シンエイ動画
シンエイ動画株式会社(シンエイどうが、英: SHIN-EI ANIMATION Co., Ltd.)は、日本のアニメ制作会社。テレビ朝日の子会社。日本動画協会正会員。
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![]() 本社ビル(東京都西東京市田無町) | |
種類 | 株式会社 |
---|---|
本社所在地 |
![]() 〒188-0011 東京都西東京市田無町三丁目9番21号 北緯35度43分45.58秒 東経139度32分30.9秒 / 北緯35.7293278度 東経139.541917度座標: 北緯35度43分45.58秒 東経139度32分30.9秒 / 北緯35.7293278度 東経139.541917度 |
設立 |
1976年(昭和51年)9月9日 (シンエイ動画株式会社) (創立:1965年(昭和40年)12月(Aプロダクション)) |
業種 | 情報・通信業 |
法人番号 |
9012701002249 ![]() |
事業内容 | アニメーションの企画・制作 |
代表者 | 代表取締役社長 梅澤道彦 |
資本金 | 1億円(2020年3月31日現在)[1] |
発行済株式総数 | 160,000株 |
純利益 | 8億6500万円(2020年3月期)[1] |
総資産 |
69億3200万円 (2020年3月31日現在)[1] |
従業員数 | 84名(2017年3月31日現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 株式会社テレビ朝日 100% |
主要子会社 | 有限会社SynergySP |
関係する人物 | 楠部大吉郎(創業者) |
外部リンク |
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概要編集
代表作に、テレビアニメ『ドラえもん』・『クレヨンしんちゃん』(テレビ朝日系)[注釈 1]、劇場用長編アニメ『ドラえもん』・『クレヨンしんちゃん』シリーズがある。また作画工程のみを他社から請け負う事業も行っている。2010年より、テレビ朝日の完全子会社となっている。シンエイ動画は1965年(昭和40年)12月に創立された有限会社エイプロダクション(通称: Aプロダクション)が前身で、Aプロダクションは東京ムービーと業務提携し、その制作担当として活動していた。
- 社名の由来
「シンエイ」の由来は、楠部大吉郎によると、「新生Aプロ」、「新しいAプロダクション」という意味であり、新鋭という意味だとは説明していない[2][3]。発足時にシンエイ動画役員を務めた大塚康生も、自身の著書で新生Aプロという意味だと記している[4]。公式サイトでは「新しいAプロ=『新A』」、そして「アニメ界の『新鋭』でありたい」と伝えている[5]。新しく作られたロゴタイプは、シンエイの「A」に漫画風の頭と手を付けた、マスコットキャラクターの様なデザインとなっている。楠部大吉郎デザインのこのキャラクターの名前は「エーちゃん」である[6]。
歴史編集
Aプロダクション時代編集
Aプロダクション(以下Aプロ)の名前は、「最初の文字であるA、エースという意味などで何となくつけた」という(創立者・楠部大吉郎の弁)[2]。
テレビアニメの黎明期に人形劇団出身者によって創立された東京ムービーがテレビアニメ『ビッグX』で経営危機に陥り、その失敗を踏まえて制作体勢を整えようとした。そこで当時の東京ムービーの社長であった藤岡豊が東映動画(現:東映アニメーション)から独立したアニメーター、楠部大吉郎に声をかけたことが創立のきっかけだった。そして楠部は、東映動画の新人アニメーターだった芝山努・小林治に声をかけ、少し遅れて椛島義夫・森下圭介の2人が楠部らに合流して計5人が創立メンバーとなり、Aプロは渋谷区代々木にその拠点を構えた。
東京ムービーは営業を担当し、Aプロは制作担当として業務提携(資本関係なし)という形をとった。そして楠部の弟である楠部三吉郎は東京ムービーに入社し、制作管理スタッフとして兄の大吉郎を支えた。やがて東映動画も劇場長編アニメから新人を中心としたテレビアニメ制作へと方向転換を始めると、東映動画の長編スタッフ、中堅のスタッフが続々とAプロへ移籍して来る。これら移籍組の小山礼司、吉田茂承、大塚康生、宮崎駿、高畑勲、小田部羊一らと、定期採用で育成された当時の新人、中村英一といったアニメーターや演出家が、東京ムービーの代表作である『オバケのQ太郎』『巨人の星』『ルパン三世 (TV第1シリーズ)』『ど根性ガエル』『荒野の少年イサム』『天才バカボン』など、数多くの作品を手掛けた。
