池田大作

日本の宗教家、作家 (1928-2023)

池田 大作(いけだ だいさく、1928年昭和3年〉1月2日 - 2023年令和5年〉11月15日[1])は、日本宗教家作家創価学会名誉会長。

池田大作
2010年撮影
肩書き 創価学会名誉会長
創価学会インタナショナル会長
創価大学名誉博士・名誉教授
準学士(富士短期大学)
(詳しくは#顕彰を参照。)
別名 山本伸一、法悟空
個人情報
生誕 (1928-01-02) 1928年1月2日
死没 (2023-11-15) 2023年11月15日(95歳没)
宗教 創価学会
配偶者 妻・池田香峯子
子供 長男・池田博正
二男・池田城久
三男・池田尊弘
出身校 富士短期大学卒業
別名 山本伸一、法悟空
地位
任期 1960年5月3日 - 1979年4月24日
地位 第3代 創価学会会長
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池田の署名
池田が会長を務めた創価学会の三色旗
青は「平和」、黄は「栄光」、赤は「勝利」を表すとされる。
池田が会長であった、創価学会インタナショナルの八葉蓮華章入り三色旗

創価学会会長(第3代)、創価学会インタナショナル(SGI)会長などを歴任[2]山本 伸一法悟空ペンネームで作家活動も行っていた。

来歴

1949年まで

 
19歳の大作

1928年1月2日東京府荏原郡入新井町(現在の東京都大田区大森北[3][4][5]に誕生[6][7][8]1940年3月、尋常小学校卒業の後、兄が勤めていた「新潟鐵工所」に就職[5]1945年8月、肋膜炎を患い茨城県の結核療養所へ入院するための順番待ちをしていた中で終戦を迎える[6]。同年9月、新橋にある昭文堂印刷で文選工をする傍ら、私立の東洋商業学校(現、東洋高等学校)に編入[3]1946年、東京都大田区森ヶ崎にある協友会に加入[注釈 1][9]。昭文堂印刷退社後、京急蒲田駅裏にある中小企業の組合蒲田工業会(現:「蒲田工業協同組合」)に勤務[注釈 2]1947年3月、東洋商業学校を卒業。同年8月14日 小学校時代の同級生の女性から「仏教哲学のいい話がある」と誘われ座談会に出席。戸田城聖の御書講義、小平芳平の折伏を受け、入信を決意し、同年8月24日、創価学会に入信手続きを行った[9][10]1948年、大世学院(後の東京富士大学短期大学部)の政経科夜間部に入学。1949年1月3日、日本正学館に入社[6]。少年雑誌『冒険少年』(同年8月に『少年日本』と改題)の編集に携わる。同年5月、日本正学館編集長に就任[3]。同年10月、東京建設信用組合に入社。

1950年代

1950年10月、大蔵商事(現:日章)に異動[注釈 3]1951年5月3日、戸田が創価学会の第2代会長に就任。同年5月、蒲田支部大森地区の地区委員に任命される。同年7月、青年部(男子部)が結成され、第1部隊長に就任。1952年3月、参謀室長に就任。5月3日白木香峯子と結婚[3]1953年11月25日、長男博正の誕生を期に、正式に「太作(たいさく)」から「大作(だいさく)」に改名[3]1954年3月30日、青年部参謀室長に任命[3]。同日 設置された「情報部」最高顧問に就任[3]。この頃に大蔵商事を離職[3]。同年12月3日、新設された渉外部長を兼任。

1957年7月4日参議院大阪府選挙区補欠選挙において、一部の創価学会員が候補の名前が記されたタバコを配布[11]。この違反行為を池田が指示もしくは黙認したという事実はないにもかかわらず[12]公職選挙法違反(買収)の疑いで逮捕大阪東警察署大阪拘置所勾留された。

同年7月29日、創価学会幹部45人と共に起訴される。後に検察官より禁固10か月の求刑を受ける[13]が、後に池田の無罪が確定する[14]

1958年4月2日、戸田が死去(58歳没)。同年6月、新設された総務を青年部参謀室長と兼任[15]1959年6月30日、青年部参謀室長を辞任し参謀室の北条浩龍年光と共に創価学会理事に就任[15]

1960年代

 
1962年頃
 
岐阜県岐阜市にて(1960年代)

