本田博
本田 博(ほんだ ひろし、1971年10月18日 - )は、日本の元競輪選手、元自転車競技選手。日本競輪学校(当時。以下、競輪学校)第67期生。現役時代は日本競輪選手会鹿児島支部所属(登録地は宮崎県)、練習拠点は宮崎県自転車競技場。
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基本情報 | ||||
生年月日 | 1971年10月18日(53歳) | |||
国籍 | 日本 | |||
身長 | 184cm | |||
体重 | 90kg | |||
選手情報 | ||||
所属 | 日本競輪選手会鹿児島支部 | |||
期別 | 67期 | |||
脚質 | 追込 | |||
登録地変遷 | ||||
1991年 - 2023年 | 日本競輪選手会鹿児島支部 | |||
■最終更新日:2023年4月29日 ■テンプレートを表示 |
来歴
編集高校3年生であった1989年(平成元年)に、函館競輪場で開催された第44回国民体育大会に出場して、1kmタイムトライアル(少年男子)で3位に入賞した。優勝はのちに競輪選手として同期となる金古将人[1]。
競輪学校を67期生として卒業後、1991年4月14日に別府競輪場でデビュー[2]。翌日に初勝利[2]。デビュー開催の成績は7着、1着、6着[2]。同期は金古将人、高谷雅彦、三谷幸宏など。
1995年にはイギリス・マンチェスターで開催されたUCIトラックサイクリング・ワールドカップ、1996年には世界選手権自転車競技大会トラックレース1996に出場するなど、自転車競技選手としても活動した[2]。また、同年末のグランプリシリーズ2日目(12月29日)に行われた「ヤンググランプリ」[3]出場選手として選抜された。
デビューから2000年代中旬頃までは、常時特別競輪に出走していた[2]。特別競輪での優勝歴はないが、井上茂徳を従えて松本整、俵信之、高谷雅彦、竹内久人らを相手に逃げ切った1996年の開設46周年記念前節(向日町)[4][5]など、G3級を3勝している[2]。
晩年は2019年下期よりA級3班に降格となったあと、競走成績不振により代謝制度の対象となり引退が確定、2022年12月25日の久留米FII最終日1R・チャレンジ一般戦6着がラストレースとなった。
2023年1月27日、選手登録消除。現役時代の通算戦績は、2794戦373勝(優勝22回)。
脚注
編集外部リンク
編集- 現役時代戦績 - KEIRIN.JP