スポルト・リジュボア・イ・ベンフィカポルトガル語: Sport Lisboa e Benfica)は、ポルトガルリスボンに本拠地を置く総合スポーツクラブ。特にサッカーチームが有名であるため、この項ではサッカーチームを中心に記述する。

SLベンフィカ
原語表記 Sport Lisboa e Benfica
愛称 Encarnados (赤),
Águias (ワシ),
Benfiquistas (ベンフィキスタス),
Glorioso (栄光のクラブ)
クラブカラー
創設年 1904年
所属リーグ プリメイラ・リーガ
所属ディビジョン 1部
ホームタウン リスボン
ホームスタジアム エスタディオ・ダ・ルス
収容人数 65,647
代表者 ポルトガルの旗 ルイス・フェリペ・ヴィエイラポルトガル語版
監督 ポルトガルの旗 ジョルジェ・ジェズス
公式サイト 公式サイト
ホームカラー
アウェイカラー
テンプレート(ノート)サッカークラブPJ

概要編集

1904年2月28日創設[1]FCポルトスポルティングCPとともに、ポルトガルサッカーにおけるビッグ3(トレス・グランデス)のひとつに数えられる[2]。65,647人収容のエスタディオ・ダ・ルスをホームスタジアムとしている。ヨーロッパの多くのクラブとは異なり、クラブ創設以来ずっとソシオ(ファンクラブ会員)がクラブを所有して運営している。2013年のデロイト・フットボール・マネー・リーグによると、世界で21番目に多くの収入があるサッカークラブである[3]。2009年に国際サッカー歴史統計連盟 (IFFHS) が発表した「20世紀最高のクラブ」ランキングでは第9位にランクインした[4]。毎年夏のプレシーズンにエウゼビオ・カップという親善大会を主催している。

プリメイラ・リーガ創設時(1934年)のメンバーに名を連ね、それ以来2部リーグに降格したことがない。プリメイラ・リーガでは32回、タッサ・デ・ポルトガルでは24回、タッサ・ダ・リーガでは4回優勝しており、これらはいずれもポルトガル最多である。スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラでは4回、カンペオナート・デ・ポルトガルでは3回優勝している。リーグ戦とカップ戦の2冠(ダブル)は9回達成している。1972-73シーズンにはポルトガルで初めてシーズン(30試合)無敗を達成し、1977-78シーズンには2度目のシーズン無敗を達成した。国際舞台に目を向けると、UEFAチャンピオンズカップで1960-61シーズンと1961-62シーズンに優勝しており、同大会で2連覇したことのあるポルトガル唯一のクラブである。同大会では1964-65シーズン、1967-68シーズン、1987-88シーズン、1989-90シーズンに準優勝しており、UEFAカップでは1982-83シーズンに準優勝している。欧州カップ戦の決勝出場回数(8回)はポルトガル最多である。1950年にはラテン・カップでも優勝している。1961年と1962年のインターコンチネンタルカップでは準優勝している。最後の欧州制覇が1961-62シーズンと近年欧州では低迷しているが、国内では2013-14、14-15と2連覇を達成した。

歴史編集

黎明期 (1904年 - 1934年)編集

 
前身クラブであるスポルト・リジュボアの選手

1904年2月28日、リスボンポルトガル語でリジュボア)の南西部にあるベレン地区のフランコ薬局で大学卒業生らによる集会が行なわれ、スポルト・リジュボアという名称のサッカークラブの設立が話し合われた。この集会には24人が参加し、共同設立者のひとりとなる18歳のコスメ・ダミオンも参加していた。集会中にはジョゼ・ロサ・ロドリゲスの初代会長就任が決定し、その補佐にダニエル・ブリト、会計にManuel Gourlade(後に初代監督となる)の就任が決定した。この集会ではさらに、赤色と白色をクラブカラーとすること、鷲をエンブレムに用いること、「E Pluribus Unum」(ラテン語、Out of many, oneという意味)というモットーを掲げることも決定した。創設初期はスポーツ面で成功を収めたが、マネジメント面では稚拙さを露呈し、1907年にはトップチームの何人かの選手が、金銭面の待遇の良いスポルティングCPに移籍した。19世紀末のサッカーはまだ裕福な人々によって行なわれていたスポーツだったため、設立当初のメンバーには良家の子息が多く、医者、画家、建築家、教員などが名を連ねていた[5]

1906年7月26日にはベンフィカ地区にグルポ・スポルト・ベンフィカが設立されており、1908年9月13日、スポルト・リジュボアはグルポ・スポルト・ベンフィカを吸収合併してスポルト・リジュボア・イ・ベンフィカ(SLベンフィカ)となった。スポルト・リジュボアからはクラブカラー(赤色と白色)・モットーがSLベンフィカに引き継がれ、グルポ・スポルト・ベンフィカからはグラウンド(カンポ・ダ・フェイテイラ)・主要な経営陣・クラブハウスがSLベンフィカに引き継がれた。グルポ・スポルト・ベンフィカでもっとも重要な競技チームは自転車競技チームであり、スポルト・リジュボアの鷲のエンブレムに自転車のホイールが付け加えられてSLベンフィカのエンブレムとなった[5]

ベンフィカは市南西部のベレン地区から市北部のベンフィカ地区に移転したが、グラウンドの賃貸契約が問題として残った。1913年にはカンポ・デ・セテ・リオスに移転したが、セテ・リオスの賃貸料が高額だったため、わずか4年後にはカンポ・デ・ベンフィカへの移転を余儀なくされ、1925年にはエスタディオ・ダス・アモレイラスを建設した。全国リーグ開始前のポルトガルではカンペオナート・デ・ポルトガル(現在のタッサ・デ・ポルトガル)が国内最高峰のサッカー大会とされており、ベンフィカは1929-30シーズンに同大会初優勝を飾った。サッカーチームと並行して、ローラーホッケーチーム、ラグビーチーム、バスケットボールチーム、ハンドボールチーム、ビリヤードチーム、バレーボールチームも設立された。

発達期 (1934年 - 1940年代)編集

1934年にポルトガルの全国リーグ(プリメイラ・リーガ)が開始されると、第1回大会の1934-35シーズンは優勝を逃したが、続く3シーズン(1935-36、36-37、37-38)に優勝した[6]。1940年にはタッサ・デ・ポルトガルで初優勝し、1941年にはエスタディオ・ド・カンポ・グランデに移転した。1940年代には、プリメイラ・ジヴィゾン[注釈 1]で3回(1941-42、42-43、44-45)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで4回(1939-40、42-43、43-44、47-48)優勝。この時期までに、クラブでもっとも重要な競技チームは疑うことなくサッカーチームとなった。1945-46シーズンにはCFベレネンセスがリーグ戦初優勝を遂げ、ビッグ3以外で初のポルトガル王者に輝いた[7]。ベレネンセスはベンフィカ、スポルティングに次ぐリスボン第3のクラブであり、1919年に設立されている。1940年代後半から1950年代前半にかけてはスポルティングの黄金期であり、1946-47シーズンから3連覇、1950-51シーズンから4連覇しているが、間の1949-50シーズンにはベンフィカがスポルティングのタイトル獲得を阻止した[7]。1949年5月3日にはセリエA5連覇中で「グランデ・トリノ」と称されていたACトリノ(イタリア)を招いて親善試合を行なったが、イタリアに帰国途中の飛行機が墜落して乗客全員が死亡する事故が起こった(スペルガの悲劇[7]。この事故はポルトガルでも大きく報じられ、数千人のリスボン市民がイタリア大使館まで記帳に赴いたという[7]

飛躍期と黄金期 (1950年代 - 1960年代)編集

 
1950年に獲得したラテン・カップ

1950年、エスタディオ・ナシオナルFCジロンダン・ボルドー(フランス)を下してラテン・カップを制した。ラテン・カップはスペイン、フランス、イタリア、ポルトガルの各国優勝クラブが争った大会であり、当時のヨーロッパでもっとも権威ある国際カップ戦だった。1954年にはブラジル人オットー・グロリア監督が就任し、それまでのWMフォーメーションに代わる4-2-4フォーメーションを採用したほか、サッカーがプロスポーツであるという意識をポルトガルにもたらした[8]。1950年代には強豪クラブがこぞって大規模なスタジアムを建設しており、ベンフィカも1952年にエスタディオ・ダ・ルス(2003年に完成した同名のスタジアムとは異なる)をオープンさせた[8][1]。当初40,000人収容だったスタジアムはクラブの発展とともに増築され、1980年代にはヨーロッパ最大・世界第3位の135,000人収容まで拡張されている。1950年代後半には、ストライカーのジョゼ・アグアスなどポルトガル人選手の他に、キーパーのアルベルト・ダ・コスタ・ペレイラマリオ・コルナなどモザンビーク出身選手も在籍していた。1950年代にはプリメイラ・ジヴィゾンで3回優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで6回優勝した。

UEFAチャンピオンズカップでは第1回大会の1955-56シーズンから1959-60シーズンまでレアル・マドリード(スペイン)が5連覇していたが、レアル・マドリードの6連覇を阻んだのはベンフィカだった。1959年にはハンガリー人のベーラ・グットマン監督が就任し、1960-61シーズンの同大会では1回戦でウーイペシュト・ドージャFC(ハンガリー)、準々決勝でオーフスGF(デンマーク)、準決勝でSKラピード・ウィーン(オーストリア)を破って決勝に進出。スイスのベルンで行なわれた決勝はスペイン王者のFCバルセロナ(スペイン)との対戦となり、2-2の同点から相手キーパーのアントニ・ラマレッツがオウンゴールを記録してベンフィカの初優勝が決まった[1]。1961年夏にはモザンビーク出身のエウゼビオが本格的にチームに加わり[注釈 2]、黒豹と呼ばれたエウゼビオ、コルナ、ジョゼ・アウグスト・トーレスなどで構成される攻撃陣は抜群の破壊力を誇った。1961年9月にはインターコンチネンタルカップナシオナル・モンテビデオ(ウルグアイ)と対戦したが、プレーオフの末に敗れた。1961-62シーズンのUEFAチャンピオンズカップでは1回戦でFKアウストリア・ウィーン(オーストリア)、準々決勝で1.FCニュルンベルク(ドイツ)、準決勝でトッテナム・ホットスパーFC(イングランド)を破り、2シーズン連続で決勝に進出。オランダのアムステルダムで行なわれた決勝では、アルフレッド・ディ・ステファノフェレンツ・プスカシュルイス・デル・ソルなどを擁したレアル・マドリードと対戦。プシュカーシュが前半だけでハットトリックを達成し、2点差を付けられたベンフィカは劣勢だったが、4点に絡んだエウゼビオの活躍で5-3と逆転し、大会2連覇を果たした[9]。1962年のインターコンチネンタルカップではペレを擁するサントスFC(ブラジル)と対戦したが、ホーム&アウェーともに敗れて優勝を逃した。この時代のポルトガルリーグでは植民地出身選手が何人もプレーしていたが、植民地以外の外国人選手の登録は認められていなかった[10]

