パイ・レコード
パイ・レコード (Pye Records) は、イギリスのレコードレーベル。所属した主なアーティストは、ロニー・ドネガン(1956年-1969年)、ペトゥラ・クラーク(1957年-1971年)、サーチャーズ(1963年-1967年)、キンクス(1964年-1971年)、サンディ・ショー(1964年-1971年)、ステイタス・クォー(1968年-1971年)、ブラザーフッド・オブ・マン(1975年-1979年)などがいる。このレーベルは、1980年に名前をPRTレコード(Precision Records & Tapesとして配給)に変更した後、2006年にパイ・レコードとして一時的に再び活動した。
パイ・レコード Pye Records | |
---|---|
親会社 | パイ、後にATV、ルー・グレイドのACCの一部門 |
設立 | 1953年 |
解散 | 1989年 |
ジャンル | 様々 |
国 | イギリス |
歴史
編集パイ・カンパニーは、もともとテレビとラジオを製造していた。主な工場はケンブリッジのハイグ・ロードのすぐそばにあり、1953年にニクサ・レコードを買収したときにレコード事業に参入した。1955年、同社はレスリー・クラークとアラン・A・フリーマンによって設立されたポリゴン・レコードを買収した。同レーベルはレスリーの娘、ペトゥラ・クラークが所属していた。パイはポリゴンとニクサを統合し、パイ・ニクサ・レコードとした。
パイ・インターナショナル
編集1958年、パイ・インターナショナル・レコードが設立された。同社は、チェス、ディスク・ヴォーグ(フランス)、A&M、カーマ・スートラ、コルピックス、ワーナー・ブラザース、ブッダ、カメオ、20世紀、キングなど、イギリス市場向けにアメリカおよびその他の外国のレーベルからレコーディングのライセンスを取得した。また、社外で制作されたイギリスのアーティスト、ラビ・シフレのレコードもリリースした。
拡大
編集1959年、パイ・ニクサはパイ・レコードとなり、ATVはレーベルの50%の株式を取得した[1]。ATVは1966年に事業の残りの半分を買収した。
ルイス・ベンジャミンの管理下で[2]、同社は1957年に手頃な価格のアルバム市場に参入し、パイの旧譜を「パイ・ゴールデン・ギニー・レコード」として1ギニー(1ポンドと1シリング)で再発行した。一連のクラシックがゴールデン・ギニー・コレクターでリリースされた。たとえば、1959年に録音されたヘンデルの「王宮の花火の音楽」である。これはチャールズ・マッケラスの指揮で、ヤナーチェクの編集を含む他のレーベルでの録音も収録された[3]。同シリーズは70年代に廃盤となり、マーブル・アーク・レコードから更なる廉価盤として販売された。
ピカデリーとドーン
編集もう1つの正規価格の子会社であるピカデリー・レコードは、ジョー・ブラウン&ブルヴァーズ、クリントン・フォード、ロッキン・ベリーズ、サウンズ・オーケストラル、ソローズ、ジャッキー・トレント、そして後にアイビー・リーグを含む新たなポップアクトのためのものであった。1969年、パイはフォーク、ジャズ、ブルース、プログレッシブアクトの主流ではないレーベル、ドーン・レコードを立ち上げた。同レーベルの所属アーティストには、マンゴ・ジェリー、ドノヴァン、コーマス、タイタス・グローン、トライフルが含まれる。
4チャンネルでのリリース
編集1971年以降、パイはイギリスで一連の「4Dステレオ」LPを発売した。これらは、4チャンネルステレオで再生するために設計された。レコードは日本の山水電気からライセンス供与されたQSマトリックス方式4チャンネルステレオでエンコードされた。 パイは、4チャンネル・レコードのデコードに使用するための独自の家電製品ラインも販売した。これらの製品は特に成功することはなかった。このシリーズの最後のLPリリースは1977年であった。
PRTレコード
編集1980年にパイ(当時はフィリップスが所有[4])の名称の権利が失効したとき、レーベルはプレシジョンとの短期契約によって、Precision Records and Tapesの略であるPRTに名前を変更した。当時PRTには、ファンファーレ・レコード、1980年代後半から1990年代初頭にかけてイギリスを拠点としシニータが所属したHi-NRG、イマジネーションをフィーチャーした1980年代のディスコ/エレクトロ・レーベルであるR&Bレコード、ジグソーとリチャード・ヒューソン・オーケストラ/RAHバンドが所属したスプラッシュ・レコードなどのサブレーベルがあった。PRTは1984年に設立されたゲイリー・ニューマンのレーベル、ニューマ・レコードの製造と流通を担当し、同レーベルは20枚のシングルをリリースしたが、その中にはレーベル名となった創設者のニューマンのシングルや、女優のキャロライン・マンローのシングルが含まれた。テレビ番組「ポストマン・パット」の歌と音楽は、PRTスタジオで録音された。
