サッカーメキシコ代表
サッカーメキシコ代表(サッカーメキシコだいひょう)は、メキシコサッカー連盟(FEMEXFUT)によって構成される、メキシコのサッカーのナショナルチームである。
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国または地域 |
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協会 | メキシコサッカー連盟 | |||
FIFAコード | MEX | |||
愛称 |
Los Tricolores El Tri | |||
監督 |
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最多出場選手 | アンドレス・グアルダード(181試合) | |||
最多得点選手 | ハビエル・エルナンデス(52得点) | |||
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初の国際試合 |
1923年1月1日対グアテマラ 3-2 | |||
最大差勝利試合 |
1987年4月28日対バハマ 13-0 | |||
最大差敗戦試合 |
1961年5月10日対イングランド 0-8 | |||
FIFAワールドカップ | ||||
出場回数 | 17回(初出場は1930) | |||
最高成績 | ベスト8 (1970, 1986) | |||
CONCACAFゴールドカップ | ||||
出場回数 | 24回 | |||
最高成績 | 優勝 (1965, 1971, 1977, 1993, 1996, 1998, 2003, 2009, 2011,2015, 2019) | |||
ホームスタジアムは、首都・メキシコシティにあるエスタディオ・アステカ。アメリカ代表との対戦は北アメリカ・ダービー(または北中米ダービー)と呼ばれる。
歴史編集
メキシコは北中米を代表する強豪国として知られ、1930年のFIFAワールドカップ第1回大会に参加して以来、これまでヨーロッパと南米以外の国では最多となる17回のワールドカップ出場を果たしている。自国開催の1970年大会と1986年大会ではいずれもベスト8に輝き、1994年以降の7大会連続で決勝トーナメント進出を果たすなど存在感を発揮してきた。その一方でワールドカップにおける通算最多敗戦記録(28敗、2022年大会終了時点、決勝トーナメントにおけるPK戦敗退2を除く)も記録している。また、南米の大陸選手権コパ・アメリカには招待国扱いながら1993年から全ての大会に出場しており、準優勝2回、3位が3回と好成績を収めている。
2010年代編集
2011年のコパ・アメリカでは開幕直前まで2011 CONCACAFゴールドカップが開催されていた影響で翌年のロンドンオリンピックに向けたU-22代表として参加した。しかし、直前のキャンプ地であるエクアドルの首都キトのホテルでコールガールを呼びパーティーを開いていたことで8人の選手が、メキシコサッカー連盟によって6か月の出場停止及びそれぞれ50,000ペソの罰金が科せられた[1][2]。メンバーはジョナタン・ドス・サントス、マルコ・ファビアン、イスラエル・ヒメネス、ネストル・ビドリオ、ホルヘ・エルナンデス、ハビエル・コルテス 、ダビド・カブレラ、ネストル・カルデロン。これら8人の代わりに、アラン・プリード、ウリセス・ダビラ、オスワルド・アラニス、クリスチャン・アルバレス、ディエゴ・デ・ブエン、アントニオ・ガヤルド、エドガル・パチェコ、カルロス・オランティアがメンバー入りした[3]。
FIFAW杯2014年大会北中米カリブ海3次予選では本大会出場を決めたグループ上位3カ国(アメリカ、コスタリカ、ホンジュラス)から1勝も挙げられないなど苦戦を強いられ、最終節前でグループ4位で(3位以上が本大会出場権獲得、4位が大陸間プレーオフ)最終節の結果次第では8大会ぶりの予選敗退(1990年大会は失格)でW杯に出場できなくなる可能性も残していた。結果、最終戦ではアウェーでコスタリカに1-2で敗れたものの、勝利で4位浮上の可能性があったパナマがホームでアメリカに2-3と敗れたため、メキシコが4位となり予選敗退を免れ、大陸間プレーオフへと進むことになった。尚、この北中米カリブ海3次予選では10試合の間に3人の代表監督が更迭されている。大陸間プレーオフでは、ニュージーランドを2試合合計9-3と圧倒し6大会連続の出場を決めた[4]。その本大会では、グループAでクロアチア、カメルーンに勝利し開催国のブラジルにはスコアレスドローと2勝1分、グループ2位で決勝トーナメントに進出した。決勝トーナメント1回戦ではオランダに先制点を挙げたものの、後半終了間際に逆転され1-2で敗れ6大会連続のベスト16となった。