1960年5月3日創価学会第3代会長に就任[16]。戸田の七回忌までに300万世帯の弘教を掲げる[17]。同年10月、初の北南米訪問。以後、40年で海外54カ国・地域を訪問。現地会員の激励と各国の指導者、知識人との対話を重ねる[18]1961年1月28日、初のアジア訪問6カ国・地域訪問[18]。同年3月27日、会員世帯数185万世帯を達成[18]。同年10月4日、ヨーロッパ9カ国訪問[18]。同年11月27日公明政治連盟(公政連)を結成[18]1962年1月25日、大阪事件で無罪判決が言い渡される。同年1月27日、東洋学術研究所 (現・東洋哲学研究所)を創立[18]

1963年7月27日、会員世帯数360万世帯を達成[18]。同年10月18日、芸術・文化の交流が真実の世界平和の基盤となると提唱し、芸術交流を推進する音楽文化団体として民主音楽協会(民音)を設立を創立[19]1964年5月3日、第27回本部総会において、政党の創設と衆議院進出、ならびに正本堂の建立・寄進の計画を発表。宗門から法華講総講頭に任命される。同年11月17日公明党を結成。結党宣言で、日蓮の『立正安国論』を引用し、王仏冥合・仏法民主主義、すなわち人間性の尊重を基調とした民主主義の基盤つくりや大衆に深く根をおろした大衆福祉を実現する旨を発表した[20]1965年1月1日、聖教新聞紙上で小説「人間革命」の連載を開始。1968年9月8日、第十一回創価学会学生部総会における講演で、中華人民共和国正式承認と日中国交正常化、中国の国連加盟などを提言。

1970年代

1970年、創価学会と公明党に対する批判本に対して、公明党委員長の竹入義勝(当時、後に公明党から造反)の要請で自民党幹事長の田中角栄(当時)が著者の藤原弘達に出版の中止を求めた[21]。この交渉が「言論妨害」であると共産党の機関紙『赤旗』が批判し、野党議員が池田の証人喚問を要請した[注釈 4][22]。同年5月3日、創価学会第33回本部総会において、「言論妨害という意図はまったくなかったが、結果として、妨害と受けとられ、関係者に圧力を感じさせ、世間にもご迷惑をかけてしまったことは、まことに申し訳ないと残念に思っております」[23]と述べた。1974年9月、ソ連を訪問し、アレクセイ・コスイギン首相と会見。同年10月29日、創価学会の代表役員を辞任し、北条浩が代表役員並びに理事長に就任。同年11月、『中国の人間革命』(毎日新聞社刊)を出版。創価学会本部総会で、「七つの鐘」構想を発表。1990年までに広宣流布の総仕上げを目標に掲げた。1975年1月1日、創価学会本部において創価学会常住御本尊の入仏式を行った[24][25]。同月、創価学会の世界的組織、SGI(創価学会インタナショナル)の会長に就任。1976年月刊誌『月刊ペン』の3月、4月号の記事に対し、名誉毀損に当たるとして創価学会及び相手とされた創価学会員らと共に月刊ペン社の発行人と編集長隈部大蔵を刑事告訴した。後の判決では「到底その真実性が立証されたとはいいがたい」とされ、隈部は罰金刑を言い渡された[26]。隈部は最高裁に上告したが、1987年に本人が死亡し審理が終了した[27]。この審理の裏で、かつて創価学会の顧問弁護士でありながら、創価学会への恐喝事件を起こし逮捕された山崎正友[28]は、自著『「月刊ペン」事件 埋もれていた真実』で、月刊ペン社の社長だった原田倉治に要求され示談金2000万円を払っていたと主張している[29]

1977年1月15日、第9回教学部大会で「仏教史観を語る」と題する講演を行う。創価学会独自の経本を作る。(「昭和52年路線」)これに反発した日蓮正宗内の若手僧侶が創価学会の教義逸脱を正す旨の活動を開始。