PRTの親会社であるACCは、1982年にオーストラリアのベル・グループに買収された。1988年に、ベル・グループはボンド・コーポレーションに買収された。しかし、ボンド・コーポレーションはそれ自体が財政問題に苦しんでおり、その資産のほとんどを迅速に売却し始めた。PRTのレコードおよびカセット工場は、別のレコードメーカーであるミークランドに売却された。PRTのカタログのマスターはキャッスル・コミュニケーションズに売却され、キャッスル・コミュニケーションズは最終的にサンクチュアリ・レコード(現在はBMGライツ・マネージメントの一部門)となった。Precision Records & Tapes Ltd(旧Pye Records Ltd)は、2013年12月に正式に清算された[5]。
短期間の復活
編集2006年7月、パイ・レコードは、スコットランドのオルタナティブ・ロックグループのアイドルワイルドなどのアーティストをフィーチャーした、インディーズおよびオルタナティヴレーベルとしてサンクチュアリ・レコードによって復活した。しかし、ユニバーサル ミュージック グループが2007年にサンクチュアリを買収したとき、パイの名前を継続して使用する計画は放棄された。2012年にUMGがEMIを買収した後、欧州委員会が課した条件を満たすために、ユニバーサルは2013年にサンクチュアリをBMGライツ・マネージメントに売却した[6]。
現在の所有権
編集ワーナー・ミュージック・グループは、オルタナティブ・ディストリビューション・アライアンス部門を通じて、2017年3月にBMGがADAに配給契約を締結した後、サンクチュアリに代わってパイ / PRTアーティストのカタログを管理している[7][8]。WMGは、パイのアメリカにおけるかつてのディストリビューターであるワーナー・レコード(以前のワーナー・ブラザース・レコード)およびリプリーズ・レコードを所有している。
ATVミュージックパブリッシング
編集パイ・レコードは、有名なATVミュージックパブリッシングの姉妹会社であった。ビートルズの出版社であるノーザン・ソングスを所有していたこの会社は、1985年にマイケル・ジャクソンに買収され、後にソニーと合併してソニーATVミュージックパブリッシングを設立した。
国際部門
編集アメリカ
編集1964年の「ブリティッシュ・インヴェイジョン」から始まって、パイはアメリカでは主にイギリスで配給したアーティストをレーベルに所属させた。キンクスは始めにカメオ・レコード、次にリプリーズ・レコード、デヴィッド・ボウイ、サロウズ、ペトゥラ・クラークはワーナー・ブラザーズ、ドノヴァンはヒッコリー・レコード、サーチャーズはマーキュリー・レコードからリバティ・レコード、最終的にカップ・レコード、ステイタス・クォーはチェス・レコード(新たに設立されたカデット・コンセプト・レコードからリリースされた。)であった。
1969年から1971年まで、パイはGRT(General Recorded Tape)と共にヤヌス・レコードを共同所有し、ヤヌスは当初ジェファーソン、サウンズ・オーケストラル、ピケッティウィッチ、マンゴ・ジェリー、ステイタス・クォーなどのパイの米国レーベルを務めていた。また、ドノヴァンの初期(1966年以前)の作品を再リリースした。パイは1971年にヤヌスの株式をGRTに売却した。
1972年、ベル・レコードは短命のパイ・レーベルを設立した。カナダのアーティスト、ミシェル・パグリアーロの最初の英語のアルバムはUKパイ(主にイギリスで録音された)からリリースされた。ジャッキー・マコーリーの最初のソロアルバムは当初UKドーンからリリースされた。
1974年、パイはアメリカ版のレーベルを設立した。しかし、このレーベルは成功せず、1976年にアメリカでの事業を閉鎖した。その後、アメリカ部門の責任者であるマーヴィン・シュラハターは、当時のパイの所属アーティストであるプレリュードにちなんで名付けられたプレリュード・レコードを立ち上げた。その最初のLPと45回転盤のカタログシリーズは不運なアメリカン・パイ・レーベルから引き継がれ(カタログの接頭記号はPYE-からPRL-に変更された)、プレリュードは1980年代初頭に一連のディスコとダンスミュージックのヒットを記録した。
