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レイトン・グリン・ヒューイット(Lleyton Glynn Hewitt, 1981年2月24日 - )は、オーストラリアアデレード出身の男子プロテニス選手。身長180cm、体重77kg。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。ATPツアーでシングルス30勝、ダブルス3勝。シングルスの自己最高ランキングは1位(史上最年少記録)。世界ランキング1位の在位期間80週は歴代10位。

レイトン・ヒューイット
Lleyton Hewitt
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レイトン・ヒューイット
基本情報
フルネーム Lleyton Glynn Hewitt
国籍 オーストラリアの旗 オーストラリア
出身地 オーストラリアの旗 オーストラリアアデレード
生年月日 (1981-02-24) 1981年2月24日(38歳)
身長 180cm
体重 77kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1997年
引退年 2016年(1回目)
ツアー通算 33勝
シングルス 30勝
ダブルス 3勝
生涯通算成績 740勝356敗
シングルス 616勝262敗
ダブルス 124勝94敗
生涯獲得賞金 $20,867,878
4大大会最高成績・シングルス
全豪 準優勝(2005)
全仏 ベスト8(2001・04)
全英 優勝(2002)
全米 優勝(2001)
優勝回数 2(英1・米1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 ベスト8 (2018)
全仏 2回戦(2000)
全英 3回戦(1999・2012・14)
全米 優勝(2000)
優勝回数 1(米1)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全英 準優勝(2000)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 優勝(1999・2003)
ホップマン杯 準優勝(2003)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(2001年11月19日)
ダブルス 18位(2000年10月23日)

ニューボールズ世代の選手で最も早く台頭し、2001年11月19日に史上最年少の20歳8ヶ月で世界ランキング1位となり、2001年と2002年の2年連続で、年間ランキング1位の座についた。これまでにグランドスラム優勝3回(シングルス2回)、ATPワールドツアー・ファイナル優勝2回、デビスカップオーストラリア代表最多勝を挙げている。

選手経歴編集

ヒューイットは元アスリートの両親の間に生まれ、自宅の芝生コートでテニスに親しんだ。

1998年1月に16歳でプロ転向を表明し、ネクストジェネレーション・アデレード国際で早くもATPツアー初優勝を果たした。1999年に男子テニス国別対抗戦・デビスカップオーストラリア代表選手に選ばれ、マーク・フィリプーシスらと共にオーストラリアを13年ぶりの優勝に貢献。2000年には世界ランキングでトップ10入りすると、同年の全米オープンではベスト4に進出。準決勝でピート・サンプラスに敗れたが、男子ダブルスではマックス・ミルヌイと組んで優勝に輝いた。

2001年全米オープンの決勝でピート・サンプラスを7-6, 6-1, 6-1で破って4大大会初優勝を果たすと、ジャパン・オープン・テニス選手権でも初来日を優勝で飾った。11月19日付で史上最年少の20歳8ヶ月で世界ランキング1位に登り詰め、その後の年間最終戦テニス・マスターズ・カップを制し、2001年度を世界ランキング1位で終え、戦績 80勝18敗、勝率0.8163 を数える好成績を挙げた。

2002年SAPオープン決勝ではアンドレ・アガシを、インディアンウェルズ・マスターズクイーンズクラブ選手権の決勝ではティム・ヘンマンを下して優勝。さらにウィンブルドン選手権では決勝でダビド・ナルバンディアンを6-1, 6-3, 6-2で破って初優勝を果たした。続く全米オープンでは準決勝でアガシに敗れたが、シンシナティ・マスターズパリ・マスターズで準優勝。その後の年間最終戦では2連覇を果たし、2002年度も世界ランキング1位で終えた。

2003年インディアンウェルズ・マスターズ決勝でグスタボ・クエルテンを下して優勝。その後は故障もあって不調に陥り、80週かけて守った世界ランキング1位から陥落。ウィンブルドン選手権では、オープニング・マッチ(前年優勝者が初戦でセンター・コートの第1試合に出る慣例の事)でイボ・カロビッチの時速210km/hを超える高速サーブの前に敗れてしまい、同選手権の男子部門で1967年マニュエル・サンタナ以来36年ぶりの前年王者の初戦敗退という辛酸を舐めた。2003年度は17位で終えた。

