ジエゴ・アウベス・カレイラ
ジエゴ・アウベス・カレイラ(Diego Alves Carreira、1985年6月24日 - )は、ブラジル・リオデジャネイロ出身のサッカー選手。元ブラジル代表。ポジションはゴールキーパー。
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ブラジル代表でのジエゴ・アウベス (2014年) | ||||||||||||||
名前 | ||||||||||||||
本名 |
ジエゴ・アウヴェス・カレイラ Diego Alves Carreira | |||||||||||||
ラテン文字 | Diego Alves | |||||||||||||
基本情報 | ||||||||||||||
国籍 |
ブラジル イタリア | |||||||||||||
生年月日 | 1985年6月24日(39歳) | |||||||||||||
出身地 | リオデジャネイロ | |||||||||||||
身長 | 187cm | |||||||||||||
体重 | 83kg | |||||||||||||
選手情報 | ||||||||||||||
ポジション | GK | |||||||||||||
利き足 | 左足 | |||||||||||||
クラブ1 | ||||||||||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||||||||||
2004-2007 | アトレチコMG | 61 | (0) | |||||||||||
2007-2011 | アルメリア | 125 | (0) | |||||||||||
2011-2017 | バレンシア | 147 | (0) | |||||||||||
2017-2022 | フラメンゴ | 115 | (0) | |||||||||||
2023 | セルタ | 0 | (0) | |||||||||||
代表歴2 | ||||||||||||||
2008 | ブラジル U-23 | 2 | (0) | |||||||||||
2011-2017 | ブラジル | 10 | (0) | |||||||||||
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1. 国内リーグ戦に限る。2023年4月15日現在。 2. 2023年2月10日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
経歴
編集クラブ
編集アトレチコ・ミネイロでプロデビューし、2007年7月24日にスペインのUDアルメリアに移籍した。アルメリアは2006-07シーズンのセグンダ・ディビシオン(2部)で2位となり、プリメーラ・ディビシオン(1部)に初昇格していた。2007-08シーズン序盤は同じく新加入のダビド・コベーニョの控えだったが、その後はチームに不可欠な存在となり、667分連続無失点のリーグ新記録を打ち立てるなど活躍した。レアル・マドリード戦などでも特筆すべきパフォーマンスを見せ[1]、8位という好成績を収めたクラブの原動力となった。2008年8月にコベーニョがラージョ・バジェカーノに移籍し、ディエゴ・アウベスは2008-09シーズンもレギュラーで起用された。シーズン終盤戦に負傷してエステバン・スアレスにポジションを譲ったが、2009-10シーズンの開幕までに怪我が完治し、ほぼすべての試合にフル出場した。2010年11月20日のFCバルセロナ戦では0-8と大敗し、試合後にフアン・マヌエル・リージョ監督が解任された。2010-11シーズンは最下位でセグンダ・ディビシオン降格が決定した。
2011年6月4日、かつてアルメリアで指導を受けたウナイ・エメリ監督が率いるバレンシアCFに移籍金300万ユーロで移籍した[2]。移籍後はビセンテ・グアイタとポジションを争い、12試合に出場した。
2022年シーズン終了後にフラメンゴを退団しフリーとなったが、正守護神であったアグスティン・マルチェシンがアキレス腱断裂の重傷で長期離脱したセルタ・デ・ビーゴに加入することが、2023年2月9日に発表された[4]。加入後はマルチェシンに代わって守護神を務めたイバン・ビジャールの控えとしてベンチ入りしていたが、4月に入って右膝を負傷すると15日に契約解除が発表された[5]。
代表
編集2008年、北京オリンピックにおいて、U-23ブラジル代表の銅メダル獲得に貢献した。2011年11月10日のガボンとの親善試合でブラジルA代表デビューを飾った。