1962-63シーズン、1964-65シーズン、1967-68シーズンにもUEFAチャンピオンズカップの決勝に進出したが、それぞれACミラン(イタリア)[11]インテル(イタリア)[12]マンチェスター・ユナイテッドFC(イングランド)[13]に敗れて準優勝に終わっている。1960年代にはプリメイラ・ジヴィゾンで8回(1959-60、60-61、62-63、63-64、64-65、66-67、67-68、68-69)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで3回(1960-61、63-64、68-69)優勝し、UEFAチャンピオンズカップで2回(1960-61、61-62)優勝した。1965年にはエウゼビオがバロンドールを獲得し、1968年にはフランス・フットボール誌によってヨーロッパ最高のクラブに選出された。

安定期 (1970年代 - 1994年)編集

 
1960年代から1970年代前半に活躍したエウゼビオ

1970年代には欧州カップ戦での存在感がやや薄れたが、ポルトガル国内では主役の座を維持し、プリメイラ・ジヴィゾンで6回(1970-71、71-72、72-73、74-75、75-76、76-77)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで2回(1969-70、71-72)優勝した。1970年から1974年まではイングランド人のジミー・ヘイガン監督に率いられ、ヘイガン監督指揮下で4個のタイトルを獲得した。1971-72シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは準決勝に進出してヨーロッパ中から注目を浴びたが、AFCアヤックス(オランダ)に2試合合計0-1のスコアで敗れた。1972-73シーズンのリーグ戦は30戦無敗(28勝2分)で、シーズンを無敗で終えたポルトガル初のクラブとなった[1]。このシーズンには23試合連続勝利の記録も樹立した。すでに選手経歴の晩年を迎えていたエウゼビオが40得点を挙げ、リーグ得点王に輝くとともにヨーロッパ・ゴールデンシュー(ヨーロッパ全体の得点王)にも輝いた。チーム全体では101得点を挙げたが、1シーズンで100得点を超えたのはクラブ史上2度目のことだった。1975年、33歳のエウゼビオはモザンビーク独立と時を同じくしてポルトガルを離れ、アメリカのクラブに移籍した[14]

1970年代後半から1980年代初頭にかけてのベンフィカは問題を抱えたが、1982年から1984年に指揮を執ったスウェーデン人のスヴェン・ゴラン・エリクソン監督の下で持ち直した。エリクソンが初めて海外のクラブの指揮を執ったのがベンフィカであり、就任時にはまだ34歳だった[15]。就任初年度となる1982-83シーズンには国内2冠を達成し、1982-83シーズンのUEFAカップでは決勝でRSCアンデルレヒト(ベルギー)に敗れたものの準優勝した[1]。この時期にはルスの増築工事が完成して3階席がオープンし、最大で120,000人(固定座席に限らなければ135,000人)を収容するルスはヨーロッパ最大のスタジアムとなった。1986-87シーズンには9度目のダブル(2冠)を達成したが、これが今日に至るまでの最後のダブルである。1988年から1994年には、再びUEFAチャンピオンズカップで優勝するために巨額の投資が行なわれた。1987-88シーズンと1989-90シーズンには決勝に進出したが、それぞれPSVアイントホーフェン(オランダ)[16]とミランに敗れ[1][17]、欧州カップ戦の決勝では6連敗となった。この時期にはプリメイラ・ジヴィゾンで3回(1988-89、90-91、93-94)優勝し、タッサ・デ・ポルトガルで1回(1992-93)優勝した。

暗黒期 (1994年 - 2003年)編集

1980年代にはスタジアムの増設工事に加え、UEFAチャンピオンズカップでの好成績のために巨額の投資を行なったため、クラブの財政状況が悪化し始めた。明確な獲得方針がないまま移籍金を浪費して選手を乱獲したため、契約選手数は30人を超し、さらに財政状況を圧迫した。1994年から2003年までの期間はクラブの暗黒期と言ってよい。この期間中にはプリメイラ・リーガ[注釈 3]で優勝することはできず、獲得したトロフィーは1995-96シーズンのタッサ・デ・ポルトガルの1個だけだった。さらに、2000-01シーズンのリーグ戦では6位、2001-02シーズンのリーグ戦では4位と、不満の残る成績が続いた。ジョアン・ヴァレ・エ・アゼヴェド会長時代には債務不履行に陥ってクラブの信用を失墜させ、ほとんど毎シーズンのように監督の解任を繰り返した。1994年から2002年の間には11人の監督が次々と入れ替わり、マリオ・ウィルソン監督は3度もベンフィカのベンチに座った。1995-96シーズンのタッサ・デ・ポルトガル決勝では、ベンフィカサポーターが放ったロケット花火がスポルティングサポーターを直撃、死亡するという事故が起こった[15]。2001年にはポルトガル史上最高額の1300万ユーロを支払ってシモン・サブローザを獲得。2000年秋には、マヌエル・ヴィラリーニョ会長が就任し、2001年4月にはクラブの株式会社化を行なった[15]。2001年9月28日には新しいスタジアム(スタジアム名は旧名称と同じルス)の建設を決定し、建設には最終的に1億6200万ユーロを投じた[18][19][20]

再建期 (2003年 - )編集

 
31回目の優勝を飾った2004-05シーズン
 
32回目の優勝を飾った2009-10シーズン

2003年10月には新エスタディオ・ダ・ルスに移転。同時期にルイス・フィリペ・ヴィエイラが新会長に就任し、ホセ・アントニオ・カマーチョ監督に率いられた2003-04シーズンには、タッサ・デ・ポルトガル決勝でジョゼ・モウリーニョ監督率いるポルトを破り、実に8年ぶりとなるトロフィーを獲得した。2004年にはジョバンニ・トラパットーニ監督が就任し、スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラで4回目の優勝を飾って幸先よいスタートを切ると、2004-05シーズンのリーグ戦では11年ぶりに優勝した。しかし、同シーズンにエスタディオ・D. アフォンソ・エンリケスで行なわれたヴィトーリア・ギマランイス戦では、ハンガリー代表フォワードのフェヘール・ミクローシュが試合中に倒れ、病院で死亡が確認された[1]。ルスには多くの人々が弔問に訪れ、ハンガリーで行なわれた埋葬にはヴィエイラ会長やキャプテンのヌーノ・ゴメスが参列した。フェヘールが背負っていた背番号29はクラブの永久欠番となったが、ポルトガルのクラブで永久欠番を持つのはベンフィカのみである[21]。タッサ・デ・ポルトガルでは2シーズン連続で決勝に進出したが、ヴィトーリア・セトゥーバルに敗れて2連覇を逃した。なお、同大会決勝にはポルトガル大統領が列席することが慣例となっているが、ジョルジェ・サンパイオ大統領(1996年-2006年に在職)は熱心なスポルティングファンであり、準決勝でベンフィカがスポルティングを下したことで決勝の列席を拒んだ[22]。2005-06シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではマンチェスター・U、ビジャレアルCF(スペイン)、LOSCリール・メトロポール(フランス)と同組となった。グループ突破のかかったマンチェスター・U戦に2-1で勝利し、ビジャレアルに次ぐグループ2位で決勝トーナメント進出を決めた。決勝トーナメント1回戦では前回大会王者のリヴァプールFC(イングランド)と顔を合わせたが、2試合合計3-0で準々決勝進出を決めた。準々決勝ではバルセロナと対戦し、結果的に優勝するクラブに2試合合計0-2で敗れた。

2006-07シーズンのUEFAチャンピオンズリーグでは再びマンチェスター・Uと同組となり、またもやグループ突破をかけてマンチェスター・Uと対戦したが、今度は1-3で敗れてグループリーグ敗退となった。2007-08シーズン開幕戦後にはフェルナンド・サントス監督が解任され、カマーチョ監督がクラブと2年契約を結んでベンフィカに復帰した[23]。2007-08シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ予選3回戦では、前年度のグループリーグでも対戦していたFCコペンハーゲン(デンマーク)と顔を合わせ、ホーム&アウェーの2試合ともに勝利して本選グループリーグ出場を決めた。グループリーグではミラン、FCシャフタール・ドネツク(ウクライナ)、セルティックFC(スコットランド)と対戦したが、3位でグループリーグ敗退となり、UEFAカップに回った。UEFAカップではラウンド16でヘタフェCF(スペイン)に敗れ、カマーチョ監督はその数日後に辞任した。リーグ戦ではSCブラガの後塵を拝し、トップ3でのフィニッシュを逃した。

2007-08シーズン終了後にはレジェンドのマヌエル・ルイ・コスタが現役引退し、そのままスポーツディレクターに就任[1]。手始めに元バレンシアCF監督のキケ・サンチェス・フローレスを監督に招聘すると、ホセ・アントニオ・レジェスパブロ・アイマールなどの実力者獲得に尽力した[1]。2008-09シーズンのタッサ・ダ・リーガでは決勝でスポルティングを破り、同大会初優勝を飾った。同シーズンのリーグ戦では3位となり、UEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。2009年6月8日、監督・クラブ双方合意の上で契約を解除し、キケ・フローレス監督が退任。6月17日、元SCブラガ監督のジョルジェ・ジェズスが監督に就任した。2009年夏には過去最大級の投資を行ない、ハビエル・サビオラハビ・ガルシアラミレスなどを獲得[24]パブロ・アイマールアンヘル・ディ・マリアなど既存戦力も合わさって豪華メンバーとなった。2009-10シーズンは過去最高となる1試合平均50,033人の観客を集め[25]、勝利したポルト戦ではシーズン最高の58,659人を集めた。2010年3月21日、タッサ・デ・ポルトガル決勝ではポルトに3-0で快勝し、同大会2連覇を達成した。同シーズンのUEFAヨーロッパリーグ準々決勝ではリヴァプールと対戦。ルスで行なわれたファーストレグには2-1で勝利したが、アンフィールドで行なわれたセカンドレグに1-4で敗れ、2試合合計3-5で敗退が決まった[26]。リーグ戦のホームゲームでは圧倒的な成績(14勝1分)を残し、リーグ最多得点・最少失点で32回目のリーグ優勝を決めた。UEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグの出場権を獲得し[27]、26得点を挙げたパラグアイ代表オスカル・カルドソが得点王に輝いた[28]