作画・演出スタッフの他に美術部門・仕上げ部門も擁して、最盛時にはテレビアニメ5作品の同時制作を誇っていた。しかし1974年(昭和49年)に楠部大吉郎が病気で1年間療養したこと、更に東京ムービーの藤岡が日本市場への関心を失い、アメリカ市場開拓のために奔走しているうちに東京ムービー製作作品の本数が減少した。こうした背景と経営の危機を迎えたことで実制作のみの体制に限界を感じた楠部は自社で企画・制作をする会社にするため、1976年(昭和51年)の『元祖天才バカボン』を最後に東京ムービーとの提携を円満解消して独立。こうしてAプロは、1976年(昭和51年)9月9日に社名を「シンエイ動画株式会社」に変更、改組した[7]。
シンエイ動画時代編集
こうして再出発したシンエイ動画は、社屋を田無市[注釈 2]北原町へと移転、その際には仕上部門を切り離し作画スタッフも大幅に削減して、経営をスリム化している。この時に独立した作画スタッフが設立したものが亜細亜堂等のスタジオである。なお、小山礼司が率いた美術部門は、小山が独立した形で早くに廃している。そして東京ムービーに在籍していた楠部三吉郎は専務取締役としてシンエイ動画へと移籍。兄の大吉郎と共に経営を支えた。またAプロからシンエイ動画として独立した記念として、東京ムービーが持っていた『ドラえもん』の映像化権を藤岡から譲渡されたという逸話がある[4]。
東京ムービーから独立後のデビュー作は、PR用の短編映画『草原の子テングリ』(1977年)。しばらくは他社のグロス請けなどをこなしたのち、1979年にはテレビアニメ『ドラえもん』を苦心の末、再びアニメ化にこぎ着ける。このシンエイ版『ドラえもん』の成功が、シンエイ動画の経営上の礎となった。
そして業務拡大のため、1982年には社屋を田無市南町に移転。一部のスタッフは旧スタジオに残り、あにまる屋(現: エクラアニマル)を設立した。そして1980年代を中心に数多くの藤子不二雄作品や『月刊コロコロコミック』連載作品などを中心に次々とアニメ化。これらはテレビ朝日系を中心に放映された。1992年には田無市本町[注釈 3]に社屋を新築し移転。この青い塗装のビルは同社の経営を支えた『ドラえもん』に感謝を込め『ドラえもんビル』という愛称[8]がある。同年にはテレビアニメ『クレヨンしんちゃん』がスタート。
2003年1月には、テレビ朝日がシンエイ動画の10%の株式を取得し、資本提携する。2009年4月よりテレビ朝日がシンエイ動画の株式の大半を取得し、テレビ朝日の連結子会社になった[9]。新社長は岩永惠に、楠部三吉郎は代表取締役会長へ就任した。2010年10月15日、楠部三吉郎が保有する株式をテレビ朝日が追加取得したことにより、テレビ朝日の100%子会社となった[10][注釈 4]。2002年からテレビ朝日がケーブルテレビ・スカパー!・スカパー!e2他で展開する通信衛星テレビ放送局・「テレ朝チャンネル」で、シンエイ動画製作作品(初回放送時にテレ朝系列でない作品を含む)を集中的に取り上げる「シンエイアニメシアター」という番組が毎日放映されている。
2009年11月には旧社屋の北西方向、東京都道5号新宿青梅線旧道(青梅街道)沿い(西東京市田無町3丁目)に青い塗装の新社屋を落成、入居を開始した。旧社屋はしばらく空きテナントとなっていたが、2011年(平成23年)に社会福祉法人檸檬会がビルを借り上げ、「レイモンドたなしほいくえん」に転用された。
2012年7月、代表取締役社長に梅澤道彦常務が昇格し就任した。また別紙博行専務が代表取締役専務に昇格した。社長の梅澤は前任の岩永同様にテレビ朝日からの出向である。
2015年、別紙博行が代表取締役を退任し、梅澤道彦が単独で代表取締役を務める。
2016年にはアスミック・エース、トムス・エンタテインメント、ジェイアール東日本企画、住友商事と共にアニメ製作プロジェクトチーム「あにめのめ」を立ち上げる。シンエイ動画はトムスと共同でアニメ企画・制作を担当し、2018年の枠消滅まで『笑ゥせぇるすまんNEW』『からかい上手の高木さん』など5作品を手掛けた。
