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クリス・マルコフChris Markoff1940年 - )は、ユーゴスラビア出身の元プロレスラー北米に移民後、ロシア人ギミックヒールとして活動した(ギミック上の出身地はロシアスターリングラード[1]

クリス・マルコフ
プロフィール
リングネーム クリス・マルコフ
ボリス・ボルコフ
ボリス・カメロフ
ニックネーム ロシアの妖怪
身長 185cm
体重 120kg(全盛時)
誕生日 1940年????[1]
出身地 ユーゴスラビアの旗 ユーゴスラビア[1]
デビュー 1960年
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日本プロレス時代のアントニオ猪木ワールドリーグ戦で初優勝したときの対戦相手として知られる[1]

来歴編集

1960年ヨーロッパでデビューし、バルカン地区の王者となった後、1963年カナダを経由してアメリカのマット界に進出したという[1]

アメリカではボリス・ボルコフBoris Volkoff)と名乗り、ニコライ・ボルコフ(後にWWFで活躍するヨシップ・ペルゾビッチとは別人)[2]とのボルコフ・ブラザーズで活動[1]。その後、1960年代中盤よりクリス・マルコフと改名し、インディアナポリスWWAにてアンジェロ・ポッフォランディ・サベージの父親)とデビルズ・デュオThe Devil's Duo)なるタッグチームを結成。ボビー・ヒーナンマネージャーに従え、ディック・ザ・ブルーザー&クラッシャー・リソワスキーの極道コンビを相手にWWA世界タッグ王座を巡る抗争を繰り広げた[1]

デビルズ・デュオ解散後の1967年11月1日には、負傷したラリー・ヘニングの代打としてハーリー・レイスのパートナーとなり、AWA世界タッグ王座を継承。しかし11月3日、シカゴにてパット・オコーナー&ウイルバー・スナイダーに敗れて王座から陥落、文字通りの三日天下に終わった[3]。その後、1968年テキサスダラス地区に入り、フリッツ・フォン・エリックとテキサス・ブラスナックル王座を争っている[4]

1969年4月、日本プロレスの第11回ワールドリーグ戦に初来日。外国人陣営ではボボ・ブラジルゴリラ・モンスーンに次ぐ3番手のダークホース的存在だったが[1]、モンスーンが不調だったこともあり、ブラジルと同点の首位という戦績を残す。日本人陣営もジャイアント馬場アントニオ猪木が同点で首位となり、5月16日の東京都体育館での優勝決定戦では4選手による決勝トーナメントが行われたが、第1試合の馬場対ブラジルが時間切れ引き分けで両者失格となったため、第2試合の猪木対マルコフがそのまま決勝戦となった。試合は猪木が勝利し、マルコフは優勝を逸したものの、猪木のワールドリーグ戦初優勝の相手を務めたことで、日本のプロレス史にその名を残した(この一戦は、猪木の卍固めを一躍有名にしたことでも知られている)[1]

帰米後はロサンゼルス地区でのミル・マスカラスとの抗争を経て、同じユーゴスラビア出身のブロンコ・ルービッチ[5]とのタッグで活動。フロリダ地区では1969年10月25日、サム・スティムボート&サイクロン・ネグロを破りNWAフロリダ・タッグ王座を獲得[6]1971年にはダラス地区にて、ジョニー・バレンタイン&ワフー・マクダニエルなどの強豪チームとNWAアメリカン・タッグ王座を争った[7]

その後はフロリダを主戦場に、ボビー・シェーンと新コンビを結成。1972年12月27日、ジャック・ブリスコ&ジェリー・ブリスコを下してNWAフロリダ・タッグ王座に返り咲く[6]。以降1975年にかけて、マーク・ルーインサンダーボルト・パターソンロバート・フラーボブ・アームストロングティム・ウッズボリス・マレンコビル・ワットダニー・ホッジボブ・ループディック・スレーターダスティ・ローデスボブ・バックランドらと対戦した[8][9][10]

この間、日本プロレスには1970年4月(第12回ワールドリーグ戦)、1971年7月、1972年8月にも来日。1971年の来日時には、8月1日に福岡スポーツセンターにて馬場のインターナショナル・ヘビー級王座に挑戦した[11]。1972年の来日時には、同時参加していたブル・ラモスとリング外で乱闘事件を起こしている(マルコフの人種差別的な態度にラモスが激昂したことが原因とされている)[12]1974年11月には全日本プロレスに参戦、12月6日の新潟市大会ではザ・デストロイヤーのUSヘビー級王座に、12月12日の川崎市大会では馬場のPWFヘビー級王座にそれぞれ挑戦した[13]

