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レソト

アフリカ南部に位置する立憲君主制国家
レソト王国
Mmuso wa Lesotho
Kingdom of Lesotho
レソトの国旗 レソトの国章
国旗 国章
国の標語:Khotso, Pula, Nala(平和、雨、繁栄)
国歌レソト、父なる地
レソトの位置
公用語 ソト語英語
首都 マセル
最大の都市 マセル
政府
国王 レツィエ3世
首相 トーマス・タバネ
面積
総計 30,355km2137位
水面積率 極僅か
人口
総計(2011年 2,190,000人(142位
人口密度 61人/km2
GDP(自国通貨表示)
合計(2005年 133億[1]ロチ
GDP (MER)
合計(2005年 16億[1]ドル(149位
GDP (PPP)
合計(2003年31億[1]ドル(146位
1人あたり 1,302[1]ドル
独立
 - 日付
イギリスから
1966年10月4日
通貨 ロチ (LSL)
時間帯 UTC +2(DST:なし)
ISO 3166-1 LS / LSO
ccTLD .ls
国際電話番号 266

レソト王国(レソトおうこく、ソト語: Mmuso wa Lesotho英語: Kingdom of Lesotho)、通称レソトは、アフリカ南部に位置する立憲君主制国家イギリス連邦加盟国のひとつで、周囲を南アフリカ共和国に囲まれた世界最南の内陸国でもある。首都マセル1966年イギリスから独立した。非同盟中立を宣言している。

国名編集

「レソト」とは「ソト語を話す人々」という意味である。

歴史編集

独立前編集

現在のレソトの地域はサン族(ブッシュマン)の居住地だったが、16世紀に入るとバントゥー系ソト族が北方より移動してきてサン族を駆逐し、この地を支配した。1820年代に入るとこの地方はズールー王国の大侵攻を受けるが、1822年に即位した初代国王モショエショエ1世タバ・ボシウ丘陵に立てこもってこれをしのぎ、勢力を拡大した。ついで1835年にはオランダ系のボーア人が西方への大移動、いわゆるグレート・トレックを開始し、これに対抗するため1843年にイギリスの保護を受けることとなった[2]。ボーア人がレソトの西方に建設したオレンジ自由国とは数度の戦闘を繰り返したものの次第に不利となり、1868年に講和を結んだ。この条約によってレソトはイギリス保護領バストランド英語版とされ、またカレドン川以西の肥沃な領土を割譲し、国土が半減したうえ山岳地帯のみを領するようになった。

1870年にモショエショエ1世が死去すると、翌1871年にイギリスはバストランドをケープ植民地へと併合したが、紛争が頻発したため1884年にイギリスはバストランド保護領を復活させ、間接統治を行うようになった[3]1903年には民族協議会が設立され、1959年には自治が認められた。この時期にはバストランド国民党やバストランド会議党といった政党も設立されるようになり、1965年に行われた独立準備選挙で勝利した国民党が組閣を行った。

独立後編集

1966年10月4日にバストランドはイギリス連邦の一員としてイギリスから独立し、レソト王国を建国した。国王モショエショエ2世は立憲君主となり、首相にはバストランド国民党のレアブア・ジョナサンが就任した[4]

1970年の総選挙では与党の親南アフリカ政策が国民の反発を呼び、野党のバストランド会議党が勝利したが、敗北した与党とジョナサン首相は下野を拒み、野党指導者らを投獄したうえ、野党支持を表明したモショエショエ2世を亡命させて一党独裁体制を敷いた。モショエショエは同年中にレソトに帰還したものの、これをきっかけとしてジョナサン政権が反南アフリカへと転換したため、周囲の南アフリカ共和国との関係が悪化し、経済制裁を受けた。

1986年1月ジャスティン・レハンヤ軍司令官によるクーデターが発生し、ジョナサン政権が打倒された。レハンヤは軍事評議会議長に就任し、王制は維持されたものの政党の活動が禁止された。しかしレハンヤとモショエショエの関係は悪化し、1990年3月にはレハンヤ議長が国王モショエショエ2世を追放し、11月にはモショエショエ2世の皇太子であるレツィエ3世を即位させた。1991年4月にはエリアス・ラマエマによる無血クーデターが発生し、レハンヤが追放された。ラマエマは民主化の方針を明確に打ち出し、1993年には民主選挙が実施されてバスト会議党が大勝、党首のヌツ・モヘレが首相に就任した[5]

