カフェ

コーヒーなどを飲ませる飲食店

カフェ: café: caffè)は、本来コーヒーの意味。転じて、コーヒーなどを飲ませる飲食店を意味する。ヨーロッパの都市に見られるある種の飲食店を意味し、特にパリウィーンのものが知られる。新聞や雑誌がそこで読め、時の話題について談笑し、情報交換のできる場所として親しまれている。

目次

名称編集

各国語の表記・発音は以下の通り。

カフェの特徴編集

建築家のクリストファー・アレグザンダーはストリート・カフェの存在理由について、「人びとが衆目のなかで合法的に腰をおろし、移りゆく世界をのんびり眺められる場所としての機能」を挙げている[1]。つまり、カフェは都市空間に溶け込むという都市生活者の潜在的な願望を叶える場所といえる。

また、アレグザンダーは繁盛するストリート・カフェの基本条件を挙げている[1]

  1. 地元の常連客と、その意識を共有するスタッフがコアを形成している。
  2. オープンスペースと、それ以外の空間が別にあり、思い思いの流儀で時間を過ごせる。
  3. アルコールメニューがあったとしても、朝でも夜でも出かけたくなる場所という意味でバーとは異なる。

パリの典型的なカフェ編集

街路に面し、歩道にせり出してテーブルや椅子が置かれている。店内にはカウンターやテーブル席もある。一般的に、立ち飲みとカウンター席が最も安く、次に店内テーブル席となり、テラス席が一番高い(1物3価方式)。店のある場所やメニューによって違いがあるが、テラス席はカウンター席のおよそ2-3倍くらいと考えてよい。給仕は原則としてウェイターで、用を頼みたい時は「ムッシュ」(英語の「ミスター」相当)と呼びかける(「ギャルソン」は「坊主」に相当し、現在ではたとえ悪意がなくても侮蔑語になるので使わない)。

カフェを頼むと、エスプレッソが出てくるため、日本でいう普通のコーヒーを注文する場合は、特に「カフェ・アロンジェ(Café allongé、“コーヒー、薄めで”)」と注文する必要がある。その他、ビールワインサンドイッチなどを置いている。

基本的にパリのカフェには有名店以外クーラーがないため、盛夏時は比熱の関係で涼しい店内テーブル席やカウンター席に座る人が多い。冬はもちろん店内席の方が暖かい。有名店には、冬でもテラス席に座りたい人のために、テラス用屋外ヒーターを設置している店もある。こういう人達はもちろん厚着をしている。トワレは地下にあるのが普通である。

カフェ小史編集

 
ウィーンのカフェ・ツェントラル(Café Central)。
起源

エチオピア南西部にあったKingdom of Kaffa1390年1897年)からもたらされたと、Antonius Faustus Naironus[2]の著書 "De saluberrima potione cahve"(1671)[3] に記されている。17世紀にはエチオピアのコーヒーはモカに集積され、オスマン帝国へ納税してから出荷された。カフェやモカの語源は、現在のエチオピア南部諸民族州の少数民族の名前(カフィチョ人フランス語版、Mocha/Sheka)に由来している。

イスラム圏
イスラム圏にはヨーロッパより古くからコーヒーを飲ませる店があった。16世紀にはサファヴィー朝オスマン帝国に普及が始まった。史上初めてのカフェが登場したのは、1554年コンスタンティノープル(現イスタンブール)だった。オスマン帝国でカフェは、トルコ語で「コーヒー」を意味する"Kahve"から転訛した"Kafe"の名称で知られた。
ウィーン
第二次ウィーン包囲で敗走したオスマン軍の陣営のコーヒー豆がポーランド・リトアニア共和国軍イェジ・フランチシェク・クルチツキ英語版へ払い下げられ、軍を退役したクルチツキは1686年にウィーンで初めてのカフェ「青いボトルの下の家英語版」(ドイツ語: Hof zur Blauen Flasche)を開業したと言われる。その後、18-19世紀に店舗の数も増え、かつて文学者や芸術家が通ったという名物カフェが観光名所になっている。
ロンドン
ロンドンでは17世紀後半からコーヒー・ハウスが流行した。こちらの方がパリのカフェよりも歴史は古いが、後にはパブに取って代わられた。
パリ
現存するフランス最古のカフェ(café)がパリのカフェ・プロコップで1686年の創業。18世紀に入るころには300軒ほどのカフェがあり、フランス革命前には700軒ほどになっていたという。ルソーディドロといった思想家のほか革命家や政治家もカフェに集まり、議論を行ったり、密議をこらす場面が見られた。カフェはフランス人の生活に根付いており、ヴェルレーヌランボーマラルメピカソなどの文化人、芸術家が出入りしたドゥ・マゴ・パリ(fr)も有名。
路上に椅子やテーブルを置く開放された営業スタイルを始めたカフェは1856年の「カフェ・エルデール」が最初である。この営業慣習は第三共和政の頃に一般的になったが、「メゾン・ドレ」のようなブルヴァールに面したカフェは庶民や一見客用の表口とは別に、上流階級用の個室への裏口が設けられていた[4]
ヴェネツィア
サンマルコ広場にあるカッフェ・フローリアン(Caffè Florian)は、Caffè Latteカフェラッテの発祥店でもある。1720年12月29日サン・マルコ広場に創業し、現在も同じ場所で営業している。当初はアッラ・ヴェネツィア・トリオンファンテ (Alla Venezia Trionfante) と名付けられたが、 現在では創業者であるフロリアーノ・フランチェスコーニ (Floriano Francesconi) の名をとって、フローリアンと呼ばれる。
向かい側の回廊には、1638年創業のカッフェ・クアードリがある。