2018年大会の北中米カリブ海5次予選では上述の前大会とは対照的に確実に勝ち点を積み重ね、グループ1位で同地区一番乗りで本大会出場を決めた。本大会ではグループFに入り、初戦のドイツをイルビング・ロサノのゴールにより1-0で勝利する金星を挙げ、2戦目の韓国も2-1で勝利。3戦目のスウェーデン戦を0-3で大敗したが、同時刻に行われた韓国-ドイツ戦でドイツが敗れたため、グループ2位で決勝トーナメントに進出した。決勝トーナメント1回戦でブラジルに0-2で敗れ、7大会連続のベスト16で大会を終えた。
2020年代編集
2022 FIFAワールドカップではグループCに入り、初戦でポーランドと対戦した。ロベルト・レヴァンドフスキのPKをギジェルモ・オチョアが阻止するなど、得点は無かったものの守備陣の粘り強さが光り0-0で勝ち点1を獲得[5]。続くアルゼンチン戦でリオネル・メッシのゴールを含む0-2で敗戦したため、自力での決勝トーナメント進出が消滅した[6]。勝利以外ではグループリーグ敗退が確定する3戦目のサウジアラビア戦では後半に先制点を奪うと、5分後にもルイス・チャベスの直接FKで追加点を奪った。この時点でポーランドと得失点差で並んだため、あと1点取れば8大会連続の決勝トーナメント進出が決まるが度重なるオフサイドで3点目は奪えず、逆に試合終了間際にサーレム・アッ=ドーサリーのゴールによって失点を喫した。その結果、試合には2-1で勝利したものの得失点差でポーランドを下回ったため8大会連続の決勝トーナメント進出とはならなかった[7]。
成績編集
FIFAワールドカップ編集
開催国 / 年 | 成績 | 試 | 勝 | 分 | 負 | 得 | 失 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1930 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 4 | 13 |
1934 | 予選敗退 | ||||||
1938 | 棄権 | ||||||
1950 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 10 |
1954 | 2 | 0 | 0 | 2 | 2 | 8 | |
1958 | 3 | 0 | 1 | 2 | 1 | 8 | |
1962 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 4 | |
1966 | 3 | 0 | 2 | 1 | 1 | 3 | |
1970 | ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 6 | 4 |
1974 | 予選敗退 | ||||||
1978 | 1次リーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 2 | 12 |
1982 | 予選敗退 | ||||||
1986 | ベスト8 | 5 | 3 | 2 | 0 | 6 | 2 |
1990 | 予選失格処分 | ||||||
1994 | ベスト16 | 4 | 1 | 2 | 1 | 4 | 4 |
1998 | 4 | 1 | 2 | 1 | 8 | 7 | |
2002 | 4 | 2 | 1 | 1 | 4 | 4 | |
2006 | 4 | 1 | 1 | 2 | 5 | 5 | |
2010 | 4 | 1 | 1 | 2 | 4 | 5 | |
2014 | 4 | 2 | 1 | 1 | 5 | 3 | |
2018 | 4 | 2 | 0 | 2 | 3 | 6 | |
2022 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 2 | 3 |
合計 | 出場17回 | 63 | 17 | 15 | 28 | 62 | 101 |
コパ・アメリカ編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
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1993 | 準優勝 | 6 | 2 | 2 | 2 | 8 | 7 |
1995 | ベスト8 | 4 | 1 | 2 | 1 | 5 | 4 |
1997 | 3位 | 6 | 2 | 2 | 2 | 8 | 9 |
1999 | 6 | 3 | 1 | 2 | 10 | 9 | |
2001 | 準優勝 | 6 | 3 | 1 | 2 | 7 | 5 |
2004 | ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 5 | 7 |
2007 | 3位 | 6 | 4 | 1 | 1 | 13 | 5 |
2011 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 4 |
2015 | 3 | 0 | 2 | 1 | 4 | 5 | |
2016 | ベスト8 | 4 | 2 | 1 | 1 | 6 | 9 |
