焼畑農業
焼畑農業 (やきはたのうぎょう、英: slash-and-burn) は、森林や草地を開墾する手段として火を放ち、焼け跡を畑として農作物を育てる農業形態を指す[1]。作物を収穫したあとに残る藁などの作物残渣を焼却する行為は野焼き (英: stubble burning) として焼き畑とは区別される。また、報道などで焼畑と野焼きを混同する例も見られる[2]。
概要編集
「ある土地の現存植生を伐採・焼却などの方法を用いることによって整地し、作物栽培を短期間おこなった後、放棄し、自然の遷移によってその土地を回復させる休閑期間をへて再度利用する、循環的な農耕である」と定義される[3]。
焼畑にはいくつかの機能があると指摘されている。火を使うことについては
- 熱帯の土壌は栄養塩類の溶脱が激しく、やせて酸性のラトソルが主体のため、作物の栽培に適していない。そこで熱帯雨林に火を付けて開拓することで、灰が中和剤や肥料となり、土壌が改良される。
- 焼土することで、土壌の窒素組成が変化し、土壌が改良される[4]。
- 熱による種子や腋芽の休眠覚醒。
- 雑草、害虫、病原体の防除。
また休閑することによって耕作期間中の遷移途中に繁茂する強害雑草である多年生草本が死滅するので、常畑を営む場合に大きな労働コストとなる除草の手間を省くことができる。近年の研究では、このことが一次生産力の高い(雑草がはびこりやすい)湿潤熱帯において焼畑が農法として選択される最大の理由であることが強調されている[要出典]。
灌漑を利用しない天水農業である。また、広域の山林における人間活動が、野生動物の里地への侵入を低下させる可能性も指摘されている[要出典]。
焼畑で育てる作物は様々で、地域によってはここでキャッサバ、ヤムイモ、タロイモ、料理バナナ(プランテン)などの根栽系(栄養繁殖)作物、あるいは、モロコシ、シコクビエ、トウモロコシ、陸稲などを栽培して主食とする。現在[いつ?]でも、焼畑で栽培されるのは主に自給用作物である。
熱帯の気候に適した農法で区画を決めて焼畑を行い、栽培が終わると他の区画へと移動する。焼畑農業は元の区画が十分な植生遷移を経た後に再び耕作する持続可能的なものである。集落ごと移動し新規の土地を求めることもあるが、これは農地の不足によるものというよりは他の様々な社会的理由によるものであることが示唆されている[5]。近年では人口の増加や定住政策、また商品作物の栽培のために常畑に移行する例も少なくない。
負の側面編集
焼き畑は開墾手段として最も安価であり、現代においては主に発展途上国の貧しい農民によって行われている。焼畑により発生する煙は大気汚染の原因となる。煙が隣国に流れ込むなど国際問題に発展するケースもあり、各国政府は焼畑以外の農法への切り替えを促しているが、貧しい農民には焼き畑以外に開墾手段が取れず、根絶には至っていない[6][7]。
野焼きとの混同編集
政策によって促された農業移民などの新規農業事業者が、商品作物を栽培する常畑設置のための火入れおよび地拵え (野焼き) を行なうことを、焼畑農法であると勘違いされることがある[8][9]。
通常は耕耘・施肥を行わず、1年から数年間は耕作した後、数年以上の休閑期間を設けて植物群落を中心とした植生遷移を促す点が特徴である。農地化したまま森林を再生しない「焼き払い」と混同され、森林破壊の一因と思われがちだが、本来は自然環境の持続的な利用である[10]。
こうした混乱の一因として「伝統的焼畑」と「非伝統的焼畑」という誤った二項対立が考えられる。というのは、後者の指すものは、実際には「投資家によるプランテーション造成」「農業移民による常畑開墾」など、焼畑ではないものであることがほとんどだからである。ここに見られる誤謬のように、「かつては無垢で自然と共存していた小農(焼畑民)が、現代の社会経済変化を経て環境破壊者に変わってしまった」という、様々な場面で登場する誤った言説は「失楽園物語」と呼ばれることもある[11]。
各地の焼畑農業編集
東南アジア編集
