相模湾

神奈川県に面した湾

相模湾(さがみわん)は、神奈川県西部にある、太平洋に向けて開けたである。海岸部は三浦半島西岸から湘南地方を経て真鶴岬に至る。

相模湾
上位水域 相模灘
海洋 太平洋
日本の旗 日本
主な沿岸自治体 三浦市横須賀市葉山町逗子市鎌倉市藤沢市茅ヶ崎市平塚市大磯町二宮町小田原市真鶴町湯河原町
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相模灘
海洋 太平洋
日本の旗 日本
主な沿岸自治体 三浦熱海伊東下田など
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地理 編集

相模湾・相模灘の海底地形図(海上保安庁J-EGG500データ)

伊豆半島石廊崎伊豆大島三浦半島剱崎に囲まれた相模灘(さがみなだ)にあり[1][2]、そのうち、真鶴岬から三浦半島の城ヶ島以北にかけての海域が相模湾である[1][3]。ただし、石廊崎、伊豆大島、房総半島野島崎に囲まれた海域を相模湾とすることもある[4]

房総半島野島埼 - 伊豆大島南東端 - 伊豆半島沖神子元島 - 御前崎の間に日本の領海基線が設定されている[5]。これより北側にある相模湾・相模灘は、国際海洋法上日本の内水内海)とみなされている。

東部は、三浦半島の丘陵が海に迫ったリアス式海岸である。岩石海岸および平磯地形で、小河川の河口付近に断続的に小規模な砂浜をみる。中部には、現相模川やその古流路等により形成された砂浜海岸が広がる。大磯町二宮町には海岸段丘浜がみられる。西部は、酒匂川等によって形成された砂浜海岸である。箱根山の山脚部にあたる部分は溶岩が直接海に至ったため、岩または玉石・砂礫から成る。湾内には、一級河川の相模川、および17の二級河川、14の準用河川が流入している。

主な海岸景観 編集

海底地形 編集

相模湾の中央には、水深1000mを超える相模トラフという大きな海底谷がある[6][7]トラフの斜面には、相模海丘、三浦海丘等の海丘群がある[6]。沿岸からは大磯海脚等が細長く張り出し、トラフから陸に向けて多数の小さな海底谷が延びる。

湾の北西、小田原市から西の部分では、海岸から急傾斜て深くなっており、沖合0.5 - 1kmで水深100mに達する。大磯の海脚部より東では、隆起海岸段丘地形となり、段丘は陸上まで続く。水深100m地点は沖合約2 - 3kmにある。この東、相模川の南側延長上には平塚海底谷が存在し、谷の肩部は沖合約2kmで水深100mに達する。これより長者ヶ崎沖合にある葉山海底谷までの間、水深100mの地点は沖合約7 - 8kmにあり、遠浅の地形を見る。三浦半島部分では、沖合約4 - 5kmで水深100mに達する。

相模トラフは、北アメリカプレートフィリピン海プレートがぶつかっている。湾内を震源とする2回の関東地震元禄関東地震大正関東地震関東大震災))の震源もここである。最深部の水深は約1,600mと、駿河湾駿河トラフ(最深部:約2,500m)と並んで、日本の沿岸で最も深いトラフの一つである(相模トラフ最深部は、相模湾からは外れた部分にある)。

気候と潮流 編集

温暖で雨量の多い海洋性気候である。夏季は高温多湿な南西の風が吹き、冬季は空気が乾燥して晴天が続く。

潮流は上げ潮時に反時計回り、下げ潮時には時計回りに流れており、最強流速は相模湾の東側で1ノット(約0.51m/s)程度である。ただし、黒潮の影響が強まると、この限りではなく変化する。

生物相 編集

 
2020年に東伊豆町の北川の定置網に混獲され、翌日に放流されたセミクジラ。相模湾や相模灘では、近年にもセミクジラやコククジラの様な絶滅の危険性が高い種類の死亡事故が発生している[8][9]
 
2018年6月に由比ヶ浜に漂着したシロナガスクジラ。アジア系の個体群は壊滅したと思わしく[10]、これは漂着が国内で事実確認された初の事例だった[11]。後述の通り、三浦半島東京湾は東日本では珍しく組織的な古式捕鯨やアシカ猟が行われていた[12][13]

相模湾は、多様な生物が見られることで研究者に知られている。理由は様々あるが、一つは水深が深いためで、沿岸から深海までの生物が生息している[7]。海岸・海底の地形が複雑で、これも生物の多様性につながっている[7]。急な勾配により、ふつうの沿岸では見ることができない深海の生物が浅い所に出てきやすい[7]。相模湾の沖は南から来た黒潮が西から東へと流れており、湾はこの影響下にあるが、その下には北からの親潮が潜り込んでおり、中・深層では北方に分布する種も見られる[14]

多くが深海に見られるオキナエビスガイが分布し、真鶴町には北限近くに分布する石サンゴ類が、相模川の河口や三浦半島の砂質の干潟にはアカテガニもみられる。

観音崎自然博物館(横須賀市)や筑波大学がそれぞれ調査したところ、ラッパウニやチャイロマルハタといった熱帯亜熱帯の海洋生物が多くみられるようになっており、黒潮大蛇行などによる移動だけでなく、地球温暖化に伴い相模湾が生息海域の北限・東限に入ってきた可能性が指摘されている[15]

黒潮と、深海からの栄養素が、多種多様な生態系を作り上げており、貴重な回遊性の生物も多い。その中には、大型のジンベエザメオニイトマキエイなども含まれ、貴重なメガマウスミツクリザメも記録されている。

ウミガメ日本列島に分布する5種類の中でヒメウミガメ以外の4種類が確認されており、アカウミガメが最もよく見られる他に、アオウミガメタイマイオサガメ絶滅危惧種も含めて記録されている[16]

鯨類も数多く見られ、大型の種類ではマッコウクジラ[17]ツチクジラ[18]、小型のイルカ類ではゴンドウクジラ類やハナゴンドウハンドウイルカマイルカカマイルカなどが頻繁に観察され、貴重なアカボウクジラ科も「ストランディング(座礁)」が多数報告されている[19][20]。一方で、クジラと船舶との衝突という懸念材料も存在しており[21]東海汽船などの各運航船は航行時に警戒している[18][20]

なお、江戸時代以降、三浦半島ではニホンアシカを対象としたアシカ猟[13]や、対象としていたクジラの種類は不明だが、東京湾鋸南町いわき市金華山[22]と同様に、捕鯨を嫌ったりタブーとする風潮が強かった東日本では珍しく組織的な古式捕鯨が行われていた[12][23]。しかし乱獲の結果、20年程度で捕獲数が激減したとされている[24]。また、静岡県伊東市の富戸ではイルカ漁が行われ、昭和時代には年間1万頭以上のスジイルカマダライルカなどが水揚げされたが、捕獲数の減少から現在は散発的にしか行われておらず、近年はホエールウォッチングバードウォッチングが行われている[25]

しかし、ヒゲクジラ類[26]ウバザメ[27][28]など、現在では見られる機会が少ない生物種も多いのも事実であり、ニホンアシカは現在では絶滅種に指定されている[13]。上記のイルカ猟の対象種だったスジイルカマダライルカも、前者は目撃が大きく減少し、後者は1990年代以降は確認されていない[19]

研究史 編集

明治時代初めに来日した御雇外国人の研究者は、相模湾に、東京に比較的近い海棲生物採集の好適地を見いだした。フランツ・ヒルゲンドルフは1877年に江ノ島で「生きている化石オキナエビスを見つけてこの海域に着目し、ホッスガイウミホタルなどを採集した。同年、エドワード・S・モースは、1か月だけではあるが自称「太平洋地域で最初の動物研究所」を開設した[29]

1789年にはルートヴィヒ・デーデルラインが深海をねらった採集を繰り返し、トリノアシなどを採集した[30]。デーデルラインは日本初の動物学実験所の候補地として三崎を推し、これを受けて1886年に三浦半島の相模湾沿岸の三崎に帝国大学臨海実験所が設けられた[31]。これが後の東京大学大学院理学系研究科附属臨海実験所、通称三崎臨海実験所である。

20世紀には昭和天皇葉山町葉山御用邸付近で相模湾の海洋生物を採集し、東京・皇居の生物学御研究所で研究した[32]

