ノート:大山康晴/過去ログ1

最新のコメント:14 年前 | トピック:大山先生の盤外戦術 | 投稿者:Bellcricket
過去ログ1 過去ログ2

リトル大山

リトル大山は渡辺でなく、南芳一ではないかと思っていたが、以下のような記述を見かけた。 http://toyotei.air-nifty.com/toyotei/2004/12/

どうも、竜王奪取時の朝日の記事に渡辺がリトル大山と書いてあったらしく、それが誤情報のもとのようだ。

過剰な加筆、脚注について

特に評価の項目なんですが、脚注が多すぎませんか? ここまで詳細に加筆する必要は無いのではないかと思いますが、どんなものでしょうか? --Herausforderung 2009年1月2日 (金) 08:47 (UTC)

大山十五世の盤外戦術については出典不足ですし、現状の記述を残すのであれば、脚注はむしろ全然足りません。Tibetfreedomさんの加筆については、事実を淡々と記載するだけではない、何らかの意図が加わっていると感じられ、すべてに出典を要求してもかまわないレベルでしょう。
ただ個人的には、脚注がどうこうというより、本文にここまで記述する必要があるのかどうかが疑問で、内容を整理したほうがよいだろうとは思いますが。--Tamago915 2009年1月2日 (金) 11:26 (UTC)
そうですね、脚注云々というより過剰な加筆の方が問題ですね。現在は見やすいとは言い難い状態にあると思いますので、内容の整理は必要だと思います。--Herausforderung 2009年1月2日 (金) 19:55 (UTC)
本文をすっきりさせました。--TibetFreedom 2009年1月3日 (土) 16:31 (UTC)
適切かどうかはわかりませんが、「盤外戦術」の節を独立させ、出典が必要と思われる部分に{{要出典}}を付加しました。少しやり過ぎの部分はあるかもしれませんが、ある行動があっても、それが盤外戦術に相当するかどうかは解釈によるため、盤外戦術であると記載された出典を提供していただければと思います。
私自身は大山の盤外戦術を否定する立場ではありませんが、たとえば升田-大山戦のやりとりでいえば、毎日・朝日両新聞社の代理戦争的なものであって、大山自身の盤外戦術であるとは必ずしもいえない、という主張も成り立つかと思われます。そういった意見に対する反証としても、出典は必要でしょう。--Tamago915 2009年1月3日 (土) 23:42 (UTC)

記述の削除について

[1]以降、主に盤外戦術に関わる部分の記述が除去されています。私個人としても、出典を示せない状況では除去もやむを得ないと思われますが、「不自然におとしめている」(つまりはWikipedia:中立的な観点を逸脱しているということでしょう)が大量のテキストを除去するのに相当な事由なのか、ご意見をいただければと思います。

個人的には、大山の盤外戦術の存在は否定できないと考えていますし、代表的な行動と、それらがどのように(盤外戦術であると判断すべきかどうかも含めて)他者から評価されているのか、出典込みで示していくことで、記述の中立性を確保することはできると考えています。この部分は大部分が利用者:TibetFreedom会話 / 投稿記録さんによって加筆されていますので、まずは記述が除去される前の時点で{{要出典}}を示した部分において、それぞれの行動が盤外戦術であるという判断が明記されている資料を、TibetFreedomさんから(ほかの方でもかまいませんが)提示していただければと思います。--Tamago915 2009年1月10日 (土) 13:20 (UTC)

追記。記事については保護依頼を出しておきました。編集合戦と見なされれば、その当事者になる利用者が依頼を提出すべきではなかったかもしれませんが。--Tamago915 2009年1月10日 (土) 14:47 (UTC)

盤外戦術の基準は時代によって変わります。いったいなぜ大山だけかように不自然に盤外戦術が強調されなければならないのか理解に苦しみます。あなたの個人的な意見でここにかような偏見で書いた問題の多いしかも大量の記述の存在を正当化するべきではないと考えます。盤外戦術であるかどうか議論の余地が多いものも多くそのような記述を無駄に大量にいれることも公平性を欠きますね。--118.154.149.246 2009年1月10日 (土) 18:06 (UTC)

追記 保護はすべきでしょうが、問題の多い部分はまるごと削除してから合意を得た上で~あらたにはじめるべきですね。あなたのような問題の当事者がなすべきことではありません。
正当化はしていません。
正当化したいなら出典を持ってきてほしい、とTibetFreedomさんにお願いしています。出典が出ないようなら記述を除去すべきですが、今はまだ対応を待っている段階です。--Tamago915 2009年1月11日 (日) 00:53 (UTC)

出典があればいいという問題ではありませんよ--118.154.149.246 2009年1月11日 (日) 03:00 (UTC)

大山先生の盤外戦術

例示と記述の方針

第三者が興奮した議論をしてるのに正直言って驚きですよ!!

まず第一に大山将棋の強さは「受け」「終盤力」「逆転術」にあったのは周知です。それと並んで「盤外戦術」も将棋界そして勝負の第一人者としていかんなく発揮した歴史的事実は、多くの将棋関係者の著書や対談によって少なからぬ将棋ファンもご存知でしょう。河口俊彦の著書や将棋雑誌での連載記事等だけでなく、二上達也内藤國雄米長邦雄加藤一二三藤井猛などの棋士の著書や対談、エッセイなどで多く言及されています。ただし、とても数が多いのでどの本や雑誌に書いてあったかを遡るには少し時間がかかります。でも、すでに出典を明記しているものまで削除してるのは少し過剰反応では??

あの「えげつない」とも評された大山康晴の盤外戦術は、昭和時代の将棋界の史実かつ特徴の一つですし、将棋の盤上の技術とは異次元の世界ですので非常に人間臭いともいえ、ドロドロした前近代的な遺物ともいえるかもしれません。しかし、大山康晴の「盤外戦術」は心理戦というジャンルでの勝負術であり、現代の政治やビジネスの交渉などの局面で使われるパワープレイそのものですから!!

