檜町駐屯地
港区赤坂にあった防衛庁施設
檜町駐屯地(ひのきちょうちゅうとんち、JGSDF Camp Hinokicho)は、1874年から2000年まで東京都港区赤坂九丁目7番45号にあった防衛庁施設の陸上自衛隊における正式呼称である。航空自衛隊においては檜町基地(ひのきちょうきち、Hinokicho Air Base)が正式呼称。防衛庁本庁では檜町地区(ひのきちょうちく、Hinokicho Area)あるいは防衛庁本庁檜町庁舎が正式呼称。
檜町駐屯地 | |
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檜町駐屯地(1999年) | |
位置 | |
所在地 | 東京都港区赤坂九丁目7番45号 |
座標 | 北緯35度39分57秒 東経139度43分52秒 / 北緯35.66583度 東経139.73111度座標: 北緯35度39分57秒 東経139度43分52秒 / 北緯35.66583度 東経139.73111度 |
概要 | |
駐屯地司令 | 檜町駐屯地業務隊長 |
主要部隊 | 防衛庁本庁舎 |
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開設年 | 1974年 |
廃止年 | 2000年 |
陸上・海上・航空自衛隊の部隊のほか、防衛庁本庁等が所在し、敷地内に中央指揮所庁舎が設置されていた。戦前・戦中は乃木坂1丁目に200m射撃場があった[注 1]。駐屯地(基地)閉鎖後は民間に払い下げられ、東京ミッドタウンとして再開発された。
沿革
編集日本陸軍
- 1874年(明治7年):麻布駐屯地設立、歩兵第1連隊と歩兵第3連隊が駐屯する。
- 1936年(昭和11年)2月:二・二六事件。歩兵第1連隊と歩兵第3連隊の一部は叛乱に参加、同月29日に帰営する。
- 1945年(昭和20年)8月15日:終戦。
アメリカ軍
- 米軍に接収され、将校宿舎として使用される。
陸上自衛隊
陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地檜町分屯地
陸上自衛隊檜町駐屯地
駐屯していた組織・部隊
編集駐屯地(基地)閉鎖時点のもの。陸上自衛隊地区における駐屯地司令は、檜町駐屯地業務隊長が兼務していた。
組織
編集陸上自衛隊檜町駐屯地
編集- 陸上自衛隊人事統計隊(中央業務支援隊の下部組織となり、同隊は廃止)
- 陸上自衛隊中央会計隊(市ヶ谷駐屯地移駐後は東部方面会計隊隷下の第414会計隊から同駐屯地の会計業務を引き継ぎ、第414会計隊は廃止)
- 陸上自衛隊会計監査隊本部
- 檜町警備隊(防衛庁の移転に伴い廃止)
- 檜町駐屯地業務隊(中央業務支援隊の母体となる)
- 陸上自衛隊中央管制気象隊
- 警務隊本部付警務隊
- 中央基地通信隊信務電信中隊
- 中央調査隊檜町派遣隊
- 海上自衛隊東京業務隊
- 海上自衛隊印刷補給隊
航空自衛隊檜町基地
編集最寄の幹線交通
編集注釈
編集出典
編集- ^ 朝雲新聞社編集局 編『陸上自衛隊20年年表』朝雲新聞社、1971年9月20日、92頁。
- ^ 自衛隊法施行令の一部を改正する政令(昭和49年政令第110号)