インドミタブル (空母)

インドミタブル (英語: HMS Indomitable, 92) はイギリス海軍航空母艦イラストリアス級の改良型で搭載機数の増加が図られている。ヴィッカース・アームストロング社(バロー・イン・ファーネス)にて建造された。「indomitable」は「不屈」の意味で、イギリス海軍の艦艇としてはインヴィンシブル級巡洋戦艦インドミタブルに続いて2代目。

インドミタブル
HMS Indomitable (92) underway 1943.jpg
HMS Indomitable (R92)
基本情報
建造所 ヴィッカース・アームストロング バロー造船所
運用者 イギリス海軍
艦種 航空母艦
級名 イラストリアス級航空母艦
次級 インプラカブル級航空母艦
艦歴
発注 1937年7月6日
起工 1937年11月10日
進水 1940年3月26日
就役 1941年8月26日
退役 1953年10月
除籍 1955年
その後 1955年にスクラップとして売却
要目
基準排水量 23,000 トン
全長 230 m
最大幅 29.0 m
吃水 8.83 m
機関 蒸気タービン
最大速力 30.5 ノット
航続距離 11,000海里/14ノット
乗員 士官、兵員1,329名から2,100名
兵装 4.5インチ対空砲8門、2ポンド対空砲48門
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設計編集

搭載機変遷
時期 機数 搭載機
1941年10月 12機 第800飛行隊フルマー×12)
1942年4月 45機 第800飛行隊(フルマー×12)
第827飛行隊(アルバコア×12)
第831飛行隊(アルバコア×12)
第880飛行隊(シーハリケーン×9)
1942年5月 45機 第800飛行隊(フルマー×8)
第806飛行隊(フルマー×4)
第827飛行隊(アルバコア×12)
第831飛行隊(アルバコア×12)
第880飛行隊(シーハリケーン×9)
1942年8月 58機 第800飛行隊(シーハリケーンIB×12)
第806飛行隊(マートレットII×10)
第827飛行隊(アルバコア×12)
第831飛行隊(アルバコア×12)
第880飛行隊(シーハリケーンIB×12)
1943年5月 45機 第807飛行隊(シーファイアLIIC×12)
第817飛行隊(アルバコア×15)
第880飛行隊(シーファイアIIC×14)
第899飛行隊(シーファイアIIC×14)
1944年8月 48機 第815飛行隊(バラクーダII×12)
第817飛行隊(バラクーダII×12)
第1839飛行隊(ヘルキャット×12)
第1844飛行隊(ヘルキャット×12)
1944年12月 50機 第857飛行隊(アベンジャーII×21)
第1839飛行隊(ヘルキャットI×15)
第1844飛行隊(ヘルキャット×14)
1945年1月 50機 第857飛行隊(アベンジャーII×21)
第1839飛行隊(ヘルキャットI×15)
第1844飛行隊(ヘルキャットI×14)
1945年2月 44機 第857飛行隊(アベンジャーII×15)
第1839飛行隊(ヘルキャットI・II×15)
第1844飛行隊(ヘルキャットI・II×14)
1945年5月 48機 第857飛行隊(アベンジャーII×15)
第1839飛行隊(ヘルキャットI・II×17)
第1844飛行隊(ヘルキャットI・II×16)

艦歴編集

ヴィッカース・アームストロングバロー造船所で建造。1941年8月26日に竣工した。独ソ戦開始時にイギリス海軍本部が練っていた極東シンガポール防衛に関する計画[1]ネルソン級戦艦R級戦艦、巡洋戦艦レナウン (HMS Renown) および空母2隻(アークロイヤルハーミーズ)を東洋艦隊に増強し、南方に侵攻してくるであろう日本陸軍海軍を阻止するという方針であった[2]。ところがウィンストン・チャーチル首相は「R級戦艦のような旧式艦を多数送るより、新鋭艦を基幹とする小規模部隊を送るのが妥当である。」と結論し、新鋭戦艦プリンス・オブ・ウェールズ (HMS Prince of Wales) 、巡洋戦艦レパルス (HMS Repulse) 、装甲空母インドミタブル (HMS Indomitable, 92) の極東派遣が決まる[2]、8月時点の軍令部次長だったトーマス・フィリップス中将(大将)が、東洋艦隊司令長官としてZ部隊(当初の名称はG部隊)を率いる運命を背負った[3]