2017年4月、SynergySPを子会社化。同社の代表は元取締役・チーフプロデューサーの増子相二郎が就任した[11]。
2021年1月、初のストップモーション・アニメーションである「PUI PUI モルカー」の放送が開始[12]。
劇場作品編集
シンエイ動画に改組してからの事実上の劇場デビュー作は、1980年(昭和55年)3月公開の『ドラえもん のび太の恐竜』である[注釈 5]。東宝の配給で同時上映は、『モスラ対ゴジラ』だった。東宝の番組ラインとしては、1978年まで学校の休み期間中に上映していたゴジラ映画と短編のテレビアニメ数本を上映する東宝チャンピオンまつりの流れを汲むもので[13]、当初は長編ではない予定だったが、原作者の藤子・F・不二雄から「僕の中では90分ないと映画とは呼べない」という要望を受けてオリジナルの新作長編映画として制作された[14][15]。以後、短編-中編の藤子作品の併映作と共に、毎年3月の春休み映画として『ドラえもん』の劇場版が上映されるようになった。1980年代に多く行われていた藤子アニメ三本立て興行は、1990年代以降、影を潜めた。しかし、『ザ・ドラえもんズ』といった30分の短編と長編『ドラえもん』のセットは2004年まで続いた。映画『ドラえもん』シリーズは、2005年(平成17年)からのテレビシリーズ全面リニューアルの影響でその年は作られず、2006年(平成18年)から再び上映されるようになった。また、これを機に短編作品は作られなくなった。
『クレヨンしんちゃん』も『クレヨンしんちゃん アクション仮面VSハイグレ魔王』が作られ、1993年夏に映画初登場。1994年以降は毎年春にシリーズ上映されている。
また、1981年夏の『21エモン 宇宙へいらっしゃい!』と『ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ』の同時上映、2003年冬の『あたしンち』は、シリーズ上映の予定があったとされる。前者はシリーズ化されればドラえもんをサブに置き、他の作品をメインに上映する形になる予定であった。[要出典]
これまでシンエイ動画制作の劇場アニメは、テレビシリーズの映画化が中心だったが、2007年の『河童のクゥと夏休み』(監督: 原恵一)は、改組後初めての劇場オリジナル作品となった。
CG・デジタル制作編集
CGにおいては、ドラえもん・ヨーロッパ鉄道の旅で最初に使用した。
CGは殆ど外注であったが、1990年代に入ると、アニメーターの堤規至が『クレヨンしんちゃん』の特番用アバンタイトルにCGを取り入れ、やがて彼を中心にCGI班が立ち上がり、シンエイ動画社内でも制作されるようになった。
しかし、1990年代後半から始まったアニメ業界のデジタル制作(デジタルペイント・デジタル撮影)化の波が押し寄せる中においても、仕上・撮影を外注化していることから基本的にはセルアニメでの制作を堅持し続け、デジタル制作はあくまでも部分的使用に留まっていた。
そして外注スタジオのデジタル制作対応に伴い『ジャングルはいつもハレのちグゥ』(2001年)でフルデジタル制作を本格的に開始。その流れに伴って他の作品も2002年以降、デジタルでの制作へと完全に移行した。また、2005年4月以降は地上デジタル放送対応に伴い、全てのテレビ作品がハイビジョン制作されるようになったが、ローカルセールスだった『あたしンち』のみハイビジョン化が2006年4月8日まで持ち越しとなった。
作品履歴編集
Aプロダクション時代編集
テレビシリーズ編集
開始年 | 放送期間 | タイトル | 備考 |
---|---|---|---|
1965年 | 8月 - 1967年6月 | オバケのQ太郎 | |
1967年 | 4月 - 1968年4月 | パーマン | 共同制作:スタジオ・ゼロ |
7月 - 1968年12月 | コメットさん | 第1期(ドラマ) 実写合成 アニメ作画 | |
1968年 | 3月 - 1971年9月 | 巨人の星 | |
4月 - 1969年3月 | 怪物くん | 共同制作:スタジオ・ゼロ | |
1969年 | 4月 - 9月 | ウメ星デンカ | |
10月 - 1970年12月 | ムーミン | 1 - 26話まで | |
12月 - 1971年11月 | アタックNo.1 | ||
1971年 | 2月 - 3月 | 珍豪ムチャ兵衛 | |
9月 - 1972年6月 | 天才バカボン | ||