カナダ
編集パイはカナダで独自の事業を行っていなかったが、カナダのレコード会社と協力して、カナダのパイ・レーベルで同社のレコードをリリースするよう手配した。それ以前は、クオリティ・レコードがパイのアーティストのレコードを販売していた。パイ・カナダが初期にリリースしたロニー・ドネガンの「My Old Man's A Dustman」は、アストラル・ミュージック・セールスによって配給された。1963年頃、配給はアリード・レコード・コーポレーションに移る。1968年にはフォノディスクに変更された[9]。
所属アーティスト
編集(パイ在籍時にアメリカで発行されたレーベルを含む)
- シャーリー・アビケア
- ロング・ジョン・バルドリー(アメリカではワーナー・ブラザース)
- ケニー・ボール・アンド・ヒズ・ジャズメン(アメリカではカップ)
- クリス・バーバーズ・ジャズバンド(アメリカではローリー)
- ジョン・バルビローリ・アンド・ハレ・オーケストラ(1956年、パイ・ニクサから)
- アッカー・ビルク
- デヴィッド・ボウイ(1965年-1966年; アメリカではワーナー・ブラザース)
- ビートルズ (1962年)
- ブルック・ブラザーズ (1961年-1964年)
- ブラザーフッド・オブ・マン (1975年-1979年)
- マックス・バイグレイヴス(パイのシングルアルバムのシリーズを成功させた)
- ペトゥラ・クラーク(1957年-1971年: 数十枚のシングルに加えて、17枚のアルバムをパイからリリース。アメリカではローリー、後にワーナー・ブラザース)
- クレム・カーティス
- ジョー・ドラン
- ロニー・ドネガン(1956年-1969年; アメリカではマーキュリー、アトランティック、後にドット)
- ドノヴァン (1965年-1971年; アメリカではヒッコリー、後にエピック)
- カール・ダグラス(アメリカでは20世紀フォックス)
- ダミーズ (1980年)
- ジュディス・ダーラム
- エニド
- エピソード・シックス(アメリカではエレクトラでシングル1枚のみ)
- ファビュラス・プードルス
- バド・フラナガン
- フライング・マシーン(1969年; アメリカではコングレス、後にヤヌス)
- エミル・フォード・アンド・ザ・チェックメイツ
- ファウンデーションズ(アメリカではユニ)
- ブライアン・ジョセフ・フリエル(アメリカではATVレコード)
- グラデュエイト (1979年)
- デイヴィ・グレアム(アルバム『The Guitar Player』を1963年にパイからリリース、後にサンクチュアリ・レコードから2003年、8曲のボーナストラックを加えて再発)
- ベニー・ヒル (1961年-1965年)
- ハニーカムズ(1964年-1966年; アメリカではインターフォン、後にワーナー・ブラザース)
- アイドルワイルド (2006年)
- アイビー・リーグ (1965年-1966年; アメリカではカメオ)
- トニー・ジャクソン・アンド・ザ・ヴァイブレーションズ (1964年-1966年; アメリカではカップ、後にレッド・バード)
- ジミー・ジェームズ & ザ・ヴァガボンズ
- ジョン・ポール・ジョーンズ(「Baja/A Foggy Day In Vietnam」を1964年4月にパイでリリース。アメリカではパークウェイ)
- キンクス (1964年-1971年; アメリカではカメオ、後にリプリーズ)
- ヴェラ・リン (1979年-1981年)
- マン (1968年-1969年)
- ジェラルド・マスターズ (1977年-1980年)
- デヴィッド・マクベス(1959年-1969年; サブレーベルのピカデリーが含まれる。)[10]
- マイク・マッケンジー (1922年-1999年)
- マンゴ・ジェリー(1970年-1974年; アメリカではヤヌス、後にベル)
- オリビア・ニュートン=ジョン(『Olivia』、フェスティバル、オーストラリア、1972年)
- マキシン・ナイチンゲール
- ミジル・ファイブ (1964年-1965年)
- デス・オコナー
- ミシェル・パグリアーロ(モントリオール出身のカナダ人シンガーソングライター、イギリスでは「パグリアーロ」の名で知られる)
- レニー・ピーターズ (1966年)
- ピケッティウィッチ (1969年-1973年; アメリカではヤヌス、後にベル)
- リアル・シング (1976年-1979年)
- ジョアン・レーガン (1960年-1961年)
