フリートウッド・マック

フリートウッド・マック(Fleetwood Mac)は、イングランド出身のロックバンド

フリートウッド・マック
Fleetwood Mac
Fleetwood Mac-4.28.2013.jpg
USA.ミネアポリス公演 (2013年4月)
基本情報
出身地 イングランドの旗 イングランドロンドン
ジャンル ロック
ブルースロック
ポップロック
ソフトロック
活動期間 1967年 - 現在
レーベル Blue Horizon
エピック・レコード
コロムビア/CBSレコード
リプリーズ・レコード
ワーナー・ブラザース・レコード
公式サイト http://www.fleetwoodmac.com/
メンバー スティーヴィー・ニックス (Vo)
リンジー・バッキンガム (G)
ジョン・マクヴィー (B)
クリスティン・マクヴィー (Key)
ミック・フリートウッド (Ds)
旧メンバー ピーター・グリーン
ダニー・カーワン
ジェレミー・スペンサー
ボブ・ウェルチ
ほか 別記参照

50年以上のキャリアを誇り、「チキン・シャック」「サヴォイ・ブラウン」と並ぶブリティッシュ・ブルースロックの3大バンドと称された。1970年代半ば以降はソフトロック路線に転換して成功を収め、世界的な知名度を誇る[1]

1978年グラミー賞』受賞。1998年ロックの殿堂』入り。

目次

歴史編集

初期、ブルース、そしてピーター・グリーン時代編集

 
創始者の一人 ピーター・グリーン(G) 1970年

1967年、「ジョン・メイオール&ザ・ブルース・ブレイカーズ」のメンバーだったピーター・グリーン(ギター)とミック・フリートウッド(ドラム)を中心に、ボブ・ブランニング(ベース)、ジェレミー・スペンサー(ギター)の4人で活動を開始する。数回のギグの後、ブランニングに変わってジョン・マクヴィー(ベース)が加入。初期のバンド名は「ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック(Peter Green's Fleetwood Mac)」。グリーンによるギブソン・レスポールの音を前面に出し、当時イギリスで勃興していたブルース・ロックのブームに乗って活動を開始した。

1968年2月に、初のアルバム『ピーター・グリーンズ・フリートウッド・マック』をリリースして注目を浴びる。さらに同年に録音したシングル「ブラック・マジック・ウーマン」(後にサンタナにカバーされて大ヒットしている)を世に送り出し、8月には2ndアルバム(アメリカにおけるファーストアルバム)の『ミスター・ワンダフル』をリリースしている。更にグループは18歳のギタリスト・ダニー・カーワン(ギター)を加入させ、グループ初期における最高のラインナップを整える。トリプル・ギター編成のバンドは当時としては奇抜なアイデアで、グリーンとグループが思い描く、常にサウンドの変化に対応できる体制となった。

カーワン加入後の同年11月、シングル「アルバトロス (あほうどり)」を発表。「アルバトロス」は翌1969年に全英シングルチャートで1位を記録。ヨーロッパ各国でもヒット・チャートに昇った。アメリカ向けに編集した2ndアルバム『英吉利の薔薇』をリリース。

1969年1月には渡米して、ブルースの故郷とも言えるシカゴのチェス・スタジオで念願のレコーディング。ウイリー・ディクソンやバディ・ガイ、オーティス・スパンと共演して記念版的作品として残している。同年にはこのメンバーでの最後のブルース・アルバムとも言える3rdアルバム『ゼン・プレイ・オン』をリリースしている。

英国活動期、ボブ・ウェルチ時代編集

 
ダニー・カーワン(G) 1970年

ピーター・グリーンは、体調が不安定な状態で臨んだミュンヘンのとあるギグでLSDを使用して精神疾患を発症。1970年に突如バンドを離れてしまった。グリーン離脱後、バンドは、主にジェレミー・スペンサーが音楽面をリードして活動を続け、同年に4thアルバム『キルン・ハウス』を発表した。しかしスペンサーもドラッグで徐々に精神的に不安定な状態となり、新興宗教にはまって脱退してしまう。

