オウム真理教の国家転覆計画

オウム真理教の国家転覆計画(オウムしんりきょうのこっかてんぷくけいかく)とは、オウム真理教が企てた国家転覆計画。

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概要編集

オウム真理教の教祖麻原彰晃は、盲学校時代に「ロボット帝国をつくりたい[1]と語ったり、1985年には「アビラケツノミコト(神軍を率いる光の命)になれ」と啓示を受けたと述べる[2]などかねてから武力への傾倒があった。

1988年頃には既に「今やヨハネの黙示録の封印を解くべき時が来た」「力で良い世界をつくる。これこそ、タントラ・ヴァジラヤーナの世界だ。シヴァ神は、シヴァ神への強い信仰を持ち続けたタントラ修行者が、諸国民を支配することを望んでいらっしゃるんだ」などとハルマゲドンの接近を主張していた[3]1989年男性信者殺害事件の際には「私は、救済の道を歩いている。多くの人の救済のために、悪業を積むことによって地獄に至っても本望である」と犯罪を肯定する発言をしている[4]

特に1990年第39回衆議院議員選挙真理党が惨敗してからはその傾向を強め、「今回の選挙の結果は、はっきり言って惨敗、で、何が惨敗なのかというと、それは社会に負けたと。(略)つまり、国家に負けたと」[5]、「オウムは反社会、反国家である。どぶ川のなかで美しく咲く蓮華のようにあり続けるためには、反社会でなければならない。よって、国家、警察、マスコミこれすべてこれからも敵にまわってくる」[6]、「今の世の中はマハーヤーナでは救済できないことが分かったのでこれからはヴァジラヤーナでいく[4]、「この人類を救えるのはヴァジラヤーナしかない、今の人類はポアするしかない[7]といった発言を行った。

1993年から1994年にかけてオウムはサリンVXを実用化、「もうこれからはテロしかない[8]、「すべての魂をポアするぞ[9]、「神々の世界に行くためにはポアしまくるしかない[3]として、松本サリン事件などこれらを利用したテロを相次いで実行した。他にもオカムラ鉄工を乗っ取りAK-74の生産を試みたり(自動小銃密造事件)、Mi-17の購入、サリンプラントの建設、光学兵器の研究など教団の兵器の開発を行った。またテロのため大阪西成区などで人を集め行動部隊白い愛の戦士を結成した。

麻原は一代で全国統一を成したの太祖朱元璋の生まれ変わりを自称しており、1994年2月22日より麻原彰晃ら一行が中華人民共和国孝陵(朱元璋の陵墓)などの縁の地を巡った際には、同行した村井秀夫新実智光井上嘉浩早川紀代秀遠藤誠一中川智正[10][11]対し旅の途中、麻原は「1997年、私は日本の王になる。2003年までに世界の大部分はオウム真理教の勢力になる。真理に仇なす者はできるだけ早くポアしなければならない」と説法し[12]日本国武力で打倒して「オウム国家」を建設し、更には世界征服をも念頭に置いている旨を明らかにした。帰国後の2月27日には、都内のホテルで「このままでは真理の根が途絶えてしまう。サリン東京に70トンぶちまくしかない」と話したという[13]

1995年3月20日には帝都高速度交通営団(現・東京地下鉄霞ケ関駅をはじめとする朝の通勤電車や駅ホームにサリンをばらまき13名の死者と多数の負傷者をだした(地下鉄サリン事件)。これが単純に強制捜査延期を目的としたものか国家転覆・ハルマゲドンの一端であったのかは議論がある

「11月戦争」編集

1995年1月の読売新聞による上九一色村のサリン残留物スクープ、3月の警察による強制捜査により頓挫することになったが、教団は同年11月に「11月戦争」と呼ばれる「無差別大量殺戮計画」を企てていたことが明らかになった。

「11月戦争」計画によると、1995年11月教団所有の軍用ヘリコプターを使って東京上空からサリンを散布し、東京都民を大量殺戮する。そして日本の混乱に乗じて、の各軍隊による核戦争を誘発させる。その間、教団はサティアンに造られた屋内退避シェルターに篭り、核戦争終結後に日本を統治するというものであった[14][15]

「11月戦争」以外のテロ計画編集

日本本土ボツリヌス菌散布計画編集

1990年3月、麻原は幹部20名ほどを集め、「現代人は生きながらにして悪業を積むから、全世界にボツリヌス菌をまいてポアする」「中世ではフリーメーソンペスト菌をまいた。それでヨーロッパの人口は3分の1か4分の1になった。今回まくものは白死病と呼ばれるだろう」「本来ならばこれは神々がすることであるが、神々がやると残すべき人を残すことができないので我々でやる。オウムの子供たちを残していく」として[3]、ボツリヌス菌による無差別テロを計画。4月の石垣島セミナーで教団信者が沖縄県石垣島に集まっている間に、本土で菌を散布する計画があったが、開発に失敗、中止された[16][4] 。最初は信者を逃がす計画はなく、信者もろとも皆殺しにするつもりであったが上祐史浩早川紀代秀が抗議したので逃がすことになった[17][18]