大山康晴十五世名人の偉大さを貶めてるのではという意見(誤解)は、一部の熱烈な大山ファンの感情としてあるでしょうね。一方で、前述した多くの棋士たちが大山康晴の勝負術の一面としてあえて文字でも記録に残していることから、Wikipediaの中でも言及されるのは自然だと思います。引用事例が多すぎる印象が強いようですので、大山康晴の勝負術としての一般論的な記述にまとめて、あとは脚注に盤外戦術に言及した著作物を列挙するのが、落としどころとしていかがでしょう??--TibetFreedom 2009年1月11日 (日) 06:58 (UTC)

形はとりあえず、記述が除去される前の体裁でいいと思います。まずは個別のエピソードごとに出典を示していただいて、掲載すべきかどうか検討する、という形で進められないでしょうか。
先にも書きましたが、事例の出典ではなく、それが盤外戦術であると判断している出典です。本文の記述の中に、TibetFreedomさん自身の評価が加わっている部分があるように感じられましたので、編集者の評価を可能な限り排除して、記事を構築していくべきだと考えます。--Tamago915 2009年1月11日 (日) 07:44 (UTC)
意見はここでいいのかしら。さて、大山康晴という人物は故人ですのでWikipedia:存命人物の伝記には当てはまりませんから、そこまで過剰な反応をする必要もないような気がしますねえ。ただまあ、事実が必ずしも記載に値するかというとそうじゃないので、大山の番外戦術について概要を述べたのちに1つ具体例を挙げるくらいで充分じゃないかと。--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月11日 (日) 09:21 (UTC)
中立的観点と、検証可能性を満たせるかどうかでしょうね。現状(除去される前)は主観が入りすぎて中立的観点に難があるように思われますが、その点が修正されて出典を伴えれば、記述を除去する必要性はないように思います。--Tamago915 2009年1月11日 (日) 10:13 (UTC)
あんまり例示が多すぎるのはよくありませんよ。まず大前提として事実であるということが必ずしも記載に値するということとイコールで結ばれないことをご理解ください。その上でWP:SURPLUSWP:TRIVIAなどから考えて、書かれる必要の特にない例は取り除くのが妥当でしょう。ついでに言えば、出典のない情報は要出典タグをつけている段階であっても、基本的には除去されるのが本来正しいですよ--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月11日 (日) 11:03 (UTC)下線部追記--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月11日 (日) 11:11 (UTC)
ここまでの意見をまとめると、記述を除去した非ログインユーザさんも含め、「エピソード込みですべて残せ」という主張は私だけのようですので、この点については撤回します。
TibetFreedomさんとPersonofedoさんが、近い意見をおっしゃっているように思います。つまり盤外戦術については概観の形で記載し、具体的な個別のエピソードは参考文献に譲るということになるでしょうか。記述を除去された方も、盤外戦術を一切書くべきではないという主張には思われないので、TibetFreedomさんの最初の提案、すなわち、
>大山康晴の勝負術としての一般論的な記述にまとめて、あとは脚注に盤外戦術に言及した著作物を列挙する
ということで合意形成は可能かと思われます。いかがでしょうか。--Tamago915 2009年1月11日 (日) 11:44 (UTC)
私としては異論はありません。合意形成したとして、後の流れですが、保護解除依頼の前に下書きを作った方がいいのかしら。--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月11日 (日) 12:10 (UTC)
記述を除去された非ログインユーザーさんが合意すれば、保護解除に持っていけると思います。3日くらい待って、反対意見を表明しないようなら合意ということでよいでしょうか。
保護解除後の記述の下書きは、あったほうがいいと思いますが、このまま合意できるようなら下書きがなくても大丈夫な気がします。「下書きを見てから保護解除に同意するかどうか判断したい」という意見が出るようであれば、そのときに作ることでよいと思います。--Tamago915 2009年1月11日 (日) 12:38 (UTC)
そうですね、3日でよさげ。--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月11日 (日) 13:11 (UTC)

ノートでも言いましたが、大山だけを大げさに取り上げるのはおかしい。大山の育った時代はそれこそ「盤外戦術」だらけだったのですから。「盤外戦術」を独立させ他の棋士とのバランスのよい記述を目指すべきです。--118.154.149.246 2009年1月12日 (月) 03:44 (UTC)

うーん、いろんな書籍で大山の番外戦術だけが取り上げられていたんではないんでしょうか。私の手元に資料がないため確認がとれません(申し訳ありません)が、私はそのように解釈していました。もしそうではなく大山の番外戦術が特筆に値するものではなかったとしたら、おっしゃるとおり他の棋士も平等に取り上げるべきですが。どなたか資料をお持ちの方、いらっしゃいませんかね。--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月12日 (月) 06:09 (UTC)

普通の将棋の歴史を語る本には普通に書かれていることですよ。江戸時代は言うまでもなく、明治から戦後にいたるまで駒落ち、対局場所、持ち時間などの対局規定をどのようにするかものすごい交渉が交わされました。見守る会員がほとんど一方の棋士に肩入れしていることなどもありました。これらが盤外戦術ではないとおっしゃるのですか?そして時には何昼夜にわたる対局が行われたのです。双方が精神と体力を限界まで削るような戦いを強いられていた時代には当然盤外戦術は有効でした。大山の現役時代の間に駒落ちはなくなり、持ち時間も大幅に短縮され、対局場所も暑すぎず寒すぎず、隣の部屋の話し声がうるさいなどということもほぼなくなった。そもそも棋士が対局規定をきめる交渉もほぼ不要になり劣悪だった対局環境は大幅に改善されていきました。もちろん会長としての大山自身の力も大きかった。そうやって盤外戦術は徐々に意味がなくなっていったのです。ここで大山の盤外戦術だけを取り上げる記述はどう考えてもおかしいと思いますよ。またネットでしか確認できませんが天野宗歩の賭け将棋詐欺の資料があるそうです。これなどは(資料を確認できるなら)究極の盤外戦術ということになりますね。--118.154.149.246 2009年1月12日 (月) 17:25 (UTC)

追記:今確認しましたが、ネットとはいえ関西将棋会館のページですから信頼性はあると考えていいと思います。--118.154.149.246 2009年1月12日 (月) 17:44 (UTC)

#盤外戦術とはなにかで、定義がある資料が出てきました。そちらの記述は参考になるものの、大山については記載がないとのこと。だからといって大山が盤外戦術を行ったことを否定することは困難だと感じます。
盤外戦術の記事を独立させる方針になったとして、大山の記述をどの程度記載していくべきか、118.154.149.246さんはどのようにお考えでしょうか。私としては、他の資料で盤外戦術だと明示された行為は案外多くなさそうなので、そういった記述を中心に取り上げていく方向で進め、その中に大山の行為があれば大山の記述を含める、という方向でどうかなと考えています。--Tamago915 2009年1月18日 (日) 23:53 (UTC)

「盤外戦術」の原案

そろそろ議論も落ち着いたようですので、以下に「盤外戦術」の原案を記載しておきます。これなら無難な内容で皆さんも納得できるのではと思いますけど!?