スペンサーの後任には、ジョン・マクヴィーの妻で元チキン・シャックのクリスティン・マクヴィーと、オーディションによりアメリカ人ギタリストのボブ・ウェルチが加入し、1971年に5thアルバム『フューチャー・ゲーム』を、翌1972年には6thアルバム『枯れ木』を発表した。従来のブルース色を弱めロック色/フォーク色を強めたこれらの作品は、主にダニー・カーワンが音楽面を主導して制作された。しかしそのダニー・カーワンも、酒癖が原因の神経衰弱によりメンバーの信頼を失い、脱退を余儀なくされた。

カーワンの解雇を経てバンドの音楽的主導権をウェルチが握ると、マックは、クリスティンのよりポップ/ロック色の濃い楽曲や、ウェルチの強い影響下でジャズ・ロック的アプローチをとった楽曲等をフィーチャーした3枚の優れたアルバムを発表し、60年代とは別のバンドへと変化していった。この時期を代表する曲としては、ウェルチ脱退後もライブで演奏されていた「Hypnotized」、1977年にウェルチのソロ作としてヒットした「Sentimental Lady」などがある。後日にウェルチは「(『神秘の扉』当時の)ウェルチ、クリスティン、ジョン、ミック、ボブ・ウェストンのラインアップが団結していた時は、後の『噂』時代のラインアップに勝るとも劣らなかった」と回想した[2]

この時期、バンドとしての活動はコンスタントに続けていたが、度重なるメンバーチェンジや、アメリカにおける「偽フリートウッド・マック全米ツアー騒動」等、困難の多い時代でもあった。

1974年、アメリカ・ツアーを終えたマックは、彼らのこれからの活動をアメリカ中心にするべく、活動拠点を米国カリフォルニアに移した。しかし、その直後、フロントマンのウェルチが脱退。バンドは存続の危機を迎える。

全盛期編集

 
1977年のグループショット
 
ドイツ・フランクフルト公演 (1977年)

ウェルチに代わるフロントマンを探していたミック・フリートウッドとジョン・マクヴィーは、バンドの新作のレコーディングエンジニアのオーディションを通じて「バッキンガム・ニックス」というアメリカ人の男女デュオの作品を耳にした。リンジー・バッキンガムのギターとヴォーカルに強い関心を持ったミックは、1974年12月、リンジーと電話で連絡を取りバンドに誘った。リンジーは、バンドに合流するにあたり、ガールフレンドでありデュオのパートナーでもあるスティーヴィー・ニックスを同行することを提案し、結局グループは、この二人をセットで新メンバーとして迎え入れることになった。

再び生まれ変わったマックは、1975年に10thアルバム『ファンタスティック・マック』を発表、「セイ・ユー・ラブ・ミー」、「リアノン」といったヒット曲が生まれ、アルバムは全米1位を獲得、それまでにない成功を収める。安定したピアノプレイと穏やかで安心感を醸し出す暖かい歌声のクリスティン、絵になる二枚目ギタリストでありポップで張りのある声を持つシンガーでもあるリンジー、可憐な容姿と野性的なダミ声かつ哀愁味を帯びた個性派シンガーのスティーヴィーという三者三様のボーカルが醸し出すバラエティとハーモニーは、レコードでもライブでもバンドの大きな魅力となった。

1977年には、最大のヒット作となる11thアルバム『』を発表。シングルカットされた「オウン・ウェイ」「ドリームス」(グループにとって唯一の全米1位シングル・Billboard Hot 100)「ユー・メイク・ラヴィン・ファン」、「ドント・ストップ」などの大ヒットとともに、アルバムは31週間に渡って全米1位(ビルボード)(1977年・年間チャート1位・Billboard Top 200)に輝き、1,700万枚といわれる史上空前のセールスを記録する。マックは一躍スーパースターの座に上り詰めた。翌年には同アルバムで『グラミー賞』を受賞[3]

