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二代目 野坂 操壽(にだいめ のさか そうじゅ、1938年4月18日 - )は、日本箏曲家作曲家勲等旭日小綬章学位音楽修士東京芸術大学)。生田流箏曲松の実會主宰、桐朋学園芸術短期大学芸術科教授生田流協会理事、公益社団法人日本三曲協会常任理事文化功労者本名、および、旧芸名野坂 惠子(のさか けいこ)。名の「壽」「惠」は旧字体のため、 二代目 野坂 操寿(にだいめ のさか そうじゅ)、野坂 恵子(のさか けいこ)と表記されることもある。

二代目 野坂 操壽
Keiko Nosaka cropped 2 Keiko Nosaka 201511.jpg
文化功労者顕彰に際して
公表された肖像写真
基本情報
出生名 野坂 惠子(のさか けいこ)
生誕 (1938-04-18) 1938年4月18日(81歳)
出身地 日本の旗 東京府
学歴 東京芸術大学大学院
音楽研究科修士課程修了
ジャンル 伝統音楽
職業 箏曲家
担当楽器
活動期間 1965年 -
事務所 生田流箏曲松の実會
公式サイト 野坂操壽official website

日本音楽集団団員、東京芸術大学音楽学部講師などを歴任した。

目次

来歴編集

生い立ち編集

1938年4月生まれ、東京府出身。である箏曲家初代野坂操壽から指導を受けた[1]。なお、初代操壽は箏曲家の宮城道雄に師事しているため、惠子は宮城の孫弟子にあたる。また、9歳の頃より、箏曲家の加藤柔子古典箏曲地歌三絃を師事した[1]東京芸術大学大学院に進学し[1]音楽研究科にて学び、修士課程を修了した[1]

箏曲家として編集

1965年に初めてのリサイタルを開催した[1]。また、同年より1982年まで日本音楽集団団員として活動した[1]1969年二十絃箏を開発し[1]1991年には二十五絃箏を発表するなど[1]伝統に囚われず新しい楽器の開発にも取り組んだ。さらに、1994年からは作曲家伊福部昭にも師事した[1]。後進の育成にも力を注いでおり、1996年より2006年にかけて、母校である東京芸術大学にて音楽学部講師を非常勤で務めた[1]桐朋学園芸術短期大学においては、芸術科教授を務めた[1]。指導した者の中からは、秋岸寛久かりんといった箏曲家などを輩出している。2002年、初代操壽が亡くなった。それに伴い、翌年、二代目操壽を襲名した[1]。その後も本名の「野坂惠子」名義を用いることもあったが、2007年より演奏に関する全活動を「野坂操壽」名義で行うことにした[1]

作風編集

作風は高く評価されており、芸術祭においては、1969年に奨励賞[1]1971年優秀賞が授与されている[1]芸術選奨においては、2002年に文部科学大臣賞が授与された[1]2011年には日本芸術院賞が授与されている[1]栄典としては、2003年紫綬褒章を受章し[1]2009年旭日小綬章を受章した[1]。なお、2015年には文化功労者として顕彰された[2]

略歴編集

賞歴編集

栄典編集

家族・親族編集

脚注編集

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  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af 「野坂操壽(野坂惠子)プロフィール」『野坂操壽プロフィール』生田流箏曲松の実會。
  2. ^ a b 大臣官房人事課「平成27年度文化功労者」『平成27年度 文化功労者:文部科学省文部科学省2015年11月

関連人物編集

関連項目編集

外部リンク編集