1978年6月30日、「教学上の基本問題について」と題し、教義逸脱を是正することを『聖教新聞』紙上で表明。同年9月3日、『聖教新聞』が「今まで本部として謹刻させていただいた数体の板御本尊について御指南を仰ぎ、猊下よりすべて学会本部に宝物としてお納めくだされば結構ですとのお話があった[30]」と本尊模刻を認める記事を掲載[3]。同年11月7日、本尊模刻等について責任を取る形で、大石寺にお詫び登山を行った[3]とされているが、『暁闇』によると当時の法主・日達からは事前に本尊謹刻の許可を得ていたものの、僧俗和合の大義、宗内を広く覆っていた「法主に反論することは謗法」といった宗教的禁忌観、法主の権威失墜を防ぐといった理由があり、「無断で模刻した」という言説に反論せずに事態の収拾に動いた結果であるとしている[31]1979年4月24日、日蓮正宗との問題で創価学会会長を引責辞任。新しく創設したポストである名誉会長に就任。終身制だった会長職を5年の任期と変更、後任の会長には北条浩が就任。

同年4月26日法華講総講頭を引責辞任。他の法華講と同様に日蓮正宗の監督を受けることを約束。日蓮正宗の管長日達より、法華講名誉総講頭の辞令をもらう。同年5月3日 日蓮正宗の法主、日達が池田名誉会長ら創価学会幹部の反省を受け入れ、問題の収束を宣言。

1980年代

1982年10月15日、東京地裁における『月刊ペン』に関する差し戻し裁判(第27回公判)に検察側の証人として出廷。

1983年1月25日、「SGIの日」記念提言を発表(これ以後、毎年発表)。同年6月、ルーマニアを訪問し、当時の大統領だったニコラエ・チャウシェスクと会談。「大統領は愛国主義者であり、平和主義者であり、民族主義者であることがよく、理解できました」との賛辞を贈った[32]1984年1月2日、日達の後を継ぎ、67世の法主となった 日顕により再び「法華講総講頭」に再任。

1990年代

 
1990年の池田

1990年12月13日、日蓮正宗が創価学会に対して、池田が宗門を批判した発言の真意を問いただしたが「出処不明のテープを本とした文書は受け取ることができない」と創価学会は拒否。同年12月27日、日蓮正宗は法華講総講頭に任期制を導入。これにより任期終了と共に池田が法華講総講頭の資格を自動的に失う。1991年11月28日、日蓮正宗が創価学会を破門。創価学会とSGIが日蓮正宗と決別[33]1992年8月11日、日蓮正宗から信徒除名処分を受けた。1993年10月、創価学会が日寛の本尊を印刷し会員に配布。

同年8月8日、第69回創価学会本部幹部会において、細川連立政権の内閣発足前日に公明党が大臣ポストを獲得したと語ったことが、国会で問題となる[34]当時創価学会会長であった秋谷栄之助は国会で、「当日の新聞の閣僚予想記事の内容を話したのであって、党から何か事前に連絡や相談があったのではない」という旨を説明。同年9月24日 アメリカのハーバード大学で「21世紀文明と大乗仏教」と題して講演。同年10月24日 八王子市創価学会東京牧口記念会館が開館。同年12月18日 オウム真理教が池田殺害を計画し、創価大学キャンパス内でサリンを噴霧。池田は被災を免れるが、牙城会員数人が被災。また実行犯のオウム真理教信者新実智光もサリンを吸い込み一時重体に陥る。

1995年4月、『中央公論』1995年4月号において、田原総一朗と対談。14年ぶりに日本のジャーナリストのインタビューを受ける[35]1996年2月11日 「戸田記念国際平和研究所」を設立[35]。同年6月、元婦人会員が池田から強姦されたと訴訟を起こすが、後に「訴権の濫用」として訴えは退けられた。

1997年12月1日、日蓮正宗の一部改正に伴い、創価学会員の日蓮正宗の檀信徒資格が喪失。

1998年11月27日、東京都港区元赤坂迎賓館中華人民共和国主席江沢民と会談。1999年6月4日フィリピンジョセフ・エストラーダ大統領と会談。

2000年代

2002年、中華人民共和国主席胡錦涛と会談。創価学会は会則を変更し、初代会長牧口常三郎、第2代戸田、第3代池田の「三代会長」を「永遠の指導者」とする規定を入れた。2003年、中華人民共和国首相温家宝と会談。同年3月22日、元ソ連大統領のミハイル・ゴルバチョフと会談。2004年12月、アメリカの世界的経済誌『フォーブス』(Forbes、2004年12月27日号)は、2004年9月6日号に「先生の世界」(「Sensei's World」)と題して、池田及び創価学会に関する記事を特集し掲載。2006年11月30日国際原子力機関IAEA)のM.エルバラダイ事務局長と会談。2007年4月12日、来日中の中華人民共和国首相温家宝と会談。日中友好を訴えた[注釈 5]首相の国会演説を「不滅の名演説だった」と讃える[36]2008年5月8日、中華人民共和国主席胡錦涛と会談[37]