民主化はされたものの、国王レツィエ3世とモヘレ首相の対立が激化し、1994年8月にレツィエ3世が全閣僚と議会を解散、憲法を停止した。これに対し国民は反発し、ゼネストや抗議デモによりレツィエ3世が退位し、1995年1月には権限を持たない立憲君主としてモショエショエ2世が復位した。しかし1年後の1996年1月、モショエショエ2世が交通事故により死去したため、レツィエ3世が復位した。

1997年、首相のヌツ・モヘレが与党・バストランド会議党(BCP)を離党、新党・レソト民主会議を結成し全閣僚が参加した。1998年5月には下院総選挙が実施され、与党LCDが79議席(定数80)を獲得し圧勝した[6]。同時にヌツ・モヘレが引退し、副首相のパカリタ・モシシリが首相に就任した。しかし政情不安定は続き、8月には選挙結果に不満を持つ群集が暴徒化し、王宮が占拠され、9月にはクーデター未遂事件が発生した。こうしたことから、9月22日には南部アフリカ開発共同体(SADC)に介入を要請し、南アフリカ軍ボツワナ軍が国内で治安維持活動を行った。翌1999年5月には治安回復を受け、南アフリカ軍とボツワナ軍が撤退した。

2001年には下院関連法が改正され、レソト王国議会は定数120、小選挙区比例代表併用制によって選出されることとなった。その後、2002年、2007年の選挙では与党・レソト民主会議が勝利しモシシリ政権が継続したが、2012年5月の総選挙でレソト民主会議や民主会議といった与党は過半数を獲得できず、全バソト会議やバソト国民党などによる連立政権が成立。トーマス・タバネが首相に就任した[7]

2014年8月には軍部によるクーデターが発生。トーマス・タバネ首相が南アフリカへ出国した[8]が、SADCの仲介によって9月3日にタバネはレソトに帰国し[9]、事態は沈静化した。その後、2015年の選挙でレソト民主会議と民主会議が勝利しモシシリが再び首相に就任したが、2017年の選挙では全バソト会議が勝利してタバネがふたたび首相となった[10]

地理編集

 
レソトの地図。
 
レソトの風景。

レソトは、周囲を南アフリカ共和国に囲まれた内陸国である。いったん周囲の南アフリカ共和国を経由しないと行き来できない地域すらあるため、「アフリカのスイス(元は山々に囲まれて、景色の良い意味で呼ばれた)」「南部アフリカの屋根」ともいわれている[11]

全土がドラケンスバーグ山脈の山中に位置するため、平地が一切なく、全土の標高が1400mを超える。最高峰は、タバナントレニャナ山であり、標高3482mはアフリカ大陸南部の最高峰でもある。主要河川は、南アフリカ共和国との国境付近に源流があり、国土を縦断した後、南アフリカ共和国とナミビアを経由して大西洋に注ぐオレンジ川。レソトの最低地点はオレンジ川が南アフリカ共和国に流れ出す南西部にある。

地形とは異なり、気候には恵まれている。全土がケッペンの気候区分による温暖湿潤気候 (Cfa) と西岸海洋性気候 (Cfb) であり、イタリア北部に似ている。雨季は存在しないものの、10月から4月にかけての夏季に降雨が多く、冬季は乾燥している。年間降水量は700mm程度である。

地方区分編集

 
レソトの県。

レソトの最上級の地方行政単位は、10あるである。

  1. ベレア県 (Berea)
  2. ブータ・ブーテ県 (Butha-Buthe)
  3. レリベ県 (Leribe)
  4. マフェテング県 (Mafeteng)
  5. マセル県 (Maseru) - 南アフリカ共和国との国境に近い西端に首都マセルが位置する。
  6. モハレス・フーク県 (Mohales Hoek)
  7. モコトロング県 (Mokhotlong)
  8. クァクハスネック県 (Qacha's Nek)
  9. クティング県 (Quthing)
  10. ターバ・ツェーカ県 (Thaba-Tseka)