2010-11シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではシャルケ04(ドイツ)、オリンピック・リヨン(フランス)、ハポエル・テルアビブFC(イスラエル)と同組となり、2勝4敗の勝ち点6でグループリーグ敗退となった[29]。グループ3位枠でUEFAヨーロッパリーグに回ったが、UEFAヨーロッパリーグでは決勝トーナメント1回戦でVfBシュトゥットガルト(ドイツ)[30]、決勝トーナメント2回戦でパリ・サンジェルマンFC(フランス)[31]、準々決勝でPSV[32]を下し、欧州カップ戦では18年ぶりに準決勝に進出した。ベスト4にはポルトガルから3クラブ(ベンフィカ、ポルト、ブラガ)が残り、ブラガと対戦した準決勝では1990年以来の欧州カップ戦出場を目指したが、2試合合計2-2(アウェーゴール差)で敗退が決まった[33][34]。同シーズンのタッサ・ダ・リーガ決勝ではFCパソス・デ・フェレイラを下して3連覇を達成したが[35][36]、リーグ戦は2位に終わった。2011-12シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではマンチェスター・U、FCバーゼル(スイス)、FCオツェルル・ガラツィ(ルーマニア)と同組となり、3勝3分の負けなしで首位通過を決めた[37]。決勝トーナメント1回戦ではFCゼニト・サンクトペテルブルク(ロシア)に2試合合計4-3で勝利したが[38]、準々決勝では結果的に優勝するチェルシーFC(イングランド)に敗れた[39][40]。同シーズンのタッサ・ダ・リーガでは4連覇を果たしたが[41]、リーグ戦では再び2位に終わった。20得点を挙げたカルドソが2度目の得点王に輝いた[42]。2012-13シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ・グループリーグではバルセロナ、セルティックFC(スコットランド)、FCスパルタク・モスクワ(ロシア)と同組となったが、勝ち点8のグループ3位でUEFAカップに回った[43]

2012-13シーズンはUEFAチャンピオンズリーグのグループリーグにおいて3位となったことからUEFAヨーロッパリーグの決勝トーナメントへ出場し、決勝戦においてチェルシーFCに敗れ準優勝となった。このシーズンではリーグ戦においても優勝を勝ち点1の差で逃しており、またタッサ・デ・ポルトガルにおいても決勝でヴィトーリア・ギマランイスに敗れ準優勝に終わったことから、「準三冠」を達成したもののタイトルを獲得することはできなかった。

2013-14シーズン、国内ではプリメイラ・リーガを制覇、タッサ・ダ・リーガリオ・アヴェFCを決勝で破り優勝。タッサ・デ・ポルトガルでもリオ・アヴェFCを決勝で破り優勝という文句のつけようのない結果を残した。UEFAチャンピオンズリーグでは、グループリーグにおいてオリンピアコスと勝ち点10で並ぶも得失点差で敗退し、グループ3位となった。UEFAヨーロッパリーグでは、ホームスタジアムで決勝戦開催ということで優勝を期待されたユヴェントスFCを準決勝で撃破するも、決勝戦でセビージャFCにPK戦で敗れて2年連続での準優勝に終わった。

スタジアム編集

 
エスタディオ・ダ・ルスの内部

ベンフィカはカテドラル(大聖堂)の愛称を持つエスタディオ・ダ・ルス(『光のスタジアム』という意味)をホームスタジアムとしており、試合開始前にはクラブのシンボルである鷲が止まり木に飛来するパフォーマンスが行なわれる[21]。ルスは公式にはエスタディオ・ド・スポルト・リジュボア・イ・ベンフィカという名称である。1954年に建設された初代ルスは135,000人を収容し、ヨーロッパ最大のスタジアムだった。2003年に完成した2代目ルスは65,647人を収容し[1]、ウルグアイのナシオナル・モンテビデオを招いて落成記念親善試合が行われた[44]。ルスは様々な機能を持つ複合施設であり、ふたつの体育館、スイミングプールなども備えている[1]。フットサルチーム、バスケットボールチーム、自転車競技チーム、ラグビーチーム、ハンドボールチームなどがこれらの施設を使用している[1]

1966-67シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝はルスで開催され、セルティックFC(スコットランド)がインテル(イタリア)を破って優勝した[45]。ポルトガルで開催されたUEFA EURO 2004の際にはルスも開催地のひとつとなり、ポルトガル代表ギリシャ代表の決勝戦などが行なわれた。ポルトガル代表はルスでの対戦成績が良いため、2004年以降は主要大会予選の強豪国との対戦がルスで行なわれることが多い[46]。2012年3月20日、2013-14シーズンのUEFAチャンピオンズリーグ決勝がルスで開催されることが決定した[47][48]

ライバルとサポーター編集

ライバル編集

リスボン・ダービー編集

ベンフィカの最大のライバルは、同じリスボンに本拠地を置くスポルティングCPである[49]。この2チームの対戦はオ・デルビー・デ・リジュボア(リスボン・ダービー)と言われている。1950年から約15年間はベンフィカが欧州カップ戦のタイトルを持つポルトガル唯一のクラブだったが、1963-64シーズンにはスポルティングがUEFAカップウィナーズカップを制した。

オ・クラシコ編集

FCポルトともライバル関係にあり、両クラブの対戦はオ・クラシコと呼ばれる[50]。初のダービーは1912年4月28日に行なわれた親善試合であり、ベンフィカが8-2で勝利した[1]。ベンフィカは1960-61シーズンと1961-62シーズンにUEFAチャンピオンズカップで優勝しており、長らく同大会で優勝したことのあるポルトガル唯一のクラブだったが、1986-87シーズンにポルトが優勝。ポルトは2003-04シーズンにも同大会で優勝し、ベンフィカは優勝回数で並ばれた。ポルトは欧州カップ戦で7個のトロフィーを獲得しており、ベンフィカの3個を大きく上回っている。

ポルトは1960年代から1970年代にかけて約20年間リーグ優勝から見放されたが、1977-78シーズンに5回目のリーグ優勝を飾ると、1980年代後半以降はベンフィカを上回るペースで優勝回数を増やし、1990年代にはリーグ記録の5連覇を果たした。ポルトの急成長は、1974年に起こったカーネーション革命によってリスボンの一極支配体制が崩れたこととも無関係ではない[51]。1977年時点でのリーグ優勝回数は23回(ベンフィカ)と4回(ポルト)だったが、2012年時点でのリーグ優勝回数は32回(ベンフィカ)と25回(ポルト)であり、四半世紀で10回以上も差を詰めた。ポルトの躍進とともにライバル意識がどんどん高まり、ダービーは白熱度を増した。

サポーター編集

ベンフィカのファンは全世界で1400万人いるとされており、ポルトガル最大・ヨーロッパ最大級である[52]。全世界に20万人のソシオ(ファンクラブ会員)がおり、世界最多のソシオ数を持つクラブとしてギネス・ワールド・レコーズに認定されている[53][21]。ポルトガルの総人口1070万人のうち約600万人がベンフィカのファンだとされている[53]。2011-12シーズンの1試合平均観客数は42,464人であり、ポルトの35,176人、スポルティングの34,494人を上回ってポルトガル最多だった[54]。リーグ優勝を遂げた2009-10シーズンには、ポルトガル最多・ヨーロッパ第10位の1試合平均50,033人を集めた[54]

また、ファンクラブはポルトガル国外にも広がっており、アンドラ、アンゴラ、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、カーボベルデ、クロアチア、フランス、ドイツ、ギニアビサウ、イギリス、日本、ルクセンブルク、マカオ、マレーシア、スイス、オランダ、アメリカに存在する。

エンブレムとユニフォーム編集

 
ベンフィカの象徴である鷲

エンブレム編集

クラブのエンブレム下部には自転車のホイールがあり、クラブカラー(赤色と白色)の盾が重ねられている。盾の中にはサッカーボール、クラブの頭文字 (SLB) があり、エンブレム上部には羽を広げた鷲が描かれている。現在のエンブレムの基本形となったのは、スポルト・リジュボアがグルポ・スポルト・ベンフィカと合併した1908年に制定されたデザインである。1930年と1999年にマイナーチェンジが加えられ、1999年の変更時には鷲のデザインが多少変えられた[55]。2008年以降は、現行のデザインに獲得タイトル数を表す星を加えた記念エンブレムを使用している[56]。公式アンセムは「サー、ベンフィキスタ」(Ser Benfiquista) であり、クラブのモットーは「E Pluribus Unum」(「Out of many, one」という意味)である。

デザインの変遷編集

[57]

ユニフォーム編集

現行のデザイン編集

  • ホームユニフォーム
赤色と白色のシャツ、白色のパンツ、赤色と白色のソックス(フィールドプレーヤー)
白色のシャツ、白色のパンツ、白色のソックス(キーパー)
  • アウェーユニフォーム
赤色と黒色のシャツ、赤色のパンツ、赤色と黒色のソックス(フィールドプレーヤー)
濃灰色のシャツ、灰色のパンツ、灰色のソックス(キーパー)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フィールドプレーヤー(ホーム)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
フィールドプレーヤー(アウェー)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
キーパー(ホーム)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
キーパー(サード)
 
 
 
 
 
 
 
 
 
キーパー(アウェー)

スポンサーとサプライヤー編集

期間 サプライヤー 胸スポンサー
1974-1985   アディダス なし
1985-1986 ロイヤル・ダッチ・シェル(エネルギー)
1986-1989 フナック(電機)
1989-1992   ヒュンメル
1992-1994 カジノ・エストリル(カジノ)
1994-1996   オリンピック パルマラット(食品)
1996-1997 テレセル(通信)
1997-2000   アディダス
2000-2001 Netc
2001-2005 ボーダフォン(通信)
2005-2008 ポルトガルテレコム[注釈 4](通信)
2008-2012 tmn(通信)
2012-2015 Meo(通信)
2015-0000 エミレーツ(航空)