対局相手に心理的な混乱や圧力を与えることで、盤上での勝負において優位に立つ高度な心理戦を駆使した勝負術、いわゆる「盤外戦術」を駆使したことが同時代に大山と激戦をくぐった棋士の間で指摘される。第一人者となった後の大山の盤外戦術は徹底したもので、自身がトップに立つ為に二番手以下の競合相手に徹底した心理的なコンプレックスを植え付ける、非情なまでの勝負至上主義であった。盤外戦術の具体的な事例は広範囲に及ぶが、代表的なものは以下のものがある。

  • 盤上で勝勢になっても一気に寄せずに。あえて長手数の対局で相手をなぶる殺すように心理的な屈辱と無力感を与えることで、大山との対戦に苦手意識を植え付けた。
  • 対局中などに相手が嫌がったり、侮辱されたと感じるような言動をして、競合相手に心理的な混乱を引き起こすことを狙った。
  • 相手が長考に入ると、わざと相手の視線を狙って脇に挟んだ扇子をくるくる回して相手の集中力を妨げる細かい技もあった。

全盛期の大山にタイトル挑戦した二上達也や加藤一二三をはじめとして、米長邦雄や内藤國雄などの多くの棋士が大山の盤外戦術の対象となった。なお、大山時代を終焉させた中原誠は大山の盤外戦術を気にかけなかった。

  • 『大山康晴の晩節』河口俊彦、新潮文庫、2006年3月、ISBN 978-4101265131
  • 『勝負師』、内藤國雄・米長邦雄、朝日新聞社、2004年8月、ISBN 978-4-022-59857-8
  • 『現代に生きる大山振り飛車』 藤井猛・鈴木宏彦、日本将棋連盟、2006年12月、ISBN 978-4-819-70232-4

脚注に適宜、参考文献を追加したいと思いますが、具体的な事例の記述はしない方針です。--TibetFreedom 2009年1月11日 (日) 14:03 (UTC)

大山の時代と現在とでは時代背景が違うので、その違いについての説明はしておいたほうがいいかもしれません。現在では盤外戦術はネガティブにとらえられていますが、当時はそうではなく、当然に行われていたことは書けると思います。
「自身がトップに立つ為に二番手以下の競合相手に徹底した心理的なコンプレックスを植え付ける、非情なまでの勝負至上主義であった」の部分は評価を行っていますので、誰の評価であるのか出典を示していただきたいです。出典がないのであれば、まるまる除去でよいと思いました。
PS. 上記3冊とも、私の近くの図書館の蔵書にあります(『晩節』は飛鳥新書の2003年のものです)ので、ページ数などの情報を示していただければ比較的短時間で確認可能かと思われます。--Tamago915 2009年1月11日 (日) 23:29 (UTC)
誤字や語法、文末表現の間違い等はありますが、概ねいいんじゃないでしょうか。Tamago915のおっしゃるとおり評価を行ってる部分には出典が必要ですが、それ以外は細かい修正でいちいち挙げるのも面倒なので記事に反映した際に私がなおしときます。--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月12日 (月) 00:45 (UTC)
大山康晴の盤外戦術は多くの棋士が著作物で触れていますが、河口俊彦の著書が最も詳細に分析・評価しています。上述の著書に加えて、
でも述べられています。一方で、
は、かなり大山に遠慮した表現になっています。--TibetFreedom 2009年1月12日 (月) 09:41 (UTC)

繰り返しますが盤外戦術は大山の専売特許ではなく、多くの大棋士がやっていたことであり、またパトロンも大いにそれをあおっていたことです。「盤外戦術」の項を書くなら独立させて他の場所でやってください。それができないなら私が賛成することはありません。もちろんその項には木村、升田、大山他の棋士のたちのバランスのとれた記述と郷田ほか現代棋士の記述も必須になります--118.154.149.246 2009年1月12日 (月) 03:32 (UTC)

了解。独立記事の方針も考えるべきでしょうね。
当面、こちらでの調整はしません。118.154.149.246さん(できればアカウントを取得していただきたいと思います)とTibetFreedomさんの間で、盤外戦術をどのように記述するか、直接話し合っていただきたいと思います。--Tamago915 2009年1月12日 (月) 07:35 (UTC)
大山康晴以外では、木村義雄の盤外戦術が強烈だったでしょうが、木村十四世名人はとても古い棋士なので、現代出版されている書物だけでは木村の盤外戦術は実像が把握しにくい事情があります。また、一例として内藤國雄のエピソード(当時の内藤がタイトル保持者だったにもかかわらず、タイトル戦の対局場所の旅館の到着が少し間に合わなかっただけで、大山挑戦者が関係者に命じて内藤抜きで前夜祭の夕食会をさっさと終わらせてしまい、内藤が遅れて旅館に着いたときは、大山が将棋関係者全員を連れ出してもぬけの殻の状態。もちろん、内藤は怒り心頭で平常心を失った。)からも、いかに大山の盤外戦術が同時代の棋士に「えげつない」と受け取られていたかがわかります。他の棋士の盤外戦術も今でも多くみられますが、権力の濫用に近かった大山や木村のそれに比べれば、ただの日常的なありふれた心理戦にしか過ぎませんよね。--TibetFreedom 2009年1月12日 (月) 09:41 (UTC)

升田も強烈でしたよ。当時はその手の心理戦は普通にありました。そしてそれは必ずしも悪とはとらえられていなかった時代です。それに打ち勝ってこそ強いということです。特に当時は新聞社がそれぞれひいきの棋士をサポートしていた時代ですから今では考えられないようなことがあったのは当然でしょう。それに今でも盤外戦術は露骨でなくなっただけで存在します。扇子の音でタイトル戦が中断するなんてこともありました。若いときの羽生のいわゆる「羽生睨み」も対局相手に「対局相手に心理的な混乱や圧力」を与えていたと考えられます。一体何をもって盤外戦術というべきか。今の基準で当時を裁くような記述は極力避けるべきでしょう。--118.154.149.246 2009年1月12日 (月) 13:08 (UTC)

無意味な編集合戦を避けるために盤外作戦は基本的にここからはずし独立した記事にすべきです。TibetFreedomさんの原案が論外なのは以下の当然守るべき視点にかけていることです。1)盤外戦術は江戸時代から現在まで常にあったこと。そしてそれは一概に悪と呼べるものでもなく、明確なルール違反でもなく、その意味も方法もいろいろありまた時代によって変わってきたこと。2)何をもって盤外戦術とするかは棋士や人、時代によって解釈が大きく異なることがありうること。(負けた理由を盤外戦術のせいにすることが妥当かどうかは常に議論の余地があります)3)大山以降にも「横歩もとれない」「あの程度で名人」「相手の後ろから盤面を見る」「羽生睨み」「扇子の音」など盤外戦術と見なすことが可能な行為は歴然として存在していること。)4)大山の棋士、役員、会長時代に大山や他の人たちの努力によって対局環境が大幅に整備され、そのおかげで以前に比べ盤外戦術にたよらず局面に集中できる環境が整えられたこと。 TibetFreedomさんの記述はどうも大山に対する一方的な負の感情が先行しすぎているように感じられます。逆にひいきの棋士の盤外戦術が記述されることに対し不自然に弁護するようなことがないことを望みます。さもなければ無用な編集合戦を引き起こす要因となりますから。--118.154.149.246 2009年1月13日 (火) 18:04 (UTC)

TibetFreedomさん そろそろ最後の記入から3日が過ぎようとしています。お忙しいこととは思いますがお早めにご返答をいただければ幸いです。あとTibetFreedomさんが「代表的なもの」としてあげている大山の盤外戦術に関しても疑問がいろいろあります。1)「盤上で勝勢になっても一気に寄せない」のは盤上の戦術であって盤外戦術ではないと思います。またそれが卑怯だとも思いません。即詰みがあるのにそれを指さず負けない他の手を指したからと言って指し手を責める必要があるのでしょうかね?大山は勝勢にたったときの終盤の錯覚の怖さを誰よりも知っていた人です。相手が早めに負けを認めて投了すればいいだけのことですし、相手が逆転を狙って最後まで指したのなら結局負けたのを大山の盤外戦術のせいにするのは筋違いの負け惜しみです。2)「対局中などに相手が嫌がったり、侮辱されたと感じるような」行動は上にも上げましたが大山以前にも大山後もある話ですね。対局前後にする例もありますね。特に大山以前はお互い意地の張り合いみたいな行動を露骨にやっていました。3)「扇子をくるくる」まわす行為が上に上げた現代棋士の「相手の後ろから盤面を見る」「羽生睨み」「扇子の音」などと比べて特筆するほどひどい事ですか?あとたとえば対局を中断するなんてことは昔から枚挙に暇がないほどあったことですよ。大山だけに盤外戦術の項があって他の棋士にはそれがないというのはフェアではないと思います。--118.154.149.246 2009年1月14日 (水) 21:11 (UTC)

私は今日図書館で資料を探してみますがそれはさておき、「『盤上で勝勢になっても一気に寄せない』が番外戦術かどうか」や「『扇子をくるくる』が『相手の後ろから盤面を見る』『羽生睨み』『扇子の音』などとくらべて特筆するほどひどいことか」を決めるのは我々ではなく、各文献の著者です(WP:VWP:ORWP:N(リンク先は草案))。お間違いのないように。--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月14日 (水) 23:32 (UTC)Tamago915さんに消されたので復帰--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月15日 (木) 00:05 (UTC)

意見が出尽くしたでしょうか

お互い、現時点でいいたいことは出尽くしたでしょうか。ここまでのコメントから判断して、TibetFreedomさんは盤外戦術を広くとりすぎていると思いますし、118.154.149.246さんもそれ以上に拡大解釈をされているように思いました。盤外「戦術」なのだから、相手の平常心や集中力を乱す意図があった行為以外を含むべきではないでしょう。郷田九段の名前(心当たりがあるのは名人戦での扇子のトラブルしかないので、それだと判断します)が出てしまうのは、無意識の行為まで盤外戦術に含まれるということになりますが、無意識の行為がそもそも戦術なのか、ということになってくると思います。

極端な話、昨年4月のマイナビ五番勝負第2局(矢内-甲斐)と同日に行われた羽生-山崎戦(王位戦リーグ)で、マイナビの54手目に山崎が控え室に現れ、関係者からの冗談で苦笑いしたとあります。これが羽生名人の盤外戦術になるのか、というと自分としては馬鹿馬鹿しいと思うのですが、ここまでの議論を見ていると含まれてしまいそうな雰囲気があります。

ウィキペディアが、盤外戦術の範囲を規定したり、悪かどうかを判断したりすることはできません。当時は当然に行われていたとするのも、私たちから見れば常識ですが、百科事典に書くのであればその証拠を示す必要があります。信頼できる情報源をもとに、それらの記述をまとめていく形で記載すべしとなっています。大山十五世に限らず様々な棋士の事例を集め、それが盤外戦術であると評価されたソースを示し、ウィキペディアのどの記事に、どういった記載がなされるべきなのか、検討していきましょう。--Tamago915 2009年1月15日 (木) 00:02 (UTC)

できればTamago915さん自身の意見を伺いたいので、私が「盤外戦術と見なすことが可能な行為」の例としてあげた「横歩もとれない」「あの程度で名人」「相手の後ろから盤面を見る」「羽生睨み」「扇子の音」のどれが例として不適と考えておられるのか教えてください。それとも全部不適だとお考えですか? 私の考えはTamago915さんとはいろいろ異なりますが、共通点もあります。そして意見をまとめていこうという姿勢は高く評価しています。できるだけ冷静に客観的で双方が納得する方法を模索していきましょう。あとひとつ重要なことはある著者がある棋士の行動を盤外戦術だと評価したからと言って、「その行動が盤外戦術である」と決定したわけではありません。「ある著者がその行動を盤外戦術だと評価した」というだけのことです。言われた棋士にも言い分はあるかもしれません。そこははっきり記述しないといけませんね。もちろん自分であれは盤外戦術だったとはっきり言った場合は別です。例は少ないでしょうが。--118.154.149.246 2009年1月15日 (木) 00:32 (UTC)

私個人としては、「横歩もとれない」「あの程度で名人」は盤外戦術に相当すると思いますが、「相手の後ろから盤面を見る」「羽生睨み」「扇子の音」は違うでしょう。後者はそれぞれの棋士が盤外戦術の意図を持って行ったとは思われない、というのが理由です。ただ、これは私個人の意見に過ぎず、ウィキペディアに反映させるのは好ましくないと考えます(これまで意見を表明しなかった理由でもあります)。
「ある著者がその行動を盤外戦術だと評価した」ですが、ウィキペディアでは出典を要求されますから、記述できるのは第三者の主張や評価までということになり、この記述でとくに問題はないでしょう。繰り返しますが、盤外戦術かどうかの判断や決定は、ウィキペディアが、そしてもちろん我々も、行うべきではないことです。--Tamago915 2009年1月15日 (木) 11:26 (UTC)

「大山康晴の晩節」をパラパラと読んでみましたが、番外戦術に関する記述は少なかったように思います。私の見落としかしら。--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月15日 (木) 03:33 (UTC)

◆改めてまとめます。問題点は大きく分けて3点。3は解決済みですが。

  1. 盤外戦術の記述を独立の記事とするか、このまま大山康晴の項目に残すか。
  2. 何をもって盤外戦術であると判断するべきか。Wikipedia:検証可能性を根拠に、第三者の著述による評価を採用するのが望ましいと考えます。
  3. 盤外戦術であるとするエピソードをどこまで記載すべきか。これについては、逐一取り上げない方向で合意が取られているという認識です。

1については、独立項目とした場合は、囲碁やチェスの盤外戦術についても書かれることを想定しておいてください。大山の項目に残すのであれば、他の棋士の盤外戦術をどうするかの検討が必要です。2は、公式な方針として検証可能性を満たすことを求められていますから、これは盤外戦術だ、いやそうではない、という議論はせずに、書籍などにどう書かれているかを示していきましょう、ということです。--Tamago915 2009年1月15日 (木) 23:55 (UTC)

