ジャック・ドゥミJacques Demy, 1931年6月5日 - 1990年10月27日)は、フランス出身の映画監督脚本家

ジャック・ドゥミ
Jacques Demy
生年月日 (1931-06-05) 1931年6月5日
没年月日 (1990-10-27) 1990年10月27日(59歳没)
国籍 フランスの旗 フランス
職業 映画監督
主な作品
シェルブールの雨傘』(1964年)
 
受賞
カンヌ国際映画祭
グランプリ
1964年シェルブールの雨傘
フランス映画高等技術委員会賞
1964年『シェルブールの雨傘』
国際カトリック映画事務局賞
1964年『シェルブールの雨傘』
ニューヨーク映画批評家協会賞
特別賞
2001年ローラ』『天使の入江
その他の賞
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妻は同じく映画監督のアニエス・ヴァルダ。ともにヌーヴェルヴァーグ左岸派とされる。息子は、俳優のマチュー・ドゥミ

略歴 編集

 
左からカトリーヌ・ドヌーヴ、ドゥミ、アニエス・ヴァルダ(1966年)

アニメーターのポール・グリモーや映画監督のジョルジュ・ルーキエと働いた後、1961年の『ローラ』で映画監督としてデビューして「ヌーヴェルヴァーグの真珠」にたとえられる、この作品で「恋の歓びと哀しみをまるでお伽話のような純粋さで謳いあげ」「この時代錯誤的なまでに単純な主題をつらぬくために」ミュージカルという「反時代的な形式を必要とした」[1]

1964年公開のカトリーヌ・ドヌーヴ主演のミュージカル『シェルブールの雨傘』でカンヌ国際映画祭パルム・ドールを受賞。ミシェル・ルグランと共に手掛けた音楽はそれまでのミュージカル映画に新たな波を引き起こした。

『ローラ』の音楽は当初、クインシー・ジョーンズが担当予定だったが、スケジュールの関係で辞退。ルグランが『アメリカの裏窓』の音楽を担当したフランソワ・レイシャンバックの勧めで、ドゥミがルグランに会った。ルグランは初め乗り気でなかったが、同席したアニエス・ヴァルダが説得、最終的にルグランが折れた。ルグランとのコンビは、『シェルブールの雨傘』後も、『ロシュフォールの恋人たち』『ロバと王女』『モン・パリ』『ベルサイユのばら』と続いたが、『都会の一部屋』の主題を気に入らなかったルグランがオファーを拒み、二人は疎遠になった。

ドゥミはバイセクシュアルであり、80年代は一時期妻のヴァルダと離れて暮らしていた[2]。1988年頃からまた同居するようになった[3]

1990年にエイズにて死去[4]モンパルナス墓地に葬られている。

2004年には『ロバと王女』が妻と息子の手によってリバイバルされた。

2009年、『シェルブールの雨傘』製作45周年を記念し、日本で世界初となる“デジタルリマスター版”が『ロシュフォールの恋人たち』と共にリバイバル上映された。

主な監督作品 編集

 
ロシュフォールの恋人たち』(1967年)

脚注 編集

  1. ^ 中条省平『フランス映画史の誘惑』(集英社新書 2003年pp.196-199)。
  2. ^ Hattenstone, Simon (2018年9月21日). “Agnès Varda: ‘I am still alive, I am still curious. I am not a piece of rotting flesh’” (英語). The Guardian. ISSN 0261-3077. https://www.theguardian.com/film/2018/sep/21/agnes-varda-i-am-still-alive-i-am-still-curious-i-am-not-a-piece-of-rotting-flesh 2023年11月16日閲覧。 
  3. ^ 大寺真輔「アニエスからあなたへ」、金子遊他編『アニエス・ヴァルダ――愛と記憶のシネアスト』、neoneo編集室、2021、22-34、p. 32。
  4. ^ (information given in Agnès Varda's 2008 autobiographical movie Les Plages d'Agnès)

関連文献 編集

外部リンク 編集