フアン・カルロス・フェレーロ

スペインのテニス選手 (1980-)

フアン・カルロス・フェレーロ・ドナト(Juan Carlos Ferrero Donat、1980年2月12日 - )は、スペイン・オンテニエンテ出身の元男子プロテニス選手。身長183cm、体重73kgの細い体型から“Mosquito”(モスキート)と呼ばれている。右利き、バックハンド・ストロークは両手打ち。自己最高ランキングはシングルス1位、ダブルス198位。ATPツアーでシングルス16勝を挙げた。

フアン・カルロス・フェレーロ
Juan Carlos Ferrero
フアン・カルロス・フェレーロ
基本情報
フルネーム Juan Carlos Ferrero Donat
愛称 Mosquito (モスキート)
国籍 スペインの旗 スペイン
出身地 バレンシア州の旗 バレンシア州オンテニエンテ
生年月日 (1980-02-12) 1980年2月12日(44歳)
身長 183cm
体重 73kg
利き手
バックハンド 両手打ち
ツアー経歴
デビュー年 1998年
引退年 2012年
ツアー通算 16勝
シングルス 16勝
ダブルス 0勝
生涯通算成績 485勝286敗
シングルス 479勝262敗
ダブルス 6勝24敗
生涯獲得賞金 $13,992,895
4大大会最高成績・シングルス
全豪 ベスト4(2004)
全仏 優勝(2003)
全英 ベスト8(2007・09)
全米 準優勝(2003)
優勝回数 1(仏1)
4大大会最高成績・ダブルス
全豪 1回戦(2004・05)
全仏 出場なし
全英 1回戦(2002・03)
全米 1回戦(2006)
国別対抗戦最高成績
デビス杯 優勝(2000・04・09)
キャリア自己最高ランキング
シングルス 1位(2003年9月8日)
ダブルス 198位(2003年2月3日)

2003年全仏オープン男子シングルス優勝者で4大大会では2度の準優勝経験がある。2002年最終戦マスターズ・カップ準優勝。マスターズ1000優勝4回。デビスカップではスペイン代表として3度の優勝に貢献。

選手経歴 編集

ジュニア時代、1998年全仏オープン男子ジュニアシングルス部門でフェルナンド・ゴンサレスに敗れた準優勝がある。同年にプロ入り。翌1999年3月のハサン2世グランプリが彼のATPツアーデビュー戦で、予選勝ち上がりからベスト4に進出した。1999年全米オープン4大大会に初出場し、1回戦で第8シードのグレグ・ルーゼドスキーに敗れたが、翌週に開かれた地元スペインマヨルカ・オープン決勝でアレックス・コレチャを下し、ツアー初優勝を果たす。これらの好成績から、彼はシングルスランキングを年初の「348位」から年度末には「45位」にまで急上昇させ、1999年度のATPアワードの最優秀新人賞を受賞した。

2000年全仏オープンで、フェレーロは初出場からいきなり準決勝まで進出し、クレーコートの王者グスタボ・クエルテンに5-7, 6-4, 6-2, 4-6, 3-6で惜敗した。同年9月に開かれたシドニー五輪にもスペイン代表選手として出場し、第8シードとしてアルノー・ディ・パスカルとの準々決勝まで進出した。その後は特にクレーコートで圧倒的な強さを見せ続け、2001年ローマ・マスターズでは、決勝でクエルテンに3-6, 6-1, 2-6, 6-4, 6-2で勝利し、優勝している。しかし、同年の全仏オープンでは2年連続の準決勝でクエルテンに連敗する。2002年全仏オープンでは、ギリェルモ・コリアガストン・ガウディオアンドレ・アガシマラト・サフィンといった強敵を次々と撃破し、初の決勝進出を果たすが、同じスペインの先輩選手アルベルト・コスタに1-6, 0-6, 6-4, 3-6で敗れて準優勝に終わった。

2003年全仏オープンで、フェレーロは2年連続2度目の決勝進出で悲願の初優勝を達成した。この時は準々決勝でジュニア時代からのライバルだったフェルナンド・ゴンサレスを6-1, 3-6, 6-1, 5-7, 6-4とフルセットの末に破り、その後準決勝でコスタを6-3, 7-6, 6-4て下し、一年前の決勝のリベンジを果たした。決勝戦では カルロス・モヤ、コリアを破り、勝ち上がってきたマーティン・フェルケルクに6-1, 6-3, 6-2で破り、念願だったグランドスラム優勝を果たした。全米オープンでもレイトン・ヒューイットアガシら過去の全米優勝者を撃破して決勝に進出したが、地元アメリカの新星アンディ・ロディックに3-6, 6-7, 3-6で敗れて準優勝に終わった。全米オープン終了後、フェレーロは初めて世界ランキング1位になった。