就役したばかりのインドミタブルは、基礎訓練が必要だった。1941年11月18日、「インドミタブル」は船団と共にイギリスから出航した[4]。途中、ドイツの偵察機がいるとの情報を受けてアルバコア6機とフルマー2機が調査に向かったが、フルマー2機は未帰還となった[5]。片方の機の乗員は発見され救助された[5]。「インドミタブル」はバミューダ諸島経由で11月3日にジャマイカキングストンに到着したが、そこで座礁した[5]。 離礁作業にはコルベット「Clarkia」とカナダ掃海艇「クインテ」、「Clayoquot」が投入され[6]、座礁から約9時間後に離礁に成功した[7]。 既述のように「インドミタブル」はZ部隊の直衛空母としてシンガポールに回航される予定だったが[2]、この座礁で入渠修理する必要が生じ、代艦として軽空母「ハーミーズ」が東洋艦隊に編入された[8]。 東洋艦隊(Z部隊)が「インドミタブル」の修理を待たず、さらに「ハーミーズ」すら随伴しなかったことは、マレー沖海戦でZ部隊の主力艦2隻が沈没し、フィリップス長官が戦死する大きな要因となった[9]。「インドミタブル」の修理はアメリカ合衆国東海岸ノーフォーク海軍造船所でおこなわれた。

修理完了後、12月18日に出航し、南アフリカ経由で1942年(昭和17年)1月11日にアデンに到着した。インドミタブルは、シンガポールへ50機のハリケーン戦闘機を輸送する任務(セモリナII作戦)につくためポート・スーダンへ移動し、そこでハリケーンを搭載した。ただし、搭載時に2機が損傷したため、実際に搭載した第232飛行隊第258飛行隊のハリケーンは合計48機であった。インドミタブルは1月15日にポート・スーダンから出航し、1月27日と28日にハリケーンを発進させ[注釈 1]、2月2日にセイロン島トリンコマリーに寄港した。2月15日、極東における英連邦の最重要拠点シンガポール基地陥落し、イギリスは戦略の見直しを迫られる[11]

2月25日、ポートスーダン到着。インドミタブルは第30飛行隊第261飛行隊など、計48機のハリケーン戦闘機を載せ、2月27日に出港した。日本軍の蘭印作戦によりオランダ領東インドも大部分が占領され、ABDA艦隊スラバヤ沖海戦バタビア沖海戦で壊滅する[12]。残存する連合国の海上兵力や航空兵力はジャワ島から撤退した[13]。この戦況下、レイトン提督はジャワ島に配備予定だったハリケーン48機を独断で英領セイロンに配備し、シンクレア空軍大臣を激怒させたという(第二次世界大戦におけるセイロン[14]。その一方で、イギリス軍はセイロン島を防衛するため東洋艦隊を大幅に増強する[15]。空母に関しては、従来から東洋艦隊で行動中の本艦に加えて、姉妹艦フォーミダブル (HMS Formidable, R67) がインド洋に進出した[15]

3月9日、ジャワ島は日本軍により占領された[14]。3月22日、アメリカ西海岸で修理を終えた戦艦ウォースパイト (HMS Warspite) がトリンコマリーに到着し、27日には新任の東洋艦隊司令長官ジェームズ・サマヴィル提督が将旗を掲げた[16][注釈 2]。この時点での東洋艦隊は、サマヴィル提督直率のA部隊(戦艦ウォースパイト、空母フォーミダブル、インドミタブル、重巡ドーセットシャーコーンウォール、護衛の軽巡や駆逐艦など)と、リヴェンジ級戦艦4隻と軽空母ハーミーズ (HMS Hermes, 95) などで編成されたB部隊に分割されていた[18]。日本海軍の機動部隊に備えて、寄せ集めの東洋艦隊は洋上で演習を繰り返した[19]