ヘイズと呼ばれる大気現象に発展し、健康被害をもたらしている。アブラヤシ農園造成やパルプ材抽出のための開墾先が泥炭地であり、焼畑の火がそこに延焼して大気汚染の被害が拡大している[7][12][13]。
平地出身の焼畑を行わない農民が火入れ地拵えのために伐採後に火をつけたとき、周囲に延焼し、大量の煙を発生させることもある。現在はインドネシアで発生したヘイズがシンガポールやマレーシアなどの大都市を包み、住民の健康被害をもたらしたり、視界不良による交通障害を起こしたりする深刻な煙害をもたらすことがある。特に、2000年代に入ってからは、インドネシアを中心に、(焼畑農業とは無関係な)森林の更地化(商工業用地化・住宅用地化)の過程で伐採行為の省力化を目的に、樹木にガソリンや灯油などをかけて焼却する行為が横行し、社会問題化している。
日本編集
かつては日本でも山間地を中心に行われ、秩父地方では「サス」、奥羽地方では「カノ」、飛騨地方では「ナギ」など種々の地方名で呼ばれてきた。近現代では急速に衰退したが、2000年代に入り伝統文化としての継承や里山再生などのため再び始める動きも相次ぐ。江戸時代以前から続く宮崎県椎葉村、山形県鶴岡市などに加えて、島根県奥出雲町、熊本県水上村、滋賀県長浜市(旧余呉町)など約20地域に限り行われている[10]。
日本列島においては縄文時代中期・後晩期段階での粗放的な縄文農耕が存在したと考えられており[14]、遺跡からは蕎麦、麦、緑豆などの栽培種が発見され、かつては縄文後期に雑穀・根菜型の照葉樹林文化が渡来したという研究者もいる[15]が、近年の成果から縄文前期に遡ると指摘する研究者もいる。宮本常一は野焼き・山焼き後の山菜採りから進化した農法ではないか、と考察している[16]。
古代の段階では畿内周辺においても行われている。中世・近世においても焼畑は水田耕作の困難な山間部を中心に行われた。近世以前は山中を移動して生活する人々が多数存在したが、時代が下るに連れ定住して焼畑を中心に生計を立てる集落が増えた[17]。
近世においては江戸時代中後期の徴税強化や山火事などの保安上の理由、山林資源への影響から禁止・制限が行われた。かつて焼畑は西日本全域、日本海沿岸地域を中心に日本全域で行われていたが、明治32年に施行された国有林施業案の影響により焼畑を営む戸数は激減した[18]。
東北地方では昔から焼畑を主な生業とする集落が多く[19]、現在でも火野(かの)カブと呼ばれる焼畑によるカブの栽培が行われており、山形県鶴岡市の温海かぶでは、林業における伐採と植栽のサイクルに沿った持続可能性を有する栽培方法が江戸時代から続けられている[20]。
日本ではヒエ、アワ、ソバ、ダイズ、アズキを中心にムギ、サトイモ、ダイコンなども加えた雑穀栽培型の焼畑農業が一般的である。焼畑の造成はキオロシと呼ばれる樹木の伐採作業から始められる。耕作地を更地にした後、しばらく乾燥させて火を入れる。その後に播種するが、1年目はソバ、2年目はアワ、といったように輪作されることが多い[21]。耕作期間は3 - 5年で、その後、植林して15 - 20年間放置し、地力を回復させる。
関連する農法編集
英語で使われる移動農耕(shifting cultivation)という語では、火入れをすることは必ずしも強調されない(実際、湿潤熱帯の各地では火入れを伴わない焼畑農耕も見られる[22][23])。英語圏の研究においては、短期の耕作と長期の休閑が繰り返されて循環することにより、焼畑が定義されることが多い[24]。
脚注編集
出典編集
- ^ “焼畑”. コトバンク. 2022年9月29日閲覧。
- ^ 「ブラジル政府、アマゾン熱帯雨林での野焼き禁止」『日本経済新聞』、2020年7月17日。2022年9月29日閲覧。
- ^ 福井 (1983), 239頁