2010年代以降

2010年5月13日の本部幹部会以降、創価学会内の公式行事を全て欠席する。そのため重病説や死亡説が一部の週刊誌で取り上げられ[38]、聖教新聞紙面では不定期に現在の姿とされる写真が掲載された[39]2018年10月3日の聖教新聞3面では、2018年8月6日に創価学会長野研修道場を訪問した池田夫妻の写真が掲載された[40]2019年8月23日の聖教新聞3面では、2019年8月9日に創価学会長野研修道場を訪問した池田夫妻の写真が掲載された[41]。同年10月3日の聖教新聞3面では、2019年9月28日に聖教新聞本社の新社屋、創価学会世界聖教会館を訪問した池田夫妻の写真が掲載された[42]2020年6月10日の聖教新聞1面では、2016年6月25日に創価学会総本部内の創価世界女性会館で夫人同伴でピアノを弾いている写真が掲載された[43]

2023年11月15日老衰のため、東京都新宿区の居宅で死去。95歳没。訃報は同月18日、創価学会のホームページにて第一報として伝えた[44][1][45]

人物

 
創価学会学生部と池田。群馬県高崎市にて。

執筆

随筆小説、対談集などの他、仏法哲学の解説書、子ども向けの童話なども執筆、また、写真家詩人としても活動していた。

対談・講演

国家指導者を初め、教育者、文学者、科学者、芸術家、社会活動家などと会見を多数行ない、発刊した対談集は50にも上る。特に印象に残った人物として周恩来を挙げている。「名優のごとく、言葉がわかりやすく、しかも深い。鋭さと温かさがある。」と評している。また、海外の大学・学術機関で講演を多数行なっていた。

海外の大学・学術機関での講演回数

  • 中国7回(香港1回を含む)
  • アメリカ6回
  • ロシア3回
  • メキシコ、ブルガリア、ルーマニア、フランス、アルゼンチン、マカオ、フィリピン、インド、トルコ、ブラジル、イタリア、スペイン、ネパール、キューバ各1回

顕彰

国家勲章、大学からの名誉学位、国連や学術機関からの表彰など、多くの顕彰を受けており、授賞のたびに、創価学会の機関紙『聖教新聞』の一面を飾る事が多い[46][47]

海外では、モスクワ大学グラスゴー大学ボローニャ大学フランス学士院ナイロビ大学等より「名誉博士号」「名誉教授称号」を授与されている。これまで世界の大学・学術機関から池田に贈られた名誉学術称号は、400を超えている[48]

池田は今まで、自身が創設した創価大学からは1974年に名誉教授を、1983年11月に名誉博士を授与されている[49]

地方自治体からは、静岡県富士宮市名誉市民となっているほか、1977年には第2代会長・戸田城聖の故郷の北海道厚田村(現石狩市)から「栄誉村民」(1977年)を授与されている[50]。2009年には大阪府高槻市から「国際文化交流貢献賞」が送られた[51]。池田は、オーストリアの政治学者のリヒャルト・クーデンホーフ=カレルギーとの対談において、「ノーベル平和賞」について「そのような栄誉はほしくもありません。また下さるといっても、受けることもありません。そのような人間が世界に一人くらい、いてもいいでしょう」と語っている[52][出典無効]

1988年、「国際理解のためのG・ラマチャンドラン賞」を受賞[53]。このほか、1983年に国連平和賞、1988年に国連栄誉表彰、1989年にラウレアナ・ロサレス 教育・人道賞(フィリピンにあるキャピトル大学から受賞)[要出典]、同年に平和貢献・国連事務総長表彰などを授与されている。

また、2015年にはノーベル平和賞候補に挙がっているとしてCNNが報じている[54]

