ペンシルベニア州立大学

ペンシルベニア州立大学(ペンシルベニアしゅうりつだいがく、英語:The Pennsylvania State University)は、ペンシルベニア州ステートカレッジに位置する州立総合大学

ペンシルベニア州立大学
モットー Making Life Better
種別 ランドグラント, 州立
設立年 1855
資金 $1.546億米ドル(システム全体)[1]
学長 Eric J. Barron
教員数
8,864 (full and part time)
学生総数 44,817
学部生 38,594
大学院生 6,223
博士課程在籍者
594 College of Medicine
所在地 PA
19 Commonwealth Campuses
5 Special-mission campuses
ユニバーシティパーク
キャンパス

ユニバーシティパーク Campus: 5,448 acres (22 km2). TOTAL

Campuses: 18,370 acres (74 km2)
スクールカラー Blue and White
           
運動競技 ビッグ・テン・カンファレンス
ニックネーム ニタニー・ライオン
MAISA; AAU; CIC
公式サイト www.psu.edu
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概要編集

学生数は本部キャンパスのみで40,000人(学部生・大学院生計)、全体では80,000を超える。アメリカの州立大学の屈指の名門校として「パブリック・アイビー」の一つに数えられるが、私立のアイビーリーグ、ペンシルベニア大学(University of Pennsylvania)とは異なる。

U.S. News & World Report 誌の大学ランキングでは、同校は全米の公立大学の中で第14位にランクされており、さらに同誌の2016年版専攻別ランキングでは工学部全体で全米18位、航空宇宙工学で全米16位、物質工学で全米10位、生産技術(経営工学)では全米9位と、アメリカ屈指の名門工科大学の1つとされる。Times Higher Educationでは、毎年世界50位~150位程度にランクされており、世界トップクラスの教育・研究機関としても有名である。

同学はペン・ステートPenn State)という愛称で親しまれ、所在地であるユニバーシティパーク周辺は、ハッピー・バレーHappy Valley)或いは、ニタニー・バレーNittany Valley)と呼ばれている。

一つの町に相当する規模の広大なキャンパスである為、大学側は、町への郵便物を“大学宛”と“大学以外宛”に分別するため、日本の「大規模事業所向け個別」に相当するユニバーシティパークという独立した住所を用いている(郵便番号16802)。また、同校は全米最大級のフットボールスタジアムがある事で有名である。

沿革編集

同校は1855年2月22日にペンシルベニア農業高校として創立された。1862年に「ペンシルベニア農業大学」に改称。1875年には「ペンシルベニア州立大学」(Pennsylvania State College)と改称された。現在のPennsylvania State Universityという名称になったのは1953年のことである。

ペンシルベニア州立大学は、1958年に北米トップクラスの研究大学のみで構成されるアメリカ大学協会(The Association of American Universities, AAU)の正式メンバーとなった。アメリカ大学協会とは、1900年にハーバード大学ジョンズ・ホプキンス大学コロンビア大学シカゴ大学カリフォルニア大学クラーク大学コーネル大学アメリカカトリック大学英語版ミシガン大学スタンフォード大学ウィスコンシン大学ペンシルバニア大学プリンストン大学イェール大学の米国の名門大学14校が集まり創設した大学連盟で、現在は米国公立大学私立大学計60校とカナダの大学2校から構成されている。

学問分野編集

ペンシルベニア州立大学は州立の総合大学であるが、フィラデルフィアにあるアイビーリーグの名門ペンシルバニア大学(私立)とは異なる大学組織である。とりわけ理系に強く、建築学工学理学の学問分野では、軒並み全米のベスト20に入っている。また経済学経営学の分野にも強く、特に、ロジスティクス研究では学部全米5位タイ、大学院全米8位にランクされている。アメリカ全土に約2300校の大学が存在する事を踏まえ、工学分野ではアイビーリーグに引けを取らない名門だと考えられている。アイビーリーグの中にも、ペンシルバニア州立大学より工学部専攻のランキングが低い大学が存在する。

また、同校は図書館の蔵書量が豊富なことでも知られる。メイン・ライブラリーの蔵書量は約480万冊を数える。同図書館はさらに地図約50万枚、マイクロフィルム約500万本、フィルム・ビデオ約16万本を所有している。

