浜田山
浜田山(はまだやま)は、東京都杉並区の地名。現行行政地名は浜田山一丁目から浜田山四丁目。住居表示実施済み区域。郵便番号は168-0065[2]。
浜田山 | |
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![]() 柏の宮公園 | |
北緯35度40分53.06秒 東経139度37分40.38秒 / 北緯35.6814056度 東経139.6278833度 | |
国 |
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都道府県 |
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特別区 |
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人口 | |
• 合計 | 16,777人 |
等時帯 | UTC+9 (日本標準時) |
郵便番号 |
168-0065[2] |
市外局番 | 03[3] |
ナンバープレート | 杉並 |
地理 編集
杉並区の中西部に位置する。町域北部は杉並区成田東・成田西に接する。西部は、杉並区高井戸東に接する。南部は神田川を境に杉並区下高井戸に接する。東部は杉並区永福・大宮に接している。また町域内を井ノ頭通りが通っている。町域内は主に住宅地として利用される。推理作家:松本清張が永く住んだことでも知られる[注 1]。
地価 編集
住宅地の地価は、2022年(令和4年)の公示地価によれば、浜田山3丁目15番地14号の地点で65万6000円/m2となっている[4]。
歴史 編集
地名の由来 編集
現在町域内にある杉並南郵便局付近一帯は江戸時代まで江戸・内藤新宿(現在の新宿区新宿)の商人・浜田屋の所有地で松やクヌギの林(付近では「山」と呼ばれていた)になっていたほか浜田屋の墓があり、彼岸の時は浜田屋の人間が江戸から当地まで墓参りに訪れていた。墓参りの際には、村の子供たちに銭やお菓子などが配られるのが恒例で村ではお祭りのような賑わいであったといわれている。この浜田屋の山から浜田山の地名が生まれ、現在の地名になったと言われている。
なお浜田屋は米問屋であったと言われ、初代は江戸時代の初期頃に伊勢国浜田村(現在の三重県津市)から江戸に出てきて内藤新宿に店を構えて商売に成功し、浜田屋弥兵衛と名乗ったという。その後浜田屋は明治時代に米相場に失敗して没落していき浜田屋の墓も当地から隣の永福にある理性寺の境内に移されて現在に至っている。
世帯数と人口 編集
2022年(令和4年)11月1日現在の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
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浜田山一丁目 | 2,034世帯 | 3,945人 |
浜田山二丁目 | 1,362世帯 | 2,554人 |
浜田山三丁目 | 2,384世帯 | 4,393人 |
浜田山四丁目 | 2,898世帯 | 5,801人 |
計 | 8,678世帯 | 16,693人 |
小・中学校の学区 編集
区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる[5]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
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浜田山一丁目 | 全域 | 杉並区立高井戸第三小学校 | 杉並区立向陽中学校 |
浜田山二丁目 | 全域 | 杉並区立高井戸東小学校 | 杉並区立高井戸中学校 |
浜田山三丁目 | 全域 | 杉並区立浜田山小学校 | |
浜田山四丁目 | 全域 |
交通 編集
町域内には、京王井の頭線浜田山駅がある。町域東部は、隣の西永福駅の方が近い。また、杉並区コミュニティバスすぎ丸が走っている。
施設 編集
関連項目 編集
- ハチミツとクローバー - 作品中に架空の「浜田山美術大学」が登場する。ただし作品中の街並みの実際にモデルになっているのは当時作者・羽海野チカが住んでいた方南町付近だといわれている。