利用 編集

名所・旧跡や景勝地、温暖な気候や海の幸に恵まれており、沿岸は江戸時代より観光地として栄えた。明治期からは別荘地、避暑地、レクリエーションの地としての利用もなされている。湘南海岸を抱え、釣りサーフィンボードセーリングその他のマリンスポーツが盛んである。

港湾として、葉山港、湘南港、大磯港、真鶴港の地方港湾と、15港の第一種漁港、4港の第二種漁港、2港の第三種漁港(三崎漁港は特定第三種)がある。特定重要港湾重要港湾は無い。

災害 編集

相模湾沖で発生した地震による津波被害が歴史上何度も繰り返されており、古いものでは鎌倉時代の拝殿の流失や、室町時代鎌倉大仏殿の津波被害が文書に残っている。

大正関東地震(関東大震災)の際には平均6m、痕跡が最大9mの津波による被害が生じ、また、沿岸の地盤が隆起し、二宮で2m、三浦半島で1.4m、小田原で1.2mの隆起が確認されている。

また、台風による高潮で、沿岸の被害や海岸侵食がもたらされている。近年では、平成19年台風第9号平成29年台風第21号の影響により海岸の地盤がえぐられ、西湘バイパス国道135号が、擁壁崩落や路面陥没の被害を受けている。この被害は、一帯に見られる砂浜の減少も一因ではないかという見解もある。

保全 編集

相模湾一帯の砂浜で、砂浜の減少がみられる。砂の供給元である相模川や酒匂川の多目的ダム群による影響のほか、台風や護岸工事や河口付近の変化、港湾工事等による砂の堆積・流出の変化が原因とされている。各海岸では、ブロック・人工リーフ等による消波等によって養浜が試みられている。