1.チェスをみても盤外戦術(あるいは対局相手に心理的な混乱や圧力を与える行動、言動)が現在存在しないなんて幻想でしかないことがよくわかりますよ。ただし盤外戦術(将棋)と限定するのもありえないことではありませんが。ここに残す場合他の棋士の盤外戦術(あるいは対局相手に心理的な混乱や圧力を与える行動、言動)に関する記述をの書き込みが増やさないとフェアではないでしょうね。(無用な編集合戦が起こらないことを望みます)2.Tamago915さんはれぞれの棋士が盤外戦術の意図を持っていたかどうかを重視しているようですね。さて意図のあるなしを当事者以外のだれが断定できるのでしょうか。Tamago915さんが認めておられるように「相手の後ろから盤面を見る」「羽生睨み」「扇子の音」に関して意図があったかなかったか検証する方法がないのです。それはほとんどの大山のいわゆる盤外戦術でも同じことです。検証に関しては第三者の評価以上に当事者側が認めていることが一番信頼性があり重要です。それは議論の余地なく盤外戦術ですからまず第一に書くべきことです。それ以外は意図のあるなしを断定することは不可能でありますから。その著者によればこの行為は盤外戦術と受け取った、あるいは評価されている。というような記述しかできません。また大山時代をわずかでも一緒に生きた棋士で第三者と呼べる人はいないでしょう。3.無用な編集合戦が継続しないよう祈ります--118.154.149.246 2009年1月16日 (金) 01:52 (UTC)

2番に関してですが、ウィキペディアでは事実如何によらず検証可能なことのみを載せることになっていますので、極端にいえば事実でなくとも検証可能でさえあれば載せていいということになります(実際は特筆性や情報源の信頼性など様々な要素を考えなければなりませんが)。したがって「だれだれが『なになにが番外戦術である』と評した」という形にする必要は現状色々と出典が示されている現状では特にありません(ただし脚注で出典を示すことで結果的に同じような意味合いを持つことになりますが)。ちょっと気になったので一応。--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月16日 (金) 03:40 (UTC)補足--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月16日 (金) 03:43 (UTC)
2についての認識ですが、118.154.149.246さんの考え方はWikipedia:検証可能性から大きく逸脱したものとなってしまっております。検証可能性は公式な方針ですので、無視するのであればそれなりの理由が必要ですが、これまでの議論を見る限り無視するだけの理由を見いだせません。ざっくりと書いてしまうと、ウィキペディアは、新たな発表を行う場ではなく、他者の評価を記載する場です。「評価しか書けない」という指摘はその通りで、それを書くべきなのです。
ある書籍の記述が評価に値しない、というのはあるかもしれませんが、それは個別に指摘していただけますか。その書籍について出典から外したり、さらに注釈を重ねるなどして対応することもできますし、検証可能性のすべてを否定する必要があるとは思われません。--Tamago915 2009年1月17日 (土) 00:16 (UTC)

盤外戦術を独立した記事として新しく設けることは、十分価値があることなので賛成します。ただし、河口俊彦氏をはじめとする多くの棋士が著作や対談で大山の盤外戦術を明言している以上、大山康晴の記事から盤外戦術への言及を恣意的に削除することは、紛れも無い歴史的事実を葬る類の情報操作なので絶対に反対です。ただし、現在の大山康晴の記事から「盤外戦術」の項目を削除して、既存の「棋風」の項目、もしくは新しく「人物」の項目を追加して、以下のように表現を一般化して挿入することにしましょう。

大山の勝負術には「受け潰し」「終盤力」「逆転術」と並んで、「盤外戦術」を駆使したことが同時代に大山と激戦をくぐった棋士の間で多く指摘される。大山の盤外戦術の具体的な事例は広範囲に及ぶが、代表的なものは以下のものがある。

  • 将棋界の第一人者(日本将棋連盟会長、十五世名人)として、強引にことを運んで相手に是非を言わせなかった。
  • 対局中などに相手が嫌がったり侮辱されたと感じるような言動をして、相手に心理的な混乱を引き起こすことを狙った。
  • 相手が長考に入ると、わざと相手の視線を狙って脇に挟んだ扇子をくるくる回して相手の集中力を妨げる細かい技もあった。

全盛期の大山にタイトル挑戦した二上達也や加藤一二三をはじめとして、米長邦雄や内藤國雄などの多くの棋士が大山の盤外戦術の対象となった。なお、大山時代を終焉させた中原誠は大山の盤外戦術を気にかけなかった。

脚注に以下の出典を列挙します。

--TibetFreedom 2009年1月16日 (金) 09:35 (UTC)

この内容だと大山しか盤外戦術を使わなかったかのように読めますよね。ほかにも使った人がいたり盤外戦術を使うのが普通のことだったりしたならば、そこに配慮した内容にしないとまずいのではないでしょうか。無論そのことも出店がなければ書けませんので、それらの記載を求める118.154.149.246氏にはその辺の出典を提示していただかなければなりませんが。--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月16日 (金) 09:39 (UTC)下線部追記--Personofedo(会話/履歴) 2009年1月16日 (金) 09:44 (UTC)
TibetFreedomさん。盤外戦術について分割することに同意いただけたのには感謝します。内容については、「大山以外のことについても書くべきだが、それはTibetFreedomさん以外の方にお任せしたい」ということでどうでしょうか。なお、大山の記述を外す、という主張はどなたからもなされていないと思いますが、大山以外の記述を恣意的に書かない、というのも同様に避けるべきかと思量します。
それと、2008年12月26日 (金) 00:46 (UTC) の編集について伺いたいのですが、渡辺がいかなる盤外戦術を行ったというのでしょうか。具体的にお答え願いたく思います。--Tamago915 2009年1月17日 (土) 00:16 (UTC)

盤外戦術とはなにか

まず盤外戦術とはなにかを書かなければなりませんね。大きな辞書ではあまり定義されていない比較的最近多く用いられだした言葉であるようです。手持ちにありませんが日本将棋用語事典などではどのように書かれていますか?当事者の意図がはっきりしない場合でも受けた側が不快に感じたことがあれば盤外戦術と呼んでいいものである言葉であるのか?そうならそれを明記する必要があります。その辺は大事だと思います。負けた側が一方的に相手に盤外戦術をしているという意識がないのに盤外戦術だと決め付けるケースも大いにあるでしょうから。--118.154.149.246 2009年1月17日 (土) 01:32 (UTC)

長くなってきたので、ここでセクションを分けます。
定義に相当するものは書いておく必要があります。定義についても、出典を求めることが望ましいのですが、そこまでやっている記事はごく少数です。とりあえずは議論の参加者が納得できる範囲で解説することでよいかと思われます。
>当事者の意図がはっきりしない場合でも受けた側が不快に感じたことがあれば盤外戦術と呼んでいいものである言葉であるのか?
セクハラ(もちろん、性的いやがらせの「いやがらせ」の部分)と比較できるかもしれません。行った側、受けた側、それ以外の第三者の立場があるわけですが、セクハラの場合は受けた側がそう感じればセクハラになる、という感覚になっていると思われます。盤外戦術でも同じことがいえるかというと、「戦術」という語感のせいか、行った側の意図が重視されるように思います。
繰り返しになりますが、ある行為が盤外戦術であるかどうか、私たちには判断できないし、判断したとしてもウィキペディアには掲載できません。盤外戦術であるか否かの判断は、他者の評価を出典として、行為を記載するにとどめるべきかと思います。--Tamago915 2009年1月17日 (土) 04:00 (UTC)

