ル・ドームLe Dôme)は、フランス老舗カフェブラッスリーレストラン1898年オーヴェルニュ出身のポール・シャンボンが、パリ14区モンパルナス大通りフランス語版108番地で開店した、モンパルナスで最も長い歴史を誇るカフェである。パスキンからヘミングウェイサルトルボーヴォワールまで多くの画家作家が集まった。ル・ドームの常連は「ドミエ」と呼ばれる。パリには珍しく魚介類料理で有名なこのレストランのシェフは、日本人の三浦賢彦よしひこである。

ル・ドーム
Le Dôme
ル・ドーム正面
ル・ドーム正面 地図
種類 単純型株式会社(SAS)
本社所在地 フランスの旗 フランス
108, boulevard du Montparnasse, 75014 Paris, France(パリ14区
北緯48度50分31秒 東経2度19分45秒 / 北緯48.84194度 東経2.32917度 / 48.84194; 2.32917座標: 北緯48度50分31秒 東経2度19分45秒 / 北緯48.84194度 東経2.32917度 / 48.84194; 2.32917
設立 1898年
業種 飲食店
事業内容 カフェレストランブラッスリー
代表者 エドゥアール・ブラ、マクシム・ブラ(Édouard et Maxime Bras、代表取締役社長)
資本金 120,096 €[1]
外部リンク Le Dôme
テンプレートを表示

歴史 編集

モンパルナスで最も長い歴史を誇るカフェ 編集

 
アルベルト・ヴァイスゲルバー作《カフェ・デュ・ドームの画家》(1906年)

1898年にル・ドームを創設したポール・シャンボンは、それまでモンマルトルに近い9区で15年ほどカフェを営んでいたが、開発が始まったばかりのモンパルナスのカルフール(交差点)・ヴァヴァンこそ、今後、最も重要な公共空間アゴラ」となると予見していた[2]。当初は煙草屋を兼ねた小さなカフェバーであったが、20世紀に入ってから、ミュンヘンゴッホ展が開催されたのを機に、若い画家にとってパリが憧れの地となり、やがて主にドイツ人画家、特に反軍国主義反教権主義風刺雑誌『ジンプリチシムス』(1896年創刊)に風刺画を掲載していた画家が訪れるようになった[3]

『ジンプリチシムス』誌の風刺画家であったジュール・パスキンが渡仏したのは、1905年12月である。一方で、当時は主に裕福なアメリカ人やドイツ人が多かったが、常連の一人であったアポリネールは、テオドール・ジェリコーギュスターヴ・クールベジョルジュ・スーラアンリ・ルソーについて論じるドイツ人画家が、富裕層の常連と関わることはなかったという[4]。作家・美術評論家のアンドレ・ワルノーフランス語版は、ル・ドームは「共同住宅であり、公共の場であり、宿屋であり、集会所であり、競売場であり、ゲットーであり、無法地帯であった」と語っている[5]

ドミエ 編集

 
1900-1930年頃のル・ドーム

第一次大戦後の狂乱の時代と呼ばれた20年代がル・ドームの全盛期であった。大戦中に亡命していたパスキンもパリに戻った。芸術・文学の中心はモンマルトルからモンパルナスに移り、モディリアーニモイズ・キスリングシャイム・スーティンマリー・ローランサン藤田嗣治ら主にエコール・ド・パリの画家が集まった。ガートルード・スタインに「失われた世代」と称されたアメリカの作家も多かった。ヘミングウェイフォークナーエズラ・パウンドシンクレア・ルイスヘンリー・ミラーアナイス・ニンなどである。アンドレ・ブルトンマックス・エルンストマン・レイルイス・ブニュエルらのシュルレアリスト、さらに次世代のロバート・キャパゲルダ・タローアンリ・カルティエ=ブレッソンらの写真家も「ドミエ」であった[6][5][7]

サルトル、ボーヴォワールも常連であったが、特にル・ドームの向かいにある1903年創業の老舗カフェのラ・ロトンド(モンパルナス大通り105番地)と軒続きの建物(103番地)で生まれ、幼少期を過ごしたシモーヌ・ド・ボーヴォワールは、後にリセ・モリエールの教員に就任してゲテ通りに部屋を借りていた1936年から37年にかけて、ル・ドームでドイツ人客に混じって朝食をとる習慣があった[8]

現在は、アルバン・ミシェル出版社フランス語版が近くにあり、作家のアメリー・ノートンジャン=クリストフ・グランジェも近くに住んでいることから、作家や出版関係者が多いが、アイルランド俳優ピアース・ブロスナンミュージシャンボノも渡仏の際には姿を見せるという[9]

経営者・シェフ 編集

1970年にブラ夫妻が事業を引き継いだ。現在は二人の息子エドゥアールとマクシムが経営している[10][7]

1989年にル・ドームは、フランク・グローをシェフとして採用した。アラン・シャペルジャン・ドラベーヌマルク・ムノーフランス語版ミシェル・ゲラールフランス語版に師事したグローによって、ル・ドームはこれ以後、魚介類料理専門のレストランとして名を馳せることになる[10]

30年近く勤務したグローが退職した後、ル・ドームは2018年5月に日本人のシェフ三浦賢彦(Yoshihiko Miura)を迎えることになった[11][12]ホテル西洋銀座で10年間料理人を務めた後、1998年に渡仏。2010年からオーベルジュ・デ・タンプィリエフランス語版(テンプル騎士団員の宿)のシェフをしているときに1つ星を受けた。星を受けたのは日本人で4人目である[11]。かつてはバターをたっぷり使ったムニエルなどのこってりした料理が好まれたが、最近は、低温で蒸した魚や、軽く炙って焼き色を付けただけの魚、ライムマリネなどを出している[13]