隣接する自治体 編集

箱根駒ヶ岳の山頂から見た相模湾と相模灘 説明画像

神奈川県南部の以下の市と町が面している。

脚注 編集

  1. ^ a b 神奈川県砂防海岸課 相模灘沿岸海岸保全基本計画 (PDF)
  2. ^ 相模灘 コトバンク
  3. ^ 相模湾 コトバンク
  4. ^ 第2回 西湘バイパス構造物崩落に関する調査検討委員会資料 参考資料
  5. ^ 「管轄海域情報~日本の領海~ 直線基線 三区域 本州南岸:野島埼~御前埼」海上保安庁 海洋情報部(2017年9月10日閲覧)
  6. ^ a b 相模湾の海底地形 平塚市博物館
  7. ^ a b c d 藤田俊彦・並河洋「豊かな動物相を支える相模湾 生物海洋学的な特性」、3ページ。
  8. ^ 科博登録ID:8740”. 国立科学博物館. 2024年1月30日閲覧。
  9. ^ 科博登録ID:9286”. 国立科学博物館. 2024年1月30日閲覧。
  10. ^ 宇仁義和, 2019年, 『戦前期日本の沿岸捕鯨の実態解明と文化的影響―1890-1940年代の近代沿岸捕鯨』, 87頁, 東京農業大学
  11. ^ 2018年8月5日 鎌倉市由比ガ浜海岸にストランディングしたシロナガスクジラ 調査概要”. 国立科学博物館. 2021年11月17日閲覧。
  12. ^ a b 河野博, 2011年, 『東京湾の魚類』, 第323頁, 平凡社
  13. ^ a b c 中村一恵 (1993年1月). “三浦半島沿岸に生息していたニホンアシカについて”. 神奈川県立博物館. 神奈川県立博物館研究報告第22号. pp. 81-89. 2023年11月16日閲覧。
  14. ^ 藤田俊彦・並河洋「豊かな動物相を支える相模湾 生物海洋学的な特性」、6ページ。
  15. ^ 「相模湾がトロピカルに?」毎日新聞』朝刊2022年1月18日くらしナビ面(同日閲覧)
  16. ^ 丸山一子, 中村一恵 (2000年3月). “神奈川県におけるアオウミガメ,タイマイ,オサガメの記録”. 神奈川県立生命の星・地球博物館. 神奈川自然誌資料第21号. pp. 17-23. 2024年2月15日閲覧。
  17. ^ 岩瀬良一, 2017年09月11日,『単一ハイドロフォンを用いた相模湾初島沖深海底におけるマッコウクジラ鳴音の位置推定の検討』, 日本音響学会研究発表会講演論文集, 2017号
  18. ^ a b 辻紀海香, 加賀美りさ, 社方健太郎, 加藤秀弘, 2013年,『日本沿岸域における超高速船航路上の鯨類出現状況分析』, 日本航海学会講演予稿集, 1巻2号, 120-123頁
  19. ^ a b 鷲見みゆき, 花上諒大, 崎山直夫, 鈴木聡, 石川創, 山田格, 田島木綿子, 樽創 (2022年3月). “相模湾・東京湾沿岸で記録されたハクジラ亜目(マッコウクジラ科 Physeteridae,コマッコウ科 Kogiidae,アカボウクジラ科 Ziphiidae,ネズミイルカ科 Phocoenidae)について”. 大日本水産会. 神奈川自然誌資料第43号. pp. 01-23. 2024年1月26日閲覧。
  20. ^ a b 東海汽船株式会社, 3017年10月16日, 安全への取り組み
  21. ^ 遊漁船と衝突か“三浦半島沖 クジラの交差点のようなところ””. NHK (2023年3月7日). 2024年1月26日閲覧。
  22. ^ 公益財団法人 国際エメックスセンター, 2019年, 24 鮫ノ浦湾
  23. ^ 岩織政美, 田名部清一, 2011年01月, 『八戸浦"クジラ事件"と漁民 : 「事件百周年」駒井庄三郎家所蔵「裁判記録」より』, 327頁, 「八戸浦"くじら事件"と漁民」刊行委員会
  24. ^ 三浦浄心, 寛永後期, 『慶長見聞集』,巻8,「関東海にて鯨つく事」
  25. ^ ダイブキッズ, 東伊豆・富戸カマイルカ・ドルフィンスイムツアー
  26. ^ 加登岡大希, 崎山直夫, 石川創, 山田格, 田島木綿子, 樽創 (2020年3月). “相模湾・東京湾沿岸で記録されたヒゲクジラ亜目 (Mysticeti)について”. 神奈川県立生命の星・地球博物館. 神奈川自然誌資料第41号. pp. 83-93. 2023年11月17日閲覧。
  27. ^ 【速報】定置網に6メートルウバザメ 横須賀・佐島漁港”. 神奈川新聞 (2016年3月29日). 2023年11月17日閲覧。
  28. ^ 加登岡大希, 崎山直夫, 瀬能宏 (2022年3月). “ウバザメ(ネズミザメ目ウバザメ科)幼魚の相模湾における記録と全世界における出現状況”. 神奈川県立生命の星・地球博物館. 神奈川自然誌資料第43号. pp. 53-60. 2023年11月16日閲覧。
  29. ^ 矢島道子「相模湾調査前史 西洋人の日本生物への関心:ヒルゲンドルフとモースと」、13 - 14ページ
  30. ^ 藤田俊彦・西川輝明「ホッスガイを求めて デーデルラインの相模湾調査」、18 - 20ページ。
  31. ^ 藤田俊彦・赤坂甲治「三崎臨海実験所の自然史研究における足跡」、58ページ、
  32. ^ 並河洋「相模湾を見つめて60年 生物学御研究所の相模湾調査」、86ページ。

参考文献 編集

  • 国立科学博物館・編『相模湾動物誌』、東海大学出版会、2007年。
    • 矢島道子「相模湾調査前史 西洋人の日本生物への関心:ヒルゲンドルフとモースと」
    • 藤田俊彦・西川輝明「ホッスガイを求めて デーデルラインの相模湾調査」。
    • 藤田俊彦・並河洋「豊かな動物相を支える相模湾 生物海洋学的な特性」。
    • 藤田俊彦・赤坂甲治「三崎臨海実験所の自然史研究における足跡」。
    • 並河洋「相模湾を見つめて60年 生物学御研究所の相模湾調査」。

関連項目 編集

外部リンク 編集

座標: 北緯35度12分 東経139度24分 / 北緯35.2度 東経139.4度 / 35.2; 139.4