青木悠三
青木 悠三(あおき ゆうぞう)は、日本のアニメーター。青木雄三、港野洋介という名前を使うこともある。神奈川県出身。Aプロダクションからフリーを経て、DREAM MOVE所属。
あおき ゆうぞう 青木 悠三 | |
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プロフィール | |
別名義 |
青木 雄三 港野 洋介 |
出身地 |
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職業 |
アニメーター キャラクターデザイナー |
所属 | DREAM MOVE |
活動期間 | 1969年 - |
ジャンル | アニメーション |
代表作 |
『ルパン三世』 『シティーハンター』 |
略歴・人物 編集
過去には、雑誌『COM』の読者投稿コーナー「ぐら・こん」に投稿を行ったことがある。
1969年、Aプロダクションに原画試験を経て所属。同時に原画試験を受けた本多敏行はこの時、与えられたテーマ(跳び箱、ルパンのガンアクション、女の子が石を持ち上げる)を青木があっという間に仕上げる様を見て「天才」と評している[1][2]。
1971年、『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』に19歳の若さで原画として参加[3]。その腕前は、作画監督の大塚康生が「ルパンの愛車、フェラーリ12気筒搭載ベンツSSKの作画は難しすぎて自分と青木にしか描けない」と言わしめたほどであった[4]。
その後は『侍ジャイアンツ』など東京ムービーとAプロダクションが手がける作品に参加する一方、東映と和光プロが制作する『激走!ルーベンカイザー』では絵コンテ、演出を、また日本サンライズが制作した『無敵超人ザンボット3』では1話Bパートのほとんどを手がけるなど、東京ムービーとは違う制作会社の作品にも参加した。
『ルパン三世 (TV第2シリーズ)』では27本の絵コンテを担当。作画にも積極的に参加し、「モロッコの風は熱く」では1人原画に挑んでいる。中期にさしかかると、前後編で構成された「私の愛したルパン」、銭形警部のエピソード「父っつあんの惚れた女」などの絵コンテや作画を担当し、シリーズの底上げに貢献。シリーズ後半には浦沢義雄脚本回の絵コンテ・ゲストキャラクターデザインを担当。浦沢と青木によるスラップスティックに徹したエピソードは後に、ブロードウェイシリーズと呼ばれるようになった[5]。
『TV第2シリーズ』放送当時に劇場公開された『ルパン三世 ルパンVS複製人間』では中盤のカーチェイスシーンに作画監督として参加した。
『TV第2シリーズ』終了後は、メカデザインや演出などを本格的に手がけるようになる。『おはよう!スパンク』『太陽の使者 鉄人28号』や『六神合体ゴッドマーズ』ではコンスタントに演出を担当。『とんでモン・ペ』ではオープニングアニメーションを手がけ、『うる星やつら』や『魔法の天使クリィミーマミ』といったスタジオぴえろの作品にも参加をするようになる。
1984年、『ルパン三世 PARTIII』では作画監修という役職につき基本デザインを立ち上げる。第1話では演出を担当し、原作路線回帰への道標を作り上げた。当作でルパン三世のジャケットはピンクであるが、これは青木の案である[6]。
1985年には『PartIII』に合わせて映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』が公開。青木はテレビ用に作り上げていたキャラデザインをリファインした後、全体的なレイアウトと作画のチェックを担当。尾鷲英俊とOH!プロダクションのメンバーがテレビシリーズと掛け持ちし、柳野龍男はバビロンの大部分の作画を担当という急ピッチの作業で作られた。
『PartIII』終了後、弟子筋にあたるこだま兼嗣が監督を務める『ロボタン (第2作)』などに参加。1987年には、こだまが監督となった『シティーハンター』に「港野洋介」名義で参加し、第二の代表作となる。当作は、キャラクターデザインの神村幸子、総作画監督の北原健雄など『TV第2シリーズ』の主力メンバーが参加しており、青木は前半期のオープニングとエンディングの演出を担当。プロデューサーである植田益朗によると、青木は絵コンテを(オープニングとエンディング)同時に一週間で仕上げたといい、クオリティーもスケジュールも「本当に助かった」と述べている[7]。本編においてクレジットこそないものの、役割としてはほぼ助監督での待遇であり、製作する上でこだまを支える形となった。槇村香や野上冴子といったメインキャラクターが初登場する回での演出(絵コンテ)や、最終回の前後編をこだまと役割を分担しながら仕上げるなど活躍。本作品において演出家として初めて「構成」を担当したのも青木である。また、メカデザインとして参加した明貴美加がガンダムシリーズの経験しかなく、経験不足を補うために一部メカデザイン(ヘリコプター、車、銃器など)を分担して手がけていたともされている。
『シティーハンター'91』までの『シティーハンター』テレビシリーズすべてに参加する中で江上潔との交流を深めた青木は、江上も参加した『クッキングパパ』や、江上が監督を務めた『HARELUYA II BØY』に参加。2008年放送の『ヤッターマン』では江上が絵コンテを担当した第40話に原画で参加している。