記録編集

個人の記録

エウゼビオはクラブ史上最多の公式戦614試合に出場した。クラブ史上最多得点者もエウゼビオであり、440試合で474得点を挙げた。得点数第2位はジョゼ・アグアスであり、384試合で374得点を挙げた。第3位はネネであり、575試合で360得点を挙げた。

通算得点数編集

公式戦の通算得点数

# 名前 在籍期間 得点数 出場試合数 得点率
1 エウゼビオ 1960-1975 474 440 1.07
2 ジョゼ・アグアス 1950-1963 374 384 0.94
3 ネネ 1968-1986 360 575 0.62
4 ジョゼ・アウグスト・トーレス 1959-1971 226 259 0.87
5 アルセニオ 1943-1955 218 298 0.73
6 ロジェリオ・デ・カルバーリョ 1942-1954 211 320 0.65
7 ジュリーニョ 1942-1953 205 200 1.02
8 ジョゼ・アウグスト 1959-1970 175 369 0.47
9 ヌーノ・ゴメス 1997-2000, 2002-2011 166 398 0.41
10 アルフレード・ヴァラダス 1934-1944 156 264 0.59
11 ギリェルモ・エスピリト・サント 1936-1950 152 211 0.72
12 オスカル・カルドソ 2007-2014 128 177 0.59
13 マリオ・コルナ 1954-1970 127 525 0.24
14 ジョアキン・テイシェイラ 1938-1946 118 171 0.69
15 ヴィトール・シウヴァ 1927-1936 108 131 0.82
16 アルトゥール・ジョルジェ 1969-1975 105 130 0.80
17 ルイ・アグアス 1985-1988; 1990-1994 104 237 0.43
18 ドミシアーノ・カヴェン 1955-1969 102 415 0.24
19 ロジェリオ・デ・ソウザ 1932-1940 100 168 0.59
20 フランシスコ・ロドリゲス 1939-1942 99 88 1.12

プリメイラ・リーガの得点数編集

# 名前 在籍期間 得点数 出場試合数 得点率
1 エウゼビオ 1960-1975 319 313 1.05
2 ジョゼ・アグアス 1950-1963 290 281 1.03
3 ネネ 1968-1986 262 421 0.89
4 ジョゼ・アウグスト・トーレス 1959-1971 152 169 0.48
5 アルセニオ・ドゥアルテ 1943-1955 152 224 0.67
6 ジュリーニョ 1942-1953 150 143 1.04
7 ロジェリオ・デ・カルバーリョ 1942-1954 126 212 0.59
8 ヌーノ・ゴメス 1997-2000, 2002-2011 125 293 0.42
9 ジョゼ・アウグスト 1959-1970 113 248 0.45
10 マリオ・コルナ 1954-1970 88 363 0.24

通算得点数(外国人選手)編集

# 名前 在籍期間 得点数 出場試合数 得点率
1   オスカル・カルドソ 2007-2014 148 230 0.64
2   マッツ・マグヌソン 1987-1992 84
3   ミカエル・マニケ 1983-1987 76
4   イサイアス 1990-1995 71
5   ゾラン・フィリポヴィッチ 1981-1984 41
6   ハビエル・サビオラ 2009-2012 39 120 0.33
7   ヴァタ 1988-1991 37
8   セルゲイ・ユラン 1991-1994 35
9   ルイゾン 2003- 33
10   ペドロ・マントラス 2001-2011 31 127 0.24
11   トミスラヴ・ソコタ 2001-2005 28
12   リカルド・ゴメス 1988-1991, 1995-1996 27
  ヴァルド 1988-1991, 1995-1997
13   ロドリゴ 2011-2015 25 57 0.44
14   ジェオヴァンニ 2003-2006 23
  ピエール・ファン・ホーイドンク 2000-2001 33 0.7

節目となる得点の記録者編集

プリメイラ・リーガに限る

得点数 得点者 日付 試合
1点目   アルフレード・ヴァラダス 1935年1月20日 ベンフィカ 1-0 ヴィトーリア・セトゥーバル
100点目   アルフレード・ヴァラダス 1937年1月31日 ベンフィカ 10-2 レイションイスSC
500点目   ジョアキン・テイシェイラ 1944年2月6日 ベンフィカ 6-1 SCサルゲイロス
1000点目   ロザリオ 1949-50シーズン ヴィトーリア・ギマランイス 3-5 ベンフィカ
1500点目   ジョゼ・アグアス 1956-57シーズン ベンフィカ 6-0 GDファブリル
2000点目   ヤウカ 1963年11月17日 ベンフィカ 4-2 CFベレネンセス
2500点目   アルトゥール・ジョルジェ 1970年9月27日 ベンフィカ 4-0 ボアヴィスタFC
3000点目   ヴィトール・マルティンス 1977年2月13日 ベンフィカ 6-1 GDエストリル・プライア
3500点目   ネネ 1984年3月18日 SCファレンセ 2-7 ベンフィカ
4000点目   セルゲイ・ユラン 1991年12月7日 ベンフィカ 3-0 SCベイラ・マル
4500点目   カレル・ポボルスキー 2000年2月14日 ヴィトーリア・セトゥーバル 1-2 ベンフィカ
5000点目   ダビド・スアソ 2008年11月2日 ヴィトーリア・ギマランイス 1-2 ベンフィカ

獲得時の移籍金編集

# 選手 移籍元 移籍金
(ユーロ)
移籍年
1   エドゥアルド・サルビオ   アトレティコ・マドリード 1350万 2012年
2   シモン・サブローザ   FCバルセロナ 1300万 2001年
3   オスカル・カルドソ   ニューウェルズ・オールドボーイズ 1120万 2007年
4   ラザル・マルコヴィッチ   パルチザン・ベオグラード 1000万 2013年
  アンドレアス・サマリス   オリンピアコスFC 1000万 2014年
6   ロベルト・ヒメネス   アトレティコ・マドリード 850万 2010年
7   ニコラス・ガイタン   ボカ・ジュニアーズ 840万 2010年
8   アンヘル・ディ・マリア   CAロサリオ・セントラル 800万 2007年
  オラ・ジョン   FCトゥウェンテ 800万 2012年
  フィリップ・ジュリチッチ   SCヘーレンフェーン 800万 2013年
11   ラミレス   クルゼイロEC 750万 2009年

放出時の移籍金編集

# 選手 移籍先 移籍金
(ユーロ)
移籍年
1   ジョアン・フェリックス   アトレティコ・マドリード 1億2720万 2019年
2   ルベン・ディアス   マンチェスター・シティFC 6800万 2020年
3   アクセル・ヴィツェル   FCゼニト・サンクトペテルブルク 4000万 2012年
  エデルソン・モラエス   マンチェスター・シティFC 4000万 2017年
5   ラウル・ヒメネス   ウルヴァーハンプトン 3800万 2019年
6   ネルソン・セメド   FCバルセロナ 3570万 2017年
7   レナト・サンチェス   FCバイエルン・ミュンヘン 3500万 2016年
  ビクトル・リンデロフ   マンチェスター・ユナイテッドFC 3500万 2017年
9   アンヘル・ディ・マリア   レアル・マドリード 3300万[注釈 5] 2010年
10   ファビオ・コエントラン   レアル・マドリード 3000万 2011年
  ロドリゴ・モレノ   バレンシアCF 3000万 2015年
  ゴンサロ・ゲデス   PSG 3000万 2016年
クラブの記録

1972-73シーズンには28勝2分(30試合制)で無敗優勝を果たした。このシーズン中にはポルトガル記録の23試合連続勝利を達成している。30試合で勝ち点58(勝利勝ち点2)を記録し、ポルトガル史上最高の獲得勝ち点率96.7%を記録した。2位との勝ち点差18は勝利勝ち点2だった時代の最高記録である。1971-72シーズンから1972-73シーズンにかけて29試合連続勝利のヨーロッパ記録を達成した。

プリメイラ・リーガ優勝32回、タッサ・デ・ポルトガル優勝24回、タッサ・ダ・リーガ優勝4回、ダブル(リーグとカップの2冠)達成9回はいずれもポルトガル記録である。UEFAチャンピオンズカップ2連覇はポルトガルでベンフィカしか達成しておらず、欧州カップ戦の決勝出場回数8回はポルトガル記録である。

タイトル編集

国内タイトル編集

  • プリメイラ・リーガ : 37回
    • 1935-36, 1936-37, 1937-38, 1941-42, 1942-43, 1944-45, 1949-50, 1954-55, 1956-57, 1959-60, 1960-61, 1962-63, 1963-64, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1970-71, 1971-72, 1972-73, 1974-75, 1975-76, 1976-77, 1980-81, 1982-83, 1983-84, 1986-87, 1988-89, 1990-91, 1993-94, 2004-05, 2009-10, 2013-14, 2014-15, 2015-16, 2016-17, 2018-19
  • タッサ・デ・ポルトガル(ポルトガル全国選手権): 29回[注釈 6]
    • 1929-30, 1930-31, 1934-35, 1939-40, 1942-43, 1943-44, 1948-49, 1950-51, 1951-52, 1952-53, 1954-55, 1956-57, 1958-59, 1961-62, 1963-64, 1968-69, 1969-70, 1971-72, 1979-80, 1980-81, 1982-83, 1984-85, 1985-86, 1986-87, 1992-93, 1995-96, 2003-04, 2013-14, 2016-17
  • カンペオナート・デ・リジュボア(リスボン選手権): 10回
    • 1909-10, 1911-12, 1912-13, 1913-14, 1915-16, 1916-17, 1917-18, 1919-20, 1932-33, 1939-40
  • タッサ・デ・オンラ・デ・リジュボア(リスボンカップ): 18回
    • 1919-20, 1921-22, 1962-63, 1964-65, 1966-67, 1967-68, 1968-69, 1971-72, 1972-73, 1973-74, 1974-75, 1977-78, 1978-79, 1979-80, 1981-82, 1983-84, 1985-86, 1987-88
  • タッサ・リベイロ・ドス・レイス : 3回
    • 1963-64, 1965-66, 1970-71