以降も各地を精力的に転戦し、1976年12月にはマッドドッグ・バションが主宰していたモントリオールのグランプリ・レスリングにて、ジル・ポワソンと組んでデストロイヤー&ジェリー・グラハムを破りタッグ王座を獲得[14]1977年からはハワイに進出しジョン・トロスドン・ムラコと抗争、バディ・ローズ&ビッグ・ジョン・スタッドと共闘してアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦した[15]南半球ニュージーランドでは、1978年レス・ソントンから大英帝国ヘビー級王座を奪取している[16]。同年10月、ブルート・バーナード&キラー・カール・クラップとの悪党外国人トリオの一角として新日本プロレスに来日。猪木との因縁の対決が注目され、シリーズ最終戦の11月1日に愛知県体育館にてNWFヘビー級王座に挑戦するも、ここでも卍固めで敗れ去った[17]

1979年ジョージア・チャンピオンシップ・レスリングにてフランス系ヒールのジャック・グレイと組んで活動、10月14日にはジョージア州メイコンのメイコン・コロシアムにてスタン・ハンセン&バズ・ソイヤーと対戦した[18]1981年は英国人のロード・アルフレッド・ヘイズをマネージャーに、南部エリアでニコライ・ボルコフ反米タッグを結成、ノースカロライナジム・クロケット・プロモーションズではジョニー・ウィーバー&デューイ・ロバートソンからNWAミッドアトランティック・タッグ王座を奪取した[19]

その後は古巣のフロリダを経て、1984年よりAWAに定着。クラッシャー、ビル・ロビンソンブラックジャック・マリガンブラックジャック・ランザバロン・フォン・ラシクグレッグ・ガニアジム・ブランゼルファビュラス・ワンズスティーブ・オルソノスキーブラッド・レイガンズカート・ヘニングジェリー・ブラックウェルキングコング・バンディなどのジョバーを務めた[20]1985年には当時のロシア系ヒールの新鋭ボリス・ズーコフのマネージャー兼パートナーとなり、サージェント・スローターロード・ウォリアーズとも対戦した[21]

引退後はAWAの本拠地だったミネアポリスにて集合住宅の管理業務に就いた[22]

得意技編集

獲得タイトル編集

ワールド・レスリング・アソシエーション(インディアナポリス)
アメリカン・レスリング・アソシエーション
NWAハリウッド・レスリング
  • NWAビート・ザ・チャンプTV王座:1回
NWAビッグタイム・レスリング(ダラス)
  • NWAテキサス・ブラスナックル王座:1回[4]
  • NWAアメリカン・タッグ王座:2回(w / ブロンコ・ルービッチ)[7]
チャンピオンシップ・レスリング・フロム・フロリダ
  • NWAフロリダ・タッグ王座:3回(w / ブロンコ・ルービッチ×2、ボビー・シェーン)[6]
NWAビッグタイム・レスリング(デトロイト)
NWAオールスター・プロレスリング
NWAミッドパシフィック・プロモーションズ
  • NWAハワイ・タッグ王座:1回(w / スティーブ・ストロング)
ミッドアトランティック・チャンピオンシップ・レスリング
グランプリ・レスリング

脚注編集

  1. ^ a b c d e f g h i 『THE WRESTLER BEST 1000』P31(1996年、日本スポーツ出版社
  2. ^ Nicoli Volkoff”. Wrestlingdata.com. 2015年4月30日閲覧。
  3. ^ a b AWA World Tag Team Title”. Wrestling Titles.com. 2010年1月19日閲覧。
  4. ^ a b NWA Texas Brass Knuckles Title [East Texas]”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月9日閲覧。
  5. ^ Bronco Lubich”. Online World of Wrestling. 2010年1月19日閲覧。
  6. ^ a b c NWA Florida Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月9日閲覧。
  7. ^ a b NWA American Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月12日閲覧。
  8. ^ The CWF matches fought by Chris Markoff in 1973”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。
  9. ^ The CWF matches fought by Chris Markoff in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。
  10. ^ The CWF matches fought by Chris Markoff in 1975”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。
  11. ^ JWA 1971 Summer Big Series”. Puroresu.com. 2016年8月19日閲覧。
  12. ^ 『別冊ゴング 1978年11月号』P144-146「ロシアの妖怪クリス・マルコフの無頼漢人生」(1978年、日本スポーツ出版社)
  13. ^ The AJPW matches fought by Chris Markoff in 1974”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。
  14. ^ a b Grand Prix Wrestling Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2015年4月26日閲覧。
  15. ^ The Hawaii matches fought by Chris Markoff in 1977”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。
  16. ^ a b British Empire Heavyweight Title [New Zealand]”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月9日閲覧。
  17. ^ NJPW 1978 Toukon Series”. Puroresu.com. 2015年10月11日閲覧。
  18. ^ The GCW matches fought by Chris Markoff in 1979”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。
  19. ^ a b NWA Mid-Atlantic Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2010年4月12日閲覧。
  20. ^ The AWA matches fought by Chris Markoff in 1984”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。
  21. ^ The AWA matches fought by Chris Markoff in 1985”. Wrestlingdata.com. 2014年10月9日閲覧。
  22. ^ Chris Markoff”. Online World of Wrestling. 2010年1月19日閲覧。
  23. ^ WWA World Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月9日閲覧。
  24. ^ NWA World Tag Team Title [Detroit]”. Wrestling-Titles.com. 2014年10月9日閲覧。

外部リンク編集