中国との関係

これまで10度訪中し、北京西安鄭州上海杭州広州などを訪れている。また、毛沢東、周恩来、鄧小平、江沢民胡錦濤温家宝といった政府指導者と会見するなど、親密な関係にある。

中国首脳陣との会談

1968年9月8日 「日中国交正常化提言」を発表。

1974年5月30日 中国の招聘により初訪中。 李先念副総理と会見[55]

1974年12月5日 2度目の訪中。鄧小平副総理と会見。その直後、病気療養中の周恩来総理の強い意志により、周恩来と池田との会見が行われる。

2007年4月12日 温家宝首相と会談[56]

2008年5月8日 胡錦濤国家主席と会談[37]

中国人学生との交流

1984年、「中華全国青年連合会(全青連)」と創価学会青年部との交流が始まる。池田自身が全青連の訪日団と会見。また、創価大学は、1975年に日本で初めて、中国から日本への正式な留学生を受け入れた。

中国の大学との文化交流

北京大学中国社会科学院などで記念講演を行っている。また、創価大学との教員・学生の交換などが行われている。さらに北京大学では「池田大作研究会」等の研究機関が設立されている。

中国との文化交流

1967年に北京芸術団が、民主音楽協会で公演。東京富士美術館で中国敦煌展、北京・故宮博物院名宝展を開催。

政見

その他の政見

安全保障
憲法改正論議はいいが、憲法第9条だけは絶対に変えてはいけない」との見解を持っている[57]。日本は国連の常任理事国入りを望んでいるが、安全保障理事会の機軸である集団的自衛権という考えと、それを禁じる日本の憲法との間には矛盾があるので、「国際連合平和維持活動」(PKO)に参加するために、自衛隊とは別個の組織を作るというのが正しい道であろうと思う」との見解を示した(1991年・第16回「SGIの日」記念提言)。1991年湾岸戦争の直前には、5人の識者と共に、「戦争回避のための『緊急アピール』」をイラクフセイン大統領宛に送った。しかし、2003年「イラク戦争」の開戦が迫っていた1月26日『聖教新聞』紙上で「軍事力を全否定するということは(中略)政治の場でのオプションとしては、必ずしも現実的とはいえない」、「武力を伴った緊急対応も必要とされるかもしれない。そうした毅然たる姿勢がテロへの抑止効果をもたらすという側面を全く否定するつもりはない」との見解を示した。
選挙
1999年 SGI(創価学会インタナショナル)の日(1月25日)付の『聖教新聞』で首相公選制を提言。
教育
『朝日新聞』(2001年5月23日付)の「私の視点」というコラムで、「教育基本法」の見直しについて、「拙速は慎むべきである」、「『教育勅語』に盛られたような具体的な徳目は、基本法の性格になじまないと思う。法文化されれば、必然的に権威主義的な色彩を帯びてしまう」と述べている。

日本と韓国・朝鮮に関する見解

韓国SGIの機関紙和光新聞が池田の日本と韓国・朝鮮に関する見解を数度にわたり掲載している。

和光新聞のコラムに掲載された歴史観

  • 「貴国(韓国)は、まことに日本に“文化の師匠”の国で、教育でも兄さんの国です。私は心深い所から尊敬しています。それにもかかわらず、……貴国を侵略した日本はいくら愚かだったか。」[58]
  • 豊臣秀吉朝鮮出兵を、朝鮮から仏教を初め、様々な文化的恩恵を受けたことを踏みにじる侵略だとして強く非難[59]
  • 日本は韓国と友情を結んで、韓国を尊敬して、韓国の心を学べばこそ平和と、繁栄の方向に進むことができる。しかし、韓国に対して傲慢になったら日本は必ず衰退して滅亡する。これが万代にかけて生命に刻まなければならない歴史観でまた人間の道だ」[60]
  • 「韓国が日本文化の“大恩である”ことは言うまでもない。仏教を含めてすべてのものに恩恵をこうむったと言っても過言ではない。(日本は)どうして“大恩である”国を裏切っただろうか」[61]

事件・疑惑

大阪事件

1957年4月に行われた参院大阪地方区の補欠選挙で、池田が会員に戸別訪問を指示したとして逮捕される。同容疑で逮捕された京都の会員の供述による逮捕だったが、裁判では供述が信用できないとして退けられ、無罪判決が下りた[62]