首都圏ボツリヌス菌散布計画編集

1990年4月~5月、皇居、霞ヶ関、米軍横須賀基地、浄水場のある川などにボツリヌス菌を散布したが、効果は無かった[19]。ボツリヌス菌風船爆弾の実験も行ったが効率が悪いので中止された。1990年6月には「川に汚物を放流している」として村井秀夫新実智光が山梨県警に検挙された[18]

ホスゲン爆弾計画編集

1990年、化学兵器のホスゲンで無差別テロを行う計画があり[7]、第1サティアンや波野村でホスゲンプラントをつくっていたが完成せず1991年には中止された[3]

皇太子成婚パレード炭疽菌散布計画編集

1993年6月、皇太子成婚パレードの際に炭疽菌を散布すべく、散布地点の下見を行ったり、皇居に向けて炭疽菌散布の実験を行ったが準備不足により中止された[19]

首都圏炭疽菌散布計画編集

1993年6月28日と7月2日に、亀戸の教団施設から炭疽菌散布実験を行い、異臭を放ったことで近隣住民の顰蹙を買った(亀戸異臭事件)。後になって生物兵器テロ未遂事件であったことが明らかになった[20]。異臭事件の後、杉本繁郎らがトラックを運転し国会議事堂皇居、「フリーメイソンの建物」、創価学会東京タワー横浜霞ヶ関などに実際に散布したが効果は無かった。麻原もトラックに乗り込み指揮をしていた[19][21][18]

神宮球場サリン散布計画編集

1993年、天皇が神宮球場を訪れるという情報を入手、この際サリンを散布する計画があり、早川紀代秀が神宮球場の構造を調べることころまで進んでいた[22]

米国サリン散布計画編集

1994年、アメリカ合衆国サリンを輸送しテロを行う計画があり、井上嘉浩らが携わった。サリンは仏像に隠して送る予定だったが、サリンプラント計画がうまくいかず中止された[23]

第1空挺団乗っ取り計画編集

1994年から1995年に、陸上自衛隊第1空挺団の空挺団長長女を入信させ空挺団長も入信させる計画があった[24]。実際に井上嘉浩は諜報省の部下に対して、空挺団長の長女の住所を調べさせ、長女の住む千葉市美浜区マンションの電話回線に盗聴器を取り付けさせた[25]。しかし盗聴器の設置の仕方を誤ったためこの電話回線が通話不能となり、調査に訪れたNTT千葉支店の職員が警察に通報して発覚した[26]

首都圏爆破テロ計画編集

1995年3月20日の地下鉄サリン事件後、「社会の対立し合う勢力をぶつけて混乱を引き起こし、捜査撹乱を行え」「30日ごとにテロをやりつづけろ」として[27]、矛先を逸らすため極左過激派の仕業に見せかけて目白通り石油コンビナート東京タワー東京都知事候補者の自宅を爆破したり、都庁プロパンガス20本を積載したトラックで攻撃する計画があり、麻原の指示で井上嘉浩富永昌宏が調査したが到底無理であるため中止された。代わりに新宿駅青酸ガス事件東京都庁小包爆弾事件が実行された[28]ダイオキシンを散布するというプランもあった[27][29]

関連項目編集

参考文献編集

脚注編集

  1. ^ 東京キララ社編集部『オウム真理教大辞典』2003年 140頁
  2. ^ オウム真理教元信徒広瀬健一の手記 序章 1頁 浄土真宗大谷派円光寺ウェブサイト
  3. ^ a b c d 平成7合(わ)141 殺人等 平成16年2月27日 東京地方裁判所
  4. ^ a b c 松本智津夫被告 法廷詳報告 林郁夫被告公判カナリヤの会公式サイト
  5. ^ オウム真理教(1983~1999年)の活動経緯の総括ひかりの輪公式サイト
  6. ^ テレビレビュー NHKスペシャル『未解決事件』 宗教情報センター
  7. ^ a b 渡邉学『南山宗教文化研究所所蔵オウム真理教関係未公開資料の意義について』 2009年 南山宗教文化研究所
  8. ^ オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1994年 ひかりの輪公式サイト
  9. ^ オウムの教訓 -オウム時代の反省・総括の概要- 1993年 ひかりの輪公式サイト
  10. ^ 法廷全記録1、148頁
  11. ^ 法廷全記録1、83頁
  12. ^ 法廷全記録1、131頁
  13. ^ 法廷全記録1、95頁
  14. ^ 宝島30宝島301995年12月号、1995年、雑誌15985-12,P24-P34。
  15. ^ 宝島30宝島301996年1月号、1996年、雑誌15985-01,P37-P47。
  16. ^ 早川、165頁-166頁
  17. ^ 早川、128頁。
  18. ^ a b c 上祐総括:オウム入信から現在まで ひかりの輪公式サイト
  19. ^ a b c 法廷全記録7、171頁
  20. ^ 早川、186頁-188頁
  21. ^ 青沼陽一郎『オウム裁判傍笑記』 233頁
  22. ^ 江川1997 251頁
  23. ^ 江川2000、350頁
  24. ^ 佐木1996、99頁
  25. ^ 佐木1996、99頁-100頁
  26. ^ 佐木1996、101頁
  27. ^ a b 富永昌宏被告-判決要旨 カナリヤの会
  28. ^ 江川1997年、118頁
  29. ^ 平成11(う)2136 爆発物取締罰則違反等被告 平成14年7月5日 東京高等裁判所