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ドン・レオ・ジョナサンDon Leo Jonathan、本名:Don Heaton1931年4月29日 - 2018年10月13日)は、アメリカ合衆国プロレスラーユタ州ハリケーン出身[1]ソルトレイクシティ出身ともされる[2])。

ドン・レオ・ジョナサン
ドン・レオ・ジョナサンの画像
プロフィール
リングネーム ドン・レオ・ジョナサン
モルモン・ジャイアント
マイティ・ロコ
本名 ドン・ヒートン
ニックネーム 人間台風
モルモンの暗殺者
身長 196cm
体重 140kg(全盛時)
誕生日 (1931-04-29) 1931年4月29日
死亡日 (2018-10-13) 2018年10月13日(87歳没)[1]
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
ユタ州の旗 ユタ州
ワシントン郡ハリケーン[1]
トレーナー ブラザー・ジョナサン
デビュー 1949年
引退 1980年
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ナチュラルな巨体と無類の身体能力を誇り、「ルー・テーズを超える」と評されるほどの実力者だったが、サイドビジネス(潜水事業の運営)に注力していたこともあり、メジャー団体のビッグタイトルには縁が無かった[2]。日本での異名は「人間台風」「モルモンの暗殺者[2]

目次

来歴編集

モルモンの殺人者」と称されたプロレスラー、ブラザー・ジョナサンの息子。父のトレーニングのもと、1949年にプロレスラーとしてデビュー。太平洋岸から北東部まで各地を転戦後、1953年11月24日にカナダオタワにてキラー・コワルスキーからモントリオール版の世界ヘビー級王座を奪取[3]NWAの主要テリトリーにも進出し、1957年4月19日にはテキサス州ヒューストンにおいて、ペッパー・ゴメスを破りNWAテキサス・ヘビー級王座を獲得[4]1959年10月29日にはトロントにてジン・キニスキーをパートナーに、ホイッパー・ビリー・ワトソン&ユーコン・エリックからNWAカナディアン・オープン・タッグ王座を奪取した[5]

1961年1月7日、ネブラスカ州オマハでドクターX(ビル・ミラー)を破り、オマハ版の世界ヘビー級王座を獲得[6]。同年4月7日にもドクターX、5月20日には王座決定戦でボボ・ブラジルを下し、旧版のAWA世界ヘビー級王座とされる同タイトルを通算3回獲得している[6]。ただし、バーン・ガニアによる統一前の戴冠であったため、AWAの公式世界王者にはカウントされていない[2]

タッグでは1963年9月24日ロサンゼルスWWAにおいてフレッド・ブラッシーと組み、ベアキャット・ライト&ミスター・モトからWWA認定のUSタッグ王座(後のWWA世界タッグ王座)を奪取[7]オーストラリアジム・バーネットが主宰していたワールド・チャンピオンシップ・レスリング)ではアントニオ・プリエーゼ(アントニオ・プグリシー)をパートナーに、スカル・マーフィー&ブルート・バーナードマリオ・ミラノ&ザ・スポイラーなどのチームと1969年にIWA世界タッグ王座を争った[8]

北米においてはカナダのバンクーバー地区を長年の主戦場に、1960年代から1970年代にかけて、キニスキー、ファビュラス・カンガルーズアル・コステロ&ロイ・ヘファーナン)、ジョン・トロスダッチ・サベージスタン・スタージャックボブ・ブラウンガイ・ミッチェルビッグ・ジョン・クインらと抗争。ニューヨークWWWFにも、グラン・ウィザードマネージャーヒールのポジションで度々登場。1973年にはペドロ・モラレス1974年にはブルーノ・サンマルチノが保持していたWWWFヘビー級王座に挑戦した[9][10]

1970年代は南アフリカにも遠征しており、1975年ジャン・ウィルキンスからEWU世界スーパーヘビー級王座を奪取[11]1977年9月1日にはヨハネスブルグにてオットー・ワンツを破りCWA世界ヘビー級王座を獲得、翌1978年7月15日にオーストリアグラーツでワンツに奪還されるまで戴冠していたとされる[12]

日本には1958年9月に日本プロレスへ初参戦、10月2日の蔵前国技館大会において、力道山インターナショナル・ヘビー級王座の初防衛戦の相手を務めた[2]。この初来日時は『三菱ダイヤモンド・アワー プロレスリング中継』の放送開始時期であり、番組のプロモーションとして、同時来日したスカイ・ハイ・リーと共にオープンカーでのパレードにも参加している[13]。以降も日本プロレスや全日本プロレスに何度となく来日して、ジャイアント馬場と名勝負を繰り広げた。1970年には日本プロレスの『第12回ワールドリーグ戦』の決勝を馬場と争っている[14]。ジョナサンは馬場のアメリカ修業時代に巨人コンビを結成した仲で、馬場が全日本プロレス旗揚げ直後に行った「世界ヘビー級争覇戦」(PWFヘビー級王座の初代王者決定戦)における対戦相手の1人としても起用された。1975年12月には『オープン選手権』に参加。豪華メンバーを集めたリーグ戦において、ドリー・ファンク・ジュニアアブドーラ・ザ・ブッチャーミスター・レスリングザ・デストロイヤーラッシャー木村グレート草津らと公式戦で対戦した[15]