日本将棋用語事典に項目がありました。代表例として昭和53年名人戦第1局で森八段が丸坊主になってきた例が唯一挙げられていますね。相手を撹乱させる意図がはっきりしていますしこれを変える理由はないでしょう。まずこれが取り上げられるべきですね。--118.154.149.246 2009年1月18日 (日) 10:36 (UTC)

森の剃髪については、本人は違うことをコメントしていたのではなかったかと。森けい二#人物では、『森自身は「相手を驚かそうとしたのではなく、自らの心を引き締めるために剃髪になったのだ」と語っている。 』だそうです(これも要出典ものですね)。とはいえ、将棋用語事典への出典とともに、例示するのは問題ないと判断します。大山の記述を例示すべきかどうかは、#例示と記述の方針で。--Tamago915 2009年1月18日 (日) 23:53 (UTC)

中間まとめ

2日間どなたからもコメントがありませんので、ここでいったんまとめます。ここまで、合意できそうなことは以下の通り。

  • 盤外戦術を独立させた記事として立項する。
  • エピソードを列挙することはせず、Wikipedia:検証可能性に基づき、盤外戦術であると明示されたものを例示するにとどめる。
  • 特定の棋士(大山など)に記述を偏らせない。
  • 現在では盤外戦術は否定的に受け取られるが、そうではない時期があったことを念頭に置く。

立項する記事の具体的な内容や、大山康晴の記事中での盤外戦術の扱い方については、もう少し議論が必要かと思います。--Tamago915 2009年1月21日 (水) 00:01 (UTC)

扇子を回すのは盤外戦術で、扇子を鳴らすのは盤外戦術でない。なぜなら後者は明示されていないからという論理ですね。生きている森は言い訳をするチャンスがありますが、亡くなっている大山には弁明のチャンスがないですしね。まあしょせんwikiですからね。それでもいまの合意だけでも原案よりははるかにまともになるでしょう。--118.154.149.246 2009年1月21日 (水) 03:05 (UTC)

大山が扇子を回したのも、対局時のトラブルになったかもしれませんが、自分としては盤外戦術とは認めたくないところです。TibetFreedomさんが提示された書籍にはまだ目を通していないのですが、その中に大山が扇子を回したのが盤外戦術だと明記されているのでしょうか。
皆さんの合意が得られるように考えて提案しているのに、「しょせんwikiですから」とかいわれると、提案を馬鹿にされているような感じでいい気分はしません。そういう態度だと、通る主張も通したくなくなりますよ。--Tamago915 2009年1月21日 (水) 12:21 (UTC)

Tamago915さんの合意の提案自体には異存はありません。ただwikiの弱点は誰か著者が書いていさえすれば取捨選択せずいくらでも書き込んでいいという理論がまかりとおりかねないことだと思っております。その結果バランスを欠いた記述になりかねません。その点で「しょせん」という言葉を使いました。しかし気分を害されたようですし、喧嘩することが目的でもありません。その文は撤回した上で謝罪いたします。(それとも削除したほうがよろしいですか?)あと「現代に生きる大山振り飛車」の中で中原が大山から盤外戦術をあまりやられてはいないと前置きした上で扇子を回されたことが2回あったとコメントしていますね。ですから(それが適切な例かどうかはともかくとして)書き込むことはありえないことではありません。--118.154.149.246 2009年1月21日 (水) 14:34 (UTC)

消すには至りません。こちらの趣旨を理解していただければ十分です。 > その文は撤回した上で謝罪いたします。(それとも削除したほうがよろしいですか?)
バランスの問題は確かにあって、Wikipedia:中立的な観点に従って、ウィキペディアでは両論併記を行うべしとされています。両論併記の上でバランスを保つのは簡単ではありませんが、不可能ではないと思いますので、やってみる価値はあるでしょう。--Tamago915 2009年1月21日 (水) 15:14 (UTC)

そうですね。あと今書かれている高野山の決戦の話も叙述が極めて一方的だと思っています。大山はまだB級でしたし、週刊将棋編の「名局紀行」にも書かれているとおり「真相はヤブの中」p141ですから。また「升田が勝てば役員総出で大宴会になり、大山が勝ったらそのまま全員帰った」が要出典になっていますが、偶然読んだ河口俊彦「覇者の一手」のなかに「升田名人が勝てば、新聞社の重役が駆けつけて大宴会になるのに対し、大山名人が勝ったときはさっさと帰ってしまい、打ち上げも静かなものだった」p92という記述を発見しました。いずれにせよ当時のバックの新聞社の力が強かったというエピソードだと思っています。基本的には大山康晴の記事中での盤外戦術の扱い方については限られたスペースで誰もが納得する書き方などできないでしょうからはずしリンクだけすればいいのではと思っています。(もちろん他の棋士からのリンクも必須ですが)--118.154.149.246 2009年1月23日 (金) 01:19 (UTC)

私も了解。TibetFreedomさんの反応が得られませんが、とりあえずは異議なしということで進めたいと思います。
独立立項させる盤外戦術は、私が書きたいとも思うのですが、残念ながら2月頭まで地元の図書館が休館のようで、出典となる資料を集められる状態にありません。それ以降でも問題なければ、基礎となる部分を私が立項して、それをたたき台にしていくということにさせていただきたいと思いますが、いかがでしょうか。--Tamago915 2009年1月23日 (金) 14:06 (UTC)

こちらは問題ありません。その間に備忘録的な意味も込めて私が見つけた盤外戦術に関する記述をちらちらとあげていこうと思います。米長の横歩発言の経緯は「運を育てる」p125にくわしいです。それから「NHK 人間講座 大局を観る~米長流・将棋と人生」のなかに印象的な発言がありました。

「横歩も取れないような男に……」との盤外戦術をフェアでないとして非難するか、おもしろい 戦術だとニヤリとするか、いろいろなとり方ができるでしょう。ただ、戦前に何をしようが、盤外で何 を言おうが、真の戦いは対局する盤の上だけにあること、そして、そこでは互いに力をつくして真っ向 から勝負をする以外にないということだけは、動かしようのない真実です。それをだれよりも深く身に 沁みて知っているのがプロ棋士であることは、言うまでもありません。

参考になれば幸いです。--118.154.149.246 2009年1月24日 (土) 07:14 (UTC)

