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金戒光明寺

京都市左京区黒谷町にある浄土宗の寺院

金戒光明寺(こんかいこうみょうじ)は、京都市左京区にある浄土宗の寺院。山号は紫雲山。本尊は阿弥陀如来。通称をくろ谷さん(くろだにさん)と呼ぶ。知恩院とならぶ格式を誇る浄土宗の七大本山の一つであり、また京都四箇本山(他に知恩院知恩寺清浄華院)の一つである。初めは念仏道場として利用されていた。境内には皇族公家茶の湯に使われた黒谷明星水という名水がある[1]

金戒光明寺
170216 Konkaikomyoji Kyoto Japan27n.jpg
高麗門
所在地 京都府京都市左京区黒谷町121
位置 北緯35度1分10.7秒 東経135度47分16.9秒 / 北緯35.019639度 東経135.788028度 / 35.019639; 135.788028座標: 北緯35度1分10.7秒 東経135度47分16.9秒 / 北緯35.019639度 東経135.788028度 / 35.019639; 135.788028
山号 紫雲山
宗派 浄土宗
寺格 大本山
本尊 阿弥陀如来
創建年 承安5年(1175年
開基 法然
正式名 紫雲山金戒光明寺
別称 くろ谷さん
白河禅房
札所等 法然上人二十五霊場第24番
洛陽三十三所観音霊場第6番
文化財 三重塔(文殊塔)・木造千手観音立像・山越阿弥陀図・地獄極楽図(重要文化財)
公式HP 浄土宗大本山・くろ谷 金戒光明寺
法人番号 4130005002413
金戒光明寺の位置(京都市内)
金戒光明寺
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金戒光明寺周辺の地図

歴史編集

承安5年(1175年)春、浄土宗の開宗を決めた法然比叡山の黒谷を下った。岡を歩くと、大きな石があり、法然はそこに腰掛けた。すると、その石から紫の雲が立ち上り、大空を覆い、西の空には、金色の光が放たれた。そこで法然は、うたたねをすると夢の中で紫雲がたなびき、下半身がまるで仏のように金色に輝く善導が表れ、対面を果たした(二祖対面)。これにより、法然はますます浄土宗開宗の意思を強固にした。

こうして法然はこの地に草庵を結んだ。これがこの寺の始まりであるとされる。ここは白川の禅房と呼ばれ、もとは比叡山黒谷の所領で、叡空入滅の時、黒谷の本房と岡崎白川の本房を法然に与えた。そのため、比叡山の黒谷を元黒谷、岡崎の地を新黒谷と呼んだ。法然は、後に信空に黒谷の本房と白川の本房を与え、白川上人信空はこの地に住み、白川門徒の拠点となった。その後、岡崎の地を新黒谷とは呼ばず、黒谷(くろだに)と呼ぶようになる。なお、比叡山では、大津市坂本の黒谷を現在も「黒谷」と呼ぶ。

第5世恵顗の時に堂を整え、法然の見た縁起にちなみ紫雲山光明寺と号した。第8世運空は、後光厳天皇に戒を授けて、金戒の二字を賜り、金戒光明寺と呼ぶようになった。法然が最初に浄土宗の布教を行った地であることに因み、後小松天皇から「浄土真宗[2]最初門」のを賜った。江戸時代初期に城郭構造に改修された。文久2年(1862年)には、京都守護職本陣となった。第二次世界大戦後、1946年昭和21年)に黒谷浄土宗として一派を立てて独立するが、1977年(昭和52年)に浄土宗に合流し、七大本山の一翼を担う。

御詠歌編集

「池の水ひとの心に似たりけり 濁り澄むこと定めなければ」

京都守護職本陣編集

金戒光明寺は、徳川初期に、同じ浄土宗の知恩院とともに、城郭構造に改められていた。会津藩松平容保幕末文久2年閏8月1日(1862年9月24日)に京都守護職に就任すると、京都守護職会津藩の本陣となり、藩兵1,000人が京都に常駐し1年おきに交替した。しかし、会津藩士のみでは手が回りきらなかったため、守護職御預かりとして新選組をその支配下に置き、治安の維持に当たらせた。慶応3年12月9日(1868年1月3日)、この年の10月に行われた大政奉還後の王政復古の大号令によって、薩摩藩長州藩が京都市中の支配権を確立したため、京都守護職は設置後6年をもって廃止された。ここ黒谷の地で、鳥羽・伏見の戦いで戦死した会津藩士の菩提を弔っている。

なお、このころ中間として出入りしていた侠客が、会津小鉄こと上坂仙吉である。

伽藍編集

 
御影堂(大殿)(2008.05)
 
阿弥陀堂
 
山門
 
大方丈
 
三重塔(文殊塔)
山内塔頭

文化財編集

重要文化財編集

  • 三重塔(文殊塔)
  • 木造千手観音立像(通称吉備観音)
  • 絹本著色山越阿弥陀図(三曲屏風一隻)・絹本著色地獄極楽図(二曲屏風一双)

登録有形文化財編集

その他編集

  • 阿弥陀堂(京都府指定文化財)[5]
  • 山門(京都府指定文化財)
  • 経堂(京都府登録文化財)
  • 一枚起請文(伝・真筆) 建暦2年(1212年)正月23日に、源智が形見にということで法然に懇願して、念仏の教えを書いてもらったという(「四十八巻伝」45)。4月23日・24日の御忌法要時のみ公開される。
  • 鏡の御影 法然の御真影(肖像画)。毎年4月25日の御忌法要に於いて一般拝観可能。

除夜の鐘編集

  • 12月31日大晦日に23:30から除夜の鐘をつき始める。
  • 動画

撮影時刻は、2014年12月31日23:34頃、最初のつき始めである。

境内の墓所編集

歴代法主編集

()内は何代目かを記す
※ 35世の◎は「」「氵」に「長」(の異体字)
57世と59世は同一人物。

ギャラリー編集

札所編集

洛陽三十三所観音霊場
5 真如堂新長谷寺 -- 6 金戒光明寺 -- 7 長楽寺
法然上人二十五霊跡
23 清浄華院 -- 24 金戒光明寺 -- 25 知恩院

映画撮影・ロケ編集

数多くの映画やテレビ時代劇で撮影が行なわれている。

エピソード編集

交通アクセス編集

周辺編集

脚注編集

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  1. ^ 明星が天降って菩薩が現われたことから名付けられた。: 小野芳朗『水の環境史「京の名水」はなぜ失われたか』(PHP新書) PHP研究所、2001年 p.206 ISBN 9784569616186
  2. ^ 「浄土の真なる宗」という意味で現「浄土宗」を指し、現「浄土真宗・真宗」とは無関係である。
  3. ^ 3代目「鎧掛けの松」植樹 金戒光明寺、熊谷直実ゆかり京都新聞Web、2014年3月25日 23:35配信、2015年1月26日閲覧。
  4. ^ 平成27年8月4日文部科学省告示第125号。以下の4件も同じ。
  5. ^ 京都府指定・登録等文化財。山門、経堂についても同じ。
  6. ^ 麒麟川島、地元京都で歴史ある寺の庭造りに挑戦お笑いナタリー、2012年9月5日配信、2012年12月28日閲覧。

参考文献編集

  • 「本山黒谷略縁起」より
  • 「黒谷誌要」より
  • 『大本山くろ谷 金戒光明寺 宝物総覧』 浄土宗 大本山くろ谷 金戒光明寺発行、思文閣出版発売、2011年4月、ISBN 978-4-7842-1564-5

外部リンク編集