鳴海 四郎(なるみ しろう、1917年9月3日 - 2004年10月7日)は、日本の英文学者、英米演劇研究家、翻訳家。本名は鳴海 弘

テネシー・ウィリアムズエドワード・オールビーニール・サイモンの戯曲やアガサ・クリスティなどの小説を翻訳した。文学座座友。

略歴

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1919年新潟県長岡市に、1922年に東京市に移り関東大震災に遭う。東京府立第五中学校東京商科大学予科を経て、1940年に東京商科大学(現・一橋大学)卒業。会社員となるがアマチュア演劇団体に所属。

1944年弘前市歩兵連隊に応召。敗戦後、田舎にこもる。1949年帰京。1951年慶應義塾高校教諭、コロンビア大学に留学。1952年帰国、文学座の文芸演出部員となる。1954年立教大学一般教養部講師、1957年助教授、1962年文学部助教授。

1973年文学座を退団。1983年立教大学定年、国際商科大学教授、校名変更で東京国際大学教授。

エピソード

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指揮者の若杉弘慶應義塾大学経済学部に進学を決めた際、鳴海に「本当にそれでよいのか」と諭され、結局音楽への思いを断ち切れずに中退、東京芸術大学指揮科に入学したと語っている(「音楽之友」インタビュー記事)。

翻訳

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