浜田山
浜田山(はまだやま)は、東京都杉並区の地名。現行行政地名は浜田山一丁目から浜田山四丁目。住居表示実施済み区域。
浜田山 | |
---|---|
町丁 | |
柏の宮公園 | |
北緯35度40分50秒 東経139度37分48秒 / 北緯35.680489度 東経139.629925度 | |
国 | 日本 |
都道府県 | 東京 |
特別区 | 杉並区 |
人口情報(2024年(令和6年)3月1日現在[1]) | |
人口 | 16,845 人 |
世帯数 | 8,796 世帯 |
面積([2]) | |
1.058847336 km² | |
人口密度 | 15908.81 人/km² |
郵便番号 | 168-0065[3] |
市外局番 | 03(東京MA)[4] |
ナンバープレート | 杉並 |
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地理
編集杉並区の中西部に位置する。町域北部は杉並区成田東・成田西に接する。西部は、杉並区高井戸東に接する。南部は神田川を境に杉並区下高井戸に接する。東部は杉並区永福・大宮に接している。また町域内を井ノ頭通りが通っている。町域内は主に住宅地として利用される。推理作家:松本清張が永く住んだことでも知られる[注 1]。
地価
編集住宅地の地価は、2024年(令和6年)1月1日の公示地価によれば、浜田山1-9-12の地点で64万6000円/m2、浜田山4-15-23の地点で64万8000円/m2となっている[5]。
歴史
編集地名の由来
編集現在町域内にある杉並南郵便局付近一帯は江戸時代まで江戸・内藤新宿(現在の新宿区新宿)の商人・浜田屋の所有地で松やクヌギの林(付近では「山」と呼ばれていた)になっていたほか浜田屋の墓があり、彼岸の時は浜田屋の人間が江戸から当地まで墓参りに訪れていた。墓参りの際には、村の子供たちに銭やお菓子などが配られるのが恒例で村ではお祭りのような賑わいであったといわれている。この浜田屋の山から浜田山の地名が生まれ、現在の地名になったと言われている。
なお浜田屋は米問屋であったと言われ、初代は江戸時代の初期頃に伊勢国浜田村(現在の三重県津市)から江戸に出てきて内藤新宿に店を構えて商売に成功し、浜田屋弥兵衛と名乗ったという。その後浜田屋は明治時代に米相場に失敗して没落していき浜田屋の墓も当地から隣の永福にある理性寺の境内に移されて現在に至っている。
世帯数と人口
編集2024年(令和6年)3月1日現在(杉並区発表)の世帯数と人口は以下の通りである[1]。
丁目 | 世帯数 | 人口 |
---|---|---|
浜田山一丁目 | 2,021世帯 | 3,883人 |
浜田山二丁目 | 1,357世帯 | 2,527人 |
浜田山三丁目 | 2,452世帯 | 4,455人 |
浜田山四丁目 | 2,966世帯 | 5,980人 |
計 | 8,796世帯 | 16,845人 |
人口の変遷
編集国勢調査による人口の推移。
年 | 人口 |
---|---|
1995年(平成7年)[6] | 15,066
|
2000年(平成12年)[7] | 15,149
|
2005年(平成17年)[8] | 15,410
|
2010年(平成22年)[9] | 16,397
|
2015年(平成27年)[10] | 16,883
|
2020年(令和2年)[11] | 17,317
|
世帯数の変遷
編集国勢調査による世帯数の推移。
年 | 世帯数 |
---|---|
1995年(平成7年)[6] | 7,301
|
2000年(平成12年)[7] | 7,419
|
2005年(平成17年)[8] | 7,861
|
2010年(平成22年)[9] | 8,401
|
2015年(平成27年)[10] | 8,688
|
2020年(令和2年)[11] | 9,103
|
学区
編集区立小・中学校に通う場合、学区は以下の通りとなる(2016年1月時点)[12]。
丁目 | 番地 | 小学校 | 中学校 |
---|---|---|---|
浜田山一丁目 | 全域 | 杉並区立高井戸第三小学校 | 杉並区立向陽中学校 |
浜田山二丁目 | 全域 | 杉並区立高井戸東小学校 | 杉並区立高井戸中学校 |
浜田山三丁目 | 全域 | 杉並区立浜田山小学校 | |
浜田山四丁目 | 全域 |
交通
編集町域内には、京王井の頭線浜田山駅がある。町域東部は、隣の西永福駅の方が近い。また、杉並区コミュニティバスすぎ丸が走っている。
事業所
編集2021年(令和3年)現在の経済センサス調査による事業所数と従業員数は以下の通りである[13]。
丁目 | 事業所数 | 従業員数 |
---|---|---|
浜田山一丁目 | 67事業所 | 219人 |
浜田山二丁目 | 90事業所 | 397人 |
浜田山三丁目 | 273事業所 | 1,803人 |
浜田山四丁目 | 134事業所 | 1,254人 |
計 | 564事業所 | 3,673人 |
事業者数の変遷
編集経済センサスによる事業所数の推移。
年 | 事業者数 |
---|---|
2016年(平成28年)[14] | 525
|
2021年(令和3年)[13] | 564
|
従業員数の変遷
編集経済センサスによる従業員数の推移。
年 | 従業員数 |
---|---|
2016年(平成28年)[14] | 3,757
|
2021年(令和3年)[13] | 3,673
|
施設
編集その他
編集日本郵便
編集関連項目
編集- ハチミツとクローバー - 作品中に架空の「浜田山美術大学」が登場する。ただし作品中の街並みの実際にモデルになっているのは当時作者・羽海野チカが住んでいた方南町付近だといわれている。
脚注
編集注釈
編集出典
編集- ^ a b “町丁別世帯数及び人口” (XLSX). 杉並区 (2024年3月6日). 2024年3月24日閲覧。 “(ファイル元のページ)”(CC-BY-4.0)
- ^ “『国勢調査町丁・字等別境界データセット』(CODH作成)”. CODH. 2024年1月14日閲覧。(CC-BY-4.0)
- ^ a b “浜田山の郵便番号”. 日本郵便. 2023年11月17日閲覧。
- ^ “市外局番の一覧”. 総務省. 2019年6月24日閲覧。
- ^ “国土交通省 不動産情報ライブラリ”. 国土交通省. 2024年4月6日閲覧。
- ^ a b “平成7年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年3月28日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成12年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年5月30日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成17年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2014年6月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成22年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2012年1月20日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “平成27年国勢調査の調査結果(e-Stat) - 男女別人口及び世帯数 -町丁・字等”. 総務省統計局 (2017年1月27日). 2019年8月16日閲覧。
- ^ a b “令和2年国勢調査の調査結果(e-Stat) -男女別人口,外国人人口及び世帯数-町丁・字等”. 総務省統計局 (2022年2月10日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ “区立学校学区域一覧”. 杉並区 (2016年1月14日). 2017年12月26日閲覧。
- ^ a b c “経済センサス‐活動調査 / 令和3年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 事業所数、従業者数(町丁・大字別結果)”. 総務省統計局 (2023年6月27日). 2023年9月15日閲覧。
- ^ a b “経済センサス‐活動調査 / 平成28年経済センサス‐活動調査 / 事業所に関する集計 産業横断的集計 都道府県別結果”. 総務省統計局 (2018年6月28日). 2019年10月23日閲覧。
- ^ “郵便番号簿 2022年度版” (PDF). 日本郵便. 2023年10月28日閲覧。