出典を入手してきました

遅くなりましたが、近くの図書館にて、今回の議論で出てきた書籍を何冊か借りてきました。米長の『運を育てる』には、「横歩も取れない」の経緯がでており、盤外戦術(書籍内では「盤外作戦」と記述)として発言したことが明記されています。大山の盤外戦術については、どの本の何ページに出ているという情報がないので、こちらでも調べてみますが、できれば情報を提供していただきたいと思っています。

あと、保護が2月10日で解けます。合意に至るまで保護を解除すべきでないと判断される方がおられましたら、Wikipedia:保護依頼#大山康晴(ノート / 履歴 / ログ)に無期限への移行賛成の票を投じていただければと思います。--Tamago915 2009年2月8日 (日) 14:14 (UTC)

文章は変えませんが一部だけ抜き出します。他にもいろいろありますがとりあえずこの辺で

  • 中原誠「将棋脳」P139 大山先生の「盤外作戦」。大山先生は対局中によく雑談をされた。タイトル戦でも、一日目の午前中はよくお話しかけられた。とてもつらかったことを思い出す。相手の思考を妨害する「盤外作戦」と言われたこともあった。さすがに終盤は一切話されなかった。扇子をクルクル。わたしも二度ほどやられた。すぐ止めてくれたので助かったことを覚えている。私は年が離れていることもあり、わたしとは真剣勝負という感じがあまりしなかったようである。今から思えば、すべてがいい思い出である。

---終始一貫して大山に好意的です。対局中のおしゃべりを盤外作戦(戦術)とは自分では言っていません。そう言っている人もいますねという態度の書き方です。盤外戦術かどうかの解釈は人によって違うので注意すべきであるといういい例かと思います。

  • P144対戦相手が坊主頭で登場。究極の奇襲作戦。勝つためには何でもするといっても言いすぎではない。相手からの挑発という意味で忘れることのできないのが、森けい二九段との第三十六期名人戦である。まず盤外での舌戦をやられた。「中原将棋は強くない」「相手が転んでいるだけだ」名人戦が始まる前から、森さんはマスコミを使って挑発発言を繰り返してきた。そして対局の一日目。なんと森さんは頭を丸めて登場したのである。さすがにビックリした。そのせいではないが、第一局は森さんに負けてしまった。この時点では、作戦が成功したわけだ。---一方こちらははっきりと森の行動、言動を否定的に書いています。
  • 木村義雄「将棋随想勝負の世界」P89 盤外戦術という言葉は当時あまりなかったようです。かわりにほぼ同じ意味で「盤上外の駆け引き」「盤外最初から終わりまで、謀略の争いだと言い得られる」「虚実の争いと言っても差し支えない」などと言っています。特に悪い意味では使っていません。
  • 田中寅彦「将棋界の真相」P128大山先生と私は十一局を戦った。棋士冥利に尽きる体験だった。夕食休憩のときである。大山先生が「君も触ってみなさい」と声をかけてきた。観戦記者と私に自分の肝臓あたりに触れというのだ。「硬いでしょう。どうも転移したみたいだ。」癌に侵されながらも平然と受け入れ、隠すどころか敵にも触らせる。最後の盤外戦術だった。大名人の勝負への執念に私はただ立ちすくむだけだった。

--118.154.149.246 2009年2月15日 (日) 19:48 (UTC)

ありがとうございます。時間が取れなくて記事は書けていませんが、出典としては十分なものがそろったと思います。むしろ大山の盤外戦術に出典不明なものが多く、大山に特化した元の書き方だと、少なくともウィキペディアでの姿勢としては問題がありそうですね。--Tamago915 2009年2月16日 (月) 00:04 (UTC)

「盤外戦術」の記事が作られました

2009-09-08T05:33:35 (UTC)に、TibetFreedomさんによって「盤外戦術」の記事が作られました。こちらでの議論を拝見いたしますと「盤外戦術」の記事を独立して作ることについては問題無いように思われますが、「事例」節の冒頭にあります大山康晴に関する記述についてはこちらの議論を反映したものではないように思われますが、議論に実際関わられた皆様はいかがお考えでしょうか。--Bellcricket 2009年9月8日 (火) 20:34 (UTC)

戦績表の提案

提案と議論

大山先生は優勝回数1位で、かつ、飛び抜けて多いので、五冠王時代、還暦を過ぎてからの活躍など、長年にわたる偉大なる戦績の全貌をわかりやすくするため、戦績の表を追加することを提案いたします。また、表の追加と同時に、「主な成績」の章においては、記録の部分だけを残してほかは削除してよいかと思います。

記事「中原誠」と「羽生善治」では実施済みですが、ただし、この大山先生の記事においては、表を置く場所は「棋風」の章のすぐ上が適当かと思います。

以上のことにつきましてご意見ございましたら、お寄せください。異論なしの場合、今週末を目処に作業を行いたいと思います。

なお、ご意見は、表の下ではなく、ここのすぐ下にご記入ください。--Jbg 2009年2月10日 (火) 08:32 (UTC)