主要都市編集

主要な都市としてはマセル(首都)がある。

政治編集

国家元首は、国王のレツィエ3世(本名:デーヴィッド・モハト・レツィエ・ベレン・セーイソ)で、立憲君主制をとる。国民統合の象徴的地位で、政治的権力を有さない。国王の位はセーイソ家による世襲制である。

行政執行権は、首相を長とする内閣が行使する。議院内閣制

レソト王国議会二院制である。上院は、全33議席。22人の主要部族長と下院の支配政党が指名する11人が上院議員となる。下院の議席数は、2001年の法改正により80議席から120議席に増やされた。そのうち80を小選挙選挙で、40を比例代表制選挙で選出する。任期5年。

2017年時点で、最大の政党は自由主義政党の全バソト会議であり、全120議席中48議席を占める。全バソト会議は民主同盟(9議席)、バソト国民党 (BNP、5議席)、レソト改革会議(1議席)と連立を組み、2017年に政権を奪回した。

これに対抗する最大野党は社会民主主義政党の民主会議(30議席)である。民主会議は、1997年から2012年まで与党だったレソト民主会議 (LCD、11議席)と近く、2015年から2017年まではこの両党の連立が政権を握っていた。このほか、経済変革運動、バストランド会議党 (BCP)、マレマトロウ自由党 (MFP)などの政党が存在する。

軍事編集

経済編集

 
首都マセルの中心街。

レソトは気候には恵まれているものの、地形の制約のため、耕地面積は国土の9.4%にとどまる。そのため農業は振るわず、第一次産業従事者人口は国民の12%と少ない[12]。農地に恵まれない一方、放牧は盛んで1994年時点には国土の65.9%が放牧に振り向けられていた。家畜の頭数は人口よりも多い。国内の産業が振るわないため、レソト経済は19世紀以降、南アフリカ共和国への鉱山労働者の出稼ぎによって支えられており、1980年代には成人人口の5分の2が出稼ぎ労働者となっていた[13]

こうした状況が変化したのは1980年代以降である。レソトの豊富な水資源に着目した南アフリカとの間で、レソト国内にダムを複数建設して南アフリカの産業地帯に水と電力を供給するレソト高地水路計画が実施され、レソトに少なくない歳入と建設業の成長をもたらした[14]。また、2000年にアメリカがアフリカ成長機会法を施行して以降、アメリカ市場向けの繊維産業誘致に成功し、2000年以降、年率3%を超える国内総生産の成長を果たした。2008年の第二次産業従事者は41.8%に達しており、工業の成長が目立つ[15]。近年は、観光業にも力を入れており、主に欧州からの保養客を受け入れている。アフリスキーではスキーも楽しめる。こうした産業の成長により、レソトからの出稼ぎは依然として多いものの減少傾向にある[16]

2012年の輸出の56%が衣類によって占められ、輸出に占める繊維産業の割合は極めて高い。ついで機械類が11%で続くが、の輸出が総輸出額の9.5%を占め第3位となっている。主な輸出先は2012年には南アフリカ共和国 (47.3%)、アメリカ合衆国 (43.9%)、ベルギーである。主な輸入品は、穀物、自動車、木製品、肉類。主な輸入先は88.9%を南アフリカ共和国が占める[17]。日本との貿易関係は、衣類のみを輸出し、工業用ミシンと乗用車、繊維加工機械を輸入するというものである。

南部アフリカ関税同盟に加盟しているため、南アフリカなど加盟諸国間の貿易は無関税であり、また域外諸国からの関税を共通徴収している。同盟からの分配金はレソト財政にとって非常に重要であり、1999年にはこの分配金が国家歳入の50%を占めた[18]。この状況は繊維産業等が成長した2013年においても全く変わらず、歳入に占める分配金の割合は50%のままとなっている[19]

