ニッキー・ワイアー(Nicky Wire、出生名:ニコラス・アレン・ジョーンズ (Nicholas Allen Jones), 1969年1月20日[1] - )は、イギリスウェールズ出身のミュージシャン作詞家ロックバンドマニック・ストリート・プリーチャーズベーシスト、作詞家として最もよく知られる。

ニッキー・ワイアー
Nicky Wire
ブダペストにて撮影(2011年)
基本情報
出生名 Nicholas Allen Jones
生誕 (1969-01-20) 1969年1月20日(55歳)
出身地 ウェールズの旗 ウェールズケアフィリ、ブラックウッド
ジャンル オルタナティヴ・ロック
ハードロック
ポストパンク
パンク・ロック
職業 ミュージシャン作詞家
担当楽器 ベースボーカルギターピアノキーボードパーカッションオムニコード
活動期間 1986年 -
レーベル コロムビア
共同作業者 マニック・ストリート・プリーチャーズ
著名使用楽器
ギブソン・サンダーバード
フェンダー・ジャズベース
リッケンバッカー・ベース
イタリア・マラネロ・ベース
ロンドンにて(2005年)

略歴 編集

生い立ち 編集

1969年ウェールズの町ブラックウッドに生まれる。詩人、劇作家であるパトリック・ジョーンズは兄であり、マニック・ストリート・プリーチャーズのアルバム制作に参加したこともある。幼い頃から将来のバンドメイトであるリッチー・エドワーズジェームス・ディーン・ブラッドフィールドショーン・ムーアらと仲良くなり、音楽の趣味を共有し合う。また少年時代からサッカー選手として頭角を現し、14歳のときにウェールズの国立少年サッカークラブのキャプテンを務めた。その後トッテナム・ホットスパーFCアーセナルFCから入団試験のオファーを受けるが、背中や膝など身体上の問題により、サッカー選手としてのキャリアを終えることとなる。

高校卒業後にポーツマス大学に進学し政治学法学を専攻する。1年後にリッチーが進学したスウォンジー大学に編入し、政治歴史学の学位を取得して卒業。

マニックスにおいて 編集

マニック・ストリート・プリーチャーズの結成時からのメンバーであり、当初はリズムギターを担当していたが、ベーシストのフリッカーがバンドを脱退し新しくベーシストを担当することとなる[2]コーラスの他にも、楽曲によってはリードボーカルも務める。デビュー時からリッチーと共に作詞を担当してきたが、1995年のリッチー失踪後は一人で作詞の役割を担っている。社会主義を始めとする政治的な歌詞や、内省的またはシニカルな性格の歌詞を得意とする。バンドにおいてはスポークスマン的な役割も果たすが、歯に衣着せぬ発言も多く、プレスの間で議論になることも多い。2006年には初のソロアルバム『アイ・キルド・ザ・ザイトガイスト』をリリースし、ソロのシンガーソングライターとしても活動した。

その他 編集

  • 1993年に幼馴染であるレイチェルと結婚し一男一女を儲け、現在は家族と共にニューポートに居を構える。
  • バンドのギグでは女性用のドレススカートなどを着て演奏を行うこともある。
  • ワイアー(針金)というステージネームは自身の身長190cmほどのひょろ長い体格を受けて付けられた。

ディスコグラフィー 編集

ソロアルバム 編集

ソロシングル 編集

  • "アイ・キルド・ザ・ザイトガイスト" (2006年)
  • "デイドリーマー・アイズ" (2006年)
  • "ザ・シャイニング・パス" (2006年)
  • "ブレイク・マイ・ハート・スロウリー" (2006年)

脚注 編集

  1. ^ Nicky Wire Interview”. BBC (2007年). 2007年10月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2015年3月5日閲覧。
  2. ^ Miles Woodward: the man who could've been Richey”. thisisyesterday.com (2005年6月17日). 2015年3月5日閲覧。

外部リンク 編集