スポーツ編集

ペンシルベニア州立大学のスポーツチームの名は"Nittany Lions"(ニタニー・ライオンズ)という。同校のマスコットであるニタニー・ライオンは、1907年に同校の4年生であったジョー・メイソンによって作られたもので、地元のニタニー山の周辺に生息するマウンテン・ライオン(ピューマ)をモデルにしている。

同学は、男女バレーボールの強豪として知られる。またフェンシングにおいても、1990年に競技の始まったこの種目において9度の全米優勝に輝いている。

同学のスポーツを代表するものは、名将ジョー・パターノ監督が率いたフットボールチームである。パターノ監督は、1950年ブラウン大学を卒業後、アシスタント・コーチとしてペンシルベニア州立大学コーチ陣に加わり、1966年にヘッドコーチに就任、2011年シーズン途中まで、ニタニー・ライオンズ一筋で選手の獲得・指導・采配にあたり、ヘッドコーチとして通算353勝(全米ヘッドコーチ中2位)、チームを2度の全米優勝に導いた。1995年にはローズボウルで勝ち、パターノ監督は、史上初となる4大ボウル(ローズ・フィエスタシュガーオレンジ)のすべてを一度は制覇するという偉業を成し遂げた。

しかし、2011年に、アシスタント・コーチを務めていたジェリー・サンダスキーが長年にわたる少年への性的虐待で逮捕される。さらに、パターノ監督主導による積極的な隠蔽工作の事実が発覚し、同校のフットボールチームには、「死刑以上」と言われる重い制裁が科された。[2]

同学は、1990年(フットボールは1993年)に、ビッグ・テン・カンファレンスに加入し、ミネソタ大学ゴールデン・ゴファーズやミシガン州立大学スパルタンズとのライバル関係を築いた。同カンファレンスは、オハイオ州立大学バッカイズ、ミシガン大学ウルヴァリンズという全米屈指の強豪を抱える激戦区であり、勝ち抜くのは非常に困難である。

同校の応援歌は、"Fight On State"、スクールカラーはネイビーブルーと白である。スタジアムは、ビーバー・スタジアム(収容人数は北米最大の107,282人)を使用。大学の結束(School Spirit)を非常に重視する校風であり、ホームゲームの時は大学中が、応援ムードに様変わりする。

