ジエゴ・タルデッリ・マルチンス
ジエゴ・タルデッリ (Diego Tardelli) こと、ジエゴ・タルデッリ・マルチンス(Diego Tardelli Martins, 1985年5月10日 - )は、ブラジル・サンタ・バルバラ・ドエステ出身のサッカー選手。元ブラジル代表。ポジションはフォワード。
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名前 | ||||||
本名 |
ジエゴ・タルデッリ・マルチンス Diego Tardelli Martins | |||||
ラテン文字 | DIEGO TARDELLI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ブラジル | |||||
生年月日 | 1985年5月10日(39歳) | |||||
出身地 | サンタ・バルバラ・ドエステ | |||||
身長 | 179cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | FW | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
2001-2003 | ウニオン・バルバレンセ | |||||
2003-2004 | サンパウロ | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2004-2007 | サンパウロ | 90 | (18) | |||
2005-2006 | → ベティス (loan) | 12 | (0) | |||
2006 | → サンカエターノ (loan) | 7 | (1) | |||
2006-2007 | → PSV (loan) | 13 | (3) | |||
2008 | フラメンゴ | 16 | (0) | |||
2009-2011 | アトレチコ・ミネイロ | 114 | (73) | |||
2011-2012 | アンジ・マハチカラ | 13 | (0) | |||
2012-2013 | アル・ガラファ | 24 | (13) | |||
2013-2014 | アトレチコ・ミネイロ | 50 | (17) | |||
2015-2018 | 山東魯能 | 73 | (41) | |||
2019 | グレミオ | 35 | (5) | |||
2020-2021 | アトレチコ・ミネイロ | 9 | (2) | |||
2021 | サントスFC | 12 | (1) | |||
代表歴2 | ||||||
2005 | ブラジル U-20 | 2 | (0) | |||
2009-2017 | ブラジル | 14 | (3) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2021年12月11日現在。 2. 2016年5月21日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ジエゴ・タルデリと表記されることもある。
経歴
編集クラブ
編集サンパウロFCのユース出身で2003年にトップチームでデビュー。早くから才能を高く評価されていて、2005年のコパ・リベルタドーレスやワールドユースなどの舞台でゴールを挙げている。
2005年12月、リーガ・エスパニョーラのレアル・ベティスにレンタル移籍するも無得点と結果を出せず、レンタル期間を切り上げられブラジルのADサンカエターノへ再レンタル移籍される。翌シーズンにはオランダのPSVアイントホーフェンにレンタル移籍するが、リーグ優勝するチームとは裏腹にここでも結果を出せずに終わる。その後、サンパウロに復帰するが、以前のような輝きを見せる事が出来ずに出場機会は限られていった。
2008年1月、CRフラメンゴに移籍するがここでもなかなか結果が出せず、同年8月に右腕に大怪我を負い長期の離脱を余儀なくされる。約四ヶ月間の治療、リハビリの後に復帰するが、そこでもアピールに乏しい活躍しか出来ずわずか1年でフラメンゴを退団する。
2009年1月にアトレチコ・ミネイロに移籍。ここで復活を果たし、アドリアーノと共に全国選手権の得点王(19ゴール)となる。この活躍ぶりにセレソンの監督のドゥンガはセレソンに初招集、またヨーロッパのクラブからも再び注目を浴びた。
2011年3月、ロシア・プレミアリーグに所属するFCアンジ・マハチカラへ移籍。契約期間は4年[1] で、移籍金は未公表ながらも750万ユーロと伝えられた[2] が、リーグ戦では13試合出場の無得点に終わった。
2015年1月17日、中国サッカー・スーパーリーグの山東魯能へ完全移籍することが発表された[3][4]。移籍金は550万ユーロ (約7億5000万円) 。2018年10月28日、上海上港戦前の国歌斉唱中に、下を向き顔を触っていたとして1試合の出場停止処分を受けた[5]。
2019年2月12日、グレミオFBPAに3年契約で移籍した[6]。
2020年2月12日、アトレチコ・ミネイロに復帰した。
代表
編集2014年10月11日に北京で行われたスーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカスのアルゼンチン戦で代表初ゴールを含む2ゴールを挙げた[7]。
代表歴
編集出場大会
編集- U-20ブラジル代表
- 2005年 - FIFAワールドユース選手権
- ブラジル代表
- 2015年 - コパ・アメリカ
試合数
編集国際Aマッチ 10試合 3得点 (2009年 - )
ブラジル代表 | 国際Aマッチ | |
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年 | 出場 | 得点 |
2009 | 4 | 0 |
2010 | 1 | 0 |
2014 | 4 | 2 |
2015 | 1 | 1 |
通算 | 10 | 3 |
得点
編集# | 開催年月日 | 開催地 | 対戦チーム | スコア | 結果 | 試合概要 |
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1. | 2014年10月11日 | 北京 | アルゼンチン | 1-0 | ○ 2-0 | スーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカス |
2. | 2-0 | |||||
3. | 2015年6月6日 | サンパウロ | メキシコ | 2-0 | ○ 2-0 | 親善試合 |
タイトル
編集クラブ
編集- カンピオナート・パウリスタ:2005
- コパ・リベルタドーレス:2005
- カンピオナート・ブラジレイロ:2007
- エールディヴィジ:2006-07
- カンピオナート・カリオカ:2008
- タッサ・グアナバラ:2008
- カンピオナート・ミネイロ:2010
個人
編集脚注
編集- ^ «Анжи» подписал с Тарделли контракт на четыре года
- ^ Report: Diego Tardelli Completes €7.5m Move To Russian Club Anzhi
- ^ 迭戈•塔尔德利正式签约鲁能 山東魯能泰山足球倶楽部 2015年1月17日
- ^ 現役ブラジル代表FWジエゴ・タルデッリが中国の山東魯能へ移籍 soccerking 2015年1月18日
- ^ “ジエゴ・タルデッリ、中国国歌斉唱中に顔を触り1試合出場停止に”. サッカーキング (2018年11月2日). 2021年5月30日閲覧。
- ^ “山東魯能の元ブラジル代表FWジエゴ・タルデリがグレミオに完全移籍”. 超ワールドサッカー (2019年2月14日). 2021年5月30日閲覧。
- ^ D・タルデッリ、セレソン初ゴールに歓喜