オウム真理教の国家転覆計画

オウム真理教の国家転覆計画(オウムしんりきょうのこっかてんぷくけいかく)とは、オウム真理教が企てた国家転覆計画。

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概要編集

1994年2月22日より、麻原彰晃一行は中華人民共和国を訪問した。この旅行には、村井秀夫新実智光井上嘉浩早川紀代秀遠藤誠一中川智正らの教団幹部が同行した。麻原はの太祖朱元璋の生まれ変わりを自称しており[1][2]南京(朱元璋時代の明の首都)の孝陵(朱元璋の陵墓)などの縁の地を巡った。旅の途中、麻原は「1997年、私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なす者はできるだけ早くポア(殺害)しなければならない」と説法し[3]日本国武力で打倒して「オウム国家」を建設し、更には世界征服をも念頭に置いている旨を明らかにした。

帰国後の2月27日には、都内のホテルで「このままでは真理の根が途絶えてしまう。サリン東京に70トンぶちまくしかない」と話した[4]

これ以降、教団は信者からの財産収奪、省庁制の発足、自動小銃やサリンなどの教団の兵器の大量生産、VXガスによる敵対者抹殺などの過激なテロ組織への道を突き進むことになった。1995年3月20日には帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄日比谷線霞ケ関駅をはじめとする朝の通勤電車や駅ホームにサリンをばらまき13名の死者と多数の負傷者をだした(地下鉄サリン事件)。

「11月戦争」編集

[5][6]

1995年3月警察による強制捜査により頓挫することになったが、教団は同年11月に「11月戦争」と呼ばれる「無差別大量殺戮計画」を企てていたことが明らかになった。

「11月戦争」計画によると、1995年11月教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布し、東京都民を大量殺戮する。そして日本の混乱に乗じて、の各軍隊による核戦争を誘発させる。その間、教団はサティアンに造られた屋内退避シェルターに篭り、核戦争終結後に日本を統治するというものであった。

「11月戦争」以外のテロ計画編集

毎日新聞社爆破計画[7][8]
オウム真理教に対して批判的な記事を書いていたサンデー毎日の出版を差し止めるべく、出版元である毎日新聞社の爆破計画があった。2 tトラックに爆弾を搭載し、輪転機がある(はずの)毎日新聞社地下に突っ込んで爆発させればサンデー毎日の出版を停止できるという計画だった。爆弾は村井秀夫が作る予定であった。計画はトラックが地下に入れないことと、そもそもサンデー毎日が地下の輪転機で印刷されているかが不明であったため、暗礁に乗り上げた。代替案として、直接爆弾を設置する計画があったが、早川がオウムのビラを毎日新聞社に置いてきたため足がつくことから頓挫した。
サンデー毎日編集長殺害計画(1989年11月)[9]
オウム批判キャンペーンを行っていたサンデー毎日に反撃するため、当時サンデー毎日の編集長を務めていた牧太郎を殺害する計画が立てられた。帰宅途中の牧を抑え込み殺害するというものであったが、牧太郎は多忙ゆえ計画は立ち消えとなったそこで標的を弁護士坂本堤に変更し、坂本堤弁護士一家殺害事件を起こすことになった。
日本本土ボツリヌス菌散布計画(1990年4月)
石垣島セミナーで教団信者が沖縄県石垣島に集まっている間に、本土でボツリヌス菌を散布する計画があったが失敗に終わった[10]
後に、皇居、霞ヶ関、米軍横須賀基地、浄水場のある川などにも散布が行われたが、効果は無かった[11]
皇太子成婚パレード炭疽菌散布計画(1993年6月)
皇太子成婚パレードの際に炭疽菌を散布すべく、散布地点の下見を行ったり、皇居に向けて炭疽菌散布の実験を行ったが準備不足により中止された[11]
亀戸異臭事件(1993年6月・7月)
教団施設から異臭を放ったことで、近隣住民の顰蹙を買ったが、後に炭疽菌散布による生物兵器テロ未遂事件であったことが明らかになった[12]。炭疽菌に関しては、その他にも、横浜や霞ヶ関に実際に散布したと新実智光が証言している[11]
第1空挺団乗っ取り計画(1994年~1995年)
陸上自衛隊第1空挺団の空挺団長長女を入信させ空挺団長も入信させる計画があった[13]。実際に井上嘉浩は諜報省の部下に対して、空挺団長の長女の住所を調べさせ、長女の住む千葉市美浜区マンションの電話回線に盗聴器を取り付けさせた[14]。しかし盗聴器の設置の仕方を誤ったためこの電話回線が通話不能となり、調査に訪れたNTT千葉支店の職員が警察に通報して発覚した[15]

関連項目編集

参考文献編集

脚注編集

  1. ^ 法廷全記録1、148頁。
  2. ^ 法廷全記録1、83頁。
  3. ^ 法廷全記録1、131頁。
  4. ^ 法廷全記録1、95頁。
  5. ^ 宝島30宝島301995年12月号、1995年、雑誌15985-12,P24-P34。
  6. ^ 宝島30宝島301996年1月号、1996年、雑誌15985-01,P37-P47。
  7. ^ 法廷全記録2、328頁-329頁。
  8. ^ 法廷全記録2、333頁。
  9. ^ 法廷全記録7、110頁。
  10. ^ 早川、165頁-166頁。
  11. ^ a b c 法廷全記録7、171頁。
  12. ^ 早川、186頁-188頁。
  13. ^ 佐木1996、99頁。
  14. ^ 佐木1996、99頁-100頁。
  15. ^ 佐木1996、101頁。