  • (コメント)本心は反対です。中原と羽生の記事からも、成績表を消したいくらい。このようなスペースを取るテーブルが記事を埋めるのは、自分の感覚では「汚らわしい」です。ただ、 長い文章が読めない・書けない人が出てきているので、テーブルにでもなんでもしてくださいな。--Tamago915 2009年2月10日 (火) 14:07 (UTC)
コメントありがとうございます。一応、記事の読み込み時間(Tamago915さんのコメントの趣旨ではないかもしれませんが)については、事前検討の一つとして、パフォーマンスが悪い私のPCで測定していまして、「中原誠」が4秒、「羽生善治」が3秒、「棋戦 (将棋)」が5秒、「将棋」が52秒という結果が出ています。ちなみに、「囲碁」は108秒です。--Jbg 2009年2月10日 (火) 15:44 (UTC)
ページを汚すなり壊すなり、好きにしてください。何を書いても聞く耳なんて持っていないんでしょう。--Tamago915 2009年2月10日 (火) 15:54 (UTC)
相変わらず勘違いされていますね。私がこれまであなたの強硬姿勢に何度も妥協をしてきたことをお忘れですか? そして、ご自分が警察で私が犯人であるかのような発言も度々ありました。建設的な提案をしているのですから、感情論で意見されるのは今後控えてください。--Jbg 2009年2月10日 (火) 16:21 (UTC)
情報過多なのを表にしてごまかそうとしているから、汚いとかスペースを取るとか批判されているんですよ。それを受け入れて修正する意思があるのかないのか。まず、そこを確認したい。パフォーマンスの問題ではないし、全体が33で表が10だから問題ない、という問題でもないんです。1~2画面ではどうやっても入らない大きさの表を、記事に埋め込むという発想自体が問題ですし、個人的には受け入れがたい部分です。「建設的」と書かれていますが、先にも書いたように、記事を破壊しているようにしか見えません。
こちらからも代案を出しておきます。今回の提案と同じフォームを用いている、将棋のタイトル在位者一覧 (1)などにある表を拡張して、相手や番勝負の結果、非タイトル戦の決勝結果など、今回大山康晴に追加しようとしている情報を追加します。棋士個人の記事は従来通り、獲得したタイトルや棋戦優勝の結果を列挙する形にして、詳細はタイトル在位者一覧の別表を参照する、という形を想定しています。
代案のほうは大きな話になるので、提案が受け入れてもらえるようなら、別途ポータル等で広く呼びかけたいと思います。--Tamago915 2009年2月11日 (水) 02:27 (UTC)
ご意見ありがとうございます。最初、「羽生善治」のときに、すでに、「将棋のタイトル在位者一覧(1)、(2)」を‘拡張’することとの比較検討はしていたのですが、1つのマス目に2人の棋士名が書かれることによって表が長くなること、そして、多数の一般棋戦における優勝歴がわかりにくくなるということで、1人の棋士の表のほうを選択していたというわけです。「将棋のタイトル在位者一覧(1)、(2)」の‘拡張’は、別途やっていただいても何ら問題ありません。というよりは、むしろ、ありがたいです。その表ができたなら、私も一将棋ファンとして、ぜひ見たいです。ご参考に。--Jbg 2009年2月11日 (水) 04:27 (UTC)
手を動かすより、方針を決めるのが先でしょう。いま、各自が勝手に手を動かし始めたら、混乱するのが目に見えています。筋としては、本件に関する作業をいったん白紙に戻し、いくつかの可能な選択肢を示して議論を始めるべきです。ここまでJbgさんが主導してきた議論ですから、ここで作業を投げ出して他人の作業を見たいというのではなく、ご自身で責任を持って、適切な判断をされることを期待します。--Tamago915 2009年2月11日 (水) 10:29 (UTC)
また一方的な勘違いをされていますね。でも、まあいいでしょう。いつものことですから気にしていません。私は自分の提案に関して「投げ出す」ことはしません。ただし、卵さん個人の考えに対しては、当然ながら責任は持てません。また、手を動かすことより方針を決めるのが先とおっしゃっていますが、私はたたき台を作った上で議論をするほうが、具体的な意見を募れると考えたのです。そして、本文にいきなり載せることなく、ノートで議論しています。「羽生善治」、「中原誠」のときもそうでした。決して誤った手法ではなく、普通の手法です。企業では、会議資料もプレゼンテーション画像もない会議はありません。なお、今回のこの返答は、一方的に責任を押し付け、それを履歴へのコメントにまで丁寧に書かれたことに対する抵抗ですので、記事の内容に関する意見ではありません。すみませんが、あしからず。--Jbg 2009年2月11日 (水) 13:06 (UTC)
コメントありがとうございます。記事の大きさについては事前検討していまして、表を加えたとしても、「棋戦 (将棋)」や「将棋」よりは、かなり短くなりそうだということで、表を作ってみた次第です。実際にできあがった表の長さを10としたとき、概ね、「大山康晴」(現状)が27、「棋戦 (将棋)」が48、「将棋」が51という結果になりました。「大山康晴」に表をマージすると 27+10=37 ですので、ほかの2つの記事の7割ぐらいの大きさになります。たしかにスペースは取りますが、重要な文章の邪魔にならない位置に置くのであれば、問題はないと思うのですが、いかがですか?--Jbg 2009年2月10日 (火) 15:44 (UTC)
すみません。計算を間違えました。表を入れるときに現状の「主な成績」の大部分を消すので、27+10=37 ではなく 27-4+10=33 です。細かいことではありますが、念のため。--Jbg 2009年2月10日 (火) 16:39 (UTC)
  • (反対+別記事で)スペースを取るし、普通の読者は現在程度の内容で十分だと思います。[[大山康晴の優勝・将棋大賞受賞歴一覧]]のような別記事を立ててそちらに記載することには反対しません。--miya 2009年2月11日 (水) 02:13 (UTC)
ありがとうございます。「中原誠」、「羽生善治」のときにも別記事にすることは私の頭はあったのですが、異論が寄せられなかったので本人の記事の中に入れていました。よろしければご意見をいただきたいのですが、「中原誠」、「羽生善治」も別記事にしたほうがよいと思われますか?(たとえば、3人の表をまとめて1つの記事にしてしまうことも、私自身、考えていなくもなかったです。)--Jbg 2009年2月11日 (水) 04:27 (UTC)
「中原誠」、「羽生善治」も(作品記事に対する登場人物一覧記事のような位置付で)別記事にしたほうがよいと個人的には思います。「3人の表をまとめて1つの記事」がどんなものになるか想像がつきませんが、別々の方が分かりやすいのではありませんか。--miya 2009年2月11日 (水) 05:33 (UTC)
  • (反対)「第□期※※戦でAとBが対戦して○勝×敗でAの勝ち」などということは、組み込むとすれば「※※戦」の記事にあれば十分と考えます。ですので、「中原誠」及び「羽生善治」の記事中にも不要と思います。--ひととせうつる 2009年2月11日 (水) 04:53 (UTC)
  • (コメント)表を別記事にするのであれば反対はしませんが、人物記事に取り込むのであれば反対します。--経済準学士 2009年2月12日 (木) 04:47 (UTC)
皆様、ご意見ありがとうございました。

皆さんのご意見を受け、別記事とさせていただきます。「中原誠」、「羽生善治」つきましては現役棋士ということで、新たな戦績追加が容易になること、および、ここ(ノート:大山康晴)で議論するのはまずいということで、この場では結論を出さないこととします。

ありがとうございました。--Jbg 2009年2月14日 (土) 15:54 (UTC)

邪魔なので、ノートからも表を隠します。--Tamago915 2009年2月16日 (月) 00:04 (UTC)

表の試案

表は以上のとおりです。ご意見は「表の試案」の上にご記入ください。--Jbg 2009年2月10日 (火) 08:32 (UTC)

はじめまして。Armageronと申します。前の版の全体の表で確認してみましたが表の先頭を{| border="1" class="wikitable" style="width:100%;font-size:89%"として文字サイズを1段階小さくした方がより見やすくなる気がします。あとのデザインや内容は申し分のない出来だと思います。--Armageron 2009年2月14日 (土) 20:43 (UTC)
ご意見ありがとうございます。そんな手がありましたか。早速やってみたのですが、widthは75%ぐらいがよさそうです。結果は、「大山康晴の戦績」(昨日、新規作成)でご確認ください。(本件についてのご意見は、今後は、「ノート:大山康晴の戦績」にてお願いします。)--Jbg 2009年2月15日 (日) 08:59 (UTC)

良い感じだと思います。それぞれの全冠時代の長さとそのときに何回連続してタイトルをとったかという情報があると助かります。--118.154.149.246 2009年2月15日 (日) 04:43 (UTC)

ご意見ありがとうございます。恐れ入りますが、本件につきましては、「ノート:大山康晴の戦績」をご覧ください。--Jbg 2009年2月15日 (日) 08:59 (UTC)
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