2004年は不調から脱し、メディバンク国際ABNアムロ世界テニス・トーナメントレッグ・メーソン・テニス・クラシックパイロット・ペン・テニスで優勝。シンシナティ・マスターズ全米オープンテニス・マスターズ・カップで準優勝する好成績を残し、ランキング3位で年を終えた。特に全米オープンでは決勝まで全てストレート勝ちで進むなど圧倒的な力を見せたが決勝はロジャー・フェデラーに完敗した。この年は4大大会などの大舞台でロジャー・フェデラーにことごとく敗れている。まず全豪オープン4回戦で6-4, 3-6, 0-6, 4-6、続いてウィンブルドン選手権準々決勝で1-6, 7-6, 0-6, 4-6で、更に前述の全米オープン決勝で0-6, 6-7, 0-6で、そしてテニス・マスターズ・カップのラウンドロビンでは3-6, 4-6で、決勝では3-6, 2-6で敗れていた。

2005年全豪オープンでは地元選手としてパット・キャッシュ以来17年ぶりの決勝進出を果たしたが、マラト・サフィンに6-1, 3-6, 4-6, 4-6で敗れて地元優勝を逃した。ウィンブルドン選手権全米オープンでは、フェデラーに準決勝で、それぞれ3-6, 4-6, 6-7と3-6, 6-7, 6-4, 3-6で敗れている。フェデラーには、2003年までは7勝2敗と勝ち越していたが、2004年以後は2010年全豪オープンまで15連敗とまったく歯が立たなくなった。ランキング4位で年を終えている。

その後は怪我などに苦しめられ、1998年から2007年まで毎年記録していたツアー優勝も2008年に途絶えた(その後、2009年2010年にはツアー優勝している)。2009年ウィンブルドン選手権では3年ぶりに準々決勝に進出したが、アンディ・ロディックに3-6, 7-6, 6-7, 6-4, 4-6で敗れている。2010年のゲリー・ウェバー・オープン決勝では、フェデラーから7年ぶりの勝利を挙げて優勝した。

2014年3月20日、史上21人目となる通算600勝達成。当時の現役ではフェデラーナダルに次ぐ3人目の記録となる。[1] 7月13日、テニス殿堂選手権で優勝し通算30勝達成。

2015年1月29日、2016年全豪オープンで現役引退することを示唆した[2]。また、上記の引退示唆からの意向で2015年全仏オープンを欠場した。

その2016年全豪オープン男子シングルスでは1回戦でジェームス・ダックワースに7-6(5), 6-2, 6-4で勝利。2回戦ではダビド・フェレールに2-6, 4-6, 4-6で敗れ、これがシングルスの最後の試合となった。ダブルスではサム・グロスと組んで3回戦まで進出。3回戦でバセク・ポスピシル/ジャック・ソック組に敗れた。

引退後の2016年からデビスカップオーストラリア代表の監督に就任している。初采配となった3月の1回戦アメリカ戦は、直前にニック・キリオスが体調不良で離脱したため急遽選手兼監督としてメンバー入り。第3戦のダブルスでジョン・ピアーズと組んでブライアン兄弟と対戦。3-6, 3-6, 6-4, 6-4, 3-6で敗れた。

その後、2018年全豪オープンではこの大会での引退を表明しているサム・グロスと組んでダブルスに出場することを表明した[3]。全豪オープンの前哨戦であるブリスベン国際にもジョーダン・トンプソンと組んでワイルドカードで出場。1回戦でグリゴール・ディミトロフ/ライアン・ハリソン組に敗れた。

人物編集

2000年からベルギーの女子テニス選手、キム・クライシュテルスと交際する。同年のウィンブルドン選手権で2人のペアは混合ダブルスで準優勝した。それ以後はテニスのトーナメント中にお互いの試合を応援するようになり、2003年12月に婚約したが、2004年10月22日にクライシュテルスが彼女の公式ホームページで婚約解消を発表した。その後ヒューイットは、2005年7月21日にオーストラリア人女優のベック・カートライト英語版と結婚し、3児がいる。