この後、12thアルバム『牙 (タスク)』(全米4位)、『ライヴ』、13thアルバム『ミラージュ』(全米1位) の3枚のアルバムを発表したが、『噂』のような大ヒットにはいたらなかった。しかしワールドツアーは盛況を重ね、観客動員の面ではスーパースターとのポジションを維持し続けた。

1980年代に入るとメンバー各自のソロ活動が活発化し、全米アルバムチャートでNo.1を記録したスティーヴィーの作品を筆頭に、リンジー、クリスティンも、それぞれソロでTOP10ヒットをものにする。ミックも、アフリカのミュージシャンを起用した意欲的なソロアルバム『The Visitor』を発表した。

しかし、バンドとしてもソロとしても順調に活躍していたこの時期のマックには、メンバー同士の関係の悪化、スティーヴィーの薬物中毒克服のためのリハビリ施設入り、バンドのゴタゴタや妻との離婚、父の死など公私にわたるトラブルに疲れ切ってコカインとブランデーに溺れたミックの破産など、バンド周辺でトラブルが絶えない、暗い側面が同時に存在していた。

停滞期編集

久々に全員が揃った1987年の14thアルバム『タンゴ・イン・ザ・ナイト』(全米7位)では、音楽面におけるリンジーの献身的な貢献もあり、いつも通りのヒットを記録したが、アルバム発表直後にそのリンジーが脱退。ライブツアーは、新メンバーとしてリック・ビトー、ビリー・バーネットのギタリスト2名を加えた新編成で行われた。この時のライブでは、バックボーカルやキーボードにサポートメンバーを使い、クリスティンのボーカル曲では彼女をステージの前面に出したり、スティーヴィーのソロ・ヒット曲「Stand Back」を取り上げるなど、リンジーの不在をクリスティンと、特にスティーヴィーを大きくフィーチャーすることで補う演出がされていた。

1990年には、スティーヴィーとクリスティンが今後バンドのライブツアーに参加しないことを表明。1990年発表の15thアルバム『ビハインド・ザ・マスク』(全米18位)は、1975年のアルバム『ファンタスティック・マック』から続いたゴールドディスク獲得を逃した。

1992年当時、ビル・クリントンの大統領選挙キャンペーンソングに「ドント・ストップ」が採用された契機から、1993年初頭、クリントンを支援するためにアルバム『噂』発表当時の黄金期メンバー5人が一時的に集まり、再結成ライブを行なった。ただし、この再結成は一時的なもので、ライブ終了後リンジーが再離脱。同年末には、スティーヴィーが今後の活動に参加しないことを表明し、正式に脱退。ほぼ同時期にリック・ビトーも脱退した。

1994年、ミックとジョンは、新メンバー ベッカ・ブラムレット、デイブ・メイスンの加入と、ライブ・ツアーの開始を発表する。しかし、直後にクリスティンが脱退を表明。ツアーは、クリスティンを除くメンバーで行われた。

1995年に、16thアルバム『タイム』を発表。しかし、全米アルバムチャートTOP200にチャートインせず、不発に終わる。

活動再開へ編集

 
2009年のグループショット

1997年、リンジーのソロアルバムのレコーディングセッションにミックが参加したことを契機に、黄金期のメンバーが再集結。再結成ライブを行ない、ライブアルバム『ザ・ダンス』を発表。1981年発表のアルバム『ミラージュ』以来となる全米No.1を獲得した。翌1998年には『ロックの殿堂』入りを果たす[4]。しかしクリスティンが引退を理由に再離脱した(その後、2004年、ソロとして復帰)。

2003年にクリスティンを除く黄金期メンバー4人による本格的な復活アルバム『セイ・ユー・ウィル』を発表、ライブツアーも大きな話題となり、全米3位の大ヒットを記録した。

2014年、クリスティンが16年ぶりに復帰し、ワールドツアー「On With The Show」を翌2015年まで行う。その後、新アルバムの制作に着手した[5]