国際プロレスにも1度だけ参戦しており、1972年に開催された『第4回ワールド・シリーズ』において、当時モンスター・ロシモフと名乗っていたアンドレ・ザ・ジャイアントとも対戦している[16]。予選リーグでは同ブロックのロシモフに首位を奪われるも、各ブロックの2位選手による敗者復活戦で木村とホースト・ホフマンを下して決勝トーナメントに進出。準決勝でストロング小林に敗退したが、3位決定戦でバロン・フォン・ラシクを破りシリーズ3位の戦績を収めた[16]

巨体ながらトンボを切れるほどの卓越した運動神経と多彩なレスリングテクニックの持ち主で、キーロックを仕掛けた馬場やジャンボ鶴田をヒョイと担ぎ上げたり、コーナー最上段の相手にドロップキックを放って場外に叩き落としたりしたこともあった[2]。果ては狩猟で仕留めた300キロもある大鹿を担いで山を降りたなど、怪力無双のエピソードも尽きない。馬場との交友は深く、1989年1月には全日本プロレスのレトロ企画『OLDIES BUT GOODIES』の第1回ゲストとして、1978年の『第6回チャンピオン・カーニバル』以来となる11年ぶりの来日が実現した[2]

2018年8月末頃にブリティッシュコロンビア州ラングリーの病院に入院したが、そのまま退院することなく、10月13日に死去した。87歳没[1]

得意技編集

獲得タイトル編集

アメリカン・レスリング・アソシエーション
NWAオールスター・レスリング
アレックス・ターク・プロモーションズ
メープル・リーフ・レスリング
  • NWAカナディアン・オープン・タッグ王座(トロント版) : 1回(w / ジン・キニスキー)[5]
スタンピード・レスリング
サウスウエスト・スポーツ・インク
  • NWAテキサス・ヘビー級王座 : 1回[4]
  • NWAテキサス・ブラスナックル王座(ダラス版) : 1回
ワールド・レスリング・アソシエーション
モントリオール・アスレティック・コミッション
キャッチ・レスリング・アソシエーション
  • CWA世界ヘビー級王座 : 1回[12]
ヨーロピアン・レスリング・ユニオン
  • EWU世界スーパーヘビー級王座 : 1回[11]
ワールド・チャンピオンシップ・レスリング(オーストラリア)

脚注編集

  1. ^ a b c d “Don Leo Jonathan dead at 87” (英語). SLAM! Sports. (2018年10月13日). http://slam.canoe.com/Slam/Wrestling/2018/10/13/22786171.html 2018年10月14日閲覧。 
  2. ^ a b c d e f g 『THE WRESTLER BEST 1000』P22(1996年、日本スポーツ出版社
  3. ^ a b World Heavyweight Title [Québéc]”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月15日閲覧。
  4. ^ a b NWA Texas Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月15日閲覧。
  5. ^ a b NWA Canadian Open Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月15日閲覧。
  6. ^ a b c World Heavyweight Title [Omaha]”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月15日閲覧。
  7. ^ a b WWA United States Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月17日閲覧。
  8. ^ a b IWA World Tag Team Title [Australia]”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月15日閲覧。
  9. ^ The WWE matches fought by Don Leo Jonathan in 1973”. Wrestlingdata.com. 2018年10月15日閲覧。
  10. ^ The WWE matches fought by Don Leo Jonathan in 1974”. Wrestlingdata.com. 2018年10月15日閲覧。
  11. ^ a b European Wrestling Union World Super Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月15日閲覧。
  12. ^ a b CWA World Heavyweight Title”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月15日閲覧。
  13. ^ 『1945-1985 激動のスポーツ40年史 (6) プロレス 秘蔵写真で綴る激動史』P164(1986年、ベースボール・マガジン社
  14. ^ JWA 1970 The 12th World League”. Puroresu.com. 2018年10月15日閲覧。
  15. ^ AJPW 1975 Open Championship”. Puroresu.com. 2018年10月15日閲覧。
  16. ^ a b IWE 1972 The 4th IWA World Series & World Selection Series”. Puroresu.com. 2018年10月15日閲覧。
  17. ^ NWA World Tag Team Title [Vancouver]”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月15日閲覧。
  18. ^ NWA Canadian Tag Team Title [British Columbia]”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月15日閲覧。
  19. ^ International Television Tag Team Title”. Wrestling-Titles.com. 2018年10月17日閲覧。

外部リンク編集