水口宿

東海道五十三次の50番目の宿場

水口宿(みなくちしゅく、みなくちじゅく)は、近江国甲賀郡にあった東海道五十三次の50番目の宿場である。現在は滋賀県甲賀市水口町旧市街。

歌川広重『東海道五十三次・水口』
『東海道分間延絵図』(1806年)に描かれた水口宿

石橋を境に、東側は道が三筋に分かれた宿場町、西側は水口城城下町で道が鍵の手になっていた。室町時代宿駅の機能を有するようになった[1]

1601年に宿駅に指定された[1]1634年に水口城が築かれ、1682年水口藩が成立して城下町にもなった[1]

1843年の『東海道宿村大概帳』によると、家数692軒、人口2692人、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠屋41軒を数えた。本陣は作坂町の鵜飼伝左衛門家、天王町の儀峨彦之丞家と堤文左衛門家があった[1]

最寄り駅編集

近江鉄道本線 水口石橋駅

史跡・みどころ編集

 
現在の街並。石橋の東で三筋に分かれているのが見える(2008年11月)

石部宿までの史跡・見どころ編集

  • 柏木神社
    中世は柏木庄の鎮守であった。中世後期に山中・伴・美濃部の柏木三家の崇敬を受けた。
  • 北脇縄手
    東海道の整備で、曲がりくねった道が直線状に改修された。かつては両側の土手並木があり、美しい景観が保たれていた。
  • 柏木公民館
    東海道を記念する鐘楼のモニュメントがある。
  • 泉一里塚跡
    改めて整備されたもので、元は現在地より野洲川よりにあった。
  •  
    1891年から1929年に架けられていた板橋と横田渡の常夜燈
    横田渡
    かつては仮橋あるいは船での渡りだった。東海道十三の渡しの一つに数えられている[2]。目印として1822年に万人講によって建てられた高さ10.5mの巨大な常夜燈があり、現在は史跡公園として整備されている(滋賀県指定史跡「旧東海道横田渡跡」)。甲賀市と湖南市の市境あたり。
  • 天保義民の丘
    天保13年(1844年)に過酷な検地に対して一揆(近江天保一揆)を起こし処刑された農民たちを称える「天保義民之碑」がある。明治31年(1898年)に三雲村(現 湖南市三雲)伝芳山に建立。
  • 大沙川隧道
    1877年に起工、1884年に竣工。長さ16.4m、内幅4.39m、トンネル高さ4.6m[3]。滋賀県下最初の道路トンネルで「吉永のマンポ」とも呼ばれる。切石造のきれいなアーチ断面を持つ。
  • 弘法杉
    東海道が下をくぐる天井川大沙川の堤上にある。幹の周囲6m、樹高26m、樹齢750年程度。弘法大師がこの地で昼食をとり、使ったを刺したところ、成長して大杉になったと伝えられる。2本並んでいたが、1本は1773年の台風で倒れた。
  • 由良谷川隧道
    1886年に竣工。長さ16.0m、内幅4.5m、トンネル高さ3.6m[3]。切石造のきれいなアーチ断面を持つ。
  • 北島酒造
    江戸時代から続く老舗の蔵元。針村。現在の湖南市針。

宿場の名物編集

ゆかりの人々編集

隣の宿編集

東海道
土山宿 - 水口宿 - 石部宿

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 『近江東海道を歩く』. サンライズ出版. (2010年5月10日) 
  2. ^ 『図説・近江の街道』. 郷土出版社. (1994-07-26). p. 52 
  3. ^ a b c d 田中雅彦・上野邦雄『滋賀の近代のトンネルの歴史と村田鶴が残した隧道群』滋賀県
  4. ^ 土木学会 令和元年度度選奨土木遺産 大砂川トンネル”. 土木学会. 2019年12月3日閲覧。
  5. ^ 特産「水口かんぴょう」守れ ユウガオ定食最盛 滋賀県甲賀市『日本農業新聞』2020年5月6日(12面)

外部リンク編集

  ウィキメディア・コモンズには、水口宿に関するカテゴリがあります。

甲賀市観光ガイド”. 2014年7月11日閲覧。