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糖業協会

公益社団法人糖業協会(とうぎょうきょうかい)は、日本の製糖業者で組織された業界団体である。

目次

概要編集

事業内容編集

設立時点はクラブ的な性格を持たせることを目的としていたが[1]1957年から1961年にかけては、それまで松方正熊北海道製糖創業者)が個人的に行っていた暖地甜菜の試作事業を公益事業として行った[2]。協会では梅原龍三郎の「紫禁城の黄昏」、金山平三の「雲の陰」をはじめ65点の美術品を所蔵し、公立・公共美術館への無償貸し出しを行っている[3]

沿革編集

1909年明治42年)、台湾の製糖業者による業界団体として台湾糖業連合会が発足した。当時の台湾は日本による統治下にあり、台湾の製糖業者は主に内地で消費される砂糖を生産していたが、次第に供給量が過剰になっていった。そこで台湾産の原料粗糖を内地の精製糖業社に供給する道が模索されたが、販売交渉において団結する必要性が生じた。これが台湾糖業連合会の発足の動機である。しかし台湾の粗糖業者が内地の精製糖業社を買収したり、逆に内地の精製糖業社が台湾に製糖工場を開設するなど、台湾の製糖業者の利害のみを代表するのは実態にそぐわなくなったことから、1920年大正9年)1月に糖業連合会、1935年昭和10年)5月には日本糖業連合会に名称を変更した。

1935年9月6日の第672回会員協議会において、糖業連合会創立25周年事業として会館の建設が決定した。その協議において、日本糖業連合会とは別の社団法人を設立して、社債を発行して土地建物を所有することが法律上最善であると判断された。1935年12月20日に第1回発起人会が開かれ、翌1936年1月24日の第2回発起人会において社団法人糖業協会の設立が正式に決定した[4]

1940年には東京都練馬区石神井に運動場を取得。のちに農場に転用され、会員の耕作に供されたが農地改革により政府の買収の対象となる可能性が生じた。買収対象から外すため、1947年に甘味作物の試験農場に用途を変更した[5]。この土地は1956年から再び運動場として使用されたのち、1976年に東京都住宅局に売却されている[6]

第2次世界大戦のため内地の精製糖工場は1940年までにすべて軍需工場に転換され、終戦により台湾や沖縄など主要な産地を喪失したことから日本の製糖業は壊滅状態に陥った。日本糖業連合会は1947年2月25日の第1019回会員協議会において解散が決議された。糖業協会もこの時期に会員数が減少したが、糖業会館の収入により収支を保つことができた。

2008年に施行された公益法人制度改革により従来の社団法人は一般社団法人または公益社団法人のいずれかに移行することになり、糖業協会は内閣総理大臣認定の公益社団法人となった[7]

糖業会館編集

 
糖業会館・ニッポン放送本社ビル
 
旧糖業会館(1961年頃)。フジテレビ本社も入居していた。

糖業会館は1939年8月15日に落成し、修拔式が執り行われた。1944年4月から農林省(現 農林水産省)に貸し出され、地下1階は1949年から帝国ホテルによる食堂「リッツ」の営業が行われた[8]。農林省は1953年霞が関中央合同庁舎第1号館に転出したが、これに代わる賃料収入源として会社設立間近だったニッポン放送との間に1954年2月1日に賃貸契約が締結した。設立当初のフジテレビジョン(当時は富士テレビジョン)本社も入居していた(1962年新宿区市谷河田町へ本社機能移転)[9]駐日アメリカ大使館からの使用申し入れがあったが、この交渉は実らなかった[10]。帝国ホテルは1958年の第二新館完成に伴い地下食堂の賃貸契約を終了。代わって、ニユートーキヨーが営業を開始した[11]

1992年、ニッポン放送側から「糖業会館の耐用年数は限界に近付き、局としても新メディアに対応するスペースが欲しい」として、共同でのビルの建て替えを糖業協会側に申し入れた。清水建設による耐震診断の結果、躯体に問題はないものの外壁や設備の補修に多額の費用を要すること、当時の建物容積率は600%で、条例で定められた容積率1000%が有効利用されていないことなどから建替えを決断した[12]

糖業会館は2001年8月より解体に着手された。建替え期間中は、糖業協会は設計・監理を行う三菱地所の紹介で隣接する日比谷パークビルに移転し、そのビルも建替えに入るため2003年2月には新丸ノ内ビルヂングに再移転した。ニッポン放送は1997年お台場FCGビルに移転した。なお、2001年8月の解体まで糖業会館はニッポン放送の分室として残り、銀河スタジオ含め二つのスタジオと重役室を首都圏営業部の本部として使用された。2004年4月5日に新たな「糖業会館・ニッポン放送本社ビル」の竣工式が行われ、糖業協会とニッポン放送が戻るとともに、地下1階にはニユートーキヨーによるラウンジバー「綴」がオープンした。

脚注編集

  1. ^ 『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』p46
  2. ^ 『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』p93-94
  3. ^ 公益社団法人糖業協会 所蔵美術品について (PDF)
  4. ^ 『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』p1-3
  5. ^ 『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』p43-45
  6. ^ 『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』p98-99
  7. ^ 『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』p145-146
  8. ^ 『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』p36-37,42-43
  9. ^ 略史・沿革
  10. ^ 『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』p44-46
  11. ^ 『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』p95
  12. ^ 『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』p132-134

参考文献編集

  • 『戦後の日本糖業の発展と糖業協会』 糖業協会、2012年5月31日

関連項目編集

外部リンク編集

本協会独自のウェブサイトは開設されていないが、定款貸借対照表、役員名簿などは公益法人協会サイト内で公開されている。