花蓮県
花蓮県(かれんけん、ホワリエンけん)は台湾東部に位置する県。県政府所在地は花蓮市。
別称: 迴瀾・後山 | |
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地理 | |
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位置 |
北緯23°05' - 24°22' 東経120°58' - 121°46' |
面積: | 4,628.5714 km² |
各種表記 | |
繁体字: | 花蓮縣 |
日本語読み: | かれんけん |
拼音: | Huālián Xiàn |
ウェード式: | Hua¹-lien² Hsien⁴ |
注音符号: | ㄏㄨㄚ ㄌㄧㄢˊ ㄒㄧㄢˋ |
片仮名転写: | ホワリエンシェン |
台湾語: |
Hoa-liân-koān Hoa-lian-koān |
客家語: | Fâ-lièn-yen |
行政 | |
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行政区分: | 県 |
下位行政区画: | 1市2鎮10郷 |
花蓮県長: | 徐榛蔚 |
公式サイト: | 花蓮県政府 |
情報 | |
総人口: | 326,465[1] 人(2019年10月) |
世帯数: | 126,709[1] 戸(2019年10月) |
郵便番号: | 970~983 |
市外局番: | 03 |
花蓮県の木: | 菩提樹 |
花蓮県の花: | 蓮花 |
花蓮県の鳥: | 朱鸝 |
地理編集
花蓮県は台湾東部中央に位置し、南北137.5Km、東西寬約43Km、西は台湾中央山脈、東を太平洋に面する地勢である。
面積は同国の県内で最大であるが、大部分を山岳地帯が占め、平地は7%に過ぎない。人口の大部分もこの平地に集中している。地理学上は沖積扇地形[要検証 ]が形成されており、この地域は花東縦谷と称されている。
東岸の東岸山脈は、400万年前という比較的新しい時代に形成されている。標高は高くなく、東岸山脈の最高標高は1,682mである。これに対して中央山脈では3,000m以上の山脈が続き、南湖大山、奇萊山、秀姑巒山など台湾島を代表する山岳が連なっている。
東海岸の総延長は124Km、多くは海に河川が流れ出た影響で侵食を受けており、景観地点として有名である。特に有名なのは平渓南側の清水断崖であり、1,000m以上を誇るその高さは蘇花公路での最大の景観地となっているが、落石による災害も頻発している。
行政区画編集
区分 | 数 | 名称 |
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市 | 1 | 花蓮市 |
鎮 | 2 | 鳳林鎮 | 玉里鎮 |
郷 | 10 | 新城郷 | 吉安郷 | 寿豊郷 | 光復郷 | 豊浜郷 | 瑞穂郷 | 富里郷 | 秀林郷 | 卓渓郷 | 万栄郷 |
歴史編集
もとは、原住民族であるアミ族、サキザヤ族、タロコ族などの居住する土地であった。
花蓮は元来「キライ(奇莱)」と称されていたが、この「キライ」は、サキザヤ族の地名である。
『花蓮県志』によれば、1622年にスペイン人が来航して砂金の採取を行い、多羅満と呼んでいたとある[要ページ番号]。
花蓮港は流れが速いことから「洄瀾港」と呼ばれ、それが清代に「花蓮港」と呼ばれるようになった[2]。
漢人が初めて入植したのは1851年であるが、当時は台湾東部への交通は海路に限られており、それは日本統治時代の1932年に臨海道路(現・蘇花公路)が開通するまで続いた。その当時は、多くの日本人移民がこの地に入植していた。
日本統治時代は、5州3庁の一つである、花蓮港庁となっていた。
1945年以降は中華民国により領有されて花蓮県が設置され、現在に至っている。
原住民族との関わり編集
政治編集
行政編集
県長編集
- 歴代県長
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対外関係編集
姉妹自治体・提携自治体編集
経済編集
特産品編集
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教育編集
大学編集
- 慈濟大学
- 東華大学
技術学院編集
高中・高職以下の教育機関は下部行政区域の項目を参照。
交通編集
観光編集
- 太魯閣渓谷
- 立霧渓沿いに位置し、大理石が浸食された渓谷。断崖絶壁が約20kmにかけて続く。日本統治時代から景勝地として知られ、1934年には次高タロコ国立公園として日本の国立公園に指定され、現在は太魯閣国家公園に指定されている。タクシーをチャーターするか、定期観光バスを利用すると良い。
- 鯉魚潭(リーユイタン)
- 花蓮市から18km西南側、東虎子山の下に位置し、鯉の形をした鯉魚山の麓にある湖。その美景から「東部の日月潭」とも言われる。花東公路の途中にある天然湖で、ボートや釣りが楽しめるほか、近くに森林浴自然公園もある。面積は約20ヘクタール。潭は山の側に位置する。湖畔には謝緯記念青年営が建てられ、キャンプもできるほかにキリスト教宿泊処もあり、付近に花や木も植えられている。
- 鉄道文化園
- 日本統治時代に建てられた旧花蓮駅周辺が整備され、鉄道文化館として公開されている[3]。
- 吉安慶修院
- 日本人の初の移民村である吉安郷に1917年に建てられた高野山真言宗吉野布教所が市の史跡に指定され、修復・公開されている[4]。
- 阿美文化村
- アミ族に関する施設。