和田孝志
和田 孝志(わだ たかし、1970年10月7日 - )は、埼玉県春日部市出身の元プロ野球選手(投手)。
拓殖大学紅陵高等学校硬式野球部 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 埼玉県春日部市 |
生年月日 | 1970年10月7日(54歳) |
身長 体重 |
177 cm 75 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 右投右打 |
ポジション | 投手 |
プロ入り | 1992年 ドラフト3位 |
初出場 | 1996年9月7日 |
最終出場 | 2002年10月6日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
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指導者歴 | |
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この表について
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来歴・人物
編集拓大紅陵高では高橋憲幸と投の二本柱を組み活躍するが、肩の故障もあって3年生時には控えに回る。1988年夏の甲子園には一塁手として出場。2回戦(初戦)で松山商を降すが、3回戦で浜松商に惜敗。高校の2学年先輩に飯田哲也と佐藤幸彦がおり、佐藤とはプロで再びチームメイトとなる。
東洋大に進学。東都大学リーグでは、2年時の1990年春季リーグで優勝した亜大の4年生エース小池秀郎と投げ合い、リーグ10人目のノーヒットノーランを達成する。翌1991年春季リーグでは同季リーグMVPの1年銭場一浩とともに投手陣の中軸となり優勝に貢献。直後の全日本大学選手権2回戦(初戦)で佛教大に思わぬ敗退を喫した。リーグ通算49試合登板、14勝15敗、防御率2.68、172奪三振。大学の1学年先輩に桧山進次郎と徳田吉成、1学年後輩に関口伊織、3学年後輩に清水隆行と川中基嗣と塩崎真がいた(塩崎は中退)。
1993年、ドラフト3位で千葉ロッテマリーンズに入団。1995年は1A・バイセイリア・オークスに野球留学した。二軍暮らしが長かったが1996年に一軍初登板。2000年には主に中継ぎで21試合に登板、翌2001年にも自己最高の38試合に登板するが、2002年は登板機会が減少し、同年限りで現役引退。
引退後はロッテのチームスタッフとしてスコアラー、打撃投手、査定を担当。2005年の日本一を経験し同年退団、飲食業の道へ。
H・Iグループ(社長は石井浩郎)を経て、渋谷宮益坂に和食ダイニング「美醤(びしょう)」を2007年6月開業[1]。また、ハタケヤマのスーパーバイザーも勤める[2]。
2009年にはロッテの二軍投手コーチ補佐を務めた。
2019年8月7日、母校である拓大紅陵高校野球部の監督に就任した[3]。
詳細情報
編集年度別投手成績
編集年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
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1996 | ロッテ | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 21 | 5.1 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0.00 | 1.13 |
1999 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 34 | 9.0 | 5 | 0 | 4 | 0 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0.00 | 1.00 | |
2000 | 21 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | -- | .500 | 210 | 50.0 | 44 | 6 | 19 | 2 | 1 | 35 | 3 | 0 | 21 | 20 | 3.60 | 1.26 | |
2001 | 38 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 301 | 68.0 | 67 | 10 | 32 | 1 | 3 | 42 | 2 | 0 | 38 | 35 | 4.63 | 1.46 | |
2002 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 19 | 5.0 | 4 | 1 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 3 | 1 | 1.80 | 1.00 | |
通算:5年 | 72 | 4 | 0 | 0 | 0 | 2 | 3 | 0 | -- | .400 | 585 | 137.1 | 125 | 17 | 57 | 3 | 4 | 91 | 6 | 1 | 63 | 56 | 3.67 | 1.33 |
記録
編集- 初登板:1996年9月7日、対オリックス・ブルーウェーブ21回戦(グリーンスタジアム神戸)、8回裏2死から3番手として救援登板・完了、1/3回無失点
- 初奪三振:同上、8回裏に高田誠から
- 初先発:2000年8月6日、対大阪近鉄バファローズ19回戦(大阪ドーム)、6回2失点で敗戦投手
- 初勝利:2000年8月29日、対福岡ダイエーホークス22回戦(千葉マリンスタジアム)、4回表1死から2番手として救援登板、3回2/3を無失点
背番号
編集- 26 (1993年 - 2002年)
- 111 (2003年)
- 82 (2009年)
脚注
編集- ^ 日刊スポーツ (2010年4月15日). “元ロッテ・和田孝志「和ダイニング美醤」/引退後記”. 2011年3月8日閲覧。
- ^ [1]
- ^ “拓大紅陵新監督に元ロッテ和田孝志氏就任 名門託す”. 日刊スポーツ(2019-08-07作成). 2019年8月7日閲覧。
関連項目
編集外部リンク
編集- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference