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マイケル・ローリ・ソーシアMichael Lorri "Mike" Scioscia, 1958年11月27日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州デラウェア郡アッパー・ダービー・タウンシップ英語版出身の元プロ野球選手捕手)、監督。右投左打。2000年から2018年までMLBロサンゼルス・エンゼルスの監督を務めた。

マイク・ソーシア
Mike Scioscia
Mike Scioscia.jpg
基本情報
国籍 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国
出身地 ペンシルベニア州デラウェア郡アッパー・ダービー・タウンシップ英語版
生年月日 (1958-11-27) 1958年11月27日(60歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
220 lb =約99.8 kg
選手情報
投球・打席 右投左打
ポジション 捕手
プロ入り 1976年 MLBドラフト1巡目(全体19位)
初出場 1980年4月20日
最終出場 1992年10月2日
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
監督・コーチ歴

球団からは監督として長期政権を託されており、日本のマスコミからはよく「知将」と表現される。愛称はソーシュ/Sosh[1]。発音指示においても姓は、Scioscia(SO-shuh) で、ソーシュ(ー)となっている[2]

目次

経歴編集

1976年ドラフト会議ロサンゼルス・ドジャースから1巡目(全体19位)で指名され、入団。

1980年4月20日にメジャーデビューを果たした。

1992年までドジャース一筋にプレイ。50日間に及ぶストライキでシーズンが短縮された1981年には93試合に出場。この年のワールドシリーズではベテランのスティーブ・イェーガーに正捕手の座を譲るが、2連敗で迎えた第3戦では4回からイェーガーに代わりマスクをかぶり、それまで4失点と乱調だったフェルナンド・バレンズエラを立ち直らせ完投勝ちに導き、シリーズの流れを変える役割を果たした。

1982年にも129試合に出場し、おおむね正捕手の座を射止めた。

1983年は故障(回旋筋断裂)のため、わずか12試合の出場に終わる。

1984年には114試合出場した。

1985年には141試合に出場して自己最高の打率.296を記録し、チームの地区優勝に貢献。恵まれた体格でブロック力に優れ、リードも優秀であった。

キャリアのハイライトと言えるシーンは1988年チャンピオンシップシリーズ第4戦であった。地区優勝し、ワールドシリーズ出場をかけてニューヨーク・メッツと対戦。シリーズは戦前からメッツ有利の予想で、第3戦を終わってドジャースは1勝2敗とリードを許していた。第4戦はメッツのエース、ドワイト・グッデンが初回2点を許したものも、2回から8回まで追加点を許さず、メッツは4回に3点を奪い逆転。さらに6回にも1点を追加し、8回を終わって2-4となった。しかし、最終回ドジャースの攻撃で、一塁に四球の走者ジョン・シェルビーを置いて、打席に入ったソーシアがグッデンから起死回生の同点2ラン本塁打をライトスタンドに放つ。ソーシアのこのシーズンの本塁打はわずか3本で、対するグッデンはそのシーズン248回1/3を投げて被本塁打8、9イニング平均0.29本と正味3試合完投で1本弱しか打たれていなかった。この試合は延長12回、ドジャースが制し、その勢いで第5戦も勝って3勝2敗とする。第6戦に敗れるが最終第7戦でオーレル・ハーシュハイザーの力投で勝ち、ワールドシリーズ出場を果たした。オークランド・アスレチックスとのワールドシリーズも4勝1敗で勝ち、自身2度目だが、正捕手としては初とも言えるワールドシリーズ制覇を成し遂げた。

1989年は初の2桁となる10本塁打、1990年には自己最多の12本塁打を記録し、2年連続オールスター出場を果たし、日米野球で来日した。しかし、1991年に回旋筋断裂の致命傷を負う。

引退後、ドジャースでコーチやマイナー監督を務め、1997年1998年にはベンチコーチ[3]を務める。2000年よりアナハイム・エンゼルス2005年よりロサンゼルス・エンゼルス)の監督を務める。2002年にはワイルドカードプレイオフ進出を果たすと、球団史上初のリーグ優勝を果たし、ワールドシリーズでもサンフランシスコ・ジャイアンツを下し、ワールドチャンピオンとなった。

2009年1月に、エンゼルスと2018年までの契約延長を発表。60歳を迎える年までチームの指揮を執ることになった。

2018年に監督を退任した。

エンゼルス監督時代にはドジャース時代のチームメイト、ミッキー・ハッチャー(打撃コーチ)、アルフレッド・グリフィン(一塁ベースコーチ)らがコーチを務めていた。

人物編集

選手・監督の両方でワールドシリーズ優勝を経験したのは、メジャー史上17人目。(他に12人が選手兼任監督として両方を同時に経験している。)

ノーヒット・ノーランの捕手を2度務めた。1回目は1990年6月29日のバレンズエラ(セントルイス・カージナルス戦)。2回目は1992年8月17日ケビン・グロス英語版(ジャイアンツ戦)。