2019 | 不参加 | ||||||
合計 | 10/10 | 48 | 19 | 13 | 16 | 67 | 64 |
FIFAコンフェデレーションズカップ編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1992 | 不出場 | ||||||
1995 | 3位 | 3 | 1 | 2 | 0 | 4 | 2 |
1997 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 8 | 6 |
1999 | 優勝 | 5 | 4 | 1 | 0 | 13 | 6 |
2001 | グループリーグ敗退 | 3 | 0 | 0 | 3 | 1 | 8 |
2003 | 不出場 | ||||||
2005 | 4位 | 5 | 2 | 2 | 1 | 7 | 6 |
2009 | 不出場 | ||||||
2013 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 0 | 2 | 3 | 5 |
2017 | 4位 | 5 | 2 | 0 | 3 | 8 | 10 |
合計 | 7/10 | 27 | 11 | 5 | 11 | 43 | 44 |
CONCACAFゴールドカップ編集
開催年 | 結果 | 試合 | 勝利 | 引分 | 敗戦 | 得点 | 失点 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
1963 | グループリーグ敗退 | 3 | 1 | 1 | 1 | 9 | 2 |
1965 | 優勝 | 5 | 4 | 1 | 0 | 13 | 2 |
1967 | 準優勝 | 5 | 4 | 0 | 1 | 10 | 1 |
1969 | 4位 | 5 | 1 | 2 | 2 | 4 | 5 |
1971 | 優勝 | 5 | 4 | 1 | 0 | 6 | 1 |
1973 | 3位 | 5 | 2 | 2 | 1 | 10 | 5 |
1977 | 優勝 | 5 | 5 | 0 | 0 | 20 | 5 |
1981 | 3位 | 5 | 1 | 3 | 1 | 6 | 3 |
1985 | 1986ワールドカップ開催国のため不参加 | ||||||
1989 | 失格 | ||||||
1991 | 3位 | 5 | 3 | 1 | 1 | 10 | 5 |
1993 | 優勝 | 5 | 4 | 1 | 0 | 28 | 2 |
1996 | 4 | 4 | 0 | 0 | 9 | 0 | |
1998 | 4 | 4 | 0 | 0 | 8 | 2 | |
2000 | ベスト8 | 3 | 1 | 1 | 1 | 6 | 3 |
2002 | 3 | 2 | 1 | 0 | 4 | 1 | |
2003 | 優勝 | 5 | 4 | 1 | 0 | 9 | 0 |
2005 | ベスト8 | 4 | 2 | 0 | 2 | 7 | 4 |
2007 | 準優勝 | 6 | 4 | 0 | 2 | 7 | 5 |
2009 | 優勝 | 6 | 5 | 1 | 0 | 15 | 2 |
2011 | 6 | 6 | 0 | 0 | 22 | 4 | |
2013 | ベスト4 | 5 | 3 | 0 | 2 | 8 | 5 |
2015 | 優勝 | 6 | 4 | 2 | 0 | 16 | 6 |
2017 | 3位 | 5 | 3 | 1 | 1 | 6 | 2 |
2019 | 優勝 | 6 | 3 | 3 | 0 | 16 | 2 |
合計 | 23/24 | 111 | 74 | 22 | 15 | 247 | 67 |
オリンピック編集
歴代記録編集
出場数ランキング編集
位 | 名前 | 試合数 | 期間 |
---|---|---|---|
1 | アンドレス・グアルダード | 181 | 2005- |
2 | クラウディオ・スアレス | 179 | 1992-2006 |
3 | パベル・パルド | 146 | 1996-2009 |
ヘラルド・トラード | 1999-2013 | ||
ラファエル・マルケス | 1997-2018 | ||
6 | ホルヘ・カンポス | 130 | 1991-2004 |
7 | カルロス・サルシド | 124 | 2004-2014 |
8 | ラモン・ラミレス | 121 | 1991-2000 |
9 | クアウテモク・ブランコ | 120 | 1995-2014 |
10 | アルベルト・ガルシア・アスペ | 109 | 1988-2002 |
得点数ランキング編集
位 | 名前 | 得点数 | 試合数 | 期間 |
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1 | ハビエル・エルナンデス | 52 | 109 | 2009- |
2 | ハレド・ボルヘッティ | 46 | 89 | 1997-2008 |
