張 呈棟漢音読み: ちょう ていとう、簡体字中国語: 张呈栋繁体字中国語: 張呈棟拼音: Zhāng Chéngdòng英語: Zhang Chengdong1989年2月9日 - )は、中華人民共和国河北省保定市出身のサッカー選手中国スーパーリーグ河北華夏幸福所属。ポジションはディフェンダーミッドフィールダーフォワード

張呈棟
名前
愛称 破壊輪
カタカナ ジャン・チェンドン
ラテン文字 ZHANG Chengdong
基本情報
国籍 中華人民共和国の旗 中華人民共和国
生年月日 (1989-02-09) 1989年2月9日(35歳)
出身地 河北省保定市
身長 189cm
体重 80kg
選手情報
在籍チーム 中華人民共和国の旗 河北華夏幸福
ポジション DF (RSB) / MF (RWG) / FW (CF)
背番号 28
利き足 右足
ユース
1994-2006 中華人民共和国の旗 遼寧宏運
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2006-2008 中華人民共和国の旗 遼寧宏運 9 (2)
2009-2013 ポルトガルの旗 マフラ 28 (4)
2010-2011 ポルトガルの旗 レイリア (loan) 14 (2)
2011-2012 ポルトガルの旗 ベイラ・マル (loan) 26 (6)
2012-2013 ドイツの旗 ブラウンシュヴァイク (loan) 12 (0)
2013-2016 中華人民共和国の旗 北京国安 62 (2)
2015-2016 スペインの旗 ラージョ・バジェカーノ (loan) 1 (0)
2017- 中華人民共和国の旗 河北華夏幸福 0 (0)
代表歴2
2011- 中華人民共和国の旗 中国 23 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2016年10月30日現在。
2. 2016年10月30日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

経歴 編集

クラブ 編集

遼寧宏運出身で、2004年にはACミランでトレーニングを受けている。

2006年5月21日,17歳の張は山東魯能戦(0-5)でプロデビュー。その後3シーズンでリーグ戦9試合出場し、U19代表にも選出された。

2009年、2部降格した遼寧は張ら若手選手に安い年俸で長期契約を要求した、最終的には張と卜鑫は契約延長を拒否し退団。張は欧州移籍を希望し、7月にポルトガルの名門ベンフィカでトライアルを行ったが契約には至らず。一度帰国し全运会に参加している。

2009年9月,再度ポルトガルに渡り、2部のCDマフラと2年契約を締結。10月25日,同胞の于大宝と交代出場しデビュー。11月22日,カップ戦で初ゴールを決めた。2010年1月20日,タッサ・デ・ポルトガルベスト16で1部の名門スポルティングCP相手にハットトリックを達成し注目を集めた。同年3月,ポルトガル代表と対戦するA代表に、同じくポルトガルでプレイする王剛と共に初招集された。

2010年8月,ウニオン・レイリアにレンタル移籍、プリメイラ・リーガへのステップアップを果たした。開幕戦のSCベイラ・マル戦で81分から出場し中国人選手として初めてプリメイラ・リーガで出場した。第7節のアカデミカコインブラ戦で初ゴール。

2011年7月,にSCベイラ・マルへレンタル移籍。2011/12シーズンはリーグ戦6得点を挙げチームのトップスコアラーとなった。

2012年8月23日,ドイツ2部のブラウンシュヴァイクにレンタル移籍。しかしあまり活躍できずノーゴールに終わった。

2013年、北京国安へ完全移籍することが決まった。中国へ復帰することになった。

2015年7月21日、スペインのラージョ・バジェカーノへ期限付き移籍することを発表した。だがこの移籍に関して、中国企業の「銭宝 (Qbao.com)」とラージョ・バジェカーノがスポンサー契約を結んでいたため、スポンサーの意向を押し付けられた移籍と、当時ラージョ・バジェカーノの監督パコ・ヘメスは「(獲得は)私の要求に合うものではない」と怒りをあらわにした[1]。2015年12月5日コパ・デルレイヘタフェ戦に左SBでデビュー、12月30日にはアトレティコ・マドリード戦でDFとして途中出場し中国人として初めてリーガ・エスパニョーラに出場するなど公式戦4試合出場したが、翌年1月の移籍市場で北京国安にレンタルバックした[2]

2017年シーズンより、出身地河北省のチームである河北華夏幸福へ移籍。移籍金は中国人選手歴代最高額の1.5億人民元(約24億円)。欧州経験が長くペジェグリーニ監督や外国人選手とスペイン語、ポルトガル語でコミュニケーション取れたこともあり、主将を務めている。

ポルトガルではFWだったが、中国帰国後はサイドMFやサイドバックを主に努めている。

代表 編集

2010年3月には2011年のアジアカップへ向けてのチーム作りをしていたことや現地のポルトガルでプレーしていたこともあり、突然フル代表に抜擢されアウエーでのポルトガル代表との強化試合に挑んだ[3]。この試合には同じポルトガルのSCベイラ・マルでプレーする王剛なども参加した。アラン・ペラン就任後にレギュラーに定着し、2015アジアカップでベスト8進出に貢献した。AFCアジアカップ2019にも出場。

個人成績 編集

クラブ リーグ カップ リーグカップ 国際大会 合計
シーズン クラブ リーグ 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点 出場 得点
2006 遼寧宏運 中国超級 4 1 0 0 - - 4 1
2007 2 0 - - - 2 0
2008 3 1 - - - 3 1
2009-10 マフラ リーガ・デ・オンラ 28 4 1 3 0 0 - 29 7
2010-11 ウニオン・レイリア プリメイラ・リーガ 14 2 0 0 2 0 - 16 2
2011-12 ベイラ・マル 26 6 0 0 0 0 - 26 6
2012-13 アイントラハト・ブラウンシュヴァイク 2. ブンデスリーガ 12 0 0 0 - - 12 0
2013 北京国安 中国超級 8 0 3 0 - 0 0 11 0
2014 24 2 3 0 - 4 0 31 2
2015 8 0 1 0 - 6 0 15 0
2015-16 ラージョ・バジェカーノ ラ・リーガ 1 0 3 0 - - 4 0
2016 北京国安 中国超級 22 0 0 0 - - 22 0
合計 中華人民共和国 71 4 7 0 0 0 10 0 88 4
ポルトガル 68 12 3 3 0 0 0 0 71 15
ドイツ 12 0 0 0 0 0 0 0 12 0
スペイン 1 0 3 0 0 0 0 0 4 0
通算 152 16 13 3 0 0 10 0 175 19

代表歴 編集

出場大会 編集

脚注 編集

外部リンク 編集