日本
所属組織 陸上自衛隊
部隊編制単位
所在地 東京都 港区
編成地 檜町駐屯地
上級単位 防衛庁長官直轄
担当地域 檜町駐屯地
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概要 編集

1968年(昭和43年)10月20日に防衛庁本庁内に新左翼過激派学生が乱入して暴力行為を繰り広げた「新宿騒乱」が発生したことを契機に、陸上自衛官からなる警備担当の檜町警備隊が設置された。事件前までは、檜町の防衛庁の警備は一般の守衛のみが行っていた。2000年(平成12年)5月9日、防衛庁の市ヶ谷地区移転に伴い廃止となった[1]

発足後は、沖縄を除く全国の陸上自衛隊の普通科特科施設科を中心にした部隊が1週間交代で上京し、上番した。勤務は1週間だが、部隊の名誉を懸けて守り抜く決意から、各部隊は1、2ヶ月の訓練を経て任務につくのが常であり、部隊廃止までの31年間に上番した部隊は延べ約1,650部隊に上った[2]

1969年(昭和44年)発足当時の編成は、隊長(1等陸佐)以下20名強からなる隊本部と、全国の部隊から派遣された隊員で構成される1個警備中隊(120名程度)で編成されていた[3]

部隊編成 編集

  • 隊本部班(総務科・運用科・管理科)
  • 警備中隊(臨時編成。3ヶ月間を目処に全国の普通科連隊を中心に諸隊から要員選抜の上派遣し編成された)
歴代の檜町警備隊長
(1等陸佐)
氏名 在職期間 前職 後職
01 鬼澤薫 1968年11月21日 - 1970年07月15日 檜町駐とん地業務隊 陸上幕僚監部監察官
02 野副直行 1970年07月16日 - 1971年07月15日 第16普通科連隊
大村駐とん地司令
第7師団司令部幕僚長
03 片桐榮 1971年07月16日 - 1973年07月15日 陸上自衛隊幹部学校学校教官 陸上幕僚監部総務課勤務
04 中田九十郎 1973年07月16日 - 1975年03月16日 第29普通科連隊
倶知安駐とん地司令
陸上幕僚監部総務課勤務
05 宮田澄男 1975年03月17日 - 1976年08月01日
※1976年04月01日 陸将補昇任
陸上自衛隊幹部学校研究員 第3師団副師団長
千僧駐とん地司令
06 時津勇 1976年08月02日 - 1978年07月31日 第45普通科連隊 第8師団司令部幕僚長
07 河口治俊 1978年08月01日 - 1980年07月31日 第26普通科連隊
留萌駐とん地司令
東千歳駐とん地業務隊長
08 松山卓司 1980年08月01日 - 1982年08月01日 西部方面調査隊 陸上自衛隊幹部学校研究員
09 久田博之 1982年08月02日 - 1985年03月15日 第1空挺団副団長 東部方面総監部勤務
10 赤松義隆 1985年03月16日 - 1986年07月31日 第5師団司令部幕僚長 檜町駐屯地業務隊長
兼 檜町駐屯地司令
11 鯉沼義則 1986年08月01日 - 1987年07月06日 陸上自衛隊富士学校総合研究開発部
第3主任研究開発官
檜町駐屯地業務隊長
兼 檜町駐屯地司令
12 村田成久 1987年07月07日 - 1989年07月31日 陸上自衛隊業務学校研究員 東部方面総監部勤務
13 平田英男 1989年08月01日 - 1991年07月31日 第1師団司令部監察官 第1空挺団副団長
14 入江武紀 1991年08月01日 - 1993年03月23日 陸上自衛隊幹部候補生学校学校教官 陸上自衛隊会計監査隊
東部方面分遣隊長
15 河合洋 1993年03月24日 - 1995年03月22日 木更津駐屯地業務隊長 東部方面調査隊
16 村松洋一 1995年03月23日 - 1997年03月25日 東部方面総監部人事部募集課長 駒門駐屯地業務隊長
17 山田和夫 1997年03月26日 - 1999年07月31日 第1教育連隊 東部方面総監部勤務
丸田清次郎 1999年08月01日 - 2000年05月09日 東北方面警務隊 警務隊本部付警務隊長

備考 編集

陸上自衛隊駐屯地及び分屯地には出入門者の監視に当たる「駐屯地警衛隊」(守衛)が所在部隊の隊員をもって日替わりで編成されているが当隊は長官直轄部隊として陸上幕僚長の指揮監督下で運用されていた点が大きく異なっている。また、同じ警備隊の名を冠する「対馬警備隊」とは任務そのものが異なっている。

任務終了として臨時編成の警備中隊が原隊復帰となる際は陸上幕僚長幕僚監部に所属する各幕僚等との集合記念撮影を行う慣例が存在していた。

脚注 編集

  1. ^ 移転後も駐屯地警衛隊と統合する形で同様の趣旨による部隊編成の予定が一部組まれていたが、市ヶ谷駐屯地移駐後の警備任務は競争入札のうえ民間会社のセコムに一部委託する形式となった点と、全国の部隊から要員を呼び寄せる経費・人員削減の中部隊の訓練に一部支障を来していた点がある事から廃止された。
  2. ^ 朝雲新聞・2000年(平成12年)5月11日(木)「"ご苦労様"桧町警備隊」
  3. ^ 昭和44年6月13日の衆議院内閣委員会における防衛庁長官官房長島田豊答弁。

関連項目 編集