メインメニューを開く

逗子海岸(ずしかいがん)は、神奈川県逗子市新宿に位置する相模湾に面した海岸である。逗子海水浴場として知られる。新宿海岸、新宿浜、東郷浜とも呼ばれていた[1]。キャッチフレーズは太陽が生まれたハーフマイルビーチ[注 1][2]

逗子海岸
Zushi Beach 06.jpg
北西方向に富士山江ノ島を望む
情報
所在地 神奈川県逗子市新宿1丁目2210-6番地先ほか
北緯35度17分30.8秒
東経139度34分21.3秒
座標: 北緯35度17分30.8秒 東経139度34分21.3秒
全長 850m(遊泳区域は600m)
海の家 約40軒
駐車場 周辺に約150台分(有料)
アクセス JR横須賀線逗子駅徒歩10分
京浜急行電鉄新逗子駅徒歩10分
横浜横須賀道路逗子ICより逗葉新道を経由し約3㎞
逗子海岸の位置(100x100内)
逗子海岸
三浦半島における逗子海岸の位置

目次

概要編集

遠浅で波も穏やかであり浜が小細砂で、貝殻や砂利や泥が少ないのが特徴。ウィンドサーフィンなどで有名。関東で最も海開きの早い海水浴場の一つである。

毎年夏に逗子海岸花火大会が行われるが2011年東日本大震災の影響で中止となり、2012年は、近年の海岸侵食によって砂浜が狭くなってきていることから、警備体制や安全面に配慮した結果、海の家設営前の6月2日に行われた[3]

陸軍軍医石黒忠悳らによって1892年(明治25年)頃より海水浴場として最適であると宣伝され[4]徳冨蘆花不如帰の舞台となったこともあり、大正頃より逗子海水浴場として知られるようになった。2005年には石原慎太郎太陽の季節の碑が設置された。

歴史編集

逗子村小坪村の間での寛文元禄年間の裁判の結果、小坪村に属し東小坪の新宿海岸として西小坪の小坪海岸(現在の逗子マリーナ小坪漁港周辺、鷺の浦とも)とともに漁師の拠点であった。その頃はマツの繁るひと気のない海岸だった[5]

1888年、丸富次郎が田越川河口に旅館養神亭を開業し、1889年明治22年)の横須賀線逗子駅の開業によって新宿海岸周辺に別荘が建ち始めた。日露戦争終結後の1906年(明治39年)2月3日[6]、新宿浜近くに別荘を持つ東郷平八郎の祝勝会で新宿浜を東郷浜と改称した。大正期ごろより海水浴客で賑わうようになった。

1926年には逗子ホテルが創業した。大正天皇葉山御用邸で療養していた時期には養神亭や逗子ホテルで若槻内閣閣僚や皇族が執務を行った。1929年には国鉄によって国鉄海の家が設置された。1950年、日米対抗の「逗子モーターボートレース」を開催。現在の競艇の元となったといわれる(モーターボートを参照)。

2014年3月に規制条例が制定され、刺青やタトゥー、音楽鑑賞、飲酒、バーベキューが禁止となった[7]

イベント編集

ギャラリー編集

脚注編集

[ヘルプ]

注釈編集

  1. ^ テレビ東京の番組、出没!アド街ック天国(1998年5月23日放送)から生まれた。石原良純と峰竜太がそれぞれ発案した「ハーフ・マイル・ビーチ」と「太陽の生まれた街」が合わさってできた。

出典編集

  1. ^ 市制施行二十周年記念『改訂 逗子町誌』逗子市 昭和49年10月30日発行
  2. ^ Zushi Film Commission - 逗子フィルムコミッション公式ページ
  3. ^ 花火大会、6月に前倒し タウンニュース 2012年2月24日号
  4. ^ 『逗子市史 通史編』逗子市 1997年3月31発行 721頁
  5. ^ 『逗子道の辺百史話』逗子道の辺史話編集室 三浦澄子編集 1986年12月1日発行 88頁
  6. ^ 『逗子道の辺百史話』逗子道の辺史話編集室 三浦澄子編集 1986年12月1日発行 89頁
  7. ^ 安全で快適な逗子海水浴場の確保に関する条例及び施行規則 | 逗子市

外部リンク編集