大学関係者編集

英語版参照:w:List of Pennsylvania State University people

日本で著名な出身者編集

  • ジェシー・アーネル (Jesse Arnelle, 1933 – 2020)は、ペンシルバニア州立大学入学後、アメリカンフットボールとバスケットボールの選手として活躍し、1954年、バスケットボールチームを the 1954 NCAA Final Fourに導き、彼自身もAll American、the 1954 NCAA All-Tournament team and the East Regional Most Valuable Player.に選ばれた。卒業後、NFLのドラフトにも名前が挙げられたが、バスケットボールのNBLの方を選び、the Fort Wayne Pistons でプレーし、1956年2月に負傷した。その後、空軍、Peace Corps 勤務を経て、Dickinson Law School を1962年に卒業し、弁護士となった。1969年、ペンシルバニア州立大学 Board of Trustees のメンバーに選ばれ、後年来日し日本人を支え、2014年には名誉Trusteeに、2016年にはChairに、同年、同学Distinguished Alumnusに選ばれた。
  • 安部三子郎 (1996年アトランタオリンピックレスリングフリースタイル57kg級9位) [3]
  • 内野研二(日系アメリカ人。東京都生まれ、広島県育ち。1973年、東京工業大学理学部物理学科卒業。1975年、東京工業大学大学院理工学研究科電子物理工学専攻修了。1976年、東京工業大学工学部助手。1978年、ペンシルバニア州立大学材質研究所研究員。1981年、東京工業大学工学博士。1985年、上智大学理工学部物理学科助教授。1991年、ペンシルバニア州立大学工学部電気工学科教授。1992年、同学国際アクチュエータ・トランスデューサ研究所所長。2004年、マイクロメカトロニクス社上級副社長兼務。2008年、セントフランシス大学大学院修了、MBA。2010年、アメリカ合衆国海軍省科学技術本部(ONR)アジア事務所副所長)
  • ロドニー・エリクソン (Rodney A. Ericson, 1946-2014) (The University of MinnesotaでBSとMSを取得後、1973年、The University of Washingtonにおいて、地理学分野でPh. D. を取得後、the University of Wisconsin-Madison,で教鞭を取った。その後、ペンシルバニア州立大学助教授となり、1984年に教授に昇進した。1995年、dean of the graduate school、1997年、 vice president for research、1999年7月、provost and executive vice president 、2011年から2014年まで、第17代同学総長に就任した。)
  • 大路清嗣 (機械工学者、1953年大阪大学工学部機械工学科卒業。学位は工学博士 (京都大学・1958年)、1963-65年ペンシルベニア州立大学 Department of Engineering Science and Mechanics助教授、大阪大学教授、同学工学部長などを歴任し、大阪大学名誉教授)
  • セーラ・マリ・カミングス (Sarah Marie Cummings、1968年 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州生まれ。交換留学生として、関西外国語大学に留学後、1993年、ペンシルバニア州立大学卒業。1994年、株式会社小布施堂入社、1998年、同社取締役、2001年、SMC(ストラティジック・マネージメント・コンサルティング)株式会社を設立し、「ウーマン・オブ・ザ・イヤー2002」(日経ウーマン)大賞を受賞。利酒師、Woman Athlete。)
  • パトリック・カミンズ (レスリング選手、総合格闘家)
  • 城戸英彦 (1924 -2021) (東京帝国大学冶金学科卒業。Ph. D. in Chemistry from Penn State, 日本の学位は工学博士 (東京大学)、新日本製鐵株式会社を定年退職後、日本ペンステート同窓会長、拓殖大学教授、US ARO Far East Yokosuka Base Science Advisor等歴任)
  • ジョン・キャパレッティ (John Cappelletti, born August 9, 1952) は、ペンシルバニア州立大学アメリカンフットボールチームで活躍し、1973年。Senior Tailbackとして1,522ヤード、17タッチダウンを稼ぎ、Heisman Trophy, the UPI College Football Player of the Yearなどを受賞した。チームも全米一位となる。1976年4月、幼い弟のJoeyは白血病にかかり死亡するが、その兄弟愛や家族愛が人々の感動を呼び、書籍として出版され、ジョーイ (Something for Joey)というタイトルで映画化もされ、日本でも上映された。卒業後、プロに転じ、 the National Football League (NFL) の Los Angeles Rams と the San Diego ChargersでRunning Backとして活躍した.
  • 倉本昌昭 (1924-2022) (1946年東京帝国大学工学部船舶工学科卒業。運輸省入省後、1957-58年、Penn State 原子力工学科へ派遣留学、後に科学技術庁原子力局次長、同疔科学審議官、日本原子力船開発事業団専務理事、日本科学技術振興財団常務理事、前任の本田博会長の指名による日本ペンステート同窓会長、科学広報財団理事長等を歴任)