若い頃はコートマナーの悪さでテニス関係者から非難されることが多く、優勝した2001年全米オープンの2回戦で、黒人選手ジェームズ・ブレークに対する問題発言などのトラブルを起こしたこともある。またヒューイットが大事なポイントを決めた時に叫ぶ「COME ON!」は、男女を問わず多くの選手が真似をするなどの影響を及ぼした。

プレースタイル編集

オーストラリアン・フットボールで鍛え上げた強靭な足腰を活かし、どんな球にも喰らいつく足の速いストローク・プレーヤー。守備に秀でた選手であり、最大の武器はリターンと機敏なフットワーク、粘り強さ、そしてメンタルの強さである。

ボールに対する反応が良く、股関節が柔らかくて強いので、最後の一歩が大きくとれる。しかも踏ん張りが効くので、かなり厳しいボールを打たれてもしっかりと打ち返すことができる。それをベースにしたヒッティング・エリアの前後左右への広さが最大の特徴。また、リターンが良く、パスやロブも上手い[4]。 世界でも第一級のリターン力を持っており、反応の良さと、バランスの良さで相当厳しいサーブでもしっかりと打ち返せる[5]

しかし一発でエースを取れるショットがないので、相手が勝負を急がず、確実にチャンスを作って攻めてこられると、得意のカウンター・ショットも生かせず、攻め手が無くなってしまう弱点がある[6]