国際タイトル編集

親善タイトル編集

成績編集

略称の詳細編集

現存する大会
現存しない大会

近年の成績編集

プリメイラ・リーガに名称変更された1999年以降の成績

シーズン 国内リーグ TP TL ST 欧州カップ 最多得点者
ディビジョン 順位 選手 得点数
1999-00 プリメイラ・リーガ 34 21 6 7 58 33 69 3位 6回戦敗退 存在せず UC 3回戦敗退 N・ゴメス 20
2000-01 プリメイラ・リーガ 34 15 9 10 54 44 54 6位 6回戦敗退 UC 1回戦敗退 ファン・ホーイドンク 23
2001-02 プリメイラ・リーガ 34 17 12 5 66 37 63 4位 5回戦敗退 マントラス 13
2002-03 プリメイラ・リーガ 34 23 6 5 74 27 75 2位 4回戦敗退 シモン 18
2003-04 プリメイラ・リーガ 34 22 8 4 62 28 74 2位 優勝 CL 予選3回戦敗退 シモン 15
UC 4回戦敗退
2004-05 プリメイラ・リーガ 34 19 8 7 51 31 65 1位 準優勝 準優勝 CL 予選3回戦敗退 シモン 20
UC 1回戦敗退
2005-06 プリメイラ・リーガ 34 20 7 7 51 29 67 3位 準々決勝敗退 優勝 CL 準々決勝敗退 N・ゴメス 17
2006-07 プリメイラ・リーガ 30 20 7 3 55 20 67 3位 6回戦敗退 CL グループリーグ敗退 シモン 16
UC 準決勝敗退
2007-08 プリメイラ・リーガ 30 13 13 4 45 21 52 4位 準決勝敗退 4回戦敗退 CL グループリーグ敗退 カルドソ 22
UC 4回戦敗退
2008-09 プリメイラ・リーガ 30 17 8 5 54 32 59 3位 5回戦敗退 優勝 UC グループリーグ敗退 カルドソ 17
2009-10 プリメイラ・リーガ 30 24 4 2 78 20 76 1位 4回戦敗退 優勝 EL 準決勝敗退 カルドソ 38
2010-11 プリメイラ・リーガ 30 20 3 7 61 31 63 2位 準決勝敗退 優勝 準優勝 CL グループリーグ敗退 カルドソ 23
EL 準決勝敗退
2011-12 プリメイラ・リーガ 30 21 6 3 66 27 69 2位 5回戦敗退 優勝 CL 準々決勝敗退 カルドソ 28
2012-13 プリメイラ・リーガ 30 24 5 1 77 20 77 2位 準優勝 準決勝敗退 - CL グループリーグ敗退 カルドソ 33
EL 準優勝
2013-14 プリメイラ・リーガ 30 23 5 2 58 18 74 1位 優勝 優勝 - CL グループリーグ敗退 リマ 21
EL 準優勝
2014-15 プリメイラ・リーガ 34 27 4 3 86 16 85 1位 5回戦敗退 優勝 優勝 CL グループリーグ敗退 ジョナス 31
2015-16 プリメイラ・リーガ 34 29 1 4 88 22 88 1位 4回戦敗退 優勝 準優勝 CL 準々決勝敗退 ジョナス 36
2016-17 プリメイラ・リーガ 34 25 7 2 72 18 82 1位 優勝 準決勝敗退 優勝 CL ベスト16 ミトログル 16
2017-18 プリメイラ・リーガ 34 25 6 3 80 22 81 2位 ベスト16 3回戦敗退 優勝 CL グループリーグ敗退 ジョナス 33
2018-19 プリメイラ・リーガ 34 28 3 3 103 31 87 1位 準決勝敗退 準決勝敗退 CL グループリーグ敗退 ハリス・セフェロヴィッチ 23
EL 準々決勝敗退
2019-20 プリメイラ・リーガ 34 24 5 5 71 26 77 2位 準優勝 3回戦敗退 優勝 CL グループリーグ敗退 ピッツィ 30
EL ベスト32
2020-21 プリメイラ・リーガ 34 準決勝 準決勝敗退 準優勝 CL 予選3回戦敗退
EL ラウンド32