その後は故障の影響もあり、彼は長期間の成績不振に苦しんだ。2004年から2008年までの5年間は、ATPツアーで6度の準優勝に止まっていた。その間、2007年ウィンブルドンで初のベスト8進出があり、この準々決勝ではロジャー・フェデラーに6-7, 6-3, 1-6, 3-6で敗れた。2003年10月のマドリード・マスターズ以降、110大会もの間ツアー優勝から遠ざかっていたが、2009年4月のハサン2世グランプリ決勝でフローラン・セラを6-4, 7-5で破り、6年ぶりのツアー優勝を飾った。それからウィンブルドンでランキングが足りず、ワイルドカードでの出場であったにもかかわらず、3回戦で第10シードのフェルナンド・ゴンサレスを4-6, 7-5, 6-4, 4-6, 6-4の死闘の末に、4回戦では第7シードジル・シモンを破り、2人のトップ10プレーヤーを破った上で、2年ぶり2度目の準々決勝に進んだが、第3シードのアンディ・マリーに5-7, 3-6, 2-6のストレートで完敗した。

フェレーロは2012年10月のバレンシア・オープン500を最後に32歳で現役を引退した[1]

キャリア通算成績 編集

グランドスラム 編集

シングルス 編集

結果 大会 サーフェス 対戦相手 試合結果
準優勝 2002 全仏オープン クレー   アルベルト・コスタ 1–6, 0–6, 6–4, 3–6[2]
優勝 2003 全仏オープン クレー   マルティン・フェルケルク 6–1, 6–3, 6–2[3]
準優勝 2003 全米オープン ハード   アンディ・ロディック 3–6, 6–7(2–7), 3–6[4]

ATPツアー年間最終戦 編集

シングルス 編集

結果 大会 サーフェス 対戦相手 試合結果
準優勝 2002 上海 インドアハード   レイトン・ヒューイット 5–7, 5–7, 6–2, 6–2, 4–6[5]

4大大会成績 編集

略語の説明
 W   F  SF QF #R RR Q# LQ  A  Z# PO  G   S   B  NMS  P  NH

W=優勝, F=準優勝, SF=ベスト4, QF=ベスト8, #R=#回戦敗退, RR=ラウンドロビン敗退, Q#=予選#回戦敗退, LQ=予選敗退, A=大会不参加, Z#=デビスカップ/BJKカップ地域ゾーン, PO=デビスカップ/BJKカッププレーオフ, G=オリンピック金メダル, S=オリンピック銀メダル, B=オリンピック銅メダル, NMS=マスターズシリーズから降格, P=開催延期, NH=開催なし.

大会 1999 2000 2001 2002 2003 2004 2005 2006 2007 2008 2009 2010 2011 2012 通算成績
全豪オープン A 3R 2R A QF SF 3R 3R 2R 4R 1R 1R A 1R 20–11
全仏オープン Q1 SF SF F W 2R 3R 3R 3R 1R 2R 3R A 2R 34–11
ウィンブルドン A A 3R 2R 4R 3R 4R 3R QF 2R QF 1R A 1R 22–11
全米オープン 1R 4R 3R 3R F 2R 1R 2R 1R A 4R 3R 4R A 23–12

脚注 編集

  1. ^ “元王者フェレーロが14年間の現役生活にピリオド◇バレンシア・オープン”. tennis365.net. (2012年10月24日). http://news.tennis365.net/news/today/201210/94896.html 
  2. ^ Roland Garros 2002 Men’s Singles Championship” (英語). ATP. 2012年12月25日閲覧。
  3. ^ INTERNATIONAUX DE FRANCE 2003 - Simple Messieurs” (英語). ATP. 2012年12月25日閲覧。
  4. ^ 2003 US Open Men’s Singles Championship” (英語). ATP. 2012年12月25日閲覧。
  5. ^ Daily Results” (英語). ATP. 2012年12月25日閲覧。

外部リンク 編集

タイトル
先代
  アンドレ・アガシ
世界ランキング1位
2003年9月8日 - 2003年11月2日
次代
  アンディ・ロディック
受賞や功績
先代
  マラト・サフィン
ATP Newcomer of the Year
1999年
次代
  オリビエ・ロクス