  • ウィリアム・シュライヤー (William Schreyer, 1928–2011) (ペンシルバニア州立大学で商業及びファイナンスを専攻し、1948年に卒業した。1949年には、Harvard Business Schoolに入学を許可されたが、新しい Merrill Lynch 証券会社のインターンシップに入ることを選択した。1982年には同社社長、翌年には会長兼CEOに就任し、8年間在任した。1997年には、妻のJoan (née Legg)と共に、3000万ドルを、母校に寄付し、グローバルリーダー養成教育などの為の The Schreyer Honors College を創設。米日のみならず海外出身の後輩達にも目をかけた。後年、同学 President of Board of Trusteesを務めた。)
  • エドワード・ジャンカー (Edward P. ”Ted” Junker, 1937-2016) は、ペンシルバニア州立大学でホテル経営学を専攻して、1959に卒業し、妻のBarbaraは、同学を1957年に卒業した。1964年、エドワードは、Marine Bankに入行し、1969年、the Stonier Graduate School of Banking at Rutgers で修士号を取得した。その後、同行は PNC Bank Northwest Pennsylvaniaに吸収合併され、1974 年、彼は、PNC Bankの頭取に、1983年には、会長兼 CEO に就任した。その後、1986年から 2010年まで、ペンシルバニア州立大学の Board of Trusteesのメンバーとして貢献し、その理事長にも就任した後、2010年、名誉 trusteeに選ばれた。この間、Junkerは、フットボールやBehrendキャンパスの経営などを支援し、数々の栄誉や賞を受け、2011年には同学Distinguished Alumnusに選ばれた。)
  • ブライス・ジョルダン (Henry Bryce Jordan, 1924-2016) (the University of Texas at Austinで音楽を専攻し、学士号と修士号を取得後、教諭体験を経て、1956年、the University of North Carolina at Chapel Hill にてhistorical musicologyを専攻しPh.D.を取得。その後、the University of Maryland で音楽学教授、the University of Kentuckyで、Head of Department of Music, the University of Texas at Dallas総長などを歴任した後、ペンシルバニア州立大学第14代総長 (1983-90) に就任した。任期中、Minority Studentに対する施策や、同学が スポーツ活動においてBig Ten Conferenceに加盟する事などに注力し、これを1990年に果たした。本田博の同学留学体験記を読後、感銘を受け、以後、大学トップが、日本、韓国、中国、台湾を訪問し、同学主催のイベントを開催するようになった。)
  • 杉浦章介慶應義塾大学経済学部教授。経済地理、都市地理、地域政策)[4]
  • グラハム B. スパニエ (Graham B. Spanier, 1948-) (ペンシルバニア州立大学教授 (社会学専攻)、ネブラスカ大学総長などを務めた後、第16代ペンシルバニア州立大学総長 (1995-2011) を務め、在任中に全米大学協会会長などを務めた。日本へは、Penn State Musical Theatre Programの学生を引率し、本田博とジョアブ トーマスが、2001年11月18日に、同学のNittany Lion Innにて合意し、創設したPublic Ivies Exchange Programの一環として、Musical Medleyの公演を、一度目は2002年に帝国ホテルで、二度目は、2009年3月に東京大学小宮山宏総長と会談後、夕刻、同学駒場キャンパスにて、レセプションのホスト役を妻のSandraと共に務めた後に行い (Hiroshi Honda 1042 Facebook参照)、自らも公演に加わった。)
  • サンドラ・スパニエ (Sandra Spanier) (University of Illinois ChicagoでBAを、ペンシルバニア州立大学でMAとPh.D.を取得後、同学でEdwin Erle Sparks Professor of English and Women's Studies, the general editor of The Cambridge Edition of the Letters of Ernest Hemingway などを務める。専攻は、American Literature After 1990, Book History and Textual Studies, Modernist Studiesで、夫のGrahamとの間に二子をもうけた。)            
  • 諏訪佳子 (名古屋大学工学部助手時代、酸化リチウム系複酸化物トリチウム増殖材の合成と評価に関する研究を行い、1984年1月ー85年7月、Penn State Materials Research Laboratoryにて研究を継続。帰国後、共立窯業原料(株)、その後、STKセラミック研究所に転じた。夫は、地球科学の研究(専門は岩石学地質学)で著名な諏訪兼位 (1928-2020) 名古屋大学名誉教授で、Penn State 滞在経験を有し、名古屋大学理学部長、日本福祉大学学長、日本アフリカ学会会長などを歴任。)
  • 関口英里(同志社女子学芸学部大准教授。メディア文化論、日米消費文化論、メディア教育)[1]
  • 宗宮重行 (1928 - 2018) (1952年東京工業大学窯業学科卒業、1957年1月-1959年6月、Penn State Earth and Mineral Sciences 学科大学院に留学し多数の論文を執筆。1962年東京工業大学工学博士。同学齋藤進六学長に見いだされ、同学教授、同学工業材料研究所長等を歴任)
  • 髙桑宗右ヱ門名古屋大学名誉教授、ベトナム国家大学卓越教授、元日本情報経営学会会長。経営工学)
  • フィル・デイヴィス (2008年NCAAレスリング王者、総合格闘家
  • ジョアブ L. トーマス (Joab L. Thomas, 1933-2014) (ノースカロライナ州立大学総長、アラバマ大学総長を務めた後、第15代ペンシルバニア州立大学総長 (1990-1995) に就任し、在任中の1993年には、東京都千代田区神田錦町の学士会館で開催された日本ペンステート同窓会に、妻のMarly Thomas (Radcliffe Collegeを卒業後、Harvardで修士号を取得し、四子を得る) と共に参列した。その後、日本ペンステート同窓会支援スカラーシップの創設に、日本側の同窓会関係者と共に貢献した。ジョアブの専攻は生物学。アラバマ大学総長時代には、来日して、米国タスカルーサ市と日本の習志野市の姉妹都市連携に貢献し、1998年以降、本田博に、連携の高度化を託した。)
  • 内藤克俊 (1895-1969) (農学部出身。レスリング部主将。Penn State卒業後、日本代表として、1924年パリオリンピックレスリングフリースタイルフェザー級銅メダル獲得。日本レスリング初の五輪メダリスト。ブラジルで開拓事業、柔道指導で活躍。全伯柔道有段者会会長、ブラジル産業協会会長などを歴任。1969年、講道館七段。1995年5月5日、Old Mainでの式典において、記念プレートが、日本ペンステート同窓会長 (本田博) より Penn State 総長 (Joab L. Thomas) に献呈され、学内設置された。)
  • 野村るり子(株式会社ホープス代表取締役兼教育コンサルタント)[2][3][4]
  • エリック・バロン (Eric James Barron, born October 26, 1951) (14th president of Florida State University, director of the National Center for Atmospheric Research in Boulder, Coloradoなどを務めた後、第18代ペンシルバニア州立大学総長(May 2014-May 2022)を務めた。専攻は地理学(MS)及び海洋科学(Ph. D.)で、国立研究所では大気科学分野も担当した。ペンシルバニア州立大学総長時代には、President's Council に、日本出身のメンバーを歓迎するなど、大学の多様化に積極的であった。)
  • ジョー・パターノ (Joseph Vincent Paterno, 1926-2012) は、アイビーリーグの一つであるBrown Universityに入学し、クオーターバックのみならずコーナーバックとしても活躍し14のインターセプションの同学キャリアタイ記録を打ち立て、チームをアイビーリーグ優勝に導いた。同学では、英文学を専攻し、1950年に卒業した。ペンステートにアシスタントコーチとして採用され、その後ヘッドコーチに就任し、数々の記録を打ち立て、数々の栄誉や賞を手にした。1997年、東京勤務の本田博にも ”It will take a long shot to come to you to play football, but we are discussing with our athletic director.”というファックスを送って来た事もあった。上述の映画「ジョーイ」にも出演し、大多数の米国民や日本のファンに親しまれていたが、後年、スキャンダルや肺癌などに苦しんだ。
  • スー・パターノ (Suzzane Pohland Paterno, born February 14, 1940)は、ペンシルバニア州立大学で英文学を専攻し、1962年に卒業した。同年、彼女は、ジョー・パターノと結婚し、知的発達障害のある人の為の同州のスぺッシャルオリンピックの開催、the Paterno Library と the Pasquerilla Spiritual Center の建設プロジェクトなどの慈善活動に注力し、2004年、母校よりDistinguished Alumnus Awardを授与された。
  • 深田香織 (スポーツ心理学者、カウンセラー。SportPsyc Training Program代表) [5]
  • 藤川佳則(一橋大学准教授。サービス・マネジメント、マーケティング、消費者行動論)
  • ジョン A. ブライトン (John A. Brighton, 1934-2021) (米国 Purdue 大学でPh. D.を取得後、Carrnegie Mellon大学機械工学科助教授、ペンシルバニア州立大学機械工学科教授、ジョージア工科大学機械工学科長などを務めた後、ペンシルバニア州立大学工学部長、同学筆頭副学長兼Provostを務めた。1997年7月、本田博と共に、東京大学蓮実重彦総長、京都大学長尾真次期総長、東北大学阿部博之総長を訪問し、日米学術交流の促進に貢献した。その後、米国 National Science Foundation Director of Engineering などに就任した。)
  • ニーリ・ベンダプーディ (Neeli Bendapudi) は、出身国インドのAndhra Universityで学士号と修士号を取得し、米国の the University of Kansasで、marketing分野において Ph.D. を取得した。その後、Ohio State University と Texas A&M Universityで教鞭を取り、2016年7月、the University of Kansas に戻り、the dean of the University of Kansas School of Business, provost and executive vice chancellor of the University of Kansasに就任した。2018年5月15日から2021年12月13日まで、第18代 the University of Louisville 総長を務め、2022年5月9日、女性としてかつ非白人として初の (第19代) ペンシルバニア州立大学総長に就任した。
  • 本田博 (Hiroshi Honda, born March 22, 1950) (工学者・規制科学者・エコノミスト、産業フロンティア研究会代表 (東京大学の人物一覧では、学際系研究者・その他の学者に属する。)) Penn State Department of Engineering Science and Mechanics (Honors Department) に学び、Master of Science Degreeを1976年に取得。日本の学位は、工学士 (京都大学機械工学科・1972年)、工学博士 (京都大学・1986年1月)。1992年以降、UN, IEA, APECなどが関わる国際活動に注力し、各国首脳から認知された。日本ペンステート同窓会長を勤めた後、1998年、Penn State Board of Trusteesより、日本出身の卒業生として初めてDistinguished Alumnus Award を授与される。Penn Stateの歴代総長とは、Bryce Jordan (1983-90) から Neeli Bendapudi (2022/23年度 -) に至るまで接触を保ち、日本の国立七大学から構成される学士会や、日本機械学会、アメリカ機械学会,、東京大学、日本学術会議などでも学術活動に注力した。)
  • アーサー・ボールドウィン (Arthur L. Baldwin) は、アフリカ系アメリカ人男性で、ペンシルバニア州立大学よりMicrobiology分野で学士号を、ピッツバーグ大学よりOrganic Chemistry分野で修士号を、1990年頃には、Duquesne UniversityよりMBAを取得し。米国エネルギー省エネルギー技術研究所 (NETL) に長年勤務し、様々なシニアポストに就任した。シンシア・ボールドウィンと共に、夫婦で来日し、日本出身の卒業生との交流を図り, 2011年にペンシルバニア州立大学よりAlumni Fellow Awardを授与された。
  • シンシア・ボールドウィン (Honorable Cynthia Baldwin、 born February 8, 1945) は、英語学で学士号を、アメリカ文学で修士号を、ペンシルバニア州立大学で取得し、同学Alleghenyキャンパスで英語学教授などを勤めた後、Duquesne University 法学部で法務博士 (J. D.)を取得した。彼女は、Allegheny郡民訴裁判所に最初に採用されたアフリカ系アメリカ人女性で、1995年、ペンシルバニア州立大学より Distinguished Alumnus Awardを授与され、その後、ペンシルバニア州最高裁判所司法官、ペンシルバニア州立大学 Chair of Board of Trustees (2004-2007), 同学初代法務顧問 などを務めた。
  • ジェームズ・ポロージク (James Anthony "Jim" Pawelczyk、1960年9月20日-)は、アメリカ合衆国生理学キネシオロジーの研究者で、アメリカ航空宇宙局STS-90ペイロードスペシャリストとして搭乗した。ペンシルバニア州立大学助教授であった1998年の初宇宙飛行直後、本田博の招聘により、東京で開催された国際宇宙環境利用シンポジウム In Space 98で講演し、その翌々日、学士会館において、子供達との交流会に出席し、子供達の人気者となった。
  • 丸尾文治( 1917 - 2015) (生物学者 ( 生化学 ・ 分子生物学 ・ 農芸化学 )、学位農学博士東京大学1954年)。1956年8月から1958年6月まで、ペンシルバニア州立大学で、生物学者のアンドリュー・ベンソンから指導を受けた。東京大学名誉教授社団法人日本生化学会名誉会員。)
  • 宮原哲(西南学院大学教授)[5]
  • 森田矢次郎 (東京工業大学名誉教授 (制御工学専攻) 東京工業大学に入学し、歯車の研究で著名な中田孝教授に師事。その後、渡米し、1959年8月、Penn State 機械工学科にてPh. D.を取得。東京工業大学教授時代に、城戸英彦会長の指名により、日本ペンステート同窓会副会長を務めた。)
  • 松原久子(著作家、評論家)
  • 田吹昌俊(九州工業大学教授)
  • 掛川武(東北大学理学部教授)
  • 山口耕生(東邦大学理学部教授)
  • 大竹翼(北海道大学工学部准教授)
  • ラスタム・ロイ (Rustum Roy, 1924-2010) (インド出身のラスタム・ロイは、ペンシルバニア州立大学でPh. D.を取得し、その後、1962年に、同学 Materials Research Laboratory (現在、Materials Research Institute) の初代所長に就任した。以後、同研究所の全米ランキングを1位ないし1位タイなどに維持し、数多くの日本からの留学生を受け入れた。さらに、材料科学分野において、宗宮重行や本田博らと共に日米学術交流の促進に大きな役割を果たした。)