過去の成績編集

シーズン 国内リーグ TP TL ST 欧州カップ チーム得点王[注釈 10]
ディビジョン 順位 名前 得点数
1904-05[注釈 11] なし 存在せず 存在せず 存在せず 存在せず なし なし
1905-06[注釈 11] なし なし なし
1906-07[注釈 11] リスボン選手権 6 5 0 1 5 4 10 2位 R・ロドリゲス (?) 1 (?)
1907-08[注釈 11] リスボン選手権 10 5 0 5 13 16 10 3位 E・コルガ 4
1908-09 リスボン選手権 10 7 1 2 27 12 15 2位 A・メイレレス 6
1909-10 リスボン選手権 10 8 0 2 24 4 16 1位 ダミオン (?) 3 (?)
1910-11 リスボン選手権 12 9 2 1 41 6 20 2位 A・J・ペレイラ 1 (?)
1911-12 リスボン選手権 6 6 0 0 21 4 12 1位 ? ?
1912-13 リスボン選手権 8 7 1 0 22 4 15 1位 ? ?
1913-14 リスボン選手権 10 9 1 0 41 4 19 1位 A・ガスパル 14
1914-15 リスボン選手権 10 8 0 2 50 8 16 2位 H・サントス (?) 15 (?)
1915-16 リスボン選手権 8 7 1 0 16 4 15 1位 F・ペレイラ 6
1916-17 リスボン選手権 8 7 1 0 26 1 15 1位 A・リオス (?) 4 (?)
1917-18 リスボン選手権 4 3 0 1 7 5 6 1位 A・アウグスト 2
1918-19 リスボン選手権 10 6 0 4 26 10 12 2位 J・クレスポ (?) 6 (?)
1919-20 リスボン選手権 9 6 2 1 26 8 14 1位 A・アウグスト 7
1920-21 リスボン選手権 10 4 2 4 16 14 10 4位 J・クレスポ (?) 4 (?)
1921-22 リスボン選手権 6 3 0 3 11 10 6 2位 A・アウグスト (?) 2 (?)
1922-23 リスボン選手権 8 4 2 2 18 13 10 2位 J・クレスポ (?) 3 (?)
1923-24 リスボン選手権 8 3 3 2 13 10 9 3位 J・クレスポ 5
1924-25 リスボン選手権 8 4 1 3 18 7 9 3位 J・タヴァレス 4
1925-26 リスボン選手権 14 6 4 4 40 27 16 5位 シモエス 14
1926-27 リスボン選手権 14 5 3 6 23 25 13 5位 ベスト4 A・アントゥネス 7
1927-28 リスボン選手権 14 10 3 1 40 14 23 2位 ベスト4 M・カルヴァーリョ (?) 10 (?)
1928-29 リスボン選手権 14 8 5 1 11 10 35 2位 2回戦敗退 V・シウヴァ 11
1929-30 リスボン選手権 14 10 1 3 40 15 35 2位 優勝 V・シウヴァ 14
1930-31 リスボン選手権 14 4 4 6 35 22 6 5位 優勝 V・シウヴァ 14
1931-32 リスボン選手権 13 7 2 4 32 17 29 3位 ベスト4 O・ポリカルド 13
1932-33 リスボン選手権 19 13 3 3 44 22 48 1位 ベスト8 V・シウヴァ 17
1933-34 リスボン選手権 9 5 2 2 18 10 21 5位 ベスト4 トーレス 7
1934-35 プリメイラ・リーガ 14 8 3 3 41 23 19 3位 優勝 ヴァラダス 23
リスボン選手権 12 8 0 4 27 13 28 2位
1935-36 プリメイラ・リーガ 14 8 5 1 44 23 21 1位 ベスト4 ヴァラダス 24
リスボン選手権 11 8 0 3 34 16 27 2位
1936-37 プリメイラ・リーガ 14 12 0 2 57 13 24 1位 ベスト4 ロジェリオ 32
リスボン選手権 10 5 3 2 26 14 23 2位
1937-38 プリメイラ・リーガ 14 10 3 1 34 16 23 1位 準優勝 エスピリト・サント 35
リスボン選手権 10 7 2 1 42 14 26 2位
1938-39 プリメイラ・ジヴィゾン 14 9 3 2 44 24 21 3位 準優勝 エスピリト・サント 23
リスボン選手権 10 5 1 4 23 28 21 3位
1939-40 プリメイラ・ジヴィゾン 18 11 1 6 58 34 23 4位 優勝 ロドリゲス 44
リスボン選手権 10 7 3 0 36 13 27 1位
1940-41 プリメイラ・ジヴィゾン 14 8 2 4 39 28 18 4位 ベスト4 ロドリゲス 31
リスボン選手権 10 8 0 2 29 21 26 2位
1941-42 プリメイラ・ジヴィゾン 22 19 0 3 74 34 38 1位 ベスト8 ロドリゲス 25
リスボン選手権 10 7 1 2 39 16 25 2位
1942-43 プリメイラ・ジヴィゾン 18 15 0 3 74 38 30 1位 優勝 ジュリーニョ 37
リスボン選手権 10 7 1 2 41 16 25 2位
1943-44 プリメイラ・ジヴィゾン 18 11 4 3 57 34 26 2位 優勝 ジュリーニョ 31
リスボン選手権 10 7 2 1 39 21 26 2位
1944-45 プリメイラ・ジヴィゾン 18 14 2 2 79 26 30 1位 ベスト4 J・テイシェイア 37
リスボン選手権 10 7 0 3 41 18 24 2位
1945-46 プリメイラ・ジヴィゾン 22 17 3 2 82 29 37 2位 ベスト8 ピピ 24
リスボン選手権 10 4 2 4 17 21 20 4位
1946-47 プリメイラ・ジヴィゾン 26 20 1 5 99 47 41 2位 なし アルセニオ 29
リスボン選手権 10 6 2 2 41 22 24 2位
1947-48 プリメイラ・ジヴィゾン 26 19 3 4 84 35 41 2位 ベスト4 ジュリーニョ 26
1948-49 プリメイラ・ジヴィゾン 26 17 3 6 72 34 37 2位 優勝 コロナ 23
1949-50 プリメイラ・ジヴィゾン 26 21 3 2 86 33 45 1位 なし ラテン・カップ 優勝 ジュリーニョ 31
1950-51 プリメイラ・ジヴィゾン 26 12 6 8 81 43 30 3位 優勝 アルセニオ 35
1951-52 プリメイラ・ジヴィゾン 26 18 4 4 76 26 40 2位 優勝 J・アグアス 34
1952-53 プリメイラ・ジヴィゾン 26 17 5 4 75 27 39 2位 優勝 J・アグアス 35
1953-54 プリメイラ・ジヴィゾン 26 13 6 7 62 40 32 3位 1回戦敗退 なし J・アグアス 23
1954-55 プリメイラ・ジヴィゾン 26 18 3 5 61 20 39 1位 優勝 J・アグアス 26
1955-56 プリメイラ・ジヴィゾン 36 19 5 2 76 31 43 2位 2回戦敗退 ラテン・カップ 3位 J・アグアス 31
1956-57 プリメイラ・ジヴィゾン 26 17 7 2 75 25 41 1位 優勝 ラテン・カップ 準優勝 J・アグアス 33
1957-58 プリメイラ・ジヴィゾン 26 17 2 7 79 21 36 3位 準優勝 CC 予選敗退 J・アグアス 31
1958-59 プリメイラ・ジヴィゾン 26 17 7 2 78 20 41 2位 優勝 J・アグアス 29
1959-60 プリメイラ・ジヴィゾン 26 20 5 1 75 27 45 1位 ベスト4 J・アグアス 30
1960-61 プリメイラ・ジヴィゾン 26 22 2 2 92 21 46 1位 3回戦敗退 CC 優勝 J・アグアス 43
1961-62 プリメイラ・ジヴィゾン 26 14 8 4 69 38 36 3位 優勝 CC 優勝 エウゼビオ 29
IC 準優勝
1962-63 プリメイラ・ジヴィゾン 26 23 2 1 85 15 48 1位 ベスト4 CC 準優勝 エウゼビオ 38
IC 準優勝
1963-64 プリメイラ・ジヴィゾン 26 21 4 1 103 26 46 1位 優勝 CC 1回戦敗退 エウゼビオ 46
1964-65 プリメイラ・ジヴィゾン 26 19 5 2 88 21 43 1位 準優勝 CC 準優勝 エウゼビオ 48
1965-66 プリメイラ・ジヴィゾン 26 18 5 3 73 30 41 2位 ベスト8 CC ベスト8 エウゼビオ 37
1966-67 プリメイラ・ジヴィゾン 26 20 3 3 64 19 43 1位 ベスト8 ICFC 3回戦敗退 エウゼビオ 42
1967-68 プリメイラ・ジヴィゾン 26 18 5 3 75 19 41 1位 ベスト4 CC 準優勝 エウゼビオ 50
1968-69 プリメイラ・ジヴィゾン 26 16 7 3 49 17 39 1位 優勝 CC ベスト8 エウゼビオ 29
1969-70 プリメイラ・ジヴィゾン 26 17 4 5 58 14 38 2位 優勝 CC 2回戦敗退 エウゼビオ 25
1970-71 プリメイラ・ジヴィゾン 26 18 5 3 62 17 41 1位 準優勝 CWC 2回戦敗退 A・ジョルジュ 37
1971-72 プリメイラ・ジヴィゾン 30 26 3 1 81 16 55 1位 優勝 CC ベスト4 A・ジョルジュ 33
1972-73 プリメイラ・ジヴィゾン 30 28 2 0 101 13 58 1位 6回戦敗退 CC 2回戦敗退 エウゼビオ 42
1973-74 プリメイラ・ジヴィゾン 30 21 5 4 68 23 47 2位 準優勝 CC 2回戦敗退 エウゼビオ 19
1974-75 プリメイラ・ジヴィゾン 30 21 7 2 62 12 49 1位 準優勝 CWC ベスト8 モイニョス 18
1975-76 プリメイラ・ジヴィゾン 30 23 4 3 94 20 50 1位 5回戦敗退 CC ベスト8 ネネ 34
1976-77 プリメイラ・ジヴィゾン 30 23 5 2 67 24 51 1位 7回戦敗退 CC 1回戦敗退 ネネ 27
1977-78 プリメイラ・ジヴィゾン 30 21 9 0 56 11 51 2位 ベスト8 CC ベスト8 ネネ 21
1978-79 プリメイラ・ジヴィゾン 30 23 3 4 75 21 49 2位 3回戦敗退 UC 2回戦敗退 ネネ 28
1979-80 プリメイラ・ジヴィゾン 30 19 7 4 79 21 45 3位 優勝 UC 1回戦敗退 ネネ 36
1980-81 プリメイラ・ジヴィゾン 30 22 6 2 72 15 50 1位 優勝 優勝 CWC ベスト4 ネネ 32
1981-82 プリメイラ・ジヴィゾン 30 20 4 6 60 22 44 2位 ベスト4 準優勝 CC 2回戦敗退 ネネ 37
1982-83 プリメイラ・ジヴィゾン 30 22 7 1 67 13 51 1位 優勝 UC 準優勝 ネネ 32
1983-84 プリメイラ・ジヴィゾン 30 24 4 2 86 22 52 1位 5回戦敗退 準優勝 CC ベスト8 ネネ 27
1984-85 プリメイラ・ジヴィゾン 30 18 7 5 65 28 43 3位 優勝 準優勝 CC 2回戦敗退 マニケ 28
1985-86 プリメイラ・ジヴィゾン 30 21 5 4 54 13 47 2位 優勝 優勝 CWC ベスト8 マニケ 21
1986-87 プリメイラ・ジヴィゾン 30 20 9 1 51 23 49 1位 優勝 準優勝 CWC 2回戦敗退 R・アグアス 20
1987-88 プリメイラ・ジヴィゾン 38 19 13 6 59 25 51 2位 ベスト4 準優勝 CC 準優勝 R・アグアス 18
1988-89 プリメイラ・ジヴィゾン 38 27 9 2 60 15 63 1位 準優勝 UC 2回戦敗退 ヴァタ 18
1989-90 プリメイラ・ジヴィゾン 34 23 9 2 76 19 55 2位 4回戦敗退 優勝 CC 準優勝 マグヌソン 40
1990-91 プリメイラ・ジヴィゾン 38 32 5 1 89 18 69 1位 ベスト8 UC 1回戦敗退 R・アグアス 26
1991-92 プリメイラ・ジヴィゾン 34 17 12 5 62 33 46 2位 ベスト4 準優勝 CC グループリーグ敗退 イサイアス 17
1992-93 プリメイラ・ジヴィゾン 34 22 8 4 60 18 52 2位 優勝 UC ベスト8 イサイアス 17
1993-94 プリメイラ・ジヴィゾン 34 23 8 3 73 25 54 1位 6回戦敗退 準優勝 CWC ベスト4 ジョアン・ピント 18
1994-95 プリメイラ・ジヴィゾン 34 22 5 7 61 28 49 3位 ベスト8 準優勝 CL ベスト8 エジウソン 17
1995-96 プリメイラ・ジヴィゾン 34 22 7 5 57 27 73 2位 優勝 UC 3回戦敗退 ジョアン・ピント 23
1996-97 プリメイラ・ジヴィゾン 34 17 7 10 49 30 58 3位 準優勝 準優勝 CWC ベスト8 ジョアン・ピント 16
1997-98 プリメイラ・ジヴィゾン 34 20 8 6 62 29 68 2位 準優勝 UC 1回戦敗退 N・ゴメス 22
1998-99 プリメイラ・ジヴィゾン 34 19 8 7 71 29 65 3位 5回戦敗退 CL グループリーグ敗退 N・ゴメス 34
1999-00 プリメイラ・リーガ 34 21 6 7 58 33 69 3位 6回戦敗退 UC 3回戦敗退 N・ゴメス 20
2000-01 プリメイラ・リーガ 34 15 9 10 54 44 54 6位 6回戦敗退 UC 1回戦敗退 ファン・ホーイドンク 23
2001-02 プリメイラ・リーガ 34 17 12 5 66 37 63 4位 5回戦敗退 マントラス 13
2002-03 プリメイラ・リーガ 34 23 6 5 74 27 75 2位 4回戦敗退 シモン 18
2003-04 プリメイラ・リーガ 34 22 8 4 62 28 74 2位 優勝 CL 予選3回戦敗退 シモン 15
UC 4回戦敗退
2004-05 プリメイラ・リーガ 34 19 8 7 51 31 65 1位 準優勝 準優勝 CL 予選3回戦敗退 シモン 20
UC 1回戦敗退
2005-06 プリメイラ・リーガ 34 20 7 7 51 29 67 3位 ベスト8 優勝 CL ベスト8 N・ゴメス 17
2006-07 プリメイラ・リーガ 30 20 7 3 55 20 67 3位 6回戦敗退 CL グループリーグ敗退 シモン 16
UC ベスト8
2007-08 プリメイラ・リーガ 30 13 13 4 45 21 52 4位 ベスト4 4回戦敗退 CL グループリーグ敗退 カルドソ 22
UC 4回戦敗退
2008-09 プリメイラ・リーガ 30 17 8 5 54 32 59 3位 5回戦敗退 優勝 UC グループリーグ敗退 カルドソ 17
2009-10 プリメイラ・リーガ 30 24 4 2 78 20 76 1位 4回戦敗退 優勝 EL ベスト8 カルドソ 38
2010-11 プリメイラ・リーガ 30 20 3 7 61 31 63 2位 ベスト4 優勝 準優勝 CL グループリーグ敗退 カルドソ 23
EL ベスト4
2011-12 プリメイラ・リーガ 30 21 6 3 66 27 69 2位 5回戦敗退 優勝 CL ベスト8 カルドソ 28
2012-13 プリメイラ・リーガ 30 24 5 1 77 20 77 2位 準優勝 ベスト4 CL グループリーグ敗退 カルドソ 33
EL 準優勝