3 | クアウテモク・ブランコ | 39 | 120 | 1995-2014 |
4 | ルイス・エルナンデス | 35 | 85 | 1995-2002 |
カルロス・エルモシージョ | 90 | 1984-1994 | ||
6 | エンリケ・ボルハ | 31 | 65 | 1966-1975 |
7 | ルイス・ホベルト・アウヴェス | 30 | 84 | 1988-2001 |
8 | ルイス・フローレス | 29 | 62 | 1983-1993 |
ルイス・ガルシア | 78 | 1991-1999 | ||
ウーゴ・サンチェス | 58 | 1977-1998 | ||
ラウル・ヒメネス | 101 | 2013- |
歴代監督編集
- ボラ・ミルティノビッチ 1982-1986
- セサル・ルイス・メノッティ 1991-1992
- ミゲル・メヒア・バロン 1992-1995
- ボラ・ミルティノビッチ 1995-1997
- マヌエル・ラプエンテ 1997-2000
- エンリケ・メサ 2000-2001
- ハビエル・アギーレ 2001-2002
- リカルド・ラボルペ 2002-2006
- ウーゴ・サンチェス 2006-2008
- ヘスス・ラミレス 2008
- スヴェン・ゴラン・エリクソン 2008-2009
- ハビエル・アギーレ 2009-2010
- エンリケ・メサ 2010.8.11
- エフライン・フローレス 2010.9
- ホセ・マヌエル・デ・ラ・トーレ 2010.10-2013.9
- ルイス・フェルナンド・テナ 2013.9
- ビクトル・マヌエル・ブセティッチ 2013.9-10
- ミゲル・エレーラ 2013.10-2015.7
- フアン・カルロス・オソリオ 2015.10-2018.7
- ヘラルド・マルティーノ 2019-2022
歴代選手編集
代表選手の多くは国内のメキシカンサッカーリーグに所属し(2006年W杯の代表選手では海外所属選手は4人、10年は9人、14年は8人)、欧州のトップリーグで成功した選手もあまり多くない。リーグ自体のレベルが高いため国内でも経験を積めることもあるが、国内強豪チームは経営も好調で待遇も良く選手たちにもあえて海外に移籍するメリットが少なかった。そのことが経験不足につながっているとの指摘もある。
これまで欧州挑戦で最も成功した選手はレアル・マドリードのエースストライカーであったウーゴ・サンチェスで、近年ではラファエル・マルケスが成功を収め、FCバルセロナの主力選手としてUEFAチャンピオンズリーグ優勝を果たしたことで母国は大いに沸いた。
W杯の大会メンバー編集
主な代表選手編集
GK
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DF
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MF
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FW
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脚注編集
- ^ “Copa America: Mexican national team players suspended for hiring prostitutes”. ワシントン・ポスト. (2011年6月30日) 2021年6月15日閲覧。
- ^ Kim McCauley (2011年6月28日). “Eight Players Sent Home From Mexico's Copa America Squad In Prostitution Scandal”. FMF State of Mind 2021年6月15日閲覧。
- ^ Ryan Rosenblatt (2011年6月28日). “Eight Mexico Players Kicked Off Copa America Team In Prostitution Scandal”. en:SB Nation 2021年6月15日閲覧。
- ^ “メキシコがニュージーランド退け本大会出場、W杯大陸間プレーオフ”. AFPBB News (2013年11月20日). 2018年3月15日閲覧。
- ^ “メキシコの守護神オチョアが魂のPKストップ!レヴァンドフスキ擁するポーランドにゴール許さずスコアレスドロー”. Goal.com (2022年11月23日). 2022年12月3日閲覧。
- ^ “【動画】逆境のアルゼンチンを救ったのはやはりメッシ!鮮やかミドルシュートでメキシコ撃破”. Goal.com (2022年11月27日). 2022年12月3日閲覧。
- ^ “メキシコ、サウジアラビア下し今大会初勝利も…得失点差で8大会連続決勝トーナメント進出ならず!”. Goal.com (2022年12月1日). 2022年12月3日閲覧。