ルパン関連では『PartIII』の後に、モンキー・パンチ原作のテレビアニメ『おまかせスクラッパーズ』にて演出と作画監督を、同じくモンキー原作の『アリス・ザ・ワイルド』をほぼ原作どおりにアニメ化したOVA『アリス 〜モンキーパンチの世界〜』では監督を務めている。
2000年代以降は『名探偵コナン』の絵コンテ、『ポポロクロイス』の絵コンテ・デザインワークスや、スポットとして『PEACE MAKER 鐵』『鉄人28号(今川泰宏監督版)』の原画に参加。『ソウルイーター』『こんにちは アン 〜Before Green Gables』などにも原画として参加した後、近年は一線を退いている模様。
評価・エピソード 編集
青木の作画について、アニメライターの小黒祐一郎は「『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』以降はグラフィックな方向に行く」と語っている。アニメーターの井上俊之は「忘れて欲しくない20人のアニメーター」の一人に青木を挙げ、『ルパン三世 ルパンVS複製人間』での青木の作画に「画の巧さといい、タイミングの気持ちよさといい、奔放に描いているわけじゃなくて、トータルとして計算されているんだよね。ルパン達が笑っているところに、飛行機が飛んできて車に突っ込んで、最後に爆発するあたりの爆発の気持ちのよさ。生理的に気持ちのいいタイミングを踏まえながら、金田さんほど感覚的にならずにリアリズムを保っている。それでいてお洒落」と評している[3]。
青木が演出と作画を担当した作品で、『TV第2シリーズ』オープニングDタイプは「ジャズアレンジに乗せたスタイリッシュな作画が目を引く(中略)むせかえるような色気と洒落っ気に満ちたバージョン」「歴代オープニングの最高傑作」、『シティーハンター』初代エンディングは楽曲の「Get Wild」と共に「かっこいい映像」と評されている[8][9]。
長年参加したルパン三世シリーズについて『PartIII』放送直前にインタビューに答え、それまでのキャラクターデザインは「どなたの絵もそれぞれに好きだし、影響させてもらいました」と語っている。また、ルパンの作品自体は「ああいう4人組が、東西対立とかでもめるせちがらい世界にもしかしたらどこかで本当に生きているんじゃないかって考えると楽しい。好きですね。そういう意味ではああいうキャラクター考えて物語にしてしまった原作者もすごいと思うし、スケールの大きいキャラクターですよね。ただ、あんまり長くつきあってきたんで、やめたいという気持ちともからんで複雑です(笑)」と述べている[10]。
本人曰く、キャラクターが頭の中で生きてくるとイメージが勝手に動き出して表情を作っていく状態になると本調子だという[10]。
参加作品 編集
テレビアニメ 編集
- 1969年
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- ルパン三世シリーズ(1969年 - 1985年)
- ルパン三世 パイロットフィルム(1969年)
- ルパン三世 (TV第1シリーズ)(1971年 - 1972年、原画)
- ルパン三世 (TV第2シリーズ)(1977年 - 1980年、絵コンテ・原画)
- ルパン三世 PARTIII(1984年 - 1985年、キャラクターデザイン、作画監修・作画監督・絵コンテ・演出・原画)
- ルパン三世シリーズ(1969年 - 1985年)
- 1973年
- 1974年
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- はじめ人間ギャートルズ(1974年 - 1976年、原画)
- 1975年
- 1976年
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- まんが世界昔ばなし(1976年 - 1979年、演出・原画)
- 1977年
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- 激走!ルーベンカイザー(1977年 - 1978年、絵コンテ・演出)
- 無敵超人ザンボット3(作画)※第1話のみ
- 1980年
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- ムーの白鯨(メカニック・デザイナー)
- 宇宙伝説ユリシーズ31(ディレクター)
- 太陽の使者 鉄人28号(1980年 - 1981年、演出[11])
- 1981年
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- 六神合体ゴッドマーズ(1981年 - 1982年、演出、原画)
- うる星やつら(1981年 - 1986年、演出)
- 1982年
-
- ときめきトゥナイト(1982年 - 1983年、絵コンテ・原画)
- 1983年
-
- 魔法の天使クリィミーマミ(1983年 - 1984年、絵コンテ・原画)
- ときめきトゥナイト(1982年 - 1983年、絵コンテ・原画)
- 1986年
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- ロボタン(第2作、演出)
- 1987年
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- シティーハンターシリーズ(1987年 - 1991年、絵コンテ・演出・構成)
- 1991年
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- わたしとわたし ふたりのロッテ(1991年 - 1992年、絵コンテ)
- 1992年
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- クッキングパパ(1992年 - 1995年、絵コンテ)
- 1994年
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- おまかせスクラッパーズ(1994年 - 1995年、キャラクターデザイン・演出・作画監督)
- 1995年
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- 忍たま乱太郎(原画)
- ヤンボウ ニンボウ トンボウ(1995年 - 1996年、絵コンテ・演出・作画監督)
- 1996年
- 1997年
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- HARELUYA II BØY(絵コンテ・演出・作画監督・原画)
- 1998年
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- 突撃!パッパラ隊(1998年 - 1999年、絵コンテ)
- 2000年
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- BOYS BE…(原画)※第2話のみ
- 2003年
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- アストロボーイ・鉄腕アトム(原画)※第12話のみ
- PEACE MAKER 鐵(原画)※第4話のみ
- ポポロクロイス(2003年 - 2004年、絵コンテ・デザインワークス)
- 2004年
- 2008年
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- ヤッターマン(原画)※第40話のみ、「青木ゆうぞう」名義
- 2009年
-
- ソウルイーター(2008年 - 2009年、原画)
- こんにちは アン 〜Before Green Gables(原画)※第15話のみ
劇場アニメ 編集
- 巨人の星 宿命の対決(1970年) - 動画
- パンダコパンダ(1972年、原画)
- パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(1973年、原画)
- 草原の子テングリ(1977年、原画)
- ルパン三世 ルパンVS複製人間(1978年、作画監督・原画)
- ルパン三世 バビロンの黄金伝説(1985年、作画監督・原画)
- 戦争が終わった夏に(1990年、監督)
- 翔べ!ペガサス 心のゴールにシュート(1996年、キャラクターデザイン・作画監督)
OVA 編集
- ラブ・ポジション ハレー伝説(1985年、原画)
- 九鬼谷温泉艶笑騒動譚 まんだら屋の良太(1989年、監督)
- アリス 〜モンキーパンチの世界〜(1991年、監督)
- 創竜伝(1993年、絵コンテ、レイアウト)
その他 編集
- 明石家さんちゃんねる(2006年、オープニングアニメ)
出典 編集
- ^ ★シンエイ藤子アニメ 24 周年記念スペシャルインタビュー
- ^ “『ドラえもん』の初映画作品の作画監督!ちばてつやのアニメ最新作も作ったスゴい人!”. 日刊スゴい人! (2017年12月6日). 2020年10月7日閲覧。
- ^ a b “もっとアニメを観よう 第4回 井上・今石・小黒座談会(4)”. WEBアニメスタイル. 2020年10月7日閲覧。
- ^ 大塚康生『作画汗まみれ 改訂最新版』文藝春秋〈文春ジブリ文庫〉、2013年。ISBN 978-4168122002。
- ^ 小黒祐一郎. “アニメ様365日 第12回『ルパン三世[新]』”. WEBアニメスタイル. 2020年10月7日閲覧。
- ^ 小黒祐一郎. “アニメ様365日 第200回『ルパン三世 PARTIII』”. WEBアニメスタイル. 2020年10月7日閲覧。
- ^ 植田本人のツイート(2019年1月3日) - Twitter
- ^ 北林慎也 (2021年6月18日). “「ルパン三世」全OP&EDを公開「需要を理解しすぎてる」公式の思い”. withnews 2022年4月3日閲覧。
- ^ “みんなで選んだ!エンディングアニメ特集”. dアニメストア (2019年11月1日). 2022年4月3日閲覧。
- ^ a b 「独占「ルパン三世・パート3」のキャラはこれだ!!」『ジ・アニメ VOL.49』、近代映画社、1983年12月。
- ^ “鉄人28号”. トムス・エンタテインメント. 2016年6月1日閲覧。