欧州カップ編集

シーズンごとの戦績編集

試合一覧編集

UEFAチャンピオンズリーグ編集

UEFAチャンピオンズカップ時代も含む

UEFAカップウィナーズカップ編集

ヨーロッパ・カップウィナーズカップ時代も含む

UEFAヨーロッパリーグ編集

インターシティーズ・フェアーズカップ、UEFAカップ時代も含む

決勝一覧編集

大会 対戦相手 スコア 場所
1960-61 UEFAチャンピオンズカップ   FCバルセロナ 3-2   バンクドルフ・スタジアム
1961-62 UEFAチャンピオンズカップ   レアル・マドリード 5-3   オリンピス・スタディオン
1962-63 UEFAチャンピオンズカップ   ACミラン 1-2   ウェンブリー・スタジアム
1964-65 UEFAチャンピオンズカップ   インテル 0-1   サン・シーロ
1967-68 UEFAチャンピオンズカップ   マンチェスター・ユナイテッドFC 1-4 (延長)   ウェンブリー・スタジアム
1982-83 UEFAカップ   RSCアンデルレヒト 1-2 2レグ制
1987-88 UEFAチャンピオンズカップ   PSV 0-0 (延長) (PK 5-6)   ネッカーシュタディオン
1989-90 UEFAチャンピオンズカップ   ACミラン 0-1   プラーターシュターディオン
2012-13 UEFAヨーロッパリーグ   チェルシーFC 1-2   アムステルダム・アレナ
2013-14 UEFAヨーロッパリーグ   セビージャFC 0-0 (延長) (PK 2-4)   ユヴェントス・スタジアム

準決勝勝利一覧編集

大会 対戦相手 スコア その他のベスト4
1960-61 UEFAチャンピオンズカップ   SKラピード・ウィーン 4-1   FCバルセロナ
  ハンブルガーSV
1961-62 UEFAチャンピオンズカップ   トッテナム・ホットスパーFC 4-3   レアル・マドリード
  スタンダール・リエージュ
1962-63 UEFAチャンピオンズカップ   フェイエノールト 3-1   ACミラン
  ダンディーFC
1964-65 UEFAチャンピオンズカップ   ジェールETO FC 5-0   インテル
  リヴァプールFC
1967-68 UEFAチャンピオンズカップ   ユヴェントスFC 3-0   マンチェスター・ユナイテッドFC
  レアル・マドリード
1982-83 UEFAカップ   FCウニヴェルシタテア・クラヨーヴァ 1-1 [注釈 23]   RSCアンデルレヒト
  ボヘミアンズ・プラハ
1987-88 UEFAチャンピオンズカップ   FCステアウア・ブカレスト 2-0   PSV
  レアル・マドリード
1989-90 UEFAチャンピオンズカップ   オリンピック・マルセイユ 2-2 [注釈 23]   ACミラン
  バイエルン・ミュンヘン
2012-13 UEFAヨーロッパリーグ   フェネルバフチェSK 3-2   チェルシーFC
  FCバーゼル
2013-14 UEFAヨーロッパリーグ   ユヴェントスFC 2-1   セビージャFC
  バレンシアCF

準決勝敗北一覧編集

大会 対戦相手 スコア その他のベスト4
1971-72 UEFAチャンピオンズカップ   AFCアヤックス 0-1   インテル
  セルティックFC
1980-81 UEFAカップウィナーズカップ   FCカールツァイス・イェーナ 1-2   FCディナモ・トビリシ
  フェイエノールト
1993-94 UEFAカップウィナーズカップ   パルマAC 2-2 [注釈 23]   アーセナルFC
  パリ・サンジェルマンFC
2010-11 UEFAヨーロッパリーグ   SCブラガ 2-2 [注釈 23]   FCポルト
  ビジャレアルCF

現所属メンバー編集

リーガ・NOS 2019-20シーズンフォーメーション
2021年8月31日時点

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
1 GK   ミレ・スヴィラル ( )
2 DF   ジウベルト
3 DF   アレハンドロ・グリマルド
4 DF   ルーカス・ベリッシモ
5 DF   ヤン・フェルトンゲン
7 MF   エヴェルトン
9 FW   ダルウィン・ヌニェス
11 MF   ソアリオ・メイテ ( )
14 FW   ハリス・セフェロヴィッチ ( )★
15 FW   ロマン・ヤレムチュク
17 DF   ディオゴ・ゴンサウヴェス
18 FW   ホドリゴ・ピーニョ ( )
20 MF   ジョアン・マリオ ( )
21 MF   ピッツィ
22 DF   ヴァレンティーノ・ラザロ ( ) ( )
No. Pos. 選手名
23 MF   ネマニャ・ラドニッチ
27 MF   ラファ・シウバ
28 MF   ユリアン・ヴァイグル
30 DF   ニコラス・オタメンディ
31 DF   ジル・ディアス
34 DF   アンドレ・アルメイダ ( )
49 MF   アデル・ターラブト ( )
55 MF   パウロ・ベルナルド
77 GK   エウトン・レイチ
83 MF   ジェドソン・フェルナンデス ( )
88 FW   ゴンサロ・ラモス
91 DF   モラート
97 DF   フェロ
99 GK   オディッセアス・ヴラホディモス ( )

括弧内の国旗はその他の保有国籍を、星印はEU圏外選手を示す。

監督

ローン移籍編集

in

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
22 DF   ヴァレンティーノ・ラザロ (インテル)
No. Pos. 選手名
23 MF   ネマニャ・ラドニッチ (オリンピック・マルセイユ)
out

注:選手の国籍表記はFIFAの定めた代表資格ルールに基づく。

No. Pos. 選手名
-- DF   ジョアン・フェレイラ (ヴィトーリアSC)
-- DF   トマス・タヴァレス (FCバーゼル)
-- MF   カイオ (シャールジャFC)
-- MF   ヨニー・ゴンサレス (LAギャラクシー)
-- MF   フィリプ・クロヴィノヴィッチ (ノッティンガム)
-- MF   ダヴィド・タヴァレス (モレイレンセFC)
-- MF   チアゴ・ダンタス (CDトンデラ)
No. Pos. 選手名
-- MF   フロレンティーノ・ルイス (ヘタフェCF)
-- MF   シキーニョ (SCブラガ)
-- MF   チアゴ・アラウージョ (FCアロウカ)
-- FW   ジョンデル・カディス (ナッシュビルSC)
-- FW   ジョタ (レアル・バリャドリード)
-- FW   カルロス・ヴィニシウス (PSVアイントホーフェン)

歴代会長編集

[58]

# 名前 就任 退任 獲得タイトル
国内リーグ 国内カップ 欧州カップ その他
1   ジョゼ・ロザ・ロドリゲス
(スポルト・リスボンの初代会長)
1904年2月28日 1906年11月22日 0 0 0 0
2   ジャヌアリオ・ゴンサウヴェス・バレート・ドゥアルテ 1906年11月22日 1909年2月26日 0 0 0 0
3   ルイス・カルロス・デ・ファリア・レアル
(グルポ・スポルト・ベンフィカの初代会長)
1906年8月12日 1908年6月28日 0 0 0 0
4   ジョアン・ジョゼ・ピレス
(SLベンフィカの初代会長)
1908年6月28日 1910年2月2日 0 0 0 1 リスボン選手権
(5代会長と共有)
5   アルフレード・アレシャンドレ・ルイス・ダ・シウヴァ 1910年2月2日 1911年3月26日 0 0 0 1 リスボン選手権
(4代会長と共有)
6   アントニオ・ヌネス・デ・アウメイダ・ギマランイス 1911年3月26日 1911年7月9日 0 0 0 0
7   アルベルト・リマ 1911年7月9日
1912年12月5日
1912年3月31日
1915年8月29日
0 0 0 3 リスボン選手権
8   ジョゼ・エドゥアルド・モレイラ・サレス 1912年3月31日 1912年12月5日 0 0 0 0
9   ジョゼ・アントゥネス・ドス・サントス・ジュニオル 1915年8月29日 1916年7月15日 0 0 0 1 リスボン選手権
10   フェリクス・ベルムデス 1916年7月15日
1945年1月18日
1916年10月7日
1946年1月19日
0 0 0 0
11   ヌーノ・フレイレ・テムド 1916年10月7日 1917年7月22日 0 0 0 1 リスボン選手権
12   ベント・マントゥア 1917年7月22日 1926年8月25日 0 0 0 2 リスボン選手権, 2 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
13   アルベルト・シルヴェイラ・アヴィラ・デ・メロ 1926年8月25日 1930年8月15日 0 1 [注釈 25] 0 0
14   マヌエル・ダ・コンセイソン・アフォンソ 1930年8月15日
1936年11月4日
1946年1月19日
1933年8月28日
1938年7月31日
1946年7月30日
2 1 [注釈 25] 0 1 リスボン選手権
15   ヴァスコ・ロサ・リベイロ 1933年8月20日 1936年11月4日 1 1 [注釈 25] 0 0
16   ジュリオ・リベイロ・ダ・コスタ 1938年7月31日 1939年7月29日 0 0 0 1 リスボン選手権
(17代会長と共有)
17   アウグスト・ダ・フォンセカ・ジュニオル 1939年8月1日 1945年1月18日 3 3 0 1 リスボン選手権
(16代会長と共有)
18   ジョアン・タマグニーニ・バルボーザ 1947年1月25日 1948年12月15日 0 0 0 0
19   マリオ・ランプレイア・デ・グスモン・マデイラ 1949年1月29日 1952年3月15日 1 2 1 LC 0
20   ジョアキン・フェレイラ・ボガーリョ 1952年3月15日 1957年3月28日 1 3 0 0
21   マウリシオ・ヴィエイラ・デ・ブリト 1957年3月28日 1962年3月31日 3 2 1 CC 0
22   アントニオ・カルロス・カブラル・フェザス・ヴィタル 1962年3月31日 1964年3月26日 1 1 1 CC 1 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
23   アドルフォ・ヴィエイラ・デ・ブリト 1964年3月26日
1967年7月3日
1965年5月8日
1969年4月12日
3 1 0 3 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
24   アントニオ・カタリーノ・ドゥアルテ 1965年5月8日 1966年6月17日 0 0 0 0
25   ジョゼ・フェレイラ・ケイマド 1966年6月17日
1977年5月26日
1967年7月3日
1981年5月29日
2 2 0 1 スーペルタッサ, 4 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
26   ドゥアルテ・アントニオ・ボルジェス・コウティーニョ 1969年4月12日 1977年5月26日 7 3 0 4 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
27   フェルナンド・マルティンス 1981年5月29日 1987年3月27日 2 3 1 CI 1 スーペルタッサ, 3 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
28   ジョアン・マリア・ドス・サントス・ジュニオル 1987年3月27日 1992年4月20日 3 1 0 1 スーペルタッサ, 1 タッサ・デ・オンラ[注釈 24]
29   ジョルジ・アルトゥール・レゴ・デ・ブリト 1992年4月24日 1994年1月7日 0 1 0 0
30   マヌエル・ダマシオ・ソアレス・ガルシア 1994年1月7日 1997年10月31日 1 1 0 0
31   ジョアン・ヴァレ・エ・アゼヴェド 1997年10月31日 2000年10月28日 0 0 0 0
32   マヌエル・ヴィラリーニョ 2000年10月28日 2003年10月31日 0 0 0 0
33   ルイス・フィリペ・ヴィエイラ 2003年10月31日 現職 2 1 0 1 スーペルタッサ, 4 タッサ・ダ・リーガ

