胡 三省(こ さんせい、紹定3年(1230年)- 至元24年(1287年))は、南宋末期の政治家歴史家浙江省天台の人。元の名は満孫、は身之、号は梅澗。『論語』の「吾日三省吾身」の一句より三省と改名し、字を景参とした。

宝祐年間(1253年-58年)頃の進士賈似道政権下で朝奉郎などを務めたが、南宋がに滅ぼされると隠居して官に就く事はなかった。

司馬光が著した歴史書資治通鑑』の研究に尽くして、『資治通鑑音注』・『通鑑釈文辨誤(釈文弁誤)』という注釈書を著した。彼が付けた注釈の精度の高さから、その注釈のみで歴史書に値するとまで言われている。