その他の関係者編集

  • 稲盛和夫(名誉理学博士。京セラ、第二電電=現KDDI 創業者)[6]
  • 柴田俊忍 (1936-2022) (機械工学者 (材料力学/安全工学専攻) 京都大学学士・修士。Penn State Department of Engineering Science and Mechanics にResearch Assistantとして1962年8月末から翌年5月末迄在籍後、京都大学で工学博士号取得。1997年 Penn State John A. Brighton筆頭副学長兼Provostの京都大学訪問にあたり、長尾真同学次期総長との会談の実現に尽力した。京都大学名誉教授)
  • 大石八郎 (元レスリング部アシスタントコーチ、現職員)
  • 富山健(元助教授。現千葉工業大学工学部未来ロボティクス学科教授。エンジニアリングシステム研究室)[6]
  • エーリヒ・アウエルバッハ(元教員。文献学者、比較文学研究者、文芸評論家)
  • ジム・ケラーマイクロプロセッサエンジニア (AMD, Apple及びIntel))
  • ケネス P. モルティマー (Kenneth P. Mortimer) は、The University of Pennsylvaniaで BAとMBAを、The University of California, BerkeleyでPh.D.を取得した教育管理学者である。ペンシルバニア州立大学の Center for the Study of Higher Educationに在任中の1971年8月には、David W. Leslieと共に、The Academic Senate at The Pennsylvania State Universityと題する報告書を出版し話題を呼んだ。その後、Western Washington University総長 (1988-93) や、The University of Hawaii 総長 (1993-2001) を歴任した。1994年10月に、Hawaii州Maui島のLahainaで開催されたASME/STLE Tribology Conferenceで和英両言語の基調講演を行った本田博は、Hawaii大学Joyce Tsunoda当時上級副学長の紹介により、同総長と会見し、同学主催の大学対抗バレーボール試合を観戦した。
  • ウイリアム・リチャードソン (William C. Richardson, 1940-2021) は、Trinity Collegeで学士号を取得後、シカゴ大学でPh. D. を取得した。その後、ペンシルバニア州立大学において、Bryce Jordan第14代総長 (1924-2016) の元で、同学筆頭副学長兼Provostを1983年から1990年まで務め、在任中は、同学と関西外国語大学との交流プログラムを創設し、その後、本田博らと共に、ペンシルバニア州立大学と日本の学術交流活動などの促進に注力した。1990年よりJohns Hopkins University 総長、Kellog Foundation President などを歴任した。本田博は、1992年5月下旬、リオデジャネイロでの地球サミットに参加する直前に同総長を訪問。他の著名な学者ともエネルギー・環境問題について意見交換し、同総長からは同学のネクタイを、環境学者からは各国首脳からの寄稿を含む著書を謹呈された。

脚注編集

[脚注の使い方]
  1. ^ Fiscal Year 2009 Endowment Market Value of US and Canadian Institutions (PDF)”. 2010年8月13日閲覧。
  2. ^ 冷泉彰彦 (2012年7月27日). “「ペン・ステート・フットボール部」に厳罰の下った理由”. Newsweek. 2017年12月4日閲覧。
  3. ^ SANSHIRO ABE KETSTONE Wrestling Camp
  4. ^ 杉浦章介 慶応義塾大学経済学部
  5. ^ 宮原哲 西南学院大学教員情報
  6. ^ 稲盛和夫氏 日経エグゼクティブ・フォーラム講師紹介

外部リンク編集