9月 - 1972年12月 | 新オバケのQ太郎 | ||
10月 - 1972年3月 | ルパン三世 | ||
1972年 | 4月 - 1973年3月 | 赤胴鈴之助 | |
10月 - 1974年9月 | ど根性ガエル | ||
1973年 | 3月 - 9月 | ジャングル黒べえ | |
4月 - 1974年3月 | 荒野の少年イサム | ||
4月 - 9月 | ドラえもん (日本テレビ版) | 各話制作協力 制作元請:日本テレビ動画 | |
10月 - 1974年3月 | エースをねらえ! | ||
10月 - 1974年9月 | 侍ジャイアンツ | ||
空手バカ一代 | |||
1974年 | 4月 - 9月 | 柔道讃歌 | |
10月 - 1976年3月 | はじめ人間ギャートルズ | ||
1975年 | 4月 - 9月 | ガンバの冒険 | |
10月 - 1977年9月 | 元祖天才バカボン |
劇場映画編集
公開年 | タイトル | 備考 |
---|---|---|
1966年 | 喜劇 駅前漫画 | 東京映画 実写合成(アニメ作画) |
1969年 - 1970年 | 巨人の星 | TVシリーズ再編集 |
1970年 - 1971年 | アタックNo.1 | |
1972年 | パンダコパンダ | |
1973年 | パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻 |
シンエイ動画時代編集
テレビシリーズ編集
タイトル | 放送期間 | 備考 |
---|---|---|
おれは鉄兵 | 1977年-1978年 | 企画・制作:日本アニメーション 制作担当 |
野球狂の詩 | 1977年-1979年 | 制作元請:日本アニメーション 各話制作協力 |
一球さん | 1978年 | 企画・制作:日本アニメーション 制作担当 |
ドラえもん(テレビ朝日版第1期) | 1979年-2005年 | |
日本名作童話シリーズ 赤い鳥のこころ | 1979年 | |
怪物くん[新] | 1980年-1982年 | |
忍者ハットリくん | 1981年-1987年 | |
ゲームセンターあらし | 1982年 | 制作協力:土田プロダクション |
フクちゃん | 1982年-1984年 | |
藤子不二雄劇場 パーマン | 1983年-1985年 | |
オヨネコぶーにゃん | 1984年 | |
プロゴルファー猿 | 1985年-1988年 | 制作協力:スタジオディーン |
藤子不二雄劇場 オバケのQ太郎 | 1985年-1987年 | |
エスパー魔美 | 1987年-1989年 | |
ウルトラB | 1987年-1989年 | |
つるピカハゲ丸くん | 1988年-1989年 | |
新プロゴルファー猿 | 1988年 | 制作協力:スタジオディーン |
ビリ犬 | 1988年-1989年 | |
美味しんぼ | 1988年-1992年 | |
おぼっちゃまくん | 1989年-1992年 | |
ビリ犬なんでも商会 | 1989年 | 制作協力:スタジオディーン |
笑ゥせぇるすまん | 1989年-1992年 | |
チンプイ | 1989年-1991年 | |
ガタピシ | 1990年-1991年 | |
藤子不二雄Ⓐの夢魔子 | 1990年 | |
八百八町表裏 化粧師 | ||
どろろんぱっ! | 1991年 | |
21エモン | 1991年-1992年 | |
クレヨンしんちゃん | 1992年- | |
さすらいくん | 1992年 | |
忍ペンまん丸 | 1997年-1998年 | |
ヨシモトムチッ子物語 | 1998年 | |
週刊ストーリーランド | 1999年-2001年 | 各話制作 |
激動!歴史を変える男たち 〜アニメ静岡県史〜 | 2000年 | 静岡県ローカル |
ジャングルはいつもハレのちグゥ[16] | 2001年 | |
あたしンち | 2002年-2009年 | |
ドラえもん(テレビ朝日版第2期) | 2005年- | |
ご姉弟物語 | 2009年-2010年 | |
スティッチ! 〜ずっと最高のトモダチ〜 | 2010年-2011年 | |
エリアの騎士 | 2012年 | 制作協力:アセンション |
黒魔女さんが通る!! | 2012年-2014年 | |
