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長楽寺 (京都市)

京都市東山区の仏教寺院

長楽寺(ちょうらくじ)は、京都市東山区にある時宗遊行派の寺院。山号は黄台山(おうだいさん)。洛陽三十三所観音霊場第7番札所。

 長楽寺
 三門(2019年6月撮影)
 三門(2019年6月撮影)
所在地  京都府京都市東山区八坂鳥居前東入円山町626番地
位置 北緯35度0分9.3秒
東経135度47分0.5秒
座標: 北緯35度0分9.3秒 東経135度47分0.5秒
山号 黄台山
宗旨 時宗
宗派 時宗遊行派
本尊 准胝観音
創建年 延暦24年(805年
開山 最澄
正式名 黄台山 長楽寺
札所等 洛陽三十三所観音霊場第7番
文化財 一遍立像
公式HP 京都東山 平家物語ゆかりの寺 長楽寺
法人番号 8130005002343
長楽寺 (京都市)の位置(京都府内)
長楽寺 (京都市)
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目次

歴史編集

円山公園の東南方に位置する。かつての境内地は円山公園の大部分や大谷祖廟(東大谷)の境内地を含む広大なものであった。長楽寺は、一説によれば延暦24年(805年)勅命により最澄延暦寺の別院として創建したのに始まるという。『平家物語』「灌頂巻」によると、文治元年(1185年)には高倉天皇の中宮で安徳天皇の生母である建礼門院(平徳子)が壇ノ浦の戦いの後、この寺で出家したと伝えられる。

法然の弟子、隆寛はこの寺に居住して多念義を唱えた。隆寛の系譜は寺院名をとって後に長楽寺義・長楽寺流・長楽寺派といわれた。

至徳2年(1385年時宗の僧国阿がこの寺に入り、時宗の寺に改められた。

延享3年(1746年)に江戸幕府の命令で境内地を大谷祖廟に割譲すると衰微しはじめ、文化年間(1804年 – 1818年)には養福寺に寺地の一部を譲って浄土宗西山派に改宗する。しかし1870年明治2年)には時宗遊行派に改めた。

1906年(明治39年)には、時宗遊行派の有力寺院である七条道場金光寺を統合する。長楽寺が所蔵する時宗祖師像7躯(慶派仏師の作)は、金光寺から移されたものである。

2008年平成20年)、文化財を納めた収蔵庫が火災によりほぼ全焼した。この際、一遍木像(重要文化財)を始めとする全ての文化財は住職らによって火災直後に運び出されたため難を免れた。

本尊編集

本尊の准胝観音は天皇即位時にしか開帳されない「勅封・厳秘」の本尊であり、玉躰護持と皇室安寧祈祷の本尊とされる。その姿は立像で1面3目18臂、二匹の龍の上に蓮台があり、その上に立っている。 伝説によれば、伝教大師最澄が入唐の際に海難に遭遇したので三宝に祈願したところ、二頭の龍に跨がった准胝観音が顕れて最澄の衣に飛び移ると、たちまち波風が収まったといわれ、その姿を彫ったものであるという。 普段は厨子(後水尾天皇の中宮・東福門院 徳川和子が寄進した「泰安の厨子」)の中に安置されている。また、御前立本尊となっている阿弥陀如来像(阿弥陀三尊像)は崇徳天皇持念仏といわれる。

最新の開帳は今上天皇の即位に伴う2019年(令和元年)5月1日から6月16日までの開帳となる[1]

なお、本尊両脇には伝・最澄作の弁才天像と聖一国師がインド・中国・日本の三国の土で作ったといわれる布袋尊像が安置されている。

文化財編集

 
十一重石塔(建礼門院徳子毛髪塔 2012年3月28日撮影)
 
頼山陽の墓(2012年3月28日撮影)
 
頼三樹三郎の墓(2012年3月28日撮影)

重要文化財編集

  • 木造時宗祖師像 7躯
    • 智真(一遍)立像 - 像内に応永二十七年(1420年)二月、康秀作の銘がある
    • 真教倚像
    • 一鎮坐像 - 像内に建武元年(1334年)六月、檀那与阿弥陀仏、幸俊等の銘がある
    • 尊明坐像 - 像内に応永十四年(1407年)二月、金光寺第十三代、康祐法印、康秀法橋等の銘がある
    • 太空坐像
    • 尊恵坐像 - 像内に応永二十八年(1421年)十二月、七条仏所等の銘がある
    • 暉幽坐像
  • 遊行歴代他阿弥陀仏書状類(24通)23巻(附:寛永三年歴代他阿上人書状目録)

その他編集

『平家物語』ゆかりの寺であることから、安徳天皇画像、安徳天皇の衣をもって作ったと伝える幡、松久朋琳作の建礼門院彫像などがある。境内には建礼門院の毛髪塔と伝える十一重石塔、頼山陽頼三樹三郎父子の墓がある。

また誰もが宿泊できる、宿坊「遊行庵」を運営する。

行事編集

  • 扇祈願会(もみじ祭) - 11月下旬

札所編集

住所編集

京都府京都市東山区八坂鳥居前東入円山町626番地

京都市営バス京阪バス祇園バス停から徒歩15分

脚注編集

参考文献編集

外部リンク編集