ディスコグラフィ編集

メンバー編集

現ラインナップ編集

オリジナル・ラインナップ編集

  • ピーター・グリーン Peter Green - ギター/ヴォーカル (1967-1971)
  • ジェレミー・スペンサー Jeremy Spencer - ギター/ヴォーカル (1967-71)
  • ジョン・マクヴィー John McVie - ベース
  • ミック・フリートウッド Mick Fleetwood - ドラムス

活動初期の頃 (1970年)

旧メンバー編集

  • ボブ・ブランニング Bob Brunning - ベース (1967) R.I.P.2011 ※発足メンバー
  • ダニー・カーワン Danny Kirwan - ギター (1968-72)
  • ボブ・ウェルチ Bob Welch - ギター (1971-74) R.I.P.2012
  • ボブ・ウェストン Bob Weston - ギター (1972-73) R.I.P.2012
  • デイヴ・ウォーカー Dave Walker - ヴォーカル (1972-73)
  • ビリー・バーネット Billy Burnette - ギター (1987-95)
  • リック・ビトー Rick Vito - ギター (1987-91, 1993)
  • ベッカ・ブラムレット Bekka Bramlett - ヴォーカル (1993-95)
  • デイブ・メイスン Dave Mason - ギター (1993-95)

メンバーの変遷編集

  • 「Peter Green's Fleetwood Mac」発表時 (1967-1968)
    • ピーター・グリーン
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • ジェレミー・スペンサー
  • 「English Rose」発表時 (1968-1970)
    • ピーター・グリーン
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • ジェレミー・スペンサー
    • ダニー・カーワン
  • 「Kiln House」発表時 (1970)
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • ジェレミー・スペンサー
    • ダニー・カーワン
  • 「Future Games」発表時 (1971-1972)
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • ダニー・カーワン
    • クリスティン・マクヴィー
    • ボブ・ウェルチ
  • 「Penguin」発表時 (1973)
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • クリスティン・マクヴィー
    • ボブ・ウェルチ
    • デイヴ・ウォーカー
    • ボブ・ウェストン
  • 「Mystery To Me」発表時 (1973-1974)
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • クリスティン・マクヴィー
    • ボブ・ウェルチ
    • ボブ・ウェストン
  • 「Heroes Are Hard to Find」発表時 (1974)
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • クリスティン・マクヴィー
    • ボブ・ウェルチ
  • 「Fleetwood Mac」発表時(1975-1987)
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • クリスティン・マクヴィー
    • リンジー・バッキンガム
    • スティーヴィー・ニックス
  • 「Behind the Mask」発表時 (1987-1992)
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • クリスティン・マクヴィー
    • スティーヴィー・ニックス
    • リック・ビトー
    • ビリー・バーネット
  • 「Time」発表時 (1993-1996)
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • ビリー・バーネット
    • ベッカ・ブラムレット
    • デイブ・メイスン
    • (クリスティン・マクヴィー)
  • 「The Dance」発表時 (1997-1998)
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • クリスティン・マクヴィー
    • リンジー・バッキンガム
    • スティーヴィー・ニックス
  • 「Say You Will」発表時 (1998-2013)
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • リンジー・バッキンガム
    • スティーヴィー・ニックス
  • On With The Show ワールドツアー時 (2014-現在)
    • ミック・フリートウッド
    • ジョン・マクヴィー
    • リンジー・バッキンガム
    • スティーヴィー・ニックス
    • クリスティン・マクヴィー

タイムライン編集

 

日本公演編集

12月1日 名古屋市公会堂、3日,4日 大阪万博ホール、5日 日本武道館
2月3日,4日,5日 日本武道館、8日 京都会館、9日 岐阜市民会館、11日 北海道厚生年金会館、13日 神奈川県民ホール、14日 仙台スポーツセンター、16日,17日 大阪フェスティバルホール
4月23日,24日 東京厚生年金会館
4月7日,8日,9日 東京厚生年金会館

脚注編集

外部リンク編集