ジュピター (フリゲート)

ジュピター(英語:HMS Jupiter)はイギリス海軍フリゲートリアンダー級フリゲートの19番艦。

ジュピター
1972年,STANAVFORLANT参加時
1972年,STANAVFORLANT参加時
基本情報
建造所 ヤーロウシップビルダーズ
運用者  イギリス海軍
艦種 フリゲート
級名 リアンダー級
艦歴
起工 1966年10月3日
進水 1967年9月4日
就役 1969年8月9日
退役 1992年4月22日
最期 1977年にスクラップ処分
現況 退役
要目
排水量 3,200トン
全長 113.4m
12.5m
吃水 5.8m
速力 28ノット
航続距離 4,600海里(8,500km)
乗員 223人
兵装
建造時
1980年以降
搭載機
建造当初
1980年以降
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艦歴 編集

1967年9月4日に進水し、1969年8月9日に就役。1970年西インド諸島に配備され、翌年にはNATOの多国籍部隊である第1常設NATO海洋グループ(STANAVFORLANT)に参加した。1972年には、故障した同型艦のナイアドの任務を引き継ぎ、再びSTANAVFORLANTの一員として西インド諸島に派遣された。

翌年、第二次タラ戦争に参加。同年年5月26日ワスプ・ヘリコプターとともに、アイスランド砲艦「エギール」の艦砲射撃を受けて着水していたイギリストロール船エバートン」を支援した。その後、極東太平洋を経てアフリカに向かい、さまざまな任務を行った。また、1974年コモンウェルスゲームズの際にニュージーランドのクライストチャーチを訪れ、真珠湾アメリカ海軍基地を訪問し、いくつかの推進装置の問題を解決した。1974年1月にはチャールズ皇太子が同年の末まで通信士として着任した[1]

1980年、ジュピターの近代化が開始され、シーウルフミサイルが新設された。また、4.5インチ艦砲が撤去され、エグゾセ対艦ミサイルが設置された。ボイラーバブコック・アンド・ウィルコックス社のY160蒸気噴霧式水管ボイラーに変更され、1983年に近代化が完了した[2]

1984年6月13日ロンドン訪問を終えて出航したところ、ロンドン橋に衝突し、船体と艦橋に大きな損傷を与えた[2]。当時の艦長のコリン・ハミルトン中佐は12月4日にポーツマス軍法会議にかけられ、厳しく叱責された[3]

1986年9月、ジュピターはNATOの演習「Autumn Train '86」に参加し、ジブラルタルを訪れた後、地中海で連続4週間を過ごし、母港プリマスに帰港した。

1986年には、ブリタニア、ニューカッスル、ブランブルリーフと共同でペルシャ湾に派遣され、イエメン人民民主共和国の政府転覆運動が始まった際、イギリス人と英連邦国民の避難を支援した。

アーミラ巡航中にジブラルタル、ジブチアカバドーハマスカットモンバサを表敬訪問し、スエズ運河ピレウスを経由して帰港した。

1984年から1986年にかけて、ブレーマーハーフェンアムステルダムボルドーミドルスブラを訪れ、1986年9月には、トールシップレースでニューカッスル・アポン・タインに寄港し、警備船として活躍した。

湾岸戦争には、アーミラパトロールの一員として参加。1991年末から1992年初頭にかけて、警備船として南大西洋に派遣され、麻薬取締のためのパトロールを行った、これを最後の任務として1992年に退役。1997年にスクラップとして売却され、インドアランに曳航されて解体された[4]

脚注 編集

  1. ^ 『チャールズ皇太子の人生修業 上』朝日新聞社。ISBN 4-02-256879-8 
  2. ^ a b “HMS Jupiter F60” (英語). Helis.com. https://www.helis.com/database/unit/490-HMS-Jupiter 2023年2月28日閲覧。 
  3. ^ “Reprimand for captain whose ship hit bridge”. The Times. (1984年12月8日) 
  4. ^ Colledge, J. J.『Ships of the Royal Navy: The Complete Record of all Fighting Ships of the Royal Navy』Chatham Publishing。