- レモ・フォー
- ドン・レイノルズ (1958年-1959年)
- サーチャーズ(1963年-1967年; アメリカではマーキュリー、リバティ、後にカップ)
- サンディ・ショー(1964年-1972年; アメリカではリプリーズ)
- ラビ・シフレ(1970年-1973年、パイ・インターナショナル)
- ハリケーン・スミス (1976年-1977年)
- サロウズ(1964年-1966年; アメリカではワーナー・ブラザース)
- サウンズ・オーケストラル(アメリカではパークウェイ)
- ステイタス・クォー(1968年-1971年; アメリカではカデット・コンセプト、後にヤヌス)
- トミー・スティール
- トレイダー・ホーン
- フランキー・ヴォーガン (1973年-1978年)
- ジョニー・ウェイクリン
- ヴェルヴェット・フォッグ (1969年)
- ジェノ・ワシントン & ザ・ラム・ジャム・バンド(アメリカではカップ)
- マーク・ウィンター (1962年-1968年)
- ヒューマン・インスティンクト
- デッド・フィンガーズ・トーク
経歴の中で「パイ」のためにレコーディングを行ったアーティストには、ジミー・ヤング、ディッキー・ヴァレンタイン、ラス・コンウェイ、エミル・フォード、ヴァル・ドゥニカン、ジャッキー・トレント、トニー・ハッチ、トニー・ハンコックが含まれる。
関連項目
編集脚注
編集- ^ “Billboard - Google Books” (10 November 1958). 5 January 2013閲覧。
- ^ Albert H. Friedlander, "Obituary: Louis Benjamin", The Independent, 23 June 1994. Retrieved 3 December 2020
- ^ The orchestra credited for the Music for the Royal Fireworks was the Pro Arte Orchestra, but given the number of extra players used it was effectively an ad hoc ensemble on that occasion. Blyth, Alan (March 1975). “Charles Mackerras talks”. The Gramophone: 1, 626.
- ^ information@ipo.gov.uk, Intellectual Property Office, Concept House, Cardiff Road, Newport, NP10 8QQ.. “Intellectual Property Office - By number results”. 2017年4月18日閲覧。
- ^ “PRECISION RECORDS AND TAPES LTD - Filing history (free information from Companies House)”. Beta.companieshouse.gov.uk. 26 October 2015閲覧。
- ^ Chmielewski, Dawn C. (14 February 2013). “Universal Music agrees to sell Sanctuary Records”. Los Angeles Times. オリジナルの15 February 2013時点におけるアーカイブ。
- ^ Christman, Ed (28 April 2016). “Warner Music's Global Deal for BMG's Catalog Sets Up Showdown With RED”. Billboard.com .
- ^ “BMG moves distribution of 8,000 albums to Warner's ADA - Music Business Worldwide”. musicbusinessworldwide.com (7 March 2017). 13 March 2017時点のオリジナルよりアーカイブ。13 March 2017閲覧。
- ^ [1] Archived 19 November 2008 at the Wayback Machine.
- ^ “David Macbeth Discography - UK - 45cat”. 45cat.com. 6 May 2021閲覧。