イタリアのバール編集

バール(bar)は、イタリア・スペインなどの南欧にある軽食喫茶店の事を差す。食事にも重点をおいたリストランテ・バールから、コーヒー中心のカフェ・バール、 アイスクリーム中心のジェラテリア・バールなど様々なものがある。

カウンターで立ち飲みするスタイルで、バリスタがエスプレッソやカプチーノなどを作って提供する。朝食をとったり仕事帰りに気軽に立ち寄って一杯飲んでいく。軽食(パニーノ)や夏場ならジェラートなどが用意されている店も多い。公衆電話やトイレを備えるため、休憩所にも利用される。バスや電車の乗車券煙草くじ(主にトトカルチョの)などを売るタバッキ(日本でのコンビニエンスストアに近い)や、雑貨店など他の商店を兼ねている店も多い。

語源はバー(同じ綴り イタリアではラテン系読みになっているだけ)に由来するが、バーのように類が主ではなく、喫茶地域情報交換場所として使用されている。夜は酒類も注文可能なことが多い。古くは男性のみが集まる場所であったが、女性の社会進出に伴い女性単独での利用も当たり前となった。テーブル席を別メニューとして高い料金をとる場合[5]が多く、カウンターに比べてあまり利用されない。

日本のカフェ編集

 
近代建築を活用したカフェの例

日本では、明治時代の終わりに大阪の箕面市でコーヒーを提供する「カフェー・パウリスタ」が開店した。また、同時期、銀座にカフェー・プランタンが開業した。パリのカフェのような芸術家の集まるサロンを目指したが、本場のカフェでは男性が給仕をするのに対し、プランタンでは女給を置いた。これが評判になり多くのカフェーが出店したが、社交喫茶などコーヒーよりもアルコール類を提供する風俗営業の業態に変質していった。

戦後になり、オープンスペースのカフェとは正反対のコンセプトである喫茶店が流行したが、コーヒーにこだわりのない喫茶店の多くは1980年代に衰退していった。また、ナイトライフの場として、1981年頃からカフェとバーを結合したカフェバーが台頭する。しかし、空間偏重の中途半端なコンセプトのもとに創られたカフェバーは、20世紀末にはほぼ消滅した[6]

20世紀末以来、スターバックスなどアメリカ西海岸より、コーヒー豆のオリジナルロースティングで差別化を図るカフェスタイルが世界のカフェビジネスに波及し始める。日本のカフェもその影響から、バリスタと呼ばれる専門職によってデザインされたコーヒーを提供する店が増えている[7]。同様に、店舗の構造も開放的なバックヤードとテイクアウトカウンターを備えたカフェが主流となっている[6]

日本では、カフェの名称はほぼ喫茶店等飲食のできるインターネットカフェオープンカフェなどのような業種の総称として使われている。

ギャラリー編集

脚注編集

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  1. ^ a b 青山 2015, pp. 114-118.
  2. ^ Antonius Faustus Naironusは17世紀のマロン派修道士で、ガルシュニ英語版文字で書かれたアラビア語新約聖書を編集した。
  3. ^ ラテン語で記されている。
  4. ^ 北山晴一『おしゃれの社会史』<朝日選書> 朝日新聞社 1991年 ISBN 4022595183 pp.206-215.
  5. ^ レストランの閉店時間でもバールは開いていることがあり、テーブル席はそれに代わる役割もある。
  6. ^ a b 青山 2015, pp. 119-133.
  7. ^ 青山 2015, pp. 119-125.

参考文献編集

  • 青山忠靖、原田保(編)、2015、「トーキョーカフェのスタイルデザイン」、『食文化のスタイルデザイン』、大学教育出版〈地域デザイン学会叢書〉 ISBN 9784864293389

関連項目編集