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エルナン・バルコスHernán Barcos, 1984年4月11日 - )は、アルゼンチンコルドバ州ベル・ビジェ出身の同国代表サッカー選手クルゼイロEC所属。ポジションはフォワード

エルナン・バルコス Football pictogram.svg
Barcos flickr.jpg
グレミオ時代(2014年)
名前
愛称 El Pirata(海賊)
ラテン文字 Hernán Barcos
基本情報
国籍 アルゼンチンの旗 アルゼンチン
生年月日 (1984-04-11) 1984年4月11日(35歳)
出身地 ベル・ビジェ英語版
身長 189cm
選手情報
在籍チーム ブラジルの旗 クルゼイロEC
ポジション FW (CF)
背番号 28
利き足 右足
ユース
1999-2003 アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ
クラブ1
クラブ 出場 (得点)
2004-2009 アルゼンチンの旗 ラシン・クラブ 3 (3)
2005-2006 パラグアイの旗 グアラニー (loan) 30 (12)
2006-2007 エクアドルの旗 オルメド(loan) 43 (22)
2007-2008 セルビアの旗 レッドスター (loan) 21 (3)
2008-2009 アルゼンチンの旗 ウラカン (loan) 17 (3)
2009 中華人民共和国の旗 上海申花 (loan) 14 (3)
2009 中華人民共和国の旗 深圳紅鑽 (loan) 14 (14)
2010-2011 エクアドルの旗 LDUキト 64 (38)
2012-2013 ブラジルの旗 パウメイラス 29 (14)
2013-2015 ブラジルの旗 グレミオ 69 (23)
2015 中華人民共和国の旗 天津泰達 29 (15)
2016-2017 ポルトガルの旗 スポルティングCP 8 (0)
2016 アルゼンチンの旗 ベレス (loan) 11 (2)
2017 エクアドルの旗 LDUキト (loan) 36 (21)
2018 エクアドルの旗 LDUキト 20 (9)
2018- ブラジルの旗 クルゼイロ 5 (1)
代表歴
2012 アルゼンチンの旗 アルゼンチン 4 (0)
1. 国内リーグ戦に限る。2018年8月19日現在。
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

目次

経歴編集

初期編集

クラブ・グアラニーCDオルメドレッドスター・ベオグラードCAウラカンとレンタル選手としてプレーしてきた。

2007年10月7日のFKバナト・ズレニャニン戦では、リーグ初得点を含む2得点を挙げレッドスターの勝ち点3獲得に貢献した。しかし、ラシン・クラブへ戻るも結果を残せなかった。

中国編集

2009年2月に、1年間のレンタルで中国サッカー・スーパーリーグ上海申花足球倶楽部と契約を結んだ[1]。しかし、前半戦は期待外れの結果(14試合3得点)に終わり、再び同リーグの深圳紅鑽足球倶楽部へとレンタルに出された。2009年9月16日の長春亜泰足球倶楽部では、キャリア初となるハットトリックを達成し4-0で勝利した。最終的に14試合14得点を挙げ、同リーグの得点王(17得点)の座に輝いた。

LDUキト編集

2010シーズン編集

チームを去った得点王のクラウディオ・ビエレール英語版の後釜として、2010年初頭に移籍した。開幕から5試合目にして得点を決め、ストライカーとしての地位を確立していくことになる。2010年のレコパ・スダメリカーナ決勝第1戦では、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ相手に重要な2得点を決め2-1で勝利すると、第2戦目を引き分けにし見事タイトル獲得に貢献。この活躍からファンから"El Pirata"の愛称で呼ばれるようになった。リーグ戦では、23得点で得点王になったハイメ・アジョビにあと一歩及ばなかったものの、22得点を挙げ得点ランク2位になり、チームをセリエA優勝に導いた。

2011シーズン編集

このシーズンのバルコスは、全大会で51試合25得点を記録した。2011年8月11日のマンタFCスペイン語版戦でクラブの選手達が様々な大会含めて達成出来なかった1試合で5得点を叩き込んだ。さらに、その得点力を示すようにコパ・スダメリカーナでは7得点を記録。準決勝のCAベレス・サルスフィエルド戦ではホームで2得点を決めると、続きアウェーでは1得点を決めクラブ史上初のブエノスアイレスでの勝利に貢献し、決勝へと駒を進めた。得点力を見せつけていたバルコスだが、決勝のCFウニベルシダ・デ・チレ戦では1得点も決められず敗退。結果、チームとしても個人としてもトロフィーを逃し2位に終わった。キトでの残りの試合は、クラブのファンから支持と評価を得た。ここで在籍して2年過ぎた後、様々な裕福なクラブからオファーが舞い込んだ。2012年1月にクラブへバルコス獲得のため、中東のクラブから800万ドルのオファーとSEパルメイラスから350万ドルのオファーが同時に来た。クラブは借金に苦しんでいたものの、バルコスの願いを聞き入れ、そして、2012年1月17日にバルコスはパルメイラスと契約を結んだ。

パルメイラス編集

2012年1月17日にブラジル全国選手権SEパルメイラスと契約したことが確認された[2]。1月22日に3-0で勝利したサンパウロ州選手権イトゥアーノFC戦で移籍後初得点を決めた[3]。その後バルコスはこのシーズンで合計27得点決めることを自身に課し、そこからカウントダウンが始まった。それに対しルイス・フェリペ・スコラーリ監督は、それを冗談と受け取り、もし達成したらシュラスコを奢ることを約束した[4]コパ・ド・ブラジルで8試合4得点を決め優勝に貢献すると、8月1日のコパ・スダメリカーナでは、初戦のボタフォゴFRで2得点を挙げた。現在、9月29日のリーグ戦AAポンチ・プレッタ戦で2得点を決め合計23得点を記録している[5]

スポルティングCP編集

2016年2月1日、フレディ・モンテーロとのトレードでスポルティングCPへ加入[6]。同年後半はCAベレス・サルスフィエルドでプレーした[7]

翌年1月にはアトレティコ・ナシオナルへの移籍交渉が進んでいたが破談となり、LDUキトへローンで復帰した[8]

代表編集

2012年8月23日に2014 FIFAワールドカップ・南米予選パラグアイ代表戦とペルー代表戦に向け、アレハンドロ・サベーラ監督によって招集された[9]が、試合に出場することはなかった。代わりに、9月19日のブラジル代表とのスーペルクラシコ・デ・ラス・アメリカスで先発出場し、アルゼンチン代表デビューを果たした。

エピソード編集

2012年2月16日、ヘジ・グローボのジャーナリストであるレオ・ビアンシにブラジル人歌手ゼ・ラマーリョ英語版との比較がされた後、それを嫌がったバルコスはビアンシに対して、"boludo"(ポルトガル語で "お尻")と呼んだ[10]

タイトル編集

クラブ編集

LDUキト
パルメイラス

個人編集

脚注編集

外部リンク編集