2015年5月23日に行われたリーガ・エスパニョーラ最終節のアルメリア戦で右膝を負傷し、72分に負傷交代。検査の結果、右膝前十字じん帯と半月板の損傷と診断された。これによりCBF(ブラジルサッカー連盟)は、コパ・アメリカ2015のブラジル代表メンバーから、バレンシアに所属するGKジエゴ・アウヴェスが離脱し、予備登録メンバーから当時フィオレンティーナ所属のGKネトを追加招集したことを発表した[6]。
人物
編集PKストッパーとして知られる。2007-08シーズンから2010-11シーズン途中までの3年間に19本のPKを受けているが、そのうち10本をセーブし、さらに2本はキッカーが枠外に外しているため、この間のPKセーブ率は63%にも上る[7]。クリスティアーノ・ロナウドがリーガ・エスパニョーラでPKを唯一外した際のキーパーはジエゴであり、2011-12シーズンのコパ・デル・レイ準決勝FCバルセロナ戦ファーストレグではリオネル・メッシのキックを止めて引き分けに持ち込んだ[8]。自身のアイドルはブラジル代表の英雄クラウディオ・タファレルとスペイン代表の守護神イケル・カシージャスである。2014年10月5日のアトレティコ・マドリード戦で、リーガ・エスパニョーラの試合での通算PKセーブ数が13となり、アンドレス・パロップを抜き、歴代1位となった。
所属クラブ
編集- アトレチコ・ミネイロ 2004-2007
- UDアルメリア 2007-2011
- バレンシアCF 2011-2017
- CRフラメンゴ 2017-2022
- セルタ・デ・ビーゴ 2023
個人成績
編集クラブ | シーズン | リーグ | カップ | 国際大会 | その他 | 合計 | |||||
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出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
アトレチコ・ミネイロ | 2005 | 1 | 0 | 0 | 0 | — | 2 | 0 | 3 | 0 | |
2006 | 24 | 0 | 0 | 0 | — | 0 | 0 | 24 | 0 | ||
2007 | 13 | 0 | 7 | 0 | — | 14 | 0 | 34 | 0 | ||
アルメリア | 2007-08 | 22 | 0 | 0 | 0 | — | — | 22 | 0 | ||
2008-09 | 31 | 0 | 0 | 0 | — | — | 31 | 0 | |||
2009-10 | 37 | 0 | 0 | 0 | — | — | 37 | 0 | |||
2010-11 | 33 | 0 | 0 | 0 | — | — | 33 | 0 | |||
バレンシア | 2011-12 | 12 | 0 | 6 | 0 | 12 | 0 | — | 30 | 0 | |
2012-13 | 24 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | — | 27 | 0 | ||
2013-14 | 27 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | — | 35 | 0 | ||
2014-15 | 37 | 0 | 0 | 0 | — | — | 37 | 0 |
代表歴
編集- U-23ブラジル代表 2008
- 2008 北京 - オリンピックサッカー 銅メダル
タイトル
編集クラブ
編集- アトレチコ・ミネイロ
- セリエB : 2006
- ミナスジェライス州選手権 : 2007
- フラメンゴ
- コパ・リベルタドーレス : 2019
脚注
編集- ^ Almería take pride after Madrid fall UEFA.com、2008年2月4日
- ^ バレンシアがGKアウベスを獲得 UEFA.com、2011年6月4日
- ^ “バレンシア、ジエゴ・アウベスのフラメンゴ移籍を発表…リーガ史上最高のPKストッパーが母国へ”. Goal.com. (2017年7月16日) 2018年5月14日閲覧。
- ^ 控えGKの獲得が急務のセルタ、ベテランGKジエゴ・アウベスの獲得を正式発表! 超ワールドサッカー、2023年2月10日
- ^ セルタ、2月に加入したGKジエゴ・アウベスと契約解除…4月頭に右ヒザ負傷も詳細不明のまま退団 超ワールドサッカー、2023年4月15日
- ^ ブラジル代表GKのD・アウヴェスが負傷離脱…ネトを追加招集/コパ・アメリカ soccerking 2015年5月25日
- ^ アルメリアのGKジエゴ、3年間で10度目のPKストップ WOWOW、2011年3月4日
- ^ メッシのPKを止めたバレンシアのジエゴ「一流選手とのPKを制するのは、このうえない喜び」 WOWOW、2012年2月3日