インド版 忍者ハットリくん | 2013年- | 共同制作:リライアンス・メディア・ワークス |
となりの関くん | 2014年 | |
デンキ街の本屋さん | 2014年 | |
怪盗ジョーカー | 2014年-2016年 | |
新あたしンち | 2015年-2016年 | |
甘々と稲妻 | 2016年 | 企画協力 |
TRICKSTER -江戸川乱歩「少年探偵団」より- | 2016年-2017年 | 共同制作:トムス・エンタテインメント |
笑ゥせぇるすまんNEW | 2017年 | |
妖怪アパートの幽雅な日常 | 制作協力:SynergySP | |
ふるさとめぐり 日本の昔ばなし | 制作元請:トマソン 各話制作協力 | |
からかい上手の高木さん[17] | 2018年 | |
ポチっと発明 ピカちんキット | 2018年-2020年 | 共同制作: オー・エル・エム 制作協力:SynergySP |
少年アシベ GO! GO! ゴマちゃん(第4期) | 2019年 | 共同制作:studioぱれっと |
からかい上手の高木さん2 | ||
八男って、それはないでしょう! | 2020年 | 制作協力:SynergySP |
アニメ カピバラさん | 共同制作: レスプリ | |
アイドールズ! | 2021年 | 共同制作:レイ |
PUI PUI モルカー | 共同制作:ジャパングリーンハーツ ストップモーション・アニメーション | |
すばらしきこのせかい The Animation | 共同制作: DOMERICA | |
ましろのおと | ||
iiiあいすくりん |
TVスペシャル編集
タイトル | 放映年 | 備考 |
---|---|---|
ドラ・Q・パーマン | 1980年 | ドラえもんの特番枠で放映 |
怪物くん | 1981年-1982年 | |
プロゴルファー猿 | 1982年 | |
三国志 | 1985年 | |
Mr.ペンペン | 1986年 | |
Mr.ペンペンII | ||
三国志II 天翔ける英雄たち | ||
内田春菊の呪いのワンピース | 1992年 | |
美味しんぼ 究極対至高長寿料理対決 | ||
笑ゥせぇるすまんスペシャル | ||
笑ゥせぇるすまん 春の特大号 | 1993年 | |
笑ゥせぇるすまん 年忘れ特大号 | ||
美味しんぼ 日本コメ戦争 | ||
景山民夫のダブルファンタジー | 1994年 | |
中崎タツヤスーパー ギャグシアター | ||
ウミガメと少年 | 2002年 | 戦争童話集シリーズ |
凧になったお母さん | 2003年 | |
小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話 | 2004年 | |
ぼくの防空壕 | 2005年 | |
焼跡の、お菓子の木 | 2006年 | |
ふたつの胡桃 | 2007年 | |
キクちゃんとオオカミ | 2008年 | |
青い瞳の女の子のお話 | 2009年 | |
白い恋人 | 2006年 | 北海道ローカル |
OVA編集
タイトル | 発売年 | 備考 |
---|---|---|
ジャングルはいつもハレのちグゥ デラックス | 2002年-2003年 | |
ジャングルはいつもハレのちグゥ FINAL | 2003年-2004年 | |
みんなのどうよう | 2014年 | |
やっぱり海が好き | 2015年 | 制作協力:SynergySP |
やっぱり海が好き2 | 2017年 | |
やっぱり海が好き3 | 2019年 |
Webアニメ編集
タイトル | 配信年 | 備考 |
---|---|---|
なんちゃって! | 2010年 | シンエイぷちアニ劇場 |
ポテッコベイビーズ | ||
西武鉄道駅員タコちゃん[注釈 6][18] | ||
アニメで分かる心療内科 | 2015年 | 制作はFor All名義[注釈 7] |
クレヨンしんちゃん外伝 エイリアン vs. しんのすけ | 2016年 | Amazonプライム・ビデオにて配信。 |
クレヨンしんちゃん外伝 おもちゃウォーズ | ||
クレヨンしんちゃん外伝 家族連れ狼 | 2017年 | |
クレヨンしんちゃん外伝 お・お・お・のしんのすけ | ||
ぬるぺた | 2019年 | ニコニコ動画などで先行配信。 制作協力:アセンション |
