胡三省

南宋末期の政治家・歴史家

胡 三省(こ さんせい、紹定3年4月2日1230年5月15日) - 大徳6年1月23日1302年2月21日))は、南宋末期の政治家歴史家。もとの名は満孫。は身之、号は梅澗。『論語』の「吾日三省吾身」の一句より三省と改名し、字を景参とした。台州天台県の人。

概要編集

『胡氏家譜』によると、胡三省の先祖である胡琛という人物は、本来洪州豫章県に住んでいたが、末の乾寧年間に進士に及第して後唐荘宗の治世に起居舎人を務め、退任後は呉越会稽へ移住した。胡三省は『資治通鑑音注』で、自らの本貫を「天台胡三省」と書き、天台は台州に属していた天台県。考証学者の黄宗羲も『宋元学案』でこの説に従った。

宝祐4年(1256年)、文天祥陸秀夫謝枋得らと共に進士に及第し、吉州泰和県尉に任命されたが、母の老齢を理由に赴任しなかった。後に再び慶元府慈渓県尉に任命。在任中に慶元知府だった厲文翁に罪を犯して罷免された。しかし文学と行動が正しいとして揚州江都県丞に推挙され、賈似道政権下で朝奉郎などを務めた。この頃から『資治通鑑』に対する研究に志しており、賈似道の門客に名前が知られて招聘を受け、自分が校正した『資治通鑑』を教えたこともあった。

南宋がモンゴルに滅ぼされると、隠居して官に就く事はなかった。景炎元年(1276年)、新昌に避難していた中に『資治通鑑』に注釈や論評を付けた草稿を失ったが、別の書籍を得て作業を続けた。10年かけて昼夜問わず研究に尽力した結果、ついに『資治通鑑音注』・『通鑑釈文辨誤(釈文弁誤)』という注釈書を著した。彼が付けた注釈の精度の高さから、その注釈のみで歴史書に値するとまで言われている。