ATPツアー決勝進出結果編集

シングルス: 46回 (30勝16敗)編集

大会グレード
グランドスラム (2-2)
ATPワールドツアー・ファイナル (2-1)
ATPワールドツアー・マスターズ1000 (2-5)
ATPワールドツアー・500シリーズ (2-0)
ATPワールドツアー・250シリーズ (22–8)
サーフェス別タイトル
ハード (20–12)
クレー (2-0)
芝 (8-2)
カーペット (0-2)
結果 No. 決勝日 大会 サーフェス 対戦相手 スコア
優勝 1. 1998年1月5日   アデレード ハード   ジェイソン・ストルテンバーグ 3–6, 6–3, 7–6(4)
準優勝 1. 1999年1月11日   アデレード ハード   トーマス・エンクビスト 6–4, 1–6, 2–6
準優勝 2. 1999年3月8日   スコッツデール ハード   ジャン=マイケル・ギャンビル 6–7(2), 6–4, 4–6
優勝 2. 1999年5月3日   デルレイビーチ クレー   グザビエ・マリス 6–4, 6–7(2), 6–1
準優勝 3. 1999年10月25日   リヨン カーペット (室内)   ニコラス・ラペンティ 3–6, 2–6
優勝 3. 2000年1月10日   アデレード ハード   トーマス・エンクビスト 3–6, 6–3, 6–2
優勝 4. 2000年1月10日   シドニー ハード   ジェイソン・ストルテンバーグ 6–4, 6–0
優勝 5. 2000年3月6日   スコッツデール ハード   ティム・ヘンマン 6–4, 7–6(2)
優勝 6. 2000年6月12日   ロンドン   ピート・サンプラス 6–4, 6–4
準優勝 4. 2000年11月6日   シュトゥットガルト ハード (室内)   ウェイン・フェレイラ 6–7(6), 6–3, 7–6(5), 6–7(2), 2–6
優勝 7. 2001年1月8日   シドニー ハード   マグヌス・ノーマン 6–4, 6–1
優勝 8. 2001年6月11日   ロンドン   ティム・ヘンマン 7–6(3), 7–6(3)
優勝 9. 2001年6月18日   スヘルトーヘンボス   ギリェルモ・カナス 6–3, 6–4
優勝 10. 2001年9月10日   全米オープン ハード   ピート・サンプラス 7–6(4), 6–1, 6–1
優勝 11. 2001年10月1日   東京 ハード   ミシェル・クラトフヴィル 6–4, 6–2
優勝 12. 2001年11月12日   シドニー ハード (室内)   セバスチャン・グロジャン 6–3, 6–3, 6–4
優勝 13. 2002年2月25日   サンノゼ ハード (室内)   アンドレ・アガシ 4–6, 7–6(6), 7–6(4)
優勝 14. 2002年3月11日   インディアンウェルズ ハード   ティム・ヘンマン 6–1, 6–2
優勝 15. 2002年6月10日   ロンドン   ティム・ヘンマン 4–6, 6–1, 6–4
優勝 16. 2002年6月24日   ウィンブルドン   ダビド・ナルバンディアン 6–1, 6–3, 6–2
準優勝 5. 2002年8月12日   シンシナティ ハード   カルロス・モヤ 5–7, 6–7(5)
準優勝 6. 2002年11月4日   パリ カーペット (室内)   マラト・サフィン 6–7(4), 0–6, 4–6
優勝 17. 2002年11月11日   上海 ハード (室内)   フアン・カルロス・フェレーロ 7–5, 7–5, 2–6, 2–6, 6–4
優勝 18. 2003年3月3日   スコッツデール ハード   マーク・フィリプーシス 6–4, 6–4
優勝 19. 2003年3月10日   インディアンウェルズ ハード   グスタボ・クエルテン 6–1, 6–1
準優勝 7. 2003年8月4日   ロサンゼルス ハード   ウェイン・フェレイラ 3–6, 6–4, 5–7
優勝 20. 2004年1月12日   シドニー ハード   カルロス・モヤ 4–3, 途中棄権
優勝 21. 2004年2月16日   ロッテルダム ハード (室内)   フアン・カルロス・フェレーロ 6–7(1), 7–5, 6–4
準優勝 8. 2004年8月9日   シンシナティ ハード   アンドレ・アガシ 3–6, 6–3, 2–6
優勝 22. 2004年8月16日   ワシントンD.C. ハード   ジレ・ミュラー 6–3, 6–4
優勝 23. 2004年8月23日   ロングアイランド ハード   ルイス・オルナ 6–3, 6–1
準優勝 9. 2004年9月13日   全米オープン ハード   ロジャー・フェデラー 0–6, 6–7(3), 0–6
準優勝 10. 2004年11月22日   ヒューストン ハード   ロジャー・フェデラー 3–6, 2–6
優勝 24. 2005年1月10日   シドニー ハード   イボ・ミナール 7–5, 6–0
準優勝 11. 2005年1月31日   全豪オープン ハード   マラト・サフィン 6–1, 3–6, 4–6, 4–6
準優勝 12. 2005年3月21日   インディアンウェルズ ハード   ロジャー・フェデラー 2–6, 4–6, 4–6
準優勝 13. 2006年2月20日   サンノゼ ハード (室内)   アンディ・マリー 6–2, 1–6, 6–7(3)
準優勝 14. 2006年3月6日   ラスベガス ハード   ジェームズ・ブレーク 5–7, 6–2, 3–6
優勝 25. 2006年6月18日   ロンドン   ジェームズ・ブレーク 6–4, 6–4
優勝 26. 2007年3月5日   ラスベガス ハード   ユルゲン・メルツァー 6–4, 7–6(10)
優勝 27. 2009年4月12日   ヒューストン クレー   ウェイン・オデスニク 6–2, 7–5
優勝 28. 2010年6月12日   ハレ   ロジャー・フェデラー 3–6, 7–6(4), 6–4
準優勝 15. 2012年7月15日   ニューポート   ジョン・イスナー 6–7(1), 4–6
準優勝 16. 2013年7月14日   ニューポート   ニコラ・マユ 7–5, 5–7, 3–6
優勝 29. 2014年1月5日   ブリスベン ハード   ロジャー・フェデラー 6–1, 4–6, 6–3
優勝 30. 2014年7月13日   ニューポート   イボ・カロビッチ 6–3, 6–7(4), 7–6(3)

