影山日出夫
日本のジャーナリスト
影山 日出夫(かげやま ひでお、1953年9月17日 - 2010年8月12日)は、日本のジャーナリスト。
影山 日出夫 | |
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生誕 |
1953年9月17日[1] 京都府京都市[1] |
死没 |
2010年8月12日 東京都[2] |
教育 | 早稲田大学卒業 |
職業 | NHK解説副委員長[3] |
代表経歴 |
『おはよう日本』(編集責任者) 『日曜討論』(司会) |
経歴
編集京都府京都市出身で、京都教育大学附属京都小学校、同中学校、京都教育大学教育学部附属高等学校[4]を経て、早稲田大学政治経済学部で内田満に学ぶ[5]。
大学卒業後の1976年(昭和51年)にNHKへ入局して福岡放送局[3]を経て、1982年に政治部記者[6]となり内閣総理大臣官邸と自由民主党[7]をそれぞれ担当した。
政治部副部長、『おはよう日本』編集責任者を務めたのち、2000年に解説委員[6]となった。解説委員室では政治を担当[8]し、『あすを読む』[6]で解説、『日曜討論』の司会、2008年から解説副委員長[3]などを務めた。
2010年(平成22年)8月11日に、東京都渋谷区神南のNHK放送センター内のトイレ個室で首吊り自殺を図り、8月12日午後に搬送先の病院で56歳で死去した[2]。
主な出演番組
編集- クローズアップ現代 (NHK)
- あすを読む (NHK)
- 浮揚なるか森新政権(2000年7月4日)
- 森色は発信されたか(2000年7月28日)
- 民主党・若さの正負(2000年8月21日)
- 再考 政治とカネ(2000年9月7日)
- 急浮上の参院選改革(2000年9月18日)
- 論戦不在の対決国会(2000年10月10日)
- 混迷深める対決国会(2000年10月18日)
- 森政権の行方と世論(2000年11月13日)
- 政局第二幕の展開(2000年11月21日)
- 始動する霞が関改革(2000年12月19日)
- 問われる1票の格差(2000年12月25日)
- 政界再々編の可能性(2001年1月9日)
- 機密費流用の暗部(2001年1月25日)
- 首相批判再燃と政局(2001年2月16日)
- 後継首相選びの構図(2001年3月26日)
- 教科書と歴史認識(2001年4月3日)
- 総裁選挙と政策路線(2001年4月18日)
- 小泉内閣の実行力(2001年5月7日)
- 政界新地図の予兆(2001年5月22日)
- 特殊法人と構造改革(2001年6月22日)
- 小泉政治の中間決算(2001年6月29日)
- 首相公選制の論点(2001年7月13日)
- 小泉改革と選挙構図(2001年7月18日)
- スタジオパークからこんにちは (NHK)
- 勲章は身近になるか(2000年10月25日)
- 日曜討論 (NHK)
- 教育改革をどうする(2000年12月17日)
- 小泉改革を問う(2001年5月20日)
- 再生なるか日本経済“骨太の方針”を問う(2001年6月24日)
- 憲法記念日特集 (NHK)
- 教育・迫られる改革(2001年5月3日)
- 参院選特集 (NHK)
- 「政党討論」(2001年7月22日)
- 特集・あすを読む(NHK、不定期)
- 選挙開票速報(NHK、2007年)
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番組制作
編集- おはよう日本 - 編集責任者
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脚注
編集- ^ a b 『日刊スポーツ』2010年8月13日付文化芸能面に経歴紹介が掲載。
- ^ a b 自殺図った解説委員が死去 NHK「日曜討論」司会者 47NEWS 【共同通信】 - archive.today(2015年5月22日アーカイブ分)
- ^ a b c 自殺図ったNHK・影山解説副委員長が死去 読売新聞 2010年8月12日
- ^ 「全国有力高の人材力と学力」『AERA』2006年3月13日号
- ^ 『改革者,第558~569号』民主社会主義研究会議、2007年、5・56〜57項
- ^ a b c “第3回 市長フォーラム” (PDF). 日本都市センター. pp. p. 2 (2005年). 2010年8月12日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 首吊りから1日…NHK影山解説委員死去 日刊スポーツ 2010年8月13日
- ^ 解説委員紹介 NHK解説委員室 NHK 2010年8月12日
関連項目
編集- NHK解説委員室
- 今井環(前NHK理事) - 同期入局
- 自殺・自決・自害した日本の著名人物一覧