4月5日、日本海軍南雲機動部隊がセイロン島コロンボを空襲し、分離行動中の重巡2隻が撃沈された[注釈 3]。東洋艦隊の大部分はアッドゥ環礁を拠点に行動しており、南雲機動部隊の攻撃を躱すことが出来た[21]。4月7日、南雲機動部隊がトインコマリーを空襲し、分離行動中のハーミーズや護衛部隊が撃沈された[22]。南雲機動部隊はコロンボとトインコマリーを空襲しただけで満足し、日本列島に戻っていった[20]。東洋艦隊は危ういところで虎口を逃れたのである[20]。しかしセイロン島はもちろんのこと、アッドゥ環礁も安全とはいえず、東洋艦隊の根拠地はケニヤモンバサキリンディニ港にまで後退した[20]

イギリス軍は「日本軍はセイロン島を攻略したあと、マダガスカルの良港を入手してアフリカ攻略の橋頭堡とするのではないか?」と懸念し、日本軍より先にマダガスカルを占領することを決意した[23]。1942年5月、イギリス軍はアイアンクラッド作戦マダガスカル侵攻作戦)を発動する。インドミタブル、空母イラストリアス (HMS Illustrious, R87) や他の多数の艦艇は作戦準備のため南アフリカダーバンに集結した。攻撃は5月5日にクーリエ湾で開始された。5月8日にインドミタブルはヴィシー政権側のフランス潜水艦モンジュ (Monge, Q144) に雷撃されるが魚雷ははずれ、同艦は英駆逐艦(アクティヴパンサー)により撃沈された[24]

 
1942年のペデスタル作戦時に撮られた「インドミタブル」

6月5日、南雲機動部隊はミッドウェー海戦で壊滅し、日本海軍がインド洋で大規模攻勢をかけてくる恐れは消えた[25]。本艦を含め、インド洋で活動していたイラストリアス級空母は地中海にむかう。本艦が次に参加した作戦は、ジブラルタルを拠点とするH部隊が実施したペデスタル作戦であった。これは陥落寸前の英領マルタに対する大規模輸送作戦であった(マルタ攻囲戦)。インドミタブルは喜望峰経由で大西洋に入り、他の参加艦艇と合流後地中海に入って地中海攻防戦に参加する。ペデスタル作戦に従事してマルタ島にむけ進撃中の8月12日、ドイツ空軍 (Luftwaffe) の第3急降下爆撃航空団英語版ドイツ語版に所属するJu-87 ストゥーカより急降下爆撃を受け、爆弾2発(乃至3発)が命中した。インドミタブルは大破し、44名が戦死した。この損傷の修理はリヴァプールで行われた。

1943年2月、修理完了。7月上旬以降、シチリア島上陸作戦(ハスキー作戦)にH部隊として参加した[26]。7月16日マルタ北東沖でイタリア王立空軍 (Regia Aeronautica) のサヴォイア・マルケッティ SM.79に襲撃され、魚雷1本を被雷する。H部隊の戦艦ウォースパイトが本艦をマルタまで護衛するよう命じられた[27]。インドミタブルは機関部に深刻な損傷を受けていたので、アメリカ東海岸のノーフォーク海軍工廠に入渠して本格的修理をおこなった。1944年5月まで修理を要した。

 
1944年に撮られた「インドミタブル」。着艦中の戦闘機はグラマン F4F マートレット

修理完了後イギリスに戻り、1944年6月12日に空母ヴィクトリアスと共にイギリスを離れ、地中海経由で7月7日にコロンボに到着した。東洋艦隊に編入されたインドミタブルは、8月19日にヴィクトリアス、戦艦ハウ (HMS Howe, 32) などと共に出撃し、8月24日にスマトラ島空襲を行った。(バンクェット作戦)。これ以降、9月18日にスマトラ島空襲、10月17日と19日にニコバル諸島空襲を実施した。

イギリス太平洋艦隊英語版が新たに編成されると、インドミタブルもそれに加わり、スマトラ島の製油所攻撃(ロブソン作戦レンティル作戦メリディアン作戦)に参加。続いて第一空母戦隊 (1st Aircraft Carrier Squadron) は沖縄戦に参加する(連合軍、海軍部隊戦闘序列)。アメリカ海軍の第5艦隊 (United States Fifth Fleet 5) 隷下においては、第57任務部隊 (Task Force 57) として行動する。1945年5月4日、インドミタブルは特攻機の突入を受けた。5月20日、Q級駆逐艦クィリアム英語版 (HMS Quilliam, G09)と衝突、駆逐艦側の復帰は第二次世界大戦後になった。