国民編集

 
ソト族の騎手。

民族編集

国民の99.7%が、バントゥー系ソト族である。レソトの国民は、単数形では、モソト (Mosotho)、複数形では、バソト (Basotho) と呼ばれる。

言語編集

ソト語(セソト、南部ソト語)と英語が公用語とされている[20]

宗教編集

国民の約9割はキリスト教徒である。この他に伝統宗教も存在する[21]

教育編集

保健編集

HIV(ヒト免疫不全ウイルス)感染者が1990年代以降激増、国民の約1/4がHIV感染者である。そのため、1990年には220万人あった人口が、2006年には180万人と激減。平均寿命は60歳から35歳と、成人死亡率が世界でもっとも高い国となっており( WHO2013年統計)、農業生産も減り続けている。

交通編集

文化編集

1966年の独立直後から教育、特に初等教育に、力を入れている。男女格差が最も少ない国家の一つであり、女性の識字率は2001年時点で90.3%に達する。しかし、男性の識字率は71.3%にとどまっている。これは男子児童が放牧の労働力として、組み込まれていることによる。主なレソト王国の食文化では、トウモロコシの粉などを使った、サンプや、パパモロホがある。

日付 日本語表記 現地語表記 備考
10月4日 独立記念日

標準時編集

この地域では南アフリカ標準時を採用しており、協定世界時より2時間進んだ時間を採用している。

脚注編集

  1. ^ a b c d IMF Data and Statistics 2009年4月27日閲覧([1]
  2. ^ 『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷 p.443
  3. ^ 『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷 p.443
  4. ^ 『アフリカを知る事典』、平凡社、ISBN 4-582-12623-5 1989年2月6日 初版第1刷 p.444
  5. ^ 片山正人「現代アフリカ・クーデター全史」叢文社 2005年、432 - 433ページ ISBN 4-7947-0523-9
  6. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/lesotho/data.html 「レソト王国基礎データ」日本国外務省 平成31年3月1日 2019年9月15日閲覧
  7. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/lesotho/data.html 「レソト王国基礎データ」日本国外務省 平成31年3月1日 2019年9月15日閲覧
  8. ^ レソトでクーデターか=首相逃亡、軍は否定CNN、2014年8月30日付)。2014年11月1日閲覧
  9. ^ https://www.jetro.go.jp/biznews/2014/09/5407d3ee99cf0.html 「軍がクーデター、首相は隣国南アに一時避難−南アはジンバブエやナミビアと対応を協議−(アフリカ、レソト)」JETRO 2014年09月08日 2019年9月15日閲覧
  10. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/lesotho/data.html 「レソト王国基礎データ」日本国外務省 平成31年3月1日 2019年9月15日閲覧
  11. ^ 『秘境国 まだ見たことのない絶景』パイインターナショナル、2011年、9頁。ISBN 978-4-7562-4124-5
  12. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p322 二宮書店 平成28年1月10日発行
  13. ^ 「南アフリカ共和国・レソト・スワジランド」『週刊朝日百科世界の地理109』、朝日新聞社、1985年11月24日、 11-242頁。
  14. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/lesotho/data.html 「レソト基礎データ」日本国外務省 2019年10月1日閲覧
  15. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p322 二宮書店 平成28年1月10日発行
  16. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p322 二宮書店 平成28年1月10日発行
  17. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p322 二宮書店 平成28年1月10日発行
  18. ^ 「南アフリカとの密接な経済関係」西浦昭雄/池谷和信編著 『ボツワナを知るための52章』 明石書店 2012年 159-160ページ
  19. ^ https://www.mofa.go.jp/mofaj/area/lesotho/data.html 「レソト基礎データ」日本国外務省 2019年10月1日閲覧
  20. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p322 二宮書店 平成28年1月10日発行
  21. ^ 「データブック オブ・ザ・ワールド 2016年版 世界各国要覧と最新統計」p322 二宮書店 平成28年1月10日発行
  22. ^ 三省堂編修所編 『コンサイス 外国地名事典』 (3版) 三省堂、1998年、1121頁。ISBN 4-385-15338-8 

関連項目編集

外部リンク編集

レソト政府
日本政府
その他