辻武寿

日本の宗教家、政治家

辻 武寿(つじ たけひさ、1918年大正7年〉4月3日 - 2012年平成24年〉4月30日)は、日本宗教家政治家小学校教員

辻武寿
つじ たけひさ
『公明』1967年2月号より
生年月日 (1918-04-03) 1918年4月3日
出生地 埼玉県
没年月日 (2012-04-30) 2012年4月30日(94歳没)
出身校 東京府立豊島師範学校
(現:東京学芸大学
現職 創価学会参与
所属政党無所属→)
(公明政治連盟→)
公明党

選挙区 全国区
当選回数 2回
在任期間 1956年7月9日 - 1968年7月7日

在任期間 1964年12月9日 - 1967年2月1日
テンプレートを表示

宗教法人創価学会の前身である創価教育学会の古参会員で、戦後原島宏治小泉隆とともに「蒲田の三羽烏」と称された。創価教育学会理事、創価学会副会長、日蓮正宗法華講大講頭などを歴任し、創価学会の重鎮の一人として活動した。1971年昭和46年)の言論出版妨害事件で辞任するまでは公明党の要職も兼務し、参議院議員(2期)、公明党委員長(第2代)などを歴任した。

来歴・人物 編集

1918年4月3日埼玉県に生まれた。東京豊島師範学校卒業後、小学校教員を務める。同じ教員仲間の小泉隆の紹介で、1940年7月30日創価教育学会(後の創価学会)に入会する。戦後は、原島宏治らと共に創価学会青年部長(初代)、指導部長、創価学会理事などを歴任する。

1956年7月8日第4回参議院議員通常選挙全国区から無所属で立候補し、北条雋八白木義一郎(大阪地方区)と伴に、初当選する。以降、連続2期当選。

1964年11月17日、公明政治連盟の議員が中心となり公明党が結成され、公明党副委員長に就任する。同年12月には、初代公明党委員長であった原島の急死に伴い、第2代公明党委員長に就任する。

1967年1月29日第31回衆議院議員総選挙で公明党が25議席を獲得した後、委員長を退任する(後任は衆議院議員で前東京都議団幹事長の竹入義勝)。

その後は再び創価学会の活動に携わり、創価学会総務室長、創価学会副会長、創価学会参議会議長、創価学会最高指導会議議員、創価学会本部参与などを歴任した。

2012年4月30日、急性心不全のため死去[1]享年94。

エピソード 編集

  • 小学校教師時代、白木かね(後の創価学会第3代会長池田大作夫人の池田香峯子)の担任を務めた。

著書 編集

役職歴 編集

公明党 編集

脚注 編集

  1. ^ 辻武寿氏が死去 元参院議員 日本経済新聞 2012年5月5日閲覧

外部リンク 編集

辻武寿』 - コトバンク

議会
先代
大泉寛三
  参議院懲罰委員長
1962年
次代
佐多忠隆
先代
一松定吉
  参議院災害対策特別委員長 次代
石田次男
党職
先代
原島宏治
公明党委員長
第2代:1964年 - 1967年
次代
竹入義勝