 
アール・デコ様式の内装

2016年11月10日、ル・ドームは「裁判上の更生手続フランス語版」を開始した[5][7][9][14]。1985年1月25日の法律85-98号による裁判上の更生手続は、即座に清算手続を行う「裁判上の清算手続」と異なり、事業の継続計画または譲渡計画によって解決を図るものであり、一定の期間を置いた後、更生手続によって解決不可能な場合に初めて、裁判所によって裁判上の清算手続が宣告される[15][16]。これは、2015年11月13日パリ同時多発テロ事件の影響で観光客が激減し、フランス人は外出を控えるようになったことが一因となっている[7]。同じモンパルナス大通りのラ・クーポールも外国人客が60%減少したという[14]。ル・ドームはパリ商事裁判所フランス語版に事業継続計画を提出した。

その他 編集

内装:作家・美術評論家アンドレ・サルモンフランス語版はかつて、ル・ドームは「スタンダールスカラ座エプロンステージのようだ」と形容した[2]。内装は、ロシア生まれのインテリア・デザイナースラヴィックフランス語版によるアール・ヌーヴォーおよびアール・デコ様式である。

ダブル・ドーム賞:2018年に他の文学カフェにならってダブル・ドーム賞を創設した。音楽、文学、視覚芸術の分野において男性・女性1人ずつに与えられる賞で、審査員も男女同数とする。第1回は、女性では歌手のクララ・ルチアーニ、男性では作家のヴァンサン・アルマンドロスフランス語版と写真家のピエール・フォールが同点で受賞した[17][18]

最寄駅:パリメトロ4号線ヴァヴァン駅(出口近く)。

脚注 編集

  1. ^ Le Dôme - Société : 582114484” (フランス語). Societe.com. 2020年1月20日閲覧。
  2. ^ a b André Salmon (1950) (フランス語). Montparnasse : Mémoires. André Bonne. pp. 129-130 
  3. ^ Jacqueline Mathilde Baldran. “Naissance de Montparnasse” (フランス語). lesconferencesdemathilde.com. Les Conferences de Mathilde. 2020年1月23日閲覧。
  4. ^ Page:Apollinaire - La Femme assise.djvu/45 - Wikisource”. fr.wikisource.org. 2020年1月23日閲覧。
  5. ^ a b c Denis Cosnard (2016年12月5日). “Le Dôme, nouvelle victime de la crise du tourisme” (フランス語). Le Monde.fr. https://www.lemonde.fr/economie-francaise/article/2016/12/05/le-dome-nouvelle-victime-de-la-crise-du-tourisme_5043263_1656968.html 2020年1月23日閲覧。 
  6. ^ Georges Mercier. “Café du Dôme” (フランス語). montmartre-montparnasse.artdecoceramicglasslight.com. MONTMARTRE MONTPARNASSE. 2020年1月23日閲覧。
  7. ^ a b c d Alice Bosio (2016年12月5日). “Le Dôme Montparnasse en difficulté” (フランス語). Le Figaro.fr. 2020年1月23日閲覧。
  8. ^ Sur les pas des ecrivains : Simone de BEAUVOIR à Paris, Marseille, Rouen et ailleurs” (フランス語). www.terresdecrivains.com (2004年11月26日). 2020年1月23日閲覧。
  9. ^ a b François-Régis Gaudry (2018年6月5日). “Le Dôme est-il en forme?” (フランス語). LExpress.fr. 2020年1月23日閲覧。
  10. ^ a b LE DÔME Recettes de poissons de Franck Graux” (フランス語). Librairie Gourmande. 2020年1月23日閲覧。
  11. ^ a b Yoshihiko Miura, nouveau chef du Dôme Montparnasse” (フランス語). Le Chef. 2020年1月23日閲覧。
  12. ^ ル・ドーム:モンパルナスの最も歴史あるレストラン”. Air France. 2020年1月23日閲覧。
  13. ^ Elvire von Bardeleben (2018年10月11日). “La Coupole, le Dôme, Bouillon Chartier... Paris sera toujours brasseries !” (フランス語). Le Monde.fr. https://www.lemonde.fr/gastronomie/article/2018/10/11/paris-sera-toujours-brasseries_5367737_1383316.html 2020年1月23日閲覧。 
  14. ^ a b Céline Carez (2016年12月6日). “Paris : la mythique brasserie du Dôme menacée de disparition ?” (フランス語). leparisien.fr. Le Parisien. 2020年1月23日閲覧。
  15. ^ 張子弦「フランスの企業倒産手続における経営者責任(1)」『北大法学論集』第67巻第5号、北海道大学大学院法学研究科、2017年1月31日、127-157頁。 
  16. ^ ピエール・クロック(下村信江訳)「フランス倒産手続における担保の処遇」『近畿大学法科大学院論集』第10巻、近畿大学法科大学院、2014年3月1日、161-184頁、ISSN 1349791X 
  17. ^ Antoine Oury (2018年6月21日). “Création du Prix Double Dôme, pour des auteurs francophones émergents” (フランス語). www.actualitte.com. ActuaLitté. 2020年1月23日閲覧。
  18. ^ Prix Double Dôme” (フランス語). www.livreshebdo.fr. Livres Hebdo. 2020年1月23日閲覧。

参考資料 編集

関連項目 編集

外部リンク 編集