1990年のオールスターでは、ドジャースの捕手としてはロイ・キャンパネラ以来となる先発出場を果たす。

監督として通算900勝は、チーム初代監督のビル・リグニー英語版を抜きエンゼルス史上最多の白星である。

監督としては数少ないバイリンガルの一人で、英語の他にスペイン語を話し、ラテンアメリカ出身選手とのコミュニケーションに苦労しない。また、送りバント盗塁も多用するいわゆるスモールベースボールを好む。

2002年のワールドシリーズで対戦したジャイアンツの監督ダスティ・ベイカーはドジャース時代のチームメイト。

現役時代は主に背番号14」を着けていたが、監督としてもこの番号を着けている。

2011年のドラフトで息子のマットがエンゼルスから45巡目で指名され入団した。

1986年のキャンプで行われた紅白戦にて、前年に読売ジャイアンツ任意引退して打撃投手としてキャンプに参加していた定岡正二とバッテリーを組んだ経験がある[4]

詳細情報編集

通算成績(選手)編集

















































O
P
S
1980 LAD 54 152 134 8 34 5 1 1 44 8 1 0 5 1 12 2 0 9 2 .254 .313 .328 .641
1981 93 335 290 27 80 10 0 2 96 29 0 2 4 4 36 8 1 18 8 .276 .353 .331 .685
1982 129 419 365 31 80 11 1 5 108 38 2 0 5 4 44 11 1 31 8 .219 .302 .296 .598
1983 12 40 35 3 11 3 0 1 17 7 0 0 0 0 5 1 0 2 1 .314 .400 .486 .886
1984 114 399 341 29 93 18 0 5 126 38 2 1 1 4 52 10 1 26 10 .273 .367 .370 .736
1985 141 525 429 47 127 26 3 7 180 53 3 3 11 3 77 9 5 21 10 .296 .407 .420 .826
1986 122 449 374 36 94 18 1 5 129 26 3 3 6 4 62 4 3 23 11 .251 .359 .345 .704
1987 142 523 461 44 122 26 1 6 168 38 7 4 4 2 55 9 1 23 13 .265 .343 .364 .707
1988 130 452 408 29 105 18 0 3 132 35 0 3 3 3 38 12 0 31 14 .257 .318 .324 .642
1989 133 471 408 40 102 16 0 10 148 44 0 2 7 1 52 14 3 29 4 .250 .338 .363 .701
1990 135 498 435 46 115 25 0 12 176 66 4 1 1 4 55 14 3 31 11 .264 .348 .405 .753
1991 119 404 345 39 91 16 2 8 135 40 4 3 5 4 47 3 3 32 5 .264 .353 .391 .745
1992 117 389 348 19 77 6 3 3 98 24 3 2 5 3 32 4 1 31 9 .221 .286 .282 .568
MLB:13年 1441 5056 4373 398 1131 198 12 68 1557 446 29 24 57 37 567 101 22 307 106 .259 .344 .356 .700

年度別成績編集

年度 チーム 地区 年齢 試合 勝利 敗戦 勝率 順位/
チーム数
備考 ポストシーズン
勝敗
2000 ANA AL 西 41 162 82 80 .506 3 / 4  
2001 42 162 75 87 .463 3 / 4  
2002 43 162 99 63 .611 2 / 4 WS優勝 11勝5敗
2003 44 162 77 85 .475 3 / 4  
2004 45 162 92 70 .568 1 / 4 ALDS敗退 0勝3敗
2005 LAA 46 162 95 67 .586 1 / 4 ALCS敗退 4勝6敗
2006 47 162 89 73 .549 2 / 4  
2007 48 162 94 68 .590 1 / 4 ALDS敗退 0勝3敗
2008 49 162 100 62 .617 1 / 4 ALDS敗退 1勝3敗
2009 50 162 97 65 .599 1 / 4 ALCS敗退 5勝4敗
2010 51 162 80 82 .494 3 / 4  
2011 52 162 86 76 .531 2 / 4  
2012 53 162 89 73 .549 3 / 4    
2013 54 162 78 84 .481 3 / 5    
2014 55 162 98 64 .605 1 / 5 ALDS敗退 0勝3敗
2015 56 162 85 77 .525 3 / 5    
MLB:16年 2592 1416 1176 .546     21勝27敗

太字はプレーオフ進出(ワイルドカードを含む)。

  • 2015年度シーズン終了時

表彰編集

  • アメリカンリーグ最優秀監督賞:2回(2002年2009年

記録編集

背番号編集

  • 14(1980年 - 1992年、1997年 - 1998年、2000年 - 2018年)

脚注編集

  1. ^ Explaining Angels Players Weekend nicknames MLB.com (英語) (2017年8月24日) 2017年8月27日閲覧
  2. ^ Mike Scioscia Stats” (英語). Baseball Reference.com. 2017年12月11日閲覧。
  3. ^ 日本プロ野球ではヘッドコーチに相当
  4. ^ 【私の失敗(4)】定岡正二、飛ばしすぎて右肩痛め開幕1軍ならず サンケイスポーツ 2015年6月12日 11:00

関連項目編集

外部リンク編集