沖縄戦が終わると、第5艦隊は第3艦隊 (United States Third Fleet) となり、第57任務部隊も第37任務部隊 (Task Force 37) に改称した。1945年11月、インドミタブルはイギリスに戻った。1947年から1950年にかけて近代化改装がおこなわれその後本国艦隊に編入された。1953年10月に予備艦となり、1955年には除籍の上スクラップとして売却された。

ゲーム編集

World of warships において、tier8の艦艇として登場

アズールレーン において、SSR艦として登場

戦艦少女R において、図鑑No.319として登場。

脚注編集

[脚注の使い方]

注釈編集

  1. ^ 航行中にマレー半島をめぐる戦況が悪化したため、せっかくシンガポールへ輸送した英戦闘機もスマトラ島ジャワ島バタヴィアに避難している[10]
  2. ^ 前任のレイトン提督は、セイロン島基地司令長官に任命された[17]
  3. ^ レイトン提督の独断によりインドミタブルが運んだハリケーン戦闘機がなければ、コロンボは更に甚大な被害を受けていた可能性が高い[20]

出典編集

  1. ^ グレンフェル 2008, p. 78.
  2. ^ a b c グレンフェル 2008, p. 79.
  3. ^ グレンフェル 2008, p. 80.
  4. ^ The Illustrious & Implacable Classes of Aircraft Carrier 1940-1969, p. 117
  5. ^ a b c The Illustrious & Implacable Classes of Aircraft Carrier 1940-1969, p. 118
  6. ^ Warships of the Bay of Quinte, p. 86
  7. ^ The Illustrious & Implacable Classes of Aircraft Carrier 1940-1969, pp. 118-119
  8. ^ グレンフェル 2008, p. 81.
  9. ^ グレンフェル 2008, pp. 182–183.
  10. ^ グレンフェル 2008, p. 120.
  11. ^ グレンフェル 2008, p. 127.
  12. ^ グレンフェル 2008, pp. 132–135.
  13. ^ グレンフェル 2008, p. 130.
  14. ^ a b グレンフェル 2008, p. 140.
  15. ^ a b グレンフェル 2008, p. 137.
  16. ^ ウォースパイト 1998, pp. 206a-209東洋艦隊
  17. ^ グレンフェル 2008, p. 139.
  18. ^ ウォースパイト 1998, p. 207.
  19. ^ グレンフェル 2008, p. 141.
  20. ^ a b c d グレンフェル 2008, p. 147.
  21. ^ グレンフェル 2008, p. 144.
  22. ^ グレンフェル 2008, p. 146.
  23. ^ グレンフェル 2008, p. 148.
  24. ^ Paul Auphau, Jacques Mordal, The French Navy in World War II, United States Naval Institute, 1959, p.205
  25. ^ ウォースパイト 1998, p. 208.
  26. ^ ウォースパイト 1998, pp. 210–213ハスキー作戦(シ
  27. ^ ウォースパイト 1998, p. 211.

参考文献編集

  • ラッセル・グレンフェル 『プリンス オブ ウエルスの最期 主力艦隊シンガポールへ 日本勝利の記録』田中啓眞 訳、錦正社、2008年8月 (原著1953年)。ISBN 978-4-7646-0326-4 
  • V.E.タラント「第一〇章 ―「オールド・レディ」」 『戦艦ウォースパイト 第二次大戦で最も活躍した戦艦』井原祐司 訳、光人社、1998年11月。ISBN 4-906631-38-X 
  • Neil McCart, The Illustrious & Implacable Classes of Aircraft Carrier 1940-1969, Fan Publications, 2000, ISBN 1-901225-04-6
  • Roger Litwiller, Warships of the Bay of Quinte, Dundurn Press, 2011, ISBN 978-1-55488-929-7
  • BRITISH AND EMPIRE WARSHIPS OF THE SECOND WORLD WAR(Naval Institute Press)

関連項目編集

外部リンク編集