オウム真理教の国家転覆計画

オウム真理教の国家転覆計画(オウムしんりきょうのこっかてんぷくけいかく)とは、オウム真理教が企てた国家転覆計画。

目次

概要編集

オウム真理教の教祖麻原彰晃は、盲学校時代に「ロボット帝国をつくりたい[1]と述べたり、1985年には「アビラケツノミコト(神軍を率いる光の命)になれ」と啓示を受けたと述べる[2]などかねてから武力への傾倒があった。

特に1990年第39回衆議院議員選挙真理党が惨敗してからはその傾向を強め、「今回の選挙の結果は、はっきり言って惨敗、で、何が惨敗なのかというと、それは社会に負けたと。(略)つまり、国家に負けたと」[3]、「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったのでこれからはヴァジラヤーナでいく[4]、「この人類を救えるのはポアしかない、今の人類はポアするしかない[5]といった発言を行った。

1993年から1994年にかけてオウムはサリンVXを実用化、「もうこれからはテロしかない[6]、「すべての魂をポアするぞ[7]として、松本サリン事件などこれらを利用したテロを相次いで実行した。他にもオカムラ鉄工を乗っ取りAK-74の生産を試みたり(自動小銃密造事件)、Mi-17の購入、サリンプラントの建設、光学兵器の研究など教団の兵器の開発を行った。またテロのため大阪西成区などで人を集め行動部隊白い愛の戦士を結成した。

麻原は一代で全国統一を成したの太祖朱元璋の生まれ変わりを自称しており、1994年2月22日より麻原彰晃ら一行が中華人民共和国孝陵(朱元璋の陵墓)などの縁の地を巡った際には、同行した村井秀夫新実智光井上嘉浩早川紀代秀遠藤誠一中川智正[8][9]対し旅の途中、麻原は「1997年、私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なす者はできるだけ早くポアしなければならない」と説法し[10]日本国武力で打倒して「オウム国家」を建設し、更には世界征服をも念頭に置いている旨を明らかにした。帰国後の2月27日には、都内のホテルで「このままでは真理の根が途絶えてしまう。サリン東京に70トンぶちまくしかない」と話したという[11]

1995年3月20日には帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄霞ケ関駅をはじめとする朝の通勤電車や駅ホームにサリンをばらまき13名の死者と多数の負傷者をだした(地下鉄サリン事件)。これが単純に強制捜査延期を目的としたものか国家転覆・ハルマゲドンの一端であったのかは議論がある

「11月戦争」編集

1995年1月読売新聞による上九一色村のサリン残留物スクープ、3月警察による強制捜査により頓挫することになったが、教団は同年11月に「11月戦争」と呼ばれる「無差別大量殺戮計画」を企てていたことが明らかになった。

「11月戦争」計画によると、1995年11月教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布し、東京都民を大量殺戮する。そして日本の混乱に乗じて、の各軍隊による核戦争を誘発させる。その間、教団はサティアンに造られた屋内退避シェルターに篭り、核戦争終結後に日本を統治するというものであった[12][13]

「11月戦争」以外のテロ計画編集

日本本土ボツリヌス菌散布計画(1990年)
「現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」として、 石垣島セミナーで教団信者が沖縄県石垣島に集まっている間に、本土でボツリヌス菌を散布する計画があったが、ボツリヌス菌開発に失敗、中止された[14][4] 。ボツリヌス菌風船爆弾の実験も行ったが効率が悪いのでこれも中止された。
後に、皇居、霞ヶ関、米軍横須賀基地、浄水場のある川などにも散布が行われたが、効果は無かった[15]。1990年6月、「川に汚物を放流している」として村井秀夫新実智光が山梨県警に検挙された[16]
ホスゲン爆弾計画(1990年)
化学兵器のホスゲンを利用した爆弾を製造し、無差別テロを行う計画があった[17]
皇太子成婚パレード炭疽菌散布計画(1993年6月)
皇太子成婚パレードの際に炭疽菌を散布すべく、散布地点の下見を行ったり、皇居に向けて炭疽菌散布の実験を行ったが準備不足により中止された[15]
首都圏炭疽菌散布計画(1993年~)
1993年、亀戸の教団施設から炭疽菌散布実験を行い、異臭を放ったことで近隣住民の顰蹙を買った(亀戸異臭事件)。後になって生物兵器テロ未遂事件であったことが明らかになった[18]。異臭事件の後、国会議事堂皇居、「フリーメイソンの建物」、創価学会東京タワー横浜霞ヶ関などに実際に散布したが効果は無かったと新実智光杉本繁郎が証言している[15][19]。軍事用が入手できず、無害化されたワクチン株を有毒化しようとし失敗したことが理由とされる[16]
神宮球場サリン散布計画(1993年)
今上天皇神宮球場を訪れるという情報を入手、この際サリンを散布する計画があり、早川紀代秀が神宮球場の構造を調べることころまで進んでいた[20]
第1空挺団乗っ取り計画(1994年~1995年)
陸上自衛隊第1空挺団の空挺団長長女を入信させ空挺団長も入信させる計画があった[21]。実際に井上嘉浩は諜報省の部下に対して、空挺団長の長女の住所を調べさせ、長女の住む千葉市美浜区マンションの電話回線に盗聴器を取り付けさせた[22]。しかし盗聴器の設置の仕方を誤ったためこの電話回線が通話不能となり、調査に訪れたNTT千葉支店の職員が警察に通報して発覚した[23]
東京爆破計画(1995年)
地下鉄サリン事件後、矛先を逸らすため極左過激派の仕業に見せかけて目白通り石油コンビナート東京タワーを爆破したり、都庁プロパンガス20本を積載したトラックで攻撃する計画があり、麻原の指示でオウム諜報省の井上嘉浩富永昌宏が調査したが到底無理であるため中止された。代わりに新宿駅青酸ガス事件東京都庁小包爆弾事件が実行された[24].。

関連項目編集

参考文献編集

脚注編集

  1. ^ 東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』2003年 140頁
  2. ^ オウム真理教元信徒広瀬健一の手記 序章 1頁 浄土真宗大谷派円光寺ウェブサイト
  3. ^ オウム真理教(1983~1999年)の活動経緯の総括ひかりの輪公式サイト
  4. ^ a b 松本智津夫被告 法廷詳報告 林郁夫被告公判カナリヤの会公式サイト
  5. ^ 佐木1996b、200頁
  6. ^ オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1994年 ひかりの輪公式サイト
  7. ^ オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1993年 ひかりの輪公式サイト
  8. ^ 法廷全記録1、148頁
  9. ^ 法廷全記録1、83頁
  10. ^ 法廷全記録1、131頁
  11. ^ 法廷全記録1、95頁
  12. ^ 宝島30宝島301995年12月号、1995年、雑誌15985-12,P24-P34。
  13. ^ 宝島30宝島301996年1月号、1996年、雑誌15985-01,P37-P47。
  14. ^ 早川、165頁-166頁
  15. ^ a b c 法廷全記録7、171頁
  16. ^ a b 上祐総括:オウム入信から現在まで ひかりの輪公式サイト
  17. ^ 渡邉学『南山宗教文化研究所所蔵オウム真理教関係未公開資料の意義について』 2009年 南山宗教文化研究所
  18. ^ 早川、186頁-188頁
  19. ^ 青沼陽一郎『オウム裁判傍笑記』 233頁
  20. ^ 江川 251頁
  21. ^ 佐木1996、99頁
  22. ^ 佐木1996、99頁-100頁
  23. ^ 佐木1996、101頁
  24. ^ 江川 118頁