ダブルス: 8回 (3勝5敗)編集

結果 No. 決勝日 大会 サーフェス パートナー 対戦相手 スコア
準優勝 1. 2000年1月9日   アデレード ハード   サンドン・ストール   トッド・ウッドブリッジ
  マーク・ウッドフォード
4–6, 2–6
準優勝 2. 2000年1月16日   シドニー ハード   サンドン・ストール   トッド・ウッドブリッジ
  マーク・ウッドフォード
5–7, 4–6
優勝 1. 2000年8月21日   インディアナポリス ハード   サンドン・ストール   ヨナス・ビョルクマン
  マックス・ミルヌイ
7–6(3), 4–6, 7–6(3)
優勝 2. 2000年9月11日   全米オープン ハード   マックス・ミルヌイ   エリス・フェレイラ
  リック・リーチ
6–4, 5–7, 7–6(5)
準優勝 3. 2003年3月9日   スコッツデール ハード   マーク・フィリプーシス   ジェームズ・ブレーク
  マーク・マークレイン
4–6, 7–6(2), 6–7(5)
準優勝 4. 2010年4月25日   バルセロナ クレー   マーク・ノールズ   ダニエル・ネスター
  ネナド・ジモニッチ
6–4, 3–6, [6–10]
準優勝 5. 2013年2月17日   サンノゼ ハード
(室内)
  マリンコ・マトセビッチ   グザビエ・マリス
  フランク・モーサー
0–6, 7–6(5), [4–10]
優勝 3. 2014年7月13日   ニューポート   クリス・グッチョーネ   ジョナサン・エルリック
  ラジーブ・ラム
7–5, 6–4

4大大会優勝編集

  • ウィンブルドン 男子シングルス:1勝(2002年) [混合ダブルス準優勝1度:2000年]
  • 全米オープン 男子シングルス:1勝(2001年)/男子ダブルス:1勝(2000年)
大会 対戦相手 試合結果
2001年 全米オープン   ピート・サンプラス 7-6, 6-1, 6-1
2002年 ウィンブルドン   ダビド・ナルバンディアン 6-1, 6-3, 6-2

シングルス成績編集

4大大会編集

略語の説明
W  F  SF QF #R RR Q# LQ A WG Z# PO SF-B S G NMS NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加
WG=デビスカップワールドグループ, Z#=デビスカップ地域ゾーン, PO=デビスカッププレーオフ, SF-B=オリンピック銅メダル, S=オリンピック銀メダル, G=オリンピック金メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, NH=開催なし.

大会 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015 2016 通算成績
全豪オープン 1R 1R 2R 4R 3R 1R 4R 4R F 2R 3R 4R 1R 4R 1R 4R 1R 1R 2R 2R 32–20
全仏オープン A LQ 1R 4R QF 4R 3R QF A 4R 4R 3R 3R 3R A 1R 1R 1R A A 28–14
ウィンブルドン A LQ 3R 1R 4R W 1R QF SF QF 4R 4R QF 4R 2R 1R 2R 2R 1R A 41–16
全米オープン A LQ 3R SF W SF QF F SF QF 2R A 3R 1R A 3R 4R 1R 2R A 47–14

年間最終戦編集

大会 2000 2001 2002 2003 2004 2005 通算成績
ATPワールドツアー・ファイナル RR W W DNQ F A 13–5


大会最高成績編集

大会 成績
インディアンウェルズ W 2002, 2003
マイアミ SF 2000, 2001, 2002
モンテカルロ 3R 2004
マドリード 1R 2014
ローマ SF 2000
カナダ QF 2007
シンシナティ F 2002, 2004
上海 2R 2009
パリ F 2002
ハンブルク SF 2001, 2004, 2007
シュトゥットガルト F 2000
オリンピック 3R 2012
デビスカップ W 1999, 2003

ランキング編集

大会 1997 1998 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 2013 2014 2015
最終ランキング 550 100 25 7 1 1 17 3 4 20 21 67 22 54 188 80 60 50 307

脚注編集

外部リンク編集

タイトル
先代:
  グスタボ・クエルテン
  アンドレ・アガシ
世界ランキング1位
2001年11月19日–2003年4月27日
2003年5月12日–2003年6月15日
次代:
  アンドレ・アガシ
  アンドレ・アガシ