選挙関与疑惑

自民党は1996年の衆議院予算委員会で、「創価学会の選挙運動への関与を究明する」という名目で池田の証人喚問を要求した[63]

信者暴行デマ

1996年、北海道創価学会の幹部だった女性が、「過去数回にわたり創価学会名誉会長池田大作から暴行された」との告発手記を『週刊新潮』に発表した後、女性とその夫が池田を相手取り損害賠償請求の訴えを起こした。内容は全くのデマであり、訴訟も金銭目当てであるとされた。判決も「訴権の濫用による却下」との判決が下る。

池田大作本仏論および神格化

池田は『聖教新聞』において、「代々の会長を神格化などしてはなりません」「私などを絶対視してはならない」「私自身、罪業深き、過ち多き身であることをよく知っております」と創価学会会長はあくまで信仰上の指導者であって、自身を含む歴代会長たちは神格化されるべきではない、と明言している[64]。一方で、創価学会と対立する団体や批判者からは、創価学会員による池田大作・牧口常三郎戸田城聖ら会長3名への「個人崇拝」があり、創価学会は日蓮仏法を信仰する仏教徒団体である以上に、実質的には「池田教」ではないかという批判もある。1983年(昭和58年)10月31日、元創価学会幹部の山崎正友の裁判に証人として出廷した際に、「一部の同志が調子に乗って自分を美化したのでは」という旨を述べている。仏教学者の松野純孝は、池田大作本仏論は「日蓮本仏論の当然の帰結」であると述べている。

池田大作暗殺計画

池田は過去に暗殺計画をかけられたことがある。

藤原行正による暗殺計画

1988年、弟弟子であった藤原行正が池田を暗殺し、自分の息子を創価学会の会長に据える計画を立てる。実際に藤原は暴力団関係者と密会し、暗殺は実行寸前にまで至ったが、金銭トラブルから契約は頓挫し暗殺計画が発覚した[65][66]。その後、藤原は『池田大作の素顔』という暴露本を出版し、池田に対抗した。

オウム真理教による暗殺計画

1993年12月18日に池田が創価大学での演奏会に出席するという情報を手に入れたオウム真理教は、かねてより仏敵と称していた池田大作をサリンポア(殺害)しようと暗殺計画を実行した[67]。しかし会館の警備を担当していた創価学会員に怪しまれ計画は頓挫、池田に被害はなく創価学会員数名が負傷した。

評価

関係する人物や団体による称賛

  • 安倍晋太郎:1958年、大石寺大講堂完成記念の祝典に岸信介の代理で安倍晋太郎が出席して以来、何度も面会したという。「きれいな心で、学会のこと、世界のこと、人間と社会の話などを、私と語り合うことを、楽しみにしてくださっていたようである」と池田は述べている[68]
  • 冬柴鐵三(公明党元幹事長、国土交通大臣):「人生で最も影響を受けた人物」「あらゆる面で影響を受けた」[69]
  • 遠藤乙彦(元外交官、公明党所属の国会議員):「人生に関するどんなことでも相談して、教えを受けられる先生」、「池田先生の思想・仏教に基づいた教えに耳を傾ければ、もっと(世界の)問題が解決していくでしょう」[70]

批判

批判する立場になったまたは袂を分けた元幹部

  • 龍年光(元創価学会幹部・元公明政治連盟書記長・元公明党東京都議会議員)[73]
  • 原島嵩(元創価学会教学部長)[25]
  • 山崎正友(元創価学会副理事長・元顧問弁護士)[74]
  • 竹入義勝(公明党元委員長)[75]
  • 矢野絢也(公明党元委員長)[76]
  • 福島源次郎(元創価学会副会長)[77]
  • 石田次男(元公明党参議院議員)[78]
  • 大橋敏雄(元公明党衆議院議員)[79]
  • 桑原春蔵(元公明党大田区区議、元幹部)「池田が政治権力を握って天下を取るといった姿勢は、もはや信仰者ではない。信仰を利用した魔物」[80]
  • 後呂雅巳(支部壮年長)[80]
  • 山口隆司(元地方幹部)「池田大作の名誉欲達成のために、大変な資産と人生の半分を費やしたのが腹だたしい」[80]
  • 鈴木広子(元地方幹部)[80]
  • 細谷健範(元地方幹部)[80]

