アレックス・オブライエン

アレックス・オブライエンAlex O'Brien, 1970年3月7日 - )は、アメリカ合衆国テキサス州アマリロ出身の元男子プロテニス選手。1999年全米オープン男子ダブルスで、セバスチャン・ラルーとペアを組んで優勝した。4大大会男子ダブルスでは、1996年全豪オープン1997年全豪オープン1995年全米オープンの準優勝もあった。自己最高ランキングはシングルス30位、ダブルス1位。ATPツアーでシングルス1勝、ダブルスで1999年全米オープンを含む13勝を挙げた。

アレックス・オブライエン
Alex O'Brien
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 同・テキサス州アマリロ
生年月日 (1970-03-07) 1970年3月7日(54歳)
身長 185cm
体重 88kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1992年
引退年 2003年
ツアー通算 14勝
シングルス 1勝
ダブルス 13勝
生涯通算成績 370勝321敗
シングルス 93勝136敗
ダブルス 277勝185敗
生涯獲得賞金 3,526,390 アメリカ合衆国ドル
4大大会最高成績・シングルス
全豪 2回戦(1995・98)
全仏 2回戦(1993・94)
全英 3回戦(1997)
全米 3回戦(1996)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 準優勝(1996・97)
全仏 3回戦(1996)
全英 ベスト8(1999・2000)
全米 優勝(1999)
優勝回数 1(米1)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 30位
ダブルス 1位

経歴

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1992年にプロ入り。1994年8月のシンシナティ・マスターズで、サンドン・ストールと組み、ATPツアーでダブルス初優勝を果たす。1995年全米オープン男子ダブルスでオブライエンはストールと組んで4大大会決勝に初進出したが、ウッディーズに3-6, 3-6で敗れて準優勝になった。1996年から、オブライエンは大半のトーナメントでセバスチャン・ラルーとペアを組むようになり、このペアで多くの好成績を出した。2人は1996年1997年全豪オープン男子ダブルスの2年連続決勝進出を果たすが、1996年はステファン・エドベリ/ペトル・コルダ組、1997年はウッディーズに敗れ、2年連続で準優勝止まりに終わった。オブライエンとラルーは、1996年の男子テニスツアー年間最終戦ATPツアー選手権決勝でウッディーズに敗れた準優勝もある。

1998年の前半、オブライエンはしばらくラルーと離れて、同じアメリカのジョナサン・スタークバイロン・ブラックなどとペアを組んでトーナメントに出場していた。同年秋にオブライエンとラルーは再び組み、1999年のシーズンに最盛期を迎える。1999年全米オープン男子ダブルスで、2人は決勝でマヘシュ・ブパシ/リーンダー・パエス組を7-6, 6-4で破り、4大大会初優勝を飾った。ラルーにとっては、全米決勝はサンドン・ストールと組んだ1995年以来4年ぶり2度目だった。2人は1996年1997年全豪オープンで実現できなかった4大大会男子ダブルス優勝を、2年半ぶりの舞台で実現させた。年末のATPツアー選手権でも、オブライエンとラルーは決勝でブパシ/パエス組に連勝し、3年前に「ウッディーズ」に阻まれた最終戦優勝を果たした。

2000年から、オブライエンは同じアメリカのジャレッド・パーマーとペアを組むようになった。2000年5月8日付のATPランキングでダブルス1位になる。オブライエンとパーマーは、2000年全米オープン準決勝でレイトン・ヒューイット/マックス・ミルヌイ組に敗れた。2人は全米オープン終了後のシドニー五輪男子ダブルスにも出場したが、ここでは早期敗退に終わり、2回戦でバハママーク・ノールズ/マーク・マークレイン組に敗退した。2001年2月の全米国際インドアテニス選手権を最後にATPツアーのダブルス決勝から遠ざかり、ツアー成績が急降下した。2003年10月に33歳で現役を引退した後は、選手時代の1998年に故郷のテキサス州アマリロに設立した「アレックス・オブライエン・ユーステニス財団」でジュニア選手の育成に携わり、「リトルフィールド・ランチ」というステーキレストランも経営している。

外部リンク

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