ワディ・ワクテル

アメリカのミュージシャン

ワディ・ワクテルWaddy Wachtel1947年5月24日ニューヨーククィーンズ、ジャクソン・ハイツ出身)は、アメリカ合衆国ミュージシャン作曲家音楽プロデューサーギターを中心に様々な楽器を操るマルチ・インストゥルメンタリスト。

ワディ・ワクテル
Waddy Wachtel
基本情報
出生名 Robert Wachtel
生誕 (1947-05-24) 1947年5月24日(77歳)
出身地 アメリカ合衆国の旗 アメリカ合衆国 ニューヨーク州ニューヨーク市
ジャンル ロックフォーク・ロックポップジャズ
職業 音楽家作曲家音楽プロデューサー
担当楽器 ギターほか、ボーカル
活動期間 1970年 -
公式サイト waddywachtelinfo.com

1970年代ウォーレン・ジヴォンに発掘され、以降ジヴォンを通じて人脈を広げ、現在まで数多くのアーティストのレコーディング、ツアーなどに参加している。様々なジャンル、スタイルに対応可能な音楽センスとテクニック、作曲・アレンジ能力は業界でも評判が高く、ジヴォンのほかにもジェームス・テイラージャクソン・ブラウンスティーヴィー・ニックスキース・リチャーズ等がワクテルを高く評価し、繰り返し彼を起用している[1]

キャリア

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初期

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10歳の頃からギターを習い始める[1](元々は左利きであったのをこの機会に右利きに矯正した)。14歳で作曲を開始。あらゆるスタイルのギターを弾きこなし、楽譜の読み書きを覚えた。初期にはルドルフ・シュラム(NBCスタッフオーケストラの代表)にも師事し、週3回のレッスンでリズム、メロディ、ハーモニーについて学んだ。

ニューヨークのローカル・バンドでプレイした後、初のリーダー・バンド、オーファンズを結成。バンドはガレージロック、サーフ・ロックやローリング・ストーンズのカバーなど、様々な曲を演奏していた。ロードアイランド州ニューポートにあるバーでの仕事を獲得し、そこでの演奏の傍ら、1年間に渡ってジャズ・ギタリストのサル・サルヴァドール(en:Sal Salvador)に師事し、インプロヴィゼーションとソロを学ぶ。

オーファンズ解散後はトゥワイス・ナイスリーを結成。バド・カウシル(カウシルズ)のアドバイスもあり、1968年ロサンゼルスに本拠地を移し、デモ・テープを制作。しかし2年後、ワクテルはセッション・プレイヤーとして活動することを決め、同時にカウシルズから彼らのアルバムのプロデュースとレコーディングへの参加を依頼される。

1979年、ダン・ダグモア、リック・マロッタ、スタンリー・シェルドンらとローニンを結成。マーキュリーからセルフタイトルのデビュー・アルバムをリリース。ロッシントン・コリンズ・バンドのオープニングアクトとしてツアーにも出た。

セッションワーク

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1972年ウォーレン・ジヴォンの誘いでエヴァリー・ブラザースのアルバム『ストーリーズ・ウィ・クッド・テル』のレコーディングに参加。ツアーにも同行した。この時以来、ジヴォンとの長い付き合いが始まり、彼のヒット曲「ロンドンのオオカミ男」(1978年)を共作しプロデューサーを務めた。翌年も数多くのセッションをこなし、リンジー・バッキンガムスティーヴィー・ニックスのファースト・アルバム『バッキンガム・ニックス』のレコーディングとツアーにも参加。

1975年には、ケニー・ランキンのアルバム『インサイド』や、バッキンガム・ニックスの時の縁でフリートウッド・マックのアルバム『ファンタスティック・マック』のレコーディングに招かれている。

この頃の活動を通じてその音楽的才能に対する業界での評価が定着し、以降そのキャリアを通じ、セッション・ミュージシャン、プロデューサーとして数多くのアーティストの膨大な数のレコーディング、ツアーに参加することとなる。

主なセッションワーク

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1988年にはキース・リチャーズとのパートナーシップを構築。リチャーズのソロ・デビューアルバム『トーク・イズ・チープ』に参加し、以降リチャーズのバック・バンド「X-ペンシブ・ワイノズ」のメンバーとしてツアーにも同行したほか、次作『メイン・オフェンダー〜主犯〜』にも参加している。

2000年以降

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2000年にはワディ・ワクテル・バンドを結成。現在もロサンゼルズのクラブを本拠に活動中。

2010年グラミー賞授賞式でテイラー・スウィフトとともに演奏した。

この他、ダニー・コーチマーがセッションワークの傍らで活動していた、ザ・セクションから改名した、イミディエイト・ファミリーに、リーランド・スカラーラス・カンケルらと共に参加し、2020年に実質的なデビュー作『Turn It Up To 10』を発表してもいる。

映画

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キャリアを通じて、多くの映画音楽の作曲、演奏も手掛けた(代表的なものとしては『ロンゲスト・ヤード』、『キューティ・バニー』、『モール★コップ』等)。スクリーンにも何度か登場し、1972年には『ポセイドン・アドベンチャー』に、転覆する船で演奏するバンドの一員としてエキストラ出演した他、キム・カーンズの「クレイジー・イン・ザ・ナイト」などのミュージックビデオに出演してもいる。

その他

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  • 絶対音感の持ち主である[2]
  • 1998年に児童ポルノ所有の容疑で妻とともに逮捕され、執行猶予つき有罪判決を受けた[3]。当時、スティーヴィー・ニックスのバック・バンドでワクテルと同僚であり、現在はワディ・ワクテル・バンドのメンバーであるブレット・タグルは、この件に関して冤罪を示唆している[4]

ディスコグラフィ

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脚注

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  1. ^ a b Gans, David (March 7, 1980). “Waddy Wachtel: Confessions of a "Mafia" Guitarist”. Bam Magazine (Bam, The California Music Magazine) 5, (74): 40. http://waddywachtelinfo.com/bammagazine.html 2009年7月25日閲覧。. 
  2. ^ Kutina, Scott E. (1981年2月1日). “International Musician And Recording World, Waddy Wachtel”. Volume 3. International Musician And Recording World. pp. Number 2. 2009年3月28日閲覧。
  3. ^ L.A. Times Archives Oct.,16 1998
  4. ^ Brett Tuggle, September 12 - 25, 2000

外部リンク

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