エピソード

  • 公明党設立後の翌年、評論家・高瀬広居インタビューにおいて、当時37歳の池田は自らを「私は、日本の国主であり、大統領であり、精神界の王者であり、思想文化一切の指導者・最高権力者である」と豪語したという[81]

家族

 
左から次男の城久、長男の博正、池田本人、池田香峯子尊宏(1967年1月)

著書

  • 人間革命聖教新聞社
  • 『新・人間革命』 聖教新聞社
  • 『私の履歴書』 日本経済新聞社
  • 『若き日の日記』
  • 『忘れ得ぬ同志』 聖教新聞社
  • 『心に残る人びと』 角川書店
  • 『法華経の智慧』 聖教新聞社
  • 『アレクサンドロスの決断』 集英社
  • 『青春対話』 聖教新聞社
  • 『母の詩』 聖教新聞社
  • 『明日をみつめて(Embracing the Future)』ジャパンタイムズ
  • 『ありがとう韓国』朝鮮日報

ほか共同著書として多数の著書を出版している。

対談集

  • 『文明・西と東』リヒャルト・クーデンホーフ=カレルギー(1972年・サンケイ新聞社)[85]
  • 『革命と生と死』大森実(1973年・講談社)[86]
  • 『古典を語る』根本誠(1975年・潮出版社)[87]
  • 『二十一世紀への対話』アーノルド・J・トインビー(1975年・文藝春秋)[88]
  • 『人生問答』松下幸之助(1976年・潮出版社)[89]
  • 『人間革命と人間の条件』アンドレ・マルロー(1976年・潮出版社)[90]
  • 『四季の雁書 往復書簡』井上靖(1977年・潮出版社)[91]
  • 『闇は暁を求めて』ルネ・ユイグ(1981年・講談社)[92]
  • 『二十一世紀への警鐘』アウレリオ・ペッチェイ(1984年・読売新聞社)[93]
  • 『社会と宗教』ブライアン・ウィルソン(1985年・講談社)[94]
  • 『第三の虹の橋 : 人間と平和の探求  』アナトーリ・A・ログノフ(1987年・毎日新聞社)[95]
  • 『「平和」と「人生」と「哲学」を語る』ヘンリー・A・キッシンジャー(1987年・潮出版社)[96]
  • 『内なる世界―インドと日本』カラン・シン(1988年・東洋哲学研究所)[97]
  • 『二十一世紀への人間と哲学: 新しい人間像を求めて』ヨーゼフ・デルボラフ(1989年・河出書房新社)[98]
  • 『「生命の世紀」への探究』ライナス・ポーリング(1990年・読売新聞社)[99]
  • 『敦煌の光彩  : 美と人生を語る  』常書鴻(1990年・徳間書店)[100]
  • 『世界市民の対話: 平和と人間と国連をめぐって』ノーマン・カズンズ(1991年・毎日新聞社)[101]
  • 『大いなる魂の詩』チンギス・アイトマートフ(1991年・読売新聞社)[102]
  • 『対談・太陽と大地開拓の曲:ブラジル移住八〇年の庶民史』児玉良一(1991年・第三文明社)[103]
  • 『「宇宙」と「人間」のロマンを語る: 天文学と仏教の対話』チャンドラ・ウィックラマシンゲ(1992年・毎日新聞社)[104]

脚注

注釈

  1. ^ 「協友会」は東大出身の経済学者が主導していた20名ほどの青年グループであり、文化芸術政治経済哲学などを研究していた。
  2. ^ 加盟業者への社会保険の指導と業界内の連絡などの仕事を任される。
  3. ^ 当時の『聖教新聞』の名刺広告に「大蔵商事」の幹部としての肩書きが載っている。『週刊新潮』平成15年(2003年)12月18日号
  4. ^ 池田は公明党議員を総動員し、各党を懐柔させ公明党と自民党の反対により、実現には至らなかった。
  5. ^ 公明党幹部はこの来日は、日中間の政治問題となっている「首相の靖国神社参拝問題」に釘を刺す狙いがあるとの見方を示した。

出典

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関連項目

外部リンク