洞海湾(どうかいわん)は、福岡県北九州市の北西部に位置する幅数百メートル、長さ10キロメートルほどの細長いである。古名は、洞海と書いて「くきのうみ」と読んだ。

湾内と沿岸の地勢編集

 
洞海湾周辺の空中写真。
国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。2005年撮影の11枚を合成した。
 
洞海湾と若戸大橋

洞海湾に直接注ぐ一級河川は存在しないものの、江川や、堀川がそれぞれ遠賀川に通じている。洞海湾の沿岸部は北九州工業地帯ならびに北九州港の一郭で、大規模工場が隣接して立地する工業地帯である。沿岸部の八幡周辺は1901年官営八幡製鐵所(現・日本製鉄九州製鉄所八幡地区)の操業を契機として工業が発達し、沿岸部は大半が埋め立てられ、工業用地・港湾として利用されている。埋め立て以前の海岸線は、おおよそJR鹿児島本線および筑豊本線に囲まれた部分まであった。ただ、いずれにしても閉鎖性の高い水域である。

現在の洞海湾はほとんどが人工海岸だが、ごく一部に砂浜(八幡東区かつら島)や干潟八幡西区洞北町)が残っている。また、若松区南二島4丁目の護岸沿いにおいて、干潟再生のための実験が行なわれている。

環境編集

紀元前3世紀頃に湾が形成され、遠浅で水深が浅く、19世紀まではクルマエビの漁場であった。

水質汚濁編集

八幡製鐵所が洞海湾に面して立地した事で、洞海湾沿岸を埋め立て、工場を建設し、北九州の工業化が加速していった。また、対岸の若松筑豊炭田の石炭積出港として発展し、湾内は多くの船が行き交っていた。洞海湾の沿岸に重化学工業が立地した結果、湾内に工場から有害物質を含んだ廃水が流入し始め、公害を引き起こしていった。当時は公害対策基本法など環境保護の法律が未整備であったため、工場廃水に対する規制は無く、シアニドカドミウムヒ素水銀などの有害物質が海中に排出され続けた結果、1942年には水質汚濁のため、漁獲量がゼロに転落した。

さらに、1960年代高度経済成長期には、激しく汚染された状況に対し「死の海」と呼ばれた。この1960年代の洞海湾は、船舶のスクリューが溶け、魚介類はおろか大腸菌すら生息できない程に汚染されていた。 1970年6月には経済企画庁が湾内の水質調査を実施。湾の奥部でヒ素カドミウムの濃度が水産用水基準をはるかに上回る値になっていることが明らかにされている[1]

水質改善の取り組み編集

1966年に福岡県と北九州市は、公共用水域の水質の保全に関する法律および工場排水等の規制に関する法律に基づき、 国に要請し、1974年1月14日から、その時点で約480万㎥も海底に溜堆積していた汚泥(ヘドロ)の浚渫を開始した[2]。これを皮切りに、工場廃水に規制を遵守させて浄化処理を徹底させたり、さらなるヘドロの処理などの水質浄化の対策を幾つも行っていった。また、北九州市の下水道の普及を進めて生活排水の処理を徹底していった。この結果、洞海湾の水質は改善され、再び海生生物が湾内にも戻ってきた。

さらに、そこに棲息する生物によって水質を浄化する能力が高いとされる、干潟を人工的に作り出す実験も実施中である。

ただ、海面付近の海水の状態は改善しても、洞海湾の海底には、ダイオキシン類環境基準を超過する底質汚染が見られるとの旨を、2007年に行政が公開した。

事件・事故編集

交通編集

関連項目編集

参照編集

  1. ^ 洞海湾にもカドミウム シアン、ヒ素も検出 工場密集、ひどい汚れ『朝日新聞』昭和45年(1970年)5月21日朝刊 12版 2面
  2. ^ 北九州市政だより 昭和49年2月1日号P1「とりもどそう 生命のふるさと」 北九州市 (PDF)
  3. ^ 機雷?爆発 四人けが しゅんせつ船ふれる『朝日新聞』1970年(昭和45年)5月10日朝刊 12版 15面

座標: 北緯33度53分17秒 東経130度47分20秒 / 北緯33.88806度 東経130.78889度 / 33.88806; 130.78889