- ^ Araki, S (1993). “Effect on soil organic matter of the chitemene slash-and-burn practice used in northern Zambia in Mulongoy”. In K. and Mercks, R.. Soil Organic Matter Dynamics and Sustainability of Tropical riculture. John Wiely & Sons.. pp. 367-375
- ^ 佐藤(2011),444-450頁
- ^ 辻誠 (2018年12月6日). “インド:大気汚染 デリーは世界でもトップクラス焼き畑農業が主因”. 石油天然ガス・金属鉱物資源機構. 2022年9月29日閲覧。
- ^ a b 「伝統の焼畑農法と山火事、はざまで苦しむスマトラ」『AFPBB News』、2013年7月8日。2022年9月29日閲覧。
- ^ “アマゾン先生(アマゾン自然館・館長:山口 吉彦)”. 『アマゾン自然館』web. 月山あさひ博物村. 2015年9月25日閲覧。
- ^ “砂漠化とは?”. 『エコ忍法の環境用語/環境問題最新ニュース』web. エコ忍法の環境用語. 2012年7月8日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年9月25日閲覧。
- ^ a b 狙いは半農半X 焼き畑 復活ののろし 滋賀県長浜市余呉町中河内 - ウェイバックマシン(2021年11月27日アーカイブ分)
- ^ O'Brien, William E. (October 2002). “The nature of shifting cultivation: stories of harmony, degradation, and redemption”. Human Ecology 30(4): 483-502.
- ^ 「インドネシア、大量CO2 焼き畑で泥炭火災相次ぐ」『朝日新聞デジタル』、2007年10月6日。2022年9月29日閲覧。
- ^ BEN OTTO「インドネシアの煙害、産業への影響深刻」『ウォール・ストリート・ジャーナル』、2015年11月4日。2022年9月29日閲覧。
- ^ 小杉康,谷口康浩,西田泰民,水ノ江和同,矢野健一 編 『縄文時代の考古学三 大地と森の中で―縄文時代の古生態系ー』同成社、2009年。
- ^ 佐々木高明 『縄文以前』日本放送協会、1971年。
- ^ 宮本 2011, pp. 227–228.
- ^ 宮本 2011, pp. 213–218.
- ^ 宮本 2011, pp. 229–230.
- ^ 湯川 1991, pp. 24–25.
- ^ “豊かなむらづくり全国表彰事業:一霞集落”. 農林水産省東北農政局. 2015年10月31日閲覧。
- ^ 湯川 1991, pp. 54–62, 152.
- ^ Thurston, H.D. (1997). Slash/mulch systems: sustainable methods for tropical agriculture. Westview Press
- ^ 佐藤廉也 著「アフリカから焼畑を再考する」、佐藤洋一郎監修 編 『焼畑の環境学―いま焼畑とは』思文閣出版、2011年、427-455頁頁。
- ^ 福井 (1983), 238頁
参考文献編集
- 福井勝義 著「焼畑農耕の普遍性と進化─民俗生態学的視点から」、大林太良ほか編 編 『山民と海人―非平地民の生活と伝承』 第5巻、小学館〈日本民俗文化大系〉、1983年、235-274頁頁。
- 宮本常一 『山に生きる人々』河出書房新社、2011年。ISBN 9784309411156。
- 湯川洋司 『変容する山村:民俗再考』日本エディタースクール出版部、1991年。ISBN 4888881782。
関連項目編集
外部リンク編集
テルッカマキ自然保護区 - フィンランドのカーヴィ (英語: Slash-and-burn Heritage Farm Telkkämäki, Finland)
- ビデオ: 2012年, 焼畑農業(テルッカマキ自然保護区)フィンランドのカーヴィ