歴代監督編集

公式戦の記録に限る
  •    = 選手兼任監督
  •    = 暫定監督
名前 就任 退任 試合 勝率 獲得タイトル 注釈
  Manuel Gourlade 1906年11月4日 1908年3月22日 16 8 0 8 18 22 050.00
  コスメ・ダミオン 1908年10月17日 1926年3月28日 157 102 21 34 427 161 064.97 9998 8 リスボン選手権 [注釈 26]
  リベイロ・ドス・レイス 1926年10月17日 1929年5月26日 52 28 11 13 128 86 053.85
  アーサー・ジョン 1929年10月20日 1931年6月28日 46 28 6 12 137 55 060.87 9998 2 カンペオナート・デ・ポルトガル
  リベイロ・ドス・レイス 1932年1月10日 1934年6月30日 56 37 8 11 135 70 066.07 9998 1 リスボン選手権
  ヴィクトル・ゴンサウヴェス 1934年10月1日 1935年6月30日 32 23 2 7 93 45 071.88 9998 1 カンペオナート・デ・ポルトガル
  Lipot Hertzka 1935年10月1日 1939年6月25日 123 79 21 23 381 173 064.23 9998 3 プリメイラ・リーガ
  Janos Biri 1939年9月1日 1947年7月2日 272 194 25 53 982 470 071.32 9998 3 プリメイラ・ジヴィゾン
3 タッサ・デ・ポルトガル
1 リスボン選手権
  Lipot Hertzka 1947年9月1日 1948年6月30日 30 22 3 5 97 42 073.33
  エドワード・テッド・スミス 1948年7月1日 1952年4月6日 109 73 18 18 354 148 066.97 9998 1 ラテン・カップ
1 プリメイラ・ジヴィゾン
2 タッサ・デ・ポルトガル
[注釈 27]
  カンディド・タヴァレス 1951年12月3日 1952年6月15日 17 13 1 3 59 19 076.47 9998 1 タッサ・デ・ポルトガル
  アルベルト・ソサージャ 1952年9月1日 1953年2月1日 15 10 1 4 45 17 066.67
  リベイロ・ドス・レイス 1953年2月2日 1953年12月20日 28 19 7 2 77 28 067.86 9998 1 タッサ・デ・ポルトガル
  ホセ・バルディビエソ 1953年12月21日 1954年5月31日 19 8 3 8 46 37 042.11
  オットー・グロリア 1954年8月1日 1959年5月14日 169 113 30 26 447 163 066.86 9998 2 プリメイラ・ジヴィゾン
2 タッサ・デ・ポルトガル
  ホセ・バルディビエソ 1959年6月14日 1959年6月30日 1 1 0 0 1 0 100.00 9998 1 タッサ・デ・ポルトガル
  ベーラ・グットマン 1959年7月1日 1962年6月30日 124 89 20 15 402 144 071.77 9998 2 UEFAチャンピオンズカップ
2 プリメイラ・ジヴィゾン
  フェルナンド・カイアド 1962年7月1日 1962年7月1日 1 1 0 0 3 0 100.00 9998 1 タッサ・デ・ポルトガル
  フェルナンド・リエラ 1962年10月1日 1963年5月30日 43 33 5 5 130 44 076.74 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン
  Lajos Czeizler 1963年6月1日 1964年6月30日 41 33 6 2 169 44 080.49 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン
1 タッサ・デ・ポルトガル
  エレック・シュワルツ 1964年7月1日 1965年6月30日 46 33 7 6 157 41 071.74 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン
  ベーラ・グットマン 1965年7月1日 1966年6月30日 38 25 7 6 116 51 065.79
  フェルナンド・リエラ 1966年7月1日 1967年11月30日 49 35 8 6 123 33 071.43 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン [注釈 28]
  フェルナンド・カブリタ 1967年12月1日 1968年4月7日 18 13 2 3 51 17 072.22
  オットー・グロリア 1968年4月8日 1970年2月8日 75 45 16 14 170 65 060.00 9998 2 プリメイラ・ジヴィゾン
1 タッサ・デ・ポルトガル
  ジョゼ・アウグスト 1970年2月9日 1970年5月14日 16 12 3 1 44 13 075.00 9998 1 タッサ・デ・ポルトガル
  ジミー・ヘイガン 1970年6月30日 1974年9月23日 120 94 14 12 339 80 078.33 9998 3 プリメイラ・ジヴィゾン
1 タッサ・デ・ポルトガル
  フェルナンド・カブリタ 1973年9月24日 1974年6月9日 35 24 6 5 83 25 068.57
  ミロラド・パヴィッチ 1974年7月1日 1975年6月30日 41 27 10 4 86 21 065.85 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン
  マリオ・ウィルソン 1975年7月1日 1976年6月30日 37 25 5 7 108 32 067.57 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン
  ジョン・モルティモア 1976年7月1日 1979年6月30日 114 79 22 13 244 77 069.30 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン
  マリオ・ウィルソン 1979年7月1日 1980年6月30日 39 27 7 5 102 27 069.23 9998 1 タッサ・デ・ポルトガル
  Lajos Baróti 1980年7月1日 1982年6月30日 92 63 16 13 187 59 068.48 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン
1 タッサ・デ・ポルトガル
1 スーペルタッサ
  スヴェン・ゴラン・エリクソン 1982年7月1日 1984年6月30日 91 65 17 9 223 60 071.43 9998 2 プリメイラ・ジヴィゾン
1 タッサ・デ・ポルトガル
  パル・チェルナイ 1984年7月1日 1985年6月30日 45 28 7 10 100 41 062.22 9998 1 タッサ・デ・ポルトガル
  ジョン・モルティモア 1985年7月1日 1987年6月4日 88 60 19 9 173 52 068.18 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン
2 タッサ・デ・ポルトガル
1 スーペルタッサ
  エッベ・スコブダール 1987年7月10日 1987年11月28日 16 10 3 3 24 7 062.50
  トニ 1987年11月29日 1989年5月30日 87 52 24 11 158 52 059.77 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン
  スヴェン・ゴラン・エリクソン 1989年7月1日 1992年6月30日 143 94 31 18 304 85 065.73 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン
1 スーペルタッサ
  トミスラフ・イヴィッチ 1992年7月1日 1992年10月25日 12 7 3 2 23 8 058.33
  トニ 1992年10月26日 1994年6月30日 85 57 19 9 176 62 067.06 9998 1 プリメイラ・ジヴィゾン
1 タッサ・デ・ポルトガル
  アルトゥール・ジョルジュ 1994年7月1日 1995年9月9日 54 28 15 11 92 45 051.85
  マリオ・ウィルソン 1995年9月10日 1996年6月30日 43 29 7 7 77 39 067.44 9998 1 タッサ・デ・ポルトガル
  パウロ・アウトゥオリ 1996年7月1日 1997年1月19日 23 14 4 5 43 19 060.87
  マリオ・ウィルソン 1997年1月20日 1997年1月26日 1 0 0 1 1 2 000.00
  マヌエル・ジョゼ 1997年1月27日 1997年9月20日 29 14 5 10 39 33 048.28
  マリオ・ウィルソン 1997年9月21日 1997年11月1日 6 3 3 0 9 4 050.00
  グレアム・スーネス 1997年11月2日 1999年5月2日 71 41 15 15 139 65 057.75
  シェウ・ハン 1999年5月3日 1999年5月30日 4 2 1 1 10 5 050.00
  ユップ・ハインケス 1999年7月1日 2000年9月18日 48 27 8 13 81 55 056.25
  ジョゼ・モウリーニョ 2000年9月20日 2000年12月5日 11 6 3 2 17 9 054.55
  トニ 2000年12月6日 2001年12月23日 43 17 16 10 67 58 039.53
  ジェズアウド・フェレイラ 2001年12月25日 2002年11月24日 30 16 7 7 65 32 053.33
  フェルナンド・サントス 2002年11月25日 2002年11月30日 1 1 0 0 3 0 100.00
  ホセ・アントニオ・カマーチョ 2002年12月1日 2004年5月30日 71 47 14 10 132 60 066.20 9998 1 タッサ・デ・ポルトガル
  ジョバンニ・トラパットーニ 2004年7月1日 2005年5月30日 51 29 10 12 82 50 056.86 9998 1 プリメイラ・リーガ
  ロナルド・クーマン 2005年7月1日 2006年5月30日 49 27 11 11 64 38 055.10 9998 1 スーペルタッサ
  フェルナンド・サントス 2006年7月1日 2007年8月18日 49 29 11 9 86 41 059.18
  ホセ・アントニオ・カマーチョ 2007年8月18日 2008年3月9日 38 18 13 7 57 29 047.37
  フェルナンド・チャレナ 2008年3月10日 2008年5月11日 10 3 3 4 13 13 030.00
  キケ・フローレス 2008年5月24日 2009年6月8日 44 23 12 9 73 47 052.27 9998 1 タッサ・ダ・リーガ
  ジョルジェ・ジェズス 2009年6月17日 2015年6月30日 321 225 51 45 674 249 070.09 9998 3 プリメイラ・リーガ
1 タッサ・デ・ポルトガル
5 タッサ・ダ・リーガ
1 スーペルタッサ
  ルイ・ヴィトーリア 2015年6月15日 2019年1月3日 180 123 27 30 382 160 068.33 9998 2 プリメイラ・リーガ
1 タッサ・デ・ポルトガル
1 タッサ・ダ・リーガ
2 スーペルタッサ
  ブルーノ・ラージェ 2019年1月3日 2020年7月4日 76 51 12 13 181 75 067.11 9998 1 プリメイラ・リーガ
1 スーペルタッサ
  ネルソン・ヴェリッシモ 2020年6月30日 3 2 1 0 6 2 066.67

歴代所属選手編集

GK編集

DF編集


MF編集

FW編集