SUPER SHIRO | Abema TV・ビデオパスで配信。 企画・製作・各話制作協力。 制作元請:サイエンスSARU | |
スーパー・スパイ・ライアン | 2021年 | 日米合作。 Amazonプライム・ビデオにて配信。 |
劇場映画編集
タイトル | 公開年 | 備考 |
---|---|---|
ドラえもん | 1980年-2004年/2006年- | |
21エモン 宇宙へいらっしゃい! | 1981年 | |
ドラえもん ぼく、桃太郎のなんなのさ | ||
怪物くん デーモンの剣 | 1982年 | |
忍者ハットリくん | 1982年-1983年 | |
パーマン | 1983年、2003年-2004年 | |
忍者ハットリくん+パーマン 超能力ウォーズ | 1984年 | |
忍者ハットリくん+パーマン 忍者怪獣ジッポウVSミラクル卵 | 1985年 | |
プロゴルファー猿 | 1986年-1987年 | |
オバケのQ太郎 | ||
エスパー魔美 星空のダンシングドール | 1988年 | |
ウルトラB ブラックホールからの独裁者B・B! | ||
県立海空高校野球部員山下たろーくん | ||
ドラミちゃん | 1989年、1991年、1993年-1994年 | |
チンプイ エリさま活動大写真 | 1990年 | |
21エモン 宇宙(そら)いけ!裸足のプリンセス | 1992年 | |
映画クレヨンしんちゃんシリーズ | 1993年- | |
ウメ星デンカ 宇宙の果てからパンパロパン! | 1994年 | |
ザ・ドラえもんズ | 1996年-2002年 | |
ドラえもん 感動シリーズ | 1998年-2002年 | |
映画 あたしンち | 2003年 | |
河童のクゥと夏休み | 2007年 | |
劇場版3D あたしンち 情熱のちょ~超能力♪ 母 大暴走! | 2010年 | |
パロルのみらい島 | 2014年 | |
STAND BY ME ドラえもん | ||
ゴーちゃん。〜モコとちんじゅうの森の仲間たち〜 | 2017年 | 制作協力:SynergySP |
ゴーちゃん。〜モコと氷の上の約束〜 | 2018年 |
パイロットフィルム・未放映作品編集
- ドラえもん 勉強部屋のつりぼり (1978年)
- 1979年10月3日放送のテレビシリーズ秋特番で放送された。2004年発行の雑誌「ぼくドラえもん」創刊号の付録DVDおよび2009年発売のDVD-BOX「ドラえもん タイムマシンBOX 1979」に映像が収録されている。
- エスパー魔美
- ウメ星デンカ
- ミラ・クル・ワン - 米たにヨシトモが監督を務めた。
- プリンスデモキン
- あまいぞ!男吾 - 2002年に英知出版「トラウママンガブックス」レーベルから発行された原作漫画の復刻版の巻頭に、このパイロット版の図版がカラーで掲載されている。
- ジャングルはいつもハレのちグゥ - 後にDVD特典映像として収録された。
その他編集
- 草原の子テングリ(1977年、桜映画社、雪印乳業のPR用映画。原案: 手塚治虫)
- 父よ母よ!(1980年、松竹、木下惠介監督の実写映画。アニメパートを担当)
- ドラえもん ケンちゃんの冒険(1981年、全国心身障害児福祉財団、ホール上映。後に特番でテレビ放映。)
- 交通安全だよドラえもん(1981年、防災アニメ)
- 交通安全でござる忍者ハットリくん(1983年、防災アニメ)
- 交通安全でござる忍者ハットリくん[パートII](1989年、防災アニメ)
- オールスター番組対抗ボウリング大会(1982年3月、この回『ドラえもん』『怪物くん』『忍者ハットリくん』の声優が出場するにあたり、冒頭、ドラえもん・怪物くん・ハットリカンゾウがボウリングをするシーンを放送。)
- 財津和夫「それがボクのおとうさん」(1997年、NHK「みんなのうた」)
- いこいーな「西東京市誕生10周年事業のマスコットキャラクター」(西東京市と共同デザイン)
- 石立鉄男主演、日本テレビ・ユニオン映画制作ドラマシリーズのオープニングタイトル
関連人物編集
アニメーター・演出家編集
- 青木悠三
- 安藤敏彦
- 稲村武志
- 今井一暁
- 入江康智
- 牛草健
- 大杉宜弘
- おおすみ正秋
- 大武正枝
- 大塚正実
- 大塚康生
- 大西景介
- 大森孝敏
- 岡野慎吾
- 小川博司
- 小野慎哉
- 尾鷲英俊
- 門脇孝一
- 金子志津枝
- 金田伊功
- 椛島義夫
- 加来哲郎
- 加来由加里
- 河内日出夫
- 木上益治
- 木野雄
- 木村陽子
- 釘宮洋
- 楠葉宏三
- 小田部羊一
- 小西賢一
- 小林治
- 近藤喜文
- 佐伯俊道
- 桜沢裕美
- ささきひろゆき
- 貞光紳也
- 澤田裕美
- 鴫野彰
- 志村隆行
- 誌村宏明
- 芝山努
- 末吉裕一郎
- 鈴木洋介
- 須田正己
- 須田裕美子
- 関修一
- 善聡一郎
- 高倉佳彦
- 高橋敦史
- 高橋渉
- 高畑勲
- 高林久弥
- 高柳哲司
- 滝沢敏文
- 竹内留吉
- 田中敦子
- 田中薫
- 塚田庄英
- 富沢和雄
- 永居慎平
- 長島崇
- 長浜忠夫
- 中村英一
- 中本和樹
- 奈良岡光
- パクキョンスン
- 橋本とよ子
- 原勝徳
- 原恵一
- 林静香
- 針金屋英郎
- 樋口善法
- 平井峰太郎
- 福富博
- 藤野京子
- 本郷みつる
- 本多敏行
- 前園文夫
- 松下佳弘
- 間々田益男
- 丸山宏一
- 水島努
- 宮崎駿
- 三輪修
- ムトウユージ
- 本木久年
- 森下圭介
- 森脇真琴
- 八木郁乃
- 八鍬新之介
- やすみ哲夫
- 柳野龍男
- 山田みちしろ
- 湯浅政明
- 横田一平
- 横山広行
- 吉川惣司
- 吉田誠
- 渡辺歩
プロデューサー編集
- 中島進
- 長南佳志
- 中村和喜
- 國安真一
- 天野賢
- 河西麻利子
- 近藤慶一
- 加賀山悠
その他編集
- 入江武彦(取締役管理本部長)
- 西川由香里(営業)
- 櫻井洋介(制作デスク)
- 落合竜太郎(制作デスク)
- 岡野孝規(制作デスク)
- 紙谷泰吏(制作デスク)
- 谷澤吉紀(制作デスク)
- 篠田宇俊(制作デスク)
- 佐藤創太(制作デスク)
- 北野巧(設定制作)
アニメーター以外の出身者編集
- 楠部大吉郎(創業者、故人)
- 楠部三吉郎(2代目代表取締役社長、名誉会長、故人)
- 小山礼司(美術)
- 保田道世(色彩設計、故人)
- 近藤浩子(色彩設計、旧姓:山浦、近藤喜文夫人)
- 吉田茂承(元演出家、水彩画家に転向)
- 南正時(Aプロダクション時代に在籍、鉄道写真家に転向)
- 別紙壮一(プロデューサー、東京世田谷ロータリークラブ会員)
- 真田芳房(プロデューサー、あにまる屋(現:エクラアニマル)創業者、故人)
- 真保裕一(元演出家、作家に転向)
- もとひら了(元脚本家、僧侶に転向)
- 吉岡たかお(脚本家)
- 小松崎康弘(脚本家)
- 水出弘一(脚本家)
- 岩崎ヨーコ(アニメーション作家、イラストレーター)
- 和田泰(プロデューサー)
- 山川順一(プロデューサー)
- 楠部工(元文芸、ライターに転向)
- 増子相二郎(プロデューサー、SynergySP代表取締役)
- 茂木仁史(プロデューサー、アセンション創業者)
- 田中敦(プロデューサー、日本アニメーションプロデューサー)
- 外崎真(制作デスク、A-1 Picturesプロデューサー)
- 星野達也(制作進行、タツノコプロプロデューサー)
- 渋谷いずみ(制作進行、タツノコプロ、サイエンスSARU制作デスク)
- 吉家康介(制作進行、SynergySPプロデューサー)
- 桶谷顕(脚本家、故人)
- 松沢まり(元動画マン、漫画家に転向)
- 野中幸子(色彩設計)
- 魁生聡(プロデューサー)
- 加藤良雄(プロデューサー)
- 岡田麻衣子(プロデューサー、ウィットスタジオプロデューサー)
脚注編集
注釈編集
- ^ 設立から現在まで自社で著作権を保有する作品ではフジテレビ系との取引は一切無い。ただし、Aプロダクション時代からシンエイ動画初期に製作業務に参加した作品はあった。
- ^ 現在の西東京市
- ^ 現: 西東京市田無町2丁目
- ^ テレビ朝日はアニメでは元々、同局の前身・日本教育テレビ(NETテレビ)の設立母体の一つである東映の傘下企業かつ創業者・楠部の出身企業である東映アニメーション(旧東映動画)との作品を中心としていたが、『ドラえもん』の成功以降順次シンエイ動画中心へと変化していき、一時東映アニメーションとの全国ネット作品が途絶えることもあった。このため、東映アニメーションは在阪準キー局・朝日放送(ABC)と組むことでテレビ朝日系列における全国ネット作品を維持することになったが、シンエイの前身・Aプロダクションがかつて朝日放送と近い関係にあった経緯(後述)を踏まえると、結果的にアニメ枠に関してはNETテレビ→テレビ朝日・朝日放送と東映動画→東映アニメーション・シンエイ動画の取引関係が逆転することになった。朝日放送が1975年3月30日にそれまでNETテレビ系列だった毎日放送(MBS)とネットチェンジするまで東京ムービーの設立母体であるTBSテレビの旧法人と系列関係だった経緯もあり、Aプロダクションは東京ムービーを通じて朝日放送・毎日放送・読売テレビ(YTV)とも比較的親密な関係だった。
- ^ Aプロ時代には東宝チャンピオンまつりで上映された短編の『パンダコパンダ』シリーズがある。シンエイ動画になってからも1977年に21分の『草原の子テングリ』があったが、PR映画であり一般の配給網には乗らなかった。
- ^ 本社最寄の田無駅を舞台に新人駅員「タコちゃん」の奮闘を描く。西武鉄道とのコラボレーション。
- ^ hulu - アニメで分かる心療内科(2015年2月14日閲覧)ではスタジオ名が「シンエイ動画」と表記されている他、同作の公式サイトのドメインをシンエイ動画が取得している。
出典編集
- ^ a b c 第44期決算公告、2020年(令和2年)7月16日付「官報」(号外第149号)73頁。
- ^ a b 『アニメージュ』1985年1月号、徳間書店、p.62。楠部大吉郎インタビューでの本人の証言。
- ^ 『アニメージュ』2000年5月号、徳間書店(小黒祐一郎「第19回 渡辺歩」『この人に話を聞きたい アニメプロフェッショナルの仕事 1998-2001』飛鳥新社、東京、2006年、312ページ。ISBN 4-87031-758-3。2010年12月13日閲覧。)。当時シンエイ動画社員の渡辺歩が楠部から説明されたという証言。
- ^ a b 『リトル・ニモの野望』p.55。
- ^ 「会社沿革」 シンエイ動画公式サイト
- ^ キクちゃんとオオカミ ブログパーツ シンエイ動画公式サイト
- ^ 『アニメージュ』1985年1月号、徳間書店、p.59
- ^ 『ぼく、ドラえもん』3巻、p32
- ^ 「シンエイ動画株式会社の株式取得による連結子会社化のお知らせ」 テレビ朝日 IRニュース、2008年10月2日
- ^ 「シンエイ動画株式会社の100%子会社化のお知らせ」 テレビ朝日 IRニュース、2010年10月6日
- ^ SynergySP About
- ^ シンエイ動画がパペットのTVアニメシリーズ、映画祭常連の見里朝希監督を起用
- ^ 「スクリーンにかかったテレビアニメーション 東宝チャンピオンまつり」『キネ旬ムック 動画王 Vol.7』キネマ旬報社、1998年、p131
- ^ 白石雅彦編著『平成ゴジラ大全1984~1995』双葉社、2003年、p38
- ^ 原恵一、浜野保樹編著『アニメーション監督 原恵一』晶文社、2005年、p31
- ^ “ジャングルはいつもハレのちグゥ : 作品情報”. アニメハック. 2020年12月2日閲覧。
- ^ “からかい上手の高木さん : 作品情報”. アニメハック. 2020年5月13日閲覧。
- ^ ~特命!沿線ご案内係~「西武鉄道駅員タコちゃん」発進! (PDF, 西武鉄道・シンエイ動画 2011年4月14日)
参考文献編集
関連項目編集
- 東京ムービー・トムス・エンタテインメント
- スタジオディーン - 1970年代末より1990年代までシンエイ動画作品の下請け・グロス請け・実制作を担当。
- 京都アニメーション - 1980年代後半よりシンエイ動画作品の下請けを担当。2005年以降はクレヨンしんちゃんのみ担当
- テレ朝チャンネル・AbemaTV - テレ朝チャンネル「シンエイアニメシアター」
- 小学館 - Aプロダクション設立当初から親しい関係にある。
- ADKホールディングス - 多くの作品の広告代理店を担当。
- バンダイナムコアーツ(バンダイビジュアル) - 多くの作品のビデオの発売を担当。
- オーディオ・プランニング・ユー - 2000年代まで独占的に音響制作を担当。2014年以降の新作は同業他社のHALF H・P STUDIOなどが手掛けるケースも増えている。
- 亜細亜堂 - シンエイ動画から独立
- エクラアニマル - (旧・あにまる屋)シンエイ動画から独立
- アセンション - シンエイ動